artscapeレビュー
福住廉のレビュー/プレビュー
Chim↑Pom 「また明日も観てくれるかな?」
会期:2016/10/15~2016/10/31
歌舞伎町振興組合ビル[東京都]
Chim↑Pomの醍醐味は、同時代における政治的社会的な問題への先鋭な意識と、それらを体現する桁外れな想像力の強度である。時として作品の重心が前者に傾きすぎると奇妙に優等生的で退屈になりがちであり、後者に傾きすぎると社会を騒乱させる「お騒がせ集団」というレッテルを貼られがちだという難点がないわけではない。だが、その両極のあいだで絶妙な均衡感覚を保ちながら生き延びてきた粘り強い生命力こそ、彼らの類い稀な特質なのかもしれない。
本展は新宿歌舞伎町の一角に立つ古い雑居ビルで催された彼らの自主企画展。ギャラリーの後援も企業や自治体による支援もないまま、建物の全体をほぼ丸ごと使用しながら空間の隅々に作品をインストールし、あるいはその空間全体を作品化した。この雑居ビルは、前回の東京オリンピックが催された1964年に建造され、次回の開催が予定されている2020年を前に解体が決定していることから、これまでのChim↑Pomの作品の多くがそうであったように、過去と現在と未来という時間軸を強く意識させる展観になっていた。
なかでも最も際立っていたのが、2階から4階までの会場の床を位置と大きさをそろえて切り落とした作品。4階から床に開けられた穴を見下ろすと、1階まで抜ける高さに恐怖を禁じえない。ところがほんとうに恐ろしいのは、むき出しにされた床の断面である。そこに認められる鉄筋の数が想像を超えて少なかったからだ。重力に逆らいながらも私たちの文明的な日常生活を支えているはずの土台が、思いのほか不安定で寄る辺ないもののように見えることが衝撃だったのである。むろん、こうした不安の感覚は911が起こったときに否応なく味わったという点で、決して新しいものではない。だが歌舞伎町のど真ん中に穿たれた巨大な穴は、究極的には重力に敗北せざるをえない建築の宿命とは、やや性質を異にしていると思われる。
端的に言えば、それは建築の敗北というより、むしろ戦後民主主義の敗北ではなかったか。というのも、この底抜けの感覚は昨今の政治的社会的な状況の正確な反映として考えられるからだ。民主主義という制度と思想が戦後の日本社会の復興と繁栄を領導してきたことは事実だとしても、主権在民という原則を足蹴にする極右政権の誕生と持続は、それが必ずしも人間の善と幸福を約束するわけではないという事実を改めてつきつけた。戦争の放棄を謳う平和憲法をないがしろにする政策や、沖縄の米軍基地をめぐる問題について民意を無視した強行政策に見られるように、民主主義という理念はいままさに骨抜きにされつつある。それまで民主主義を信奉してきた者さえ、その価値に疑いの眼差しを向けているほど、それは大きな危機に瀕していると言わねばなるまい。これまでの戦後社会を支えていた土台が次々となし崩しにされているという点で言えば、私たちは確実に落ちているはずなのだが、社会全体が周囲の風景を巻き込みながら落ちているせいだろうか、落下の感覚すらおぼつかない。あの1階まで抜けた穴を見下ろしたとき、私たちは落下するかもしれないというより、むしろいままさに落ちていることを想像的に思い知るのである。その反動として思わず上を見上げたとしても、そこにはジェームズ・タレルの作品のように解放感あふれる大空があるわけではなく、薄汚れた5階の床がまるで私たちの未来に蓋をするかのように広がっている。それゆえ結局のところ、私たちは果てしなく落ちていくイメージに束縛されながら、自らの脚で階段を降りていくほかないのだ。
