artscapeレビュー

金川晋吾『いなくなっていない父』

2023年07月01日号

発行所:晶文社

発行日:2023/04/25


「いなくなっていない」という言葉は、「いる」ことは必ずしも自明ではないのだと告げている。写真は、ロラン・バルトが「それはかつてあった」という言葉で端的に示したように、そこに写るものがかつてはたしかにあったのだという、本来であれば確認することができないはずの過去をたしからしいものにする。一方、「いなくなっていない」という言葉は、バルトの言葉をちょうど裏返したように、「いる」現在を意味するようでいて、「いなくなった」過去と「いなくなる」未来の可能性を現在に呼び込み、現在のたしからしさを危うくする。いや、過去と未来に挟まれ移ろい続ける現在はもともとそれほどたしかなものではないのだ。

写真家・金川晋吾による本書は、2016年に出版された金川の最初の写真集である『father』(青幻社)を起点に書かれたものだ。『father』の帯には「失踪を繰り返す父、父を撮る息子」という言葉が記されており、『いなくなっていない父』というタイトルはこの言葉に対応するかたちでつけられている。しかしそれは金川の父が『father』の出版後、失踪することをしなくなったのだということを意味しているわけではない。いや、その後は失踪をしていないという意味ではそれは正しくもあるのだが、そもそも金川の父が失踪を繰り返していたのは金川が中高生だった頃のことであり、金川が父の写真を撮り始めてからも2008年と2009年にそれぞれ一度ずつの失踪はあったものの、それから現在に至るまでは一度も失踪はしていないのだという。写真集の出版後、「失踪する父」という言葉を繰り返し見聞きするようになった金川は本書の冒頭で、「『失踪』という言葉を使ったのは他でもない自分だったので、他人を責めるわけにもいかず、何か自分が過ちを犯してしまったような、居心地の悪さを感じるようになった」と記す。「父という人は、『失踪を繰り返す』という言葉で片づけてしまえるような人ではないのだ」とも。

だから、『いなくなっていない父』というタイトルをもつ本書はひとまず、「失踪する父」を冠された『father』の語り直しのようにしてはじめられる。父が失踪を繰り返したという金川が中高生だった頃の家族の様子、高校生で写真をはじめたこと、大学院進学に伴う上京、『father』に収められた写真を撮った当時のこと、そして『father』出版後のNHKのドキュメンタリー番組による取材。これらの出来事を綴る金川の文章はエッセイのようでも写真論のようでもあり、ときに制作日誌のようでもある。実際、本書の後半に収録された文章は、NHKの取材を受けている時期の日記として書かれたものであり、それは『father』をめぐる、つまりは父の/と写真をめぐる出来事や金川の思考の足跡を記したものとなっている。

『father』の巻末にも撮影当時の金川の日記が収録されているのだが、その日記と本書における当時の記述は、当然のことながらそれなりに重複しているにもかかわらず、全体としての印象は相当に異なっている。単純に本書の方が情報量が多いということもあろうが、金川の言うようにそれは結局のところ、昔のことをどう書くかは「書いている、思い出しているときの自分次第のようなところがある」ということなのだろう。だがそれは、過去は自分次第でどうにでも解釈できるという意味ではない。

出来事の渦中にあって記した日記と当時を振り返って書いた文章とで印象が異なるのは当たり前のようだが、しかしここには本書の、というよりは金川の思考とそのベースにある態度の核心めいたものがあるように思う。金川は父のことを、その不可解なふるまいをどうにか理解しようとあれこれ考えてはその試みを断念するということを繰り返す。「わからない」と立ち尽くすのではなく、「わかる」と考えることをやめるのでもなく、わかろうとしてはあるところで断念すること。それはときに到達したように思える答えもまた、ある時点での仮のものに過ぎないと諦め受け入れることでもある。 金川にとっては文章の執筆自体も「『本当に自分はこんなことを思っているだろうか』という不安や、『もっとおもしろくかけるんじゃないか』という甘い期待」を抱きつつ「どこかのタイミングであきらめて、踏ん切りをつけて」なされるものとしてあり、日記という形式もまた、思考の足跡を暫定のものとして切断するものだ。だが、それは必ずしもネガティブなものではない。明日には別の考えをもっているかもしれないというふたしかさは、変化に開かれているということでもあるからだ。

金川は現在、セルフポートレイトを中心とした新作の制作中であり、その一部は、2022年7月から10月の4カ月間の写真と日記を1カ月ごとにまとめたzineとして発行されている。それはまさに瞬間ごとの、日々の、月々の、その都度の断念の記録としての形式だ。セルフポートレートということもあり、そこには金川自身のふたしかさへの開きがよりはっきりと記されているように思う。

さて、わかったふうなことを書き連ねてしまったが、本書の面白さが父の/と写真をめぐる具体的な記述にあることは言うまでもない。『father』や新作のzineと併せて本書を手に取り、金川の思考とその断念の具体的な足跡に触れていただければと思う。


金川晋吾:http://kanagawashingo.com/


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