2017年08月01日号
次回9月1日更新予定

artscapeレビュー

福住廉のレビュー/プレビュー

もにゅキャラ考

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会期:2017/07/17~2017/07/17

首都大学東京秋葉原サテライトキャンパス[東京都]

「もにゅキャラ」とは、モニュメントと化したアニメやマンガのキャラクターのこと。「鉄腕アトム」や「火の鳥」「メーテル」「ラムちゃん」「両津勘吉」など、さまざまなもにゅキャラが、ここ20年あまりのあいだ全国の公共空間に急速に設置されつつある。『美術手帖』元編集長で首都大学東京准教授の楠見清と、マンガ解説者の南信長は、全国のもにゅキャラを調査し、このほど『もにゅキャラ巡礼』(扶桑社、2017)を上梓した。楠見によって企画されたこのシンポジウムは、同大学の大学院生による研究報告をはじめ、「ケツバットガール」や「美少女図鑑」で知られるフォトプロデューサーでディレクターの西原伸也と筆者による基調講演、そして来場者をまじえたディスカッションを行なったものだ。
もにゅキャラの最大の特徴は、2次元のキャラクターを3次元のモニュメントに変換する点にある。そうした次元変換自体は、この国の芸術史あるいは芸能史を紐解けば一目瞭然であるように、さして珍しいわけではない。だが、もにゅキャラが謎めいているのは、その次元変換を、例えばコスプレのように主体的に身体化させるのではなく、ブロンズ像や石像、あるいはFRP像として客体的に造形化するからだ。謎というのは、もにゅキャラがあらゆる世代にとって親しみのあるキャラクターに基づいていることは事実だとしても、それらをわざわざ銅像に仕立て上げることの必然性がほとんど見受けられないことを意味している。コスプレであれば、衣裳とメイクによってキャラクターになりきるという点に個人的で主観的な欲望を投影しうるため、次元変換に合理的な理由を認めることは十分にできよう。しかし、もにゅキャラの場合、次元変換の背景にそのような享楽性を見出すことはできない。多くのモニュメントがそうであるように、歴史を超越する永遠性が体現されていることは理解できるにしても、なぜ、あえて平面上に描写されたキャラクターを立体造形化するのかは理解に苦しむ。そのキャラクターのファンですら、その疑問は禁じえないのではないか。現代美術の抽象彫刻であれば街の風景の一部として見過ごすことができるし、裸体彫刻であれば人体を再現したという揺るぎない理由がそのような謎を端から寄せつけないだろう。誰もが知るキャラクターであるがゆえに、それらを立体造形化していることの不思議さがよりいっそう募るのである。

西原が仕掛けたケツバットガールは、そのようなもにゅキャラの謎に対する、ひとつの創造的な回答であるように思われる。舞台は新潟市の古町通5番町商店街。この一角に設置された『ドカベン』の山田太郎像は、バッターボックスでバットを力強くスイングしているが、弓なりにしなったバットがあたかも臀部を打ち叩いているかのようなポーズで写真に収まる女子たちのことをケツバットガールと言う。むろん、ここにはかつての体育会系の伝統とされたケツバットという体罰をあえて自演してみせる自虐的な批評性がある。けれども、それ以上に重要なのは、ケツバットガールという西原によって開発された形式が、もにゅキャラという謎めいた銅像に新たな意味を付与しているという点である。ケツバットガールがなければ、山田太郎像は『ドカベン』のファンにとっての聖地にはなっていたかもしれないが、それ以上の意味を見出すことはできなかったに違いない。銅像という古めかしいメディウムは、山田太郎というキャラクターの名前以上の意味をことごとくはねつけるからだ。逆に言えば、モニュメントの永遠性が担保されるのは、銅像が銅像であるというトートロジー以外の意味を受けつけないからではなかったか。だからこそ、多くのモニュメントは認識されることはあっても、とりわけ愛着をもたれることはなく、どちらかと言えば風景の一部として放置されているのである。ケツバットガールは、そのような銅像の単一のイメージに全力で対抗することによって、それを複数のイメージに分裂させる。無味乾燥とした硬い銅像を柔らかく揉みほぐし、一時的に我有化することで新たな意味を生成していると言ってもいい。これほど愛されたもにゅキャラがあっただろうか。