しかしChim↑Pomの今回の作品が優れているのは、物質を大胆に工作することで、そのような社会状況をみごとに体感させているからではない。最下層の1階に降り立つと、そこで眼にするのは、積み上げられた3枚の床。2階から4階までの切り抜いた床を、そのまま下におろし、ビル内にあった色とりどりの家具や事務用品なとの廃物を挟み込んだ。コンクリート製の床面をバンズに、廃物を具材に、それぞれ見立てたハンバーガーのような作品である。つまり切り抜いた床は本来的には落下すると粉砕される可能性が高いが、彼らはそれらを自分たちに馴染みのある造形として反転させたわけだ。《スーパーラット》が渋谷の雑踏でたくましく生きる自分たち自身の自画像だったように、この作品もまた私たちの現在地を刻んでいると言ってよい。
落ちつつも、単に滅びるのではなく、再び立ち上げること。あるいは、なんとかして立ち上がろうともがくこと。ここにこそ、Chim↑Pomならではの思想が表わされている。例えば坂口安吾が扇動したように、滅びの時代にあっては、堕落の道を極めることもありえよう(『堕落論』)。だが、Chim↑Pomの時代感覚はあくまでも同時代的である。どれだけ過去を振り返り未来を見通したとしても、彼らの関心はいかにしていまを生きるかという点にあるからだ。過去や未来はあくまでも現在の輪郭を明確にするための参照点であり、未来の光明を信じて現在の滅びをよしとすることはありえない。そこに、Chim↑Pomのしぶとい生命力の源がある。
2016/10/24(月)(福住廉)
見世物大博覧会
会期:2016/09/08~2016/11/29
国立民族学博物館[大阪府]
「見世物」とは、「料金をとって珍しい物や各種の芸を見せる興行」(明鏡国語辞典)のこと。江戸時代以来、盛り場や寺社境内などに見世物小屋を仮設することで興行を行なっている。
その定義は明快だが、内実は実に多様で幅広い。「物」に限って言えば、籠や貝、陶磁器などで造形物をこしらえる細工見世物や人間の肉体をリアルに再現する生人形、さらには奇獣珍獣を見せる動物見世物まである。「芸」に焦点を当てても、空中に張った綱や垂直に立ち上げた竹の上で離れ業を演じる軽業や、足だけで物品や人間を自由自在に操る足芸、独楽を巧みに回転させる曲独楽、とにかく重量物を持ち上げて力技を見せる曲持、はたまた女だけで相撲をとる女相撲、さらには乗馬したまま芝居や踊を演じる曲馬芝居などもある。つまり見世物とは、造型と身体パフォーマンスの両面に及ぶ民俗芸能である。
「物」と「芸」が芸術や美術の根幹にある基本要素であることを思えば、見世物は明治期に輸入された近代美術より先行する美術の原型と言えるのかもしれない。事実、木下直之は『美術という見世物』(1993)のなかで、「見世物は美術展が生まれ育った家なのである」(ちくま学芸文庫、p.17)と指摘している。「体操」が見世物小屋の曲芸師たちに出自をもつように、「美術」はある一定の秩序のもとで物を見せる見世物小屋に由来している。今日、見世物と美術の連続性は、ある種の学術的前提として定着していると言ってよい。
本展は、国立民族学博物館と国立歴史民俗博物館が連携しながら「見世物」の全体像を網羅的に紹介したもの(2017年1月17日より3月20日まで国立歴史民俗博物館に巡回)。見世物小屋を模した空間に、見世物の写真や映像、刷り物、使用された器材、絵看板、報道資料、解説文などが展示された。むろん見世物小屋がそのまま再現されていたわけではないし、「美術」との連続性を強調していたわけでもなかったが、それでもその知られざる実態を体感するには十分すぎるほど充実した展観である。
