2017年07月15日号
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artscapeレビュー

服部正志 展──○再↑生○

2011年08月01日号

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会期:2011/07/08~2011/08/06

YOD Gallery[大阪府]

YOD Galleryに着くや否や、ギャラリーの外壁に描かれた巨大な「ヒト」型が目に飛び込んできた。「ヒト」の中央には、なにやら非常ボタンのような、大きな赤いボタンがある。このボタンは何なのだろう、と思いつつ、入口の扉を開けると、今度は小さな「ヒト」たちに出くわす。型やシルエットとしての「ヒト」は各々、植木鉢から伸びたり、料理用ミキサーの中にいたり、時計の上を回転したりしている。
「ヒト」型は近年、服部が用いているモティーフであり、前回の個展では「ヒト」型のさまざまな変奏を通して、普遍性と違和感という人間の二面性を提示することが試みられた。今回は、「ヒト」型に電化製品という文脈が与えられることで、人とモノ、ひいては人と人とのコミュニケーションのあり方が思いがけないかたちで炙り出される。
男女の「ヒト」型がLEDでかたどられた作品は、配線がなされているにもかかわらず、スイッチを入れても光がつかない。また、白と赤のLEDが寄せ集められてできた「日の丸弁当」にも光が灯ることはない。服部によれば、電気がつかないようにしたのは白い空間での展示効果を考えてのことだが、光がつかないことに不満をもらす観客もいるという。このエピソードは、筆者にひとつの解釈をもたらした。それは、電気のつかない服部の作品が示唆するのが、われわれの想像力の存在ではないか、ということだ。観客の不満は、服部の作品にもし電気がつけばどんなにか美しいだろう、とわれわれが懸命にその状態を夢想することを示す。
電気も、人間同士のコミュニケーションも、「見えないもの」だ。しかし、人間は見えないものを想像することで、豊かな精神世界を構築し、日々の生活や人同士の関係をより前向きに、楽しいものへと変える力を有している。たとえば、古いミキサーを用いた服部の作品の中の「ヒト」型が空想させるのは、このミキサーを使い、家族で美味しい夕飯をつくった記憶だろう。この記憶は、過去には存在し、現在は「見えなくなった」家族の「コミュニケーション」である。そして、このコミュニケーションの記憶は、本展では、外壁のあの赤いボタンを押すことで蘇る。それにはふたりの人間が必要であり、ひとりはギャラリーの外に出て、あの外壁の赤いボタンを押す。もうひとりは室内で、ボタンを押されて廻り出す「ヒト」型を観る。この作業が示すのは、過去のコミュニケーションを呼び覚ます現在のコミュニケーションもまた、行為や伝達、結果が見えないもどかしさをともなうことだ。そして、われわれはそれを想像力によって補おうとする。服部の作品はデザインではなく、アートであるが、このように人間の想像力の喚起するものとして、彼の作品を解することは、デザインの新たな発想へのひとつの手がかりになるのではないかと思う。[橋本啓子]

2011/07/09(土)(SYNK)

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