2018年12月01日号
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artscapeレビュー

渡辺篤 個展「止まった部屋 動き出した家」

2015年02月01日号

会期:2014/12/07~2014/12/28

NANJO HOUSE[東京都]

昨年の初夏に秋葉原のアートラボ・アキバで個展「ヨセナベ」を成功させたばかりの美術家・渡辺篤が、早くも新たな個展を開催した。今回のテーマは「ひきこもり」。自身のひきこもり経験をもとにした作品を中心に発表した。
会場の中央に設置されていたのはコンクリート製の傾いた小屋。粉砕された一面から中を覗くと、寝袋やパソコン、数々の日用品が散らばっている。会期前半に渡辺自身がここにひきこもり、密閉された小屋の中で数日間過ごしたという。外界と隔絶した空間に自閉したり、ひきこもりの当事者を展示したりするアーティストはほかにいたが、自らのひきこもり経験を再現的に表現したアーティストは珍しい。事実、会場にはひきこもり当時の自室を撮影した写真や、ひきこもりを中断して自室の扉をノコギリで切り開いて出てくる自分を写した映像も展示されていた。
特筆したいのは、渡辺がこの個展において全国のひきこもりの当事者たちに自室を撮影した写真を募集した点である。傾いた小屋の内部に設置されたモニターには、渡辺のもとに集まった写真が連続して映し出されていた。乱雑な部屋もあれば、整然とした部屋もある。当事者の身体が写り込んでいる場合もあれば、そうでない場合もある。いずれにせよ共通しているのは、自閉という内向性を強く感じさせる点である。
しかし、その内向性は、この展覧会において外向性という矛盾にさられることになる。言うまでもなく、彼らの写真は私たちによって見られるという点で「開かれている」からだ。閉じているにもかかわらず開かれているという両義性。それは、決してひきこもりからの解放と直結しているわけではないが、ひとつのささやかな関係性であることに違いはない。
この極めて繊細で壊れやすい関係性は、しかし、ひきこもりという特殊な境遇にいる者に特有のものではないのかもしれない。たとえ自室にひきこもっていなくても、振り返ってみれば、私たちの日常的な人間関係には「閉じる」という契機が確かに機能しているからだ。「開く」ことや「つながる」ことを強迫観念的に強いる現代社会において、渡辺の作品は「閉じる」ことの積極的な意義を改めて問い直しているのではないか。

2014/12/26(金)(福住廉)

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