とはいえ、地元住民に愛されるもにゅキャラがないわけではない。楠見と南によれば、神楽坂商店街のコボちゃん像は服を着せられているし(同書、pp.179-182)、鳥取の境港市の水木しげるロードに設置されたねずみ男像は、明らかに仏像ではないにもかかわらず、撫で仏のように撫でられているため鼻の下と膝頭がツルツルに磨き上げられているという(同書、p.117)。このように、もにゅキャラの作者はもちろん、マンガの原作者でさえ想定してなかった愛着の持たれ方は、あるいはもにゅキャラの謎を解き明かす、ひとつの鍵になりうるのかもしれない。もにゅキャラに限らず、この国のありとあらゆる造形の歴史を振り返ってみればわかるように、造形を制作する側というより、造形を受容する側に、民間信仰に似た精神性を無意識のうちに作動させてしまう論理と力学が確かに認められるからだ。私たちは愛着のあるイメージを造形化することによって、その愛情の投影をより直接的かつ確実にしながら、同時に、救いや祈りの対象にもしてきたのではなかったか。すべてとは言わないにせよ、もにゅキャラはそのような無意識の欲望の延長線上に現われた現象と言えるかもしれない。
しかし、仮にそうだとしても、もにゅキャラの謎は依然として深い。なぜならケツバットガールたちの方法は、いずれも写真というメディアに帰着しているからだ。もにゅキャラは2次元のキャラクターを3次元のモニュメントに置換したものだが、彼女たちは、いや、もにゅキャラに近接する者たちは誰であれ、もにゅキャラを再び写真という2次元に変換しているのである。だとすれば、もにゅキャラはいったいどこにいるのだろうか。

2017/07/17(月)(福住廉)

北アルプス国際芸術祭2017 ~信濃大町 食とアートの回廊~ その2

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会期:2017/06/04~2017/07/30

大町市内各所[長野県]

問題なのは、そのような芸術祭にふさわしい類型的な作品が、芸術祭という形式にとっての最終形態であるように感じられる点にある。仮に現行の日本型芸術祭の端緒を「大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ2000」に求めるならば、アーティストたちはその形式のなかで自らの美術作品を問いかけ、17年もの時間をかけて切磋琢磨することによって、芸術祭にふさわしい作品が徐々に選別されてきたことになる。その取捨選択の政治学は決して悪いことではないし、芸術祭で歓迎される作品が洗練されることもことさら否定されるべきではない。美術館で歓迎される作品が恣意的に選別されてきたことは誰もが知る事実であるし、それが眼に見えて先細りになっている以上、芸術祭という新たな形式の開発は、結果としてアーティストに新たな発表の機会をもたらし、事実として美術作品の幅に広がりを与えたからだ。アトラクションと体感を重視する類の作品の台頭は、大衆に受容され支持されることを必要条件とする芸術祭という形式が日本社会に定着する道のりの必然的な帰結とも言えよう。だが、それが発展途上の形態ではなく、完成形だとしたら、どうだろう。完成形とは、言い換えれば、その先に発展する見込みが望めないということだから、仮に場所を移動しながらバージョンアップすることはあっても、基本的な「文法」は変わらない。今後日本の各地で開催される芸術祭や国際展で、目のようなアトラクションと体感を重視した作品が来場者の広範な支持を得ながら増加することは容易に想像できる。しかし、そもそもアーティストの仕事は、「文法」の応用ではなく、「文法」そのものの開発ではなかったか。
例えば里山と棚田が広がる小さな集落で制作・展示されたフェリーチェ・ヴァリーニの作品は、家屋の外壁や屋根のいたるところに黄色い曲線を描いたものだが、ある一点から鑑賞すると線と線が結びつくことで楕円形の模様が浮かび上がるように見える。しかし、これは原理的には、室内空間を塗り上げることで任意の地点から幾何学的な形態を浮上させるジョルジュ・ルースの作品の「応用」である。屋外で、より大規模に展開したところに独自性を見出すこともできなくはないが、それは必ずしも文法の開発とは言えない。

それに比べれば、多くの参加アーティストが風土を過剰に意識した作品を発表するなか、そうした類型的な作品とは明確に一線を画しながら、自らの作風をあくまでも貫いた岡村桂三郎のほうが、たとえ文法の開発とまでは言えないにせよ、芸術祭という形式を一切省みない頑なな態度が、かえって芸術祭にふさわしい類型的な作品の歪さを逆照するという点で、批評的に見えたのも偽らざる事実である。岡村は、例によって焼いた平面をスクレーパーで削り出した巨大な屏風状の作品を、会場とした休憩施設の中に、これでもかというくらいに大量に展示して見せた。主題としているのは、いつものように龍や鳥などの神獣や人間だから、作品が一変したわけではない。だが、決して広くはない空間に押し込められた作品の物量が、いつも以上にすさまじい迫力を倍増させていた(2015年、岡村は浜松市秋野不矩美術館で大規模な個展を催したが、延床面積で言えば、その個展のほうが圧倒的に大きいはずだが、作品が醸し出す迫力という点で言えば、本展のほうが明らかに勝っていた)。作品を芸術祭に従属させるのではなく、芸術祭を作品に従属させること。岡村が示しているのは、類型化を進行させつつある現在の芸術祭に対するアーティストなりの気骨ではなかったか。
いずれにせよ問題の所在は芸術祭に最適化した作品である。それが最終形態を迎えているとすれば、それを無限に反復ないしは増殖させることで芸術祭という形式の寿命を延ばすことはできるかもしれない。だが、それは美術の本質とはまったく無関係である。地域再生や観光振興といった目的が直接的に紐づけられているにせよ、原則的に言えば、芸術祭とは美術作品を媒介としながらアーティストと来場者、そして地元住民が出会うための形式にすぎないからだ。美術が時代とともに形態や思想を変容させてきたことは事実だとしても、その作品が芸術祭によって類型化を免れないとすれば、私たちはいずれ芸術祭という形式を思い切って打ち砕く必要に迫られるかもしれない。いや、あるいはすでに次の形式を探し出す旅に出発する時機が到来しているのではないか。

