2018年11月15日号
次回12月3日更新予定

artscapeレビュー

五十嵐太郎のレビュー/プレビュー

《デ・ヤング美術館》《リージョン・オブ・オナー美術館》《アジア美術館》

[アメリカ、サンフランシスコ]

近代以前を展示するサンフランシスコの3つの美術館を訪れた。
ゴールデン・ゲート・パーク内の《デ・ヤング美術館》は、1894年の万博のパヴィリオンが起源であり、アメリカ美術史やアフリカなどのコレクションをもつ。企画展は、アフリカ系の現代美術やマオリ族の肖像画を開催しており、前者はアナツィなども参加していたが、国内だとアール・ブリュット的な作品が多い(それにしても展示室の天井が高い!)。かつてはエジプト様式だったが、ヘルツォーク&ド・ムーロンの設計で生まれ変わった美術館は、皮膜、造形、空間、自然の挿入、塔からの眺めはどれも素晴らしく、現代的である。特に展示室がホワイト・キューブを壊すことなく、建築の空間になっていることに感心した。オセアニアやアフリカ・セクションの什器デザインも建築と連動している。訪問時はフロリストとのコラボレーションにより、展示作品へのオマージュとなるフラワーアレンジメントを、ほぼ全館に設置していた。絵や彫刻の色や形を植物によって再解釈する企画だが、生ものを美術館に持ち込むのを許可するとは大胆な試みである。

ゴールデン・ゲート・ブリッジも見えるリンカーン・パークの《リージョン・オブ・オナー美術館》は、いわゆる丘の上の古典主義建築による美の殿堂だった。ロダンの彫刻ほか、古代から近代まで西洋美術を所蔵し、コの字プランで時代順にたどる。特徴的なのは、絵画と同時代の家具、調度品を一緒に展示し、部屋ごとに過去のインテリアの展示も行なうケースもあることだ。地下の企画展「カサノバ」は、18世紀にイタリア、フランス、イギリスなど西欧各地を放浪し、脱獄もした伝説の人物をネタに、同時代のブーシェ、フラゴナール、ホガース、カナレット、ピラネージ、衣装と風俗を紹介する。ほかにも小企画の「パリ1913年」展は、ドローネーらを紹介していた。そして常設では、コミッションワークによって現代アートも介入する。ガエ・アウレンティがリノベーションを手がけ、古典主義の図書館を《アジア美術館》に再生させた空間でも(やや単純化されてはいるが、彼女が担当したバルセロナの美術館も想起させる)、充実した古美術のコレクションと現代美術の対話を組み込み、横断企画は増えている。


《デ・ヤング美術館》


《デ・ヤング美術館》


《リージョン・オブ・オナー美術館》


「カサノバ」展


《アジア美術館》


《アジア美術館》


《アジア美術館》

2018/03/16(金)(五十嵐太郎)

《サンフランシスコ近代美術館》《UCバークレー美術館・フィルムアーカイブ》

[アメリカ、サンフランシスコ]

サンフランシスコで現代アートを紹介する2つの美術館を訪れた。
《サンフランシスコ近代美術館(SFMoMA)》は、斜めにカットした中央のシリンダーが象徴的な空間を演出するマリオ・ボッタのクラシックな空間に対し、敷地に余裕がない状況で、背後に増床した細長い部分はスノヘッタによるものであり、現代美術のために展示空間を最大化しつつ、端部の動線エリアと波打つファサードに建築的な表現を集中させている。各フロアの展示内容は多様であり、想像以上に充実していた。例えば、カリフォルニアのデザイン(イームズ夫妻や各種のプロダクトなど)、1960年代以降のドイツ美術(リヒターやアンゼルム・キーファーなど)、同館が得意とするアメリカのポップ・アートやミニマル・アート(オルデンバーグやソル・ルウィット)、巨大な画面による映像作品《Sublime Seas》、ルイーズ・ブルジョワによる大小のスパイダー群、ジム・キャンベルによる仮想の斜面インスタレーション、屋外彫刻(ロバート・インディアナやアレクサンダー・カルダーなど)、1階に挿入されたリチャード・セラなどである。特にロバート・ラウシェンバーグの企画は、彼が試みた多分野のコラボレーションの事例も紹介しており、興味深い。