なかでも最も強烈な印象を与えたのが、「人間ポンプ」こと、2代目安田里美(1923-1995)。幼少の頃から見世物小屋で育ち、まぶたの力だけで水をたたえたバケツを振り回す「眼力」、口に含んだガソリンを吹き出しながら着火する「火吹き」、そしてさまざまなものを胃の中に飲み込んでは吐き出す「人間ポンプ」など、さまざまな芸を身につけた生粋の芸人である。会場では、1980年代にじっさいの見世物小屋で演じられた演目を記録した貴重な映像が上映された。
金魚を飲み込んで生きたまま吐き出すのはまだ序の口で、安田は剃刀、五円玉などを次々と呑みこんでゆく。驚くべきは、彼がその後釣り糸を呑み込むと、先端の針に金魚がかかっていたり、五円玉の穴に糸が通っていたりすることだ。にわかには信じられない光景だが、映像をとおしてでも、その尋常ではない芸の力に圧倒されるのだ。事実、現場の客の大半は子どもたちだったが、彼らの表情は驚愕というよりはむしろ理解不能といった様子で、しかしそのような唖然とした表情こそが、実は安田里美の芸の真骨頂を如実に物語っていたように思われる。それは、言ってみれば世界を停止させるような芸だったのではないか。
本展で紹介された見世物の数々を目の当たりにして痛感するのは、見世物が人間の五感に総合的に働きかける芸能だという事実である。視線を集中させるための空間的な配慮はもちろん、会場内の効果的な導線、観る者を決して飽きさせない劇的な展開を含んだ演目の構成、視覚的な強度を補強する濁声の口上など、数々の技術がふんだんに投入されていることがわかる。
その反面、結果として逆照されるのは、視覚を特権化したうえで整備された美術の制度である。木下が解明したように、美術館が導入される前、人々は油絵茶屋という見世物小屋で油絵を観ていたが、そこは視覚だけを優先させる美術館とは違い、芸人が口上を披露しながら、そして茶(珈琲)を飲みながら、絵画を鑑賞していた。いや、「鑑賞」という言い方にあまりにも近代的なバイアスがかかっているとすれば、それは「楽しんでいた」と言うべきかもしれない。いずれにせよ、「見世物」から「美術」へのパラダイム・チェンジの大きさをまざまざと感じざるをえないのである。
「美術」による「見世物」への侮蔑や憎悪に近い差別的な扱いが生じるのは、まさしくその双方のあいだに広げられた大きな隔たりのなかである。木下が言及している「それでは見世物にすぎない」という美術館関係者による常套句が、そのように差別化することで美術が美術であるための自己規定をもくろむ、きわめて政治的な身ぶりであることは明らかだが、本展で克明に浮き彫りになっているのは、そのような「美術」の自己規定を置き去りにするほど豊かな見世物の世界の論理と魅力である。あえて挑発的に言い換えれば、たとえ「美術」がなくても「見世物」があれば十分なのではないか。
例えば見世物研究の第一人者である川添裕は、見世物を次のように明快に定義している。すなわち「見世物とは、たんなる過去の遺物なのではなく、むしろ『世界』を更新する可能性の表現なのであり、さまざまな事物に新たな喜びや驚きを感じ、あるいは不可知なものへの不安にかられ、心底恐怖することのできる、特権的な『世界』である」(「常軌を超える力」同展図録収録、p.187)。安田里美の芸を目の当たりにした子どもたちは、五感を大いに刺激されながらも、おそらく世界が停止してしまったような感覚に陥ったはずだ。けれども、その後再び動き出した世界は、それまでとはまったく異なる姿として、彼らの眼球に映っていたに違いない。だが、そのような世界の更新こそ、実は今日の私たちが美術に求めてやまない超絶した力の正体ではなかったか。
見世物を侮るなかれ。それは美術の原型であり、立ち返るべき原点である。美術が隘路に陥っているとすれば、その打開策のひとつは見世物をとおして美術を再構築する道のりにある。
2016/10/23(日)(福住廉)
遅咲きレボリューション!
