artscapeレビュー
手塚夏子『私的解剖実験-5~関わりの捏造~』
2010年07月01日号
会期:2010/06/21~2010/06/28
こまばアゴラ劇場[東京都]
舞台上をひとがたの怪物が4体うろついている、そんな、とてつもなく変則的な上演を目撃してしまった。怪物の外面的な模倣ではない、むしろ意識のコントロールから身体を離したりずらしたりしたことで生まれたと想像される、無意識の身体、故にリアルにおかしな状態の身体が、小さな舞台空間をうごめいていた。
前半は、篠原健、小口美緒、若林里枝の若い3人が、最初は立った状態で自分の身体に起きている微細な出来事を逐一口にし(胃袋が、肛門が、右腕が……)、次は向かい合わせに座って会話をはじめた。立っていたときにも時折起きていた痙攣的な首の微動などの動きが、会話のなかで次第に甚だしくなり、また強いテンションを帯びるようになってくる(ギョロ目になる者もいれば、反対にぐっと内側にテンションを溜め込んで硬直する者もいる)。
そうこうするうちに手塚夏子が現われると、立ちあがった3人に囲まれるようになった。まるで3人の身体が発する電波をすべて受信しようとしているかのよう。低く太鼓の鳴る音がして、トランス的な祭儀かと錯覚させられる。このときの手塚もやはり身体の状態を実況している。語る我(意識)と語られる我(身体)、その主従関係は日常のそれと反転しており、語りは身体の暴走にすっかり支配されてしまわずに、どうにか意識の覚醒した状態を保つための唯一の手段になっているように見える。
後半、4人は椅子に座り向かい合うとそれまでのテンションを落ち着かせるようにあくびを繰り返す。そのあいだ、圧倒的にひきつけられたのは「ゲー、ゲー」とえずいているようなげっぷしているような背の低いほうの女の声。かわいらしいルックスとは明らかに不似合いのおかしな音が止まらない。不安を感じる。この不安に観客は「別の可能性」(パンフレットでの手塚の言葉)を予感すればよいのだろうか。4人は次第に立ちあがると、磁石のように互いにひきつけられたり引き離されたりして、前代未聞の、不思議な動きの怪物と化した。それは、神を必要としない祭儀、身体が身体に身体を奉る祭儀のように思われた。
2010/06/28(火)(木村覚)