一方で《UCバークレー美術館・フィルムアーカイブ》は、ディラー+スコフィディオが鋸屋根の印刷工場をリノベーションしたものである。ダニエル・リベスキンドによるサンフランシスコの《ユダヤ現代美術館》のような異物挿入型だが、鋭角的なデザインではなく、曲面的に包む銀色のボリュームが白い躯体を貫通し、内部は複層にわたって細い裂け目が走る。赤い階段室も刺激的だった。1階は鋸屋根の下にサンフラシスコのアーティスト(昔の映像系が面白い)、吹き抜けに巨大な壁画、通路にコミュニティ・アートのほか、中国・明代の絵画、地下ではチベット仏教美術、テレサ・ハッキョン・チャの文字を使うアート、西洋絵画における苦痛のイメージの企画展示を開催していた。コンパクトながら多領域をカバーしており、大学の底力を感じさせる。


《サンフランシスコ近代美術館(SFMoMA)》、手前がマリオ・ボッタ設計、背後はスノヘッタによる拡張部分

左=マリオ・ボッタによる設計部分 右=スノヘッタ設計による拡張部分


ディラー+スコフィディオ《UCバークレー美術館・フィルムアーカイブ》外観


ディラー+スコフィディオ《UCバークレー美術館・フィルムアーカイブ》外観



ディラー+スコフィディオ《UCバークレー美術館・フィルムアーカイブ》内観

2018/03/12(金)(五十嵐太郎)

平田オリザ『働く私』/『さようなら』

会期:2018/03/09〜2018/03/10

浜離宮朝日ホール[東京都]

『働く私』は男女の俳優とプログラムによって舞台で動く2体のロボット(かわいらしい造形であり、デジタル的な音声から推定すると、男女のジェンダー分けがなされている)による演劇。『さようなら』は不治の病の女性と、椅子に座って詩を読むアンドロイド(女性の形象だが、かなりリアルなため、やや不気味)による会話劇だった。なお、後者は3.11を受けての改訂版になっており、その後、原発事故が起きた福島に移送されるという設定が加えられている。技術的にロボットに何が可能かというスペックにあわせて、当て書きのように脚本が執筆されていること、また試行錯誤を繰り返しながら、もうすでに何度も国内外で上演されていたからだと思われるが、俳優と自動人形の息はぴったりと合っている。ロボットが途中でフリーズした場合、再起動する時間を稼ぐために、どのように対応するかもあらかじめ想定されているという。

これらの作品が興味深いのは、改めて人(俳優)とは何か、そして演劇とは何かを考えさせられることだろう。そもそも演劇とは、あらかじめ決められた演出に従い、俳優が身体を動かし、しゃべる表現の形式である。とすれば、究極的に俳優は、一定の振り付けを完全に再現できるロボットになることが求められている。アフタートークでは、ロボット演劇が誕生した契機となった、大阪大学における科学とアートの融合プロジェクトの経緯が紹介されたが、やはり平田のデジタルな演出法はもともと相性がよかったのだろう。彼は抽象的な言葉ではなく、無駄な動きも含めて、1秒以下の細かい単位で、俳優に指示をだしているからだ。ならば、将来、すべての俳優はロボットに置き換え可能なのか?(すでにハリウッド映画では、俳優のCG化が進行しているが)ただ、両者が接近するほど、おそらく人間の特性も明らかになるだろう。少なくとも、現時点で平田は、ロボットだけが登場する作品はまだ発表していない。また筆者が鑑賞したとき、人間とロボットのあいだの微妙な(ディス?)コミュニケーションが想像しうることの重要性を痛感した。

2018/03/09(金)(五十嵐太郎)

第11回JIA東北住宅大賞2017 現地審査ツアー

会期:2018/03/06〜2018/03/08

[宮城県、青森県、岩手県、福島県]

せんだいデザインリーグが終わると、東北住宅大賞の現地審査のツアーに出かけるのが恒例となった。今年からは、これまで10回の審査を一緒に担当した古谷誠章に代わり、飯田善彦とともに行脚し、3日間で10作品を訪れた。初日は仙台市内で3つ、宮城県内でもう2つをまわる。2日目は青森で1つ、岩手で1つ、郡山で1つ、そして最終日は福島で2作品という強行軍だ。第11回の東北住宅大賞に選ばれたのは、松下慎太郎によるいわき市の《IENOWA》である。住宅地に重なりあう複数のフレームを設定し、さまざまな領域をつくるものだが、竣工写真よりも施主の私物が入った状態のほうが、場の差異が強調され、さらに魅力的だった。折半天井の大屋根の下に、リノベーションによってポストモダン的な家型を挿入したようにも見えるのも興味深い。以前、東北住宅大賞の審査で見学した同じ設計者の住宅《RICO》とも雰囲気が似ているが、もっと開放的なデザインに進化している。