会期:2016/10/15~2017/01/29
クシノテラス[広島県]
櫛野展正は日本で唯一のアウトサイダー・キュレーター。長らく広島県福山市の鞆の津ミュージアムで他に類例を見ない独自の企画展を催してきたが、このほど独立して同市内にアウトサイダー・アートを取り扱うギャラリー「クシノテラス」をオープンさせた。本展は開館記念展に次ぐ第二回目の企画展で、高齢者になってその才能を開花させた表現者たちを一堂に集めている。
参加したのは、ダダカンこと糸井貫二をはじめ、福祉施設を退職後にダンボールなどに絵を描き始めた長恵、50歳になってエロチックな自撮り写真を撮り始めたマキエマキ、そして70歳を超えてから写真を学び、パソコンソフトを駆使しながら、セルフポートレートを撮っている西本喜美子の4人。何かと「コンセプト」や「文脈」を重視しがちな現代美術とは対照的に、いずれも内なる衝動に素直に突き動かれた、きわめて純粋な表現者たちである。
なかでも突出していたのが、熊本県在住で、今年88歳の西本喜美子。その写真は、物干し竿の衣服に袖を通したり、ゴミ袋に身を包んだり、老女である自分を笑い飛ばすようなユーモアあふれるものばかり。そこに、老人をむげに扱いがちな現代社会への痛烈な批評性を読み取ることもできなくはないが、それ以上に伝わってくるのは西本のひたむきな表現欲動である。息子の写真教室で基本的な技術を習得し、やがて撮影した写真をパソコン上でデジタル加工する水準にまで自分で自分を引き上げた底力がすばらしい。軽トラックに轢かれているように見える写真は、停車した車両の前に倒れ込んだ自分を撮影した後、パソコン上で画像処理することで、あたかも軽トラックが高速で前進しているかのように見せたものだ。面白い写真を撮るために知恵と工夫を凝らし、その継続が結果的に写真と自分をともに高めているのだろう。その発展的な軌道に西本が乗っていることが感じられるからこそ、私たちの視線はますます釘づけになるのである。
櫛野の挑戦がアウトサイダー・アートの外縁を拡張していることは間違いない。ジャン・デュビュッフェが命名した「アール・ブリュット」以来、それは精神疾患をもつ人による表現に注目しながら、西洋近代の芸術とは別の芸術を求めてきた。櫛野はこれまで社会福祉という領域に軸足を置きつつも、もう片方の脚を、従来のアウトサイダー・アートには含まれない、例えばヤンキーや死刑囚、スピリチュアルといったアウトサイダーまで伸ばし、あるいは純粋無垢な障害者というレッテルを貼られがちなアウトサイダー・アートに、社会福祉の世界では敬遠されがちなエロティシズムや暴力性をあえて持ち込んだ。こうした孤軍奮闘の取り組みが、隘路に陥って久しい現代美術の世界に痛快な風穴を空けた功績は、最大限に強調しなければなるまい。
だが、あえて批判的な論点を示すならば、アウトサイダー・アートの外縁を拡張する仕事は、どれほどその境界線を外側に押し広げたところで、美術そのものの「革命」には結びつかないのではないか。なぜなら、そのフロントをどこまでも拡大することができるのは、自らの立ち位置を「インサイドには置かない」という巧妙かつ周到な戦略によって担保されているからだ。言い換えれば、現代美術の歴史や文脈、構造と無縁な場所を確保することではじめて「別の芸術」の価値は生まれている。それが退屈な現代美術に飽き足らない人々にとっての求心力となっている事実は否定しない。けれども、はたして「別の芸術」の真価が、そのようなある種の例外にしかないとは到底思えない。少なくともデュビュッフェが提起したアール・ブリュットとは、西洋近代芸術のアジールとしてではなく、むしろその真価が体現された本来的な芸術として構想されていたはずだった。だとすれば、アウトサイダー・アートのフロントは、果てしなく外縁を拡張する方向性だけでなく、むしろインサイドを脱構築ないしは内破する方向性にも見出すことができるのではないか。
アウトサイダー・アートを糸口として現代美術の内側から根本的な変化を引き起こすこと。しかも、その革命を遂行するのは外側からやってきたアウトサイダーではなく、現代美術の内側を構成していることを自認する当事者自身でなければならない。そうでなければ、歴史が証明しているように、異端や例外はたちまち内側に回収されてしまうことは明らかだからだ。アウトサイダー・アートの最も大きな魅力は、そのようにインサイダー・アートを根底から突き崩す潜在的な批判性にある。