2017/07/10(月)(福住廉)

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北アルプス国際芸術祭2017 ~信濃大町 食とアートの回廊~ その1

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会期:2017/06/04~2017/07/30

大町市内各所[長野県]

長野県大町市を舞台とした芸術祭の初回。総合ディレクターに北川フラムを迎え、国内外のアーティスト36組による作品を、市街地をはじめ大町ダム、青木湖、温泉街などに展示した。同じディレクターであるため必然的に「大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ」や「瀬戸内国際芸術祭」と比較しながら鑑賞することを余儀なくされるが、何よりも特徴的なのは、その開催規模である。先行する2つの国際展とは対照的に、本展の会場は比較的小規模なエリアに限定されており、ちょうど1泊2日で十分に回遊できるほどだ。アーティストも少数精鋭に絞られており、その点ではいくぶん物足りない印象を覚えなくもないが、開催エリアが狭い割には、山間部から市街地まで、あるいはダムから湖まで、それぞれ抑揚があるため、決して飽きることはない。
とはいえ、個別の作品についてはある種の限界を痛感させられたのも事実である。美術館のホワイトキューブではない野外や山村集落、あるいは古民家などで発表される作品は、いまやはっきりと類型化されつつあるように感じられたからだ。例えば、無数の木の枝を組み合わせることで台風のような渦巻状の構築物を森の中に出現させたリー・クーチェの作品や、竹林から切り出した竹を地元住民と共に垂直状に組み上げたニコライ・ボリスキーの作品は、いずれも自然の素材を改変することによって自然の風景を美しく異化するもので、これは越後妻有でたびたび眼にしてきた作品と同じ傾向にある。あるいは、神社の境内に向かう橋の上に霧のリングをつくったジェームズ・タップスコットの作品と、森林劇場の舞台に自然と人工が融合したような不思議な音楽装置をつくったマーリア・ヴィルッカラの作品は、いずれもミストを発生させている点で共通している。「水」という風土を過剰に意識したのかもしれないが、これは、規模こそ異なるとは言え、否が応でも中谷芙二子の《霧の彫刻》を彷彿させてやまない。少なくとも素材技法の面で言えば、芸術祭で歓迎される作品はいまや芸術祭という形式に最適化されつつあるのではないか。

芸術祭にふさわしい作品。そのもっとも典型的な事例が、目だ。「大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ2015」をはじめ、「さいたまトリエンナーレ2016」など、近年国際展や芸術祭に精力的に参加しているクリエイティブ・チームである。今回発表した《信濃大町実景舎》は、市街地を見下ろす山腹に建つ古民家の内部を漆喰で塗り固めることでコクーンのような空間に仕立て上げたもの。来場者は狭く、細く、そして緩やかに曲げられた導線を進みながら、非日常的な空間を体験するというわけだ。事実、多くの来場者がまるで遊園地を訪れたかのように歓声を上げながら楽しんでいた。市街地の景観自体は変わらないにせよ、この白い空間から見晴らすと、視線が鮮やかに更新されたように錯覚するという点では、例えばジェームズ・タレルの作品と近しいのかもしれない。だが、それ以上に重要なのは、彼らの作品が来場者の体感を刺激するアトラクションの要素を強く醸し出しており、それが芸術祭にふさわしい作品として類型化しつつあるという点である。
あえて類型化と言い切ることができるのは、例えば栗林隆の作品にも目と同じく体感を刺激するアトラクションの要素を色濃く見出すことができるからだ。商店街の空き店舗の1階に40分の1のスケールで黒部ダムを再現し、2階のダム湖を足湯に浸かりながら鑑賞するという作品だ。ここでも来場者は全身の感覚を刺激されながら狭い通路と階段をくぐりぬけ、その先に現われたドラマチックな光景に目を奪われる。そのようにして来場者の視線と身体を誘導する展開の仕組みが優れている点は否定しない。しかし、その一方で、そのような「文法」が目と著しく通底していることは決して無視しえない。そこには明らかに類型化の問題がひそんでいるからだ。