優秀賞は4作品が選ばれ、残りの5作品は佳作となった。以下に優勝賞の作品に触れておく。洞口苗子による岩沼の《複合古民家実験住宅》は、築60年の古民家を購入して救い、カラフルな二世帯住宅+(二階の秘密基地的)設計事務所に改造し、緑道に接する母の美容室を増築したもの。20代だから東北住宅大賞では最年少であり、これまでにないセンスのリノベーションだった。齋藤和哉による《八木山のハウス》は、中央のホールから四方向に傾斜屋根をもつが、それらの中心をテラスとして掻き取り、ホール上部の四方向に開口を設けることで、内部と外部が絡む、興味深い空間の形式を実現する。佐藤充が設計した《北山の家》は、線路沿いの敷地ゆえに、箱型の住宅で防御しつつも、室内に入ると、二層吹き抜けを外周にめぐらせ、開放的な空間だった。そして岩堀未来+長尾亜子による《矢吹町中町第二災害公営住宅》は、ダブルスキンの「縁にわ」をもち、大開口により南北に視線が貫く。ほかの被災地とは違い、雁行する二階建ての長屋になっており、街並み、植栽、ランドスケープ、環境を意識し、将来の町営住宅への転換も射程に入れたデザインだった。

松下慎太郎《IENOWA》


左=齋藤和哉《八木山のハウス》 右=洞口苗子《複合古民家実験住宅》


左=佐藤充《北山の家》 右=岩堀未来+長尾亜子《矢吹町中町第二災害公営住宅》

2018/03/08(木)(五十嵐太郎)

せんだいデザインリーグ2018

会期:2018/03/05

せんだいメディアテーク[宮城県]

今回は渡辺顕人による被膜が生き物のように動く建築が日本一に選ばれたが(本当に蠢く模型はインパクトがあったけれど、内部空間のデザインはひどく、学部1年レベル)、審査が終了しても、赤松佳珠子が不満を述べたように波乱含みの展開だった。おそらく審査委員長の青木淳による巧みな誘導によって、アンチ・ヒューマン派が結束し、ヒューマン派・空間系の票が分裂し、切り崩されたことが、この結果につながったように思う。ちなみに、前者が動く建築、金継ぎ的にハウスメーカーの家をつなぐシステム(谷繁玲央)、富士山の環境が導く建築(山本黎)、後者が住宅地の基礎に注目する提案(平井未央)、塩から始まる島の未来構想(柳沼明日香)、防災地区ターザン計画(櫻井友美)である。本来は対立する両者の激論をもっと見たかったが、最終投票が前者vs.後者の構図にならなかったこと、また本当に動く建築を選んでよいかを議論する時間がなかったことが、結果のもやもや感をもたらした。もっとも、個人的に今年は一押しがなく、政治的に正しくない案が日本一になったことは興味深い(まさか動く建築が一位になるとは思わなかったが)。

思うところがあって、2年前から本選の審査には関わることを止め、なるべく多くの学生の案を講評し、学生との飲み会がセットになるエスキス塾を始めたが、3回目は本選とエスキス塾の垣根がほぼ消えたことが印象に残った。例えば、ターザンは本選に残らないだろうと思って、エスキス塾の候補にしたら、ファイナリストになった。また日本三となった金継ぎの谷繁や特別賞の平井も、ファイナルに残ったために、エスキス塾の候補から外されたが、当日に飛び入りで参加した。さて、朝から夕方まで40人の学生の案を講評し、二次会までの飲み会では、さらに突っ込んだ個別の議論とせんだいデザインリーグへの生の意見を聞くことができた。学生を目の前に個別に案を掘り下げ、意見を交わすと、前日の10選の入れ替え可能性をいろいろ想像させるが、特にデザインの可能性では、熊本大学の福留愛による詩人の世界を体感するミュージアム《窓の宇宙》は突出して、空間の新しい形式に対する創造性への意欲を感じた。

2018/03/05(月)(五十嵐太郎)

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