その意味で、櫛野が本展で糸井貫二を取り上げている点は興味深い。彼こそアウトサイダーに見えて、その実インサイダーの中心に内蔵されていることを示す美術家だと思われるからだ。櫛野にかぎらず、さまざまな論者がこの伝説の美術家について言及しているが、その多くは異端や例外として位置づけているにすぎない。だが、パフォーマンスの形式面でも、それを衝動的に導き出した表現欲動の面でも、ダダカンこそ、実は最も純粋かつ誠実に、あるいはまた正統に、美術の本質を体現した美術家ではなかったか。それが証拠に、ダダカンは自らが「異常」というレッテルを貼り付けられがちなことを十分に自覚していた。「あえて信ずることをおし貫き、純粋に生きようとすれば、あらゆる罵言、不当な反感、抵抗を覚悟しなければならない。だから私は言ふのである。「純粋であればあるほど、誤解されるのだ」(「光の版画」1964年11月24日付け、黒ダライ児『肉体のアナーキズム』p.435)。「純粋」なインサイドを自認するアーティストらは、ダダカンのこの言葉を耳にして、どのように感ずるのだろうか。外側に見ていた異端や例外が、内側の核心に棲んでいることを感知したとき、革命は始まるのだ。
2016/10/22(土)(福住廉)
壷井明 連作祭壇画 無主物 3.11を描く
会期:2016/10/01~2016/11/12
原爆の図丸木美術館[埼玉県]
無主物とは、文字どおり、主の無い物。福島第一原発事故で飛散した放射性物質の責任を問う裁判で、被告の東京電力が、その汚染除去の責任を免れるために採用した理屈である。いわく「飛散した放射性物質は誰のものでもない無主物である」。このあまりにも一方的な言い草に憤激した壷井は、原発事故をめぐる出来事を主題にした祭壇画を制作し始めた。
その祭壇画とは、3枚のベニヤ板を連結した横長の画面に、仮設住宅で暮らす被災者や白い防護服で全身を固めた原発作業員、そしてさまざまな動物たちを描いたもの(壷井が人間と動物を並列して描写している点はきわめて重要である)。すべて、あの事故の当事者たちだ。特徴的なのは、いずれの図像も黒い線でしっかりと縁取られている点に加えて、随所に言葉が描きこまれている点である。壷井は、被災者たちが語る肉声をそのまま画面に含めたり、新たに描き足した図像についての解説文を絵画とは別に添付したり、とにかく自分が得た知見をなんとかして鑑賞者に伝達しようと努めている。それゆえ鑑賞者は、絵画を「見る」だけではなく「読む」ことを求められるのだ。図像と文字で構成された祭壇画の前で、私たちは茫然と立ち尽くすことを余儀なくされる。そこには、私たちの知らない被災者や原発作業員の生々しい「声」が埋め込まれているからだ。
画面から文字や言葉を徹底的に排除することを求めたモダニズムとは対照的に、壷井はおそらく絵画を純然たるメディアとして考えているのではないか。事実、壷井は自らが描いた祭壇画を脱原発デモの現場などで展示してきた。それは、美術館や画廊では望めない野外展であることにちがいはないが、注目したいのは、そうした露出展示そのものが、ある種のメディアとして機能している点である。それは、美術館や画廊には訪れないが脱原発問題には関心のある人々にとって、壷井の祭壇画を鑑賞する機会になりうるからであり、同時に、壷井にとっても、彼らとの交流によって祭壇画に新たな図像を加筆する契機になりうるからだ。つまり壷井の「祭壇画」を結節点として、じつにさまざまな人々が連結しているのであり、それは祭壇画には直接的に描写されずとも、確かなイメージとして鑑賞者の眼前に立ち現われているのである。
かつて丸木位里・俊が描いた《原爆の図》は全国を巡回することで知られざる被爆のイメージを形成することに大いに貢献した。壷井は、メディアとしての祭壇画を徐々に拡充することで、急速に忘却されつつある被曝のイメージをなんとかして確立しようとあがいている。その途中経過を見守ることは、脱原発という同時代的なリアリティの観点からだけではなく、絵画の未来を模索するうえで、私たちにとって必要不可欠な身ぶりではないか。