2017/07/09(日)(福住廉)

沖潤子 月と蛹

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会期:2017/06/30~2017/07/23

資生堂ギャラリー[東京都]

古布に微細な刺繍を施す作品で知られる沖潤子の個展。ステッチの間隔を見出すことができないほど細かい刺繍は、「接合」や「装飾」という意味を超えて、独特の造形物を生んでいる。本展では、それらの造形物を白いフレームで囲ったうえで天井から吊るして見せた。ほかに、刺繍に用いた針や映像作品なども展示された。
丸みを帯びた形体と床に落ちた影。タイトルに示されているように、そこから月と蛹のイメージを連想することはたやすい。だが、沖の刺繍作品は月や蛹を具象的に再現したわけではあるまい。具象的に見るならば、それらは日の丸のようにも見えるし、機能形態的に見れば、帽子のような作品も含まれているからだ。月と蛹は、再現的なイメージの起源ではなく、おそらく何かの暗喩なのだろう。
空中をたゆたうような刺繍を見ていると、独特の時間感覚を感じずにはいられない。その浮遊感が浮き世離れした時間性を垣間見せるだけではない。刺繍という身ぶりが、それに費やされた果てしない時間の厚みを見る者の脳裏に刻みつけるのだ。狂気と言えば、そうなのかもしれない。だが、会場で実感するのは、むしろ何物にも取り乱されることのない、じつに静謐な時間の流れである。
透明度の高い時間──。それこそが再生ないしは変身の比喩である月と蛹が暗喩するイメージではなかったか。眩しい太陽や華々しい蝶を見せたがるアーティストや、それらを見たがる鑑賞者が多勢を占める姦しい時代にあって、純度の高い時間とともに、その原型を静かに想像させるところに沖潤子の真骨頂がある。

2017/07/06(木)(福住廉)

生の体験から知る 沖縄の戦争展

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会期:2017/06/23~2017/06/25

浅草公会堂[東京都]

6月23日は沖縄戦の犠牲者たちを悼む「慰霊の日」。その象徴的な日に始められた本展は、戦争体験者の証言を写真とパネルによって伝えたもの。あわせて砲弾の破片や水筒、軍靴などの実物も展示された。
いま「展示」と書いたが、この言い方はもしかしたら本展にはそぐわないのかもしれない。というのも、本展の醍醐味は戦争の写真を「見る」ことや戦争体験者の証言を「読む」ことだけでなく、彼らの語りを「聴く」ことにもあるからだ。会場には、3つの壁面に写真とパネルが展示されていたが、真ん中の空間には椅子と机が並べられ、戦争体験者の話を直接聴くことができる「茶話会」が催された。したがって来場者は彼らの肉声を耳にしながら写真とパネルに記された沖縄戦の実態を目にすることになる。それは、展示物とのあいだに一定の距離を保ちながら吟味の視線を走らせる、通常の鑑賞法とは著しく異なる経験である。

会場で来場者に向けて証言したのは、おおむね4人。彼らがめいめい同時に発話するため、現場にはそれぞれの言葉が渦を巻きながら大きなうねりを生んでいるように感じられた。来場者は、彼らが編み出す言説空間に有無を言わさず巻き込まれると言ってもよい。そのある種の暴力性は、沖縄戦の実態を、とりわけそれに無知な現在の東京で暮らす人々に伝承するためには必要不可欠な知恵と技術なのだろう。だが、それ以上に痛感したのは、そのように視覚と聴覚を融合させながら来場者を包摂する手法そのものが、きわめて芸術的であるように感じられた点である。
「美術」が視覚を特権化する一方、「見世物」にあった聴覚や味覚などを切り捨ててきた経緯を思えば、本展に見られた芸術性は前近代への回帰志向として位置づけられるのかもしれない。あるいは、沖縄戦という大きな文脈は共有しつつも、複数の語り手がそれぞれの物語を自立的に語るという点では、広い意味で演劇的であるようにも見えた。むろん沖縄戦という厳然たる事実と、それを現在に言い伝える伝承は、本来的には別次元で考えなければならない。だが、歴史が現在によって語られることで浮上する物語だとすれば、そして戦争体験者が語ることができない時代がいずれ到来することが疑いないとすれば、今後重要になるのは歴史を召喚する芸術的な形式なのではないか。本展は、そのためのひとつの手がかりを示したように思う。

2017/06/23(金)(福住廉)

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福住廉

1975年生まれ。美術評論家。著書=『今日の限界芸術』共著=『フィールド・キャラバン計画へ』『ビエンナーレの現在』『道の手帖 鶴見俊輔』。

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