2016/10/16(日)(福住廉)
クリスチャン・ボルタンスキー アニミタス さざめく亡霊たち
会期:2016/09/22~2016/12/25
東京都庭園美術館[東京都]
宇多田ヒカルの新譜『Fantôme』が、すばらしい。アルバムの随所に漂っているのは、文字どおり、幻の気配。歌詞から察すると、それが2013年に亡くなった彼女の母、藤圭子を暗示していることは明らかだとしても、彼女が切ない声で歌い上げる喪失感や心象風景が私たちのそれらと共振してやまないこともまた事実である。眼前に現われた幻影に触れようとした瞬間、たちまち霧消してしまう哀しさ。あるいは逆に、その幻影に受肉させかねないほど暴力的に再生される記憶の恐ろしさ。そして、そのように現われては消え去る幻に苛まれながらも、なおもわずかなユーモアとともに歩み続ける力強さ。最初の曲が「黒い波」という言葉で始まり、最後の曲が「すべての終わりに愛があるなら」という言葉で終わることから、ポスト3.11のレクイエムとしてみなすこともできなくはないが、いま、この時代を生きる者であれば誰もが共感しうる同時代的なリアリティに満ちた記念碑的な傑作である。
さてクリスチャン・ボルタンスキー(1944-)といえば、言うまでもなく幻、幻影、亡霊を主題にする世界的なアーティストである。日本では、越後妻有における《最後の教室》や瀬戸内における《心臓音のアーカイヴ》などの常設作品で知られているが、本展は意外なことに東京での初個展。現在開催中の「瀬戸内国際芸術祭2016」にも参加しているが、同芸術祭で発表された野外のインスタレーション《ささやきの森》の映像作品も本展で上映された。
だがその内実は、事前の期待値とは裏腹に、いささか物足りない印象は否めない。なぜなら、たとえ彼の代名詞とも言える「亡霊」が寄る辺ないものだとしても、展示物と建築物との境界線を認識しがたいほど、それらの存在感がきわめて希薄だったからだ。会場の随所から亡霊たちの「声」が漏れてくるが、音量が小さいうえ音質もあまりよくないため、何を言っているのか聴き取りにくい。豊島の《心臓音のアーカイヴ》と同じように、心臓音と合わせて明滅するランプを見せるインスタレーションにしても、空間が狭いことは致し方ないにせよ、肝心の音が抑制されているため、豊島の作品のように全身を揺るがすほどの衝撃は到底感じられない。しかもブラックキューブを担保できていないため、開口部から差し込む無粋な光が劇的な効果を半減させてしまっている。それゆえ、いかなる「美」も、いかなる「崇高」も感じ取れない、いかにも中途半端な展示になっていると言わざるをえない。よもや旧朝香宮邸という高貴な空間を忖度したわけではあるまいが、そのような邪推を招きかねない要因が展示に含まれていたことは否定しがたい。
ところで『Fantôme』のなかでボルタンスキーと比較しうる楽曲が、KOHHと共作した「忘却」である。まさしく《心臓音のアーカイヴ》のように、この楽曲はハートビートで始まり、ハートビートで終わるからだ。そもそも心臓音とは不安や恐怖といった死の経験と表裏一体の関係にありながら逆説的に生を証明するものだが、豊島の《心臓音のアーカイヴ》は尋常ではないほどの音量を空間全体に満たすことによって、来場者をその両義性の只中に没入させる、優れた作品である。むろん音量という点では、「忘却」はそれに匹敵するわけではない。だが「忘却」は、歌詞によっても私たちを生と死のはざまに誘うのだ。
「天国」と「地獄」、「入り口」と「出口」。あるいは「熱い唇」と「冷たい手」。「忘却」は、あらゆる二項対立の言葉によって構成されているが、宇多田ヒカルの聖とKOHHの俗という二極は、「冷たい手」や「強い酒」という言葉によって互いに接合されながらも、弁証法的に止揚されるというより、むしろ対極主義的に分節されている。だからこそ私たちは、その聖俗の裂け目に、生きていながら死の淵を覗き込んてしまったような不気味な感覚を感知するのである。本展に欠落していたのは、このような意味での二極にほかならない。
2016/10/14(金)(福住廉)