artscapeレビュー

MuDA『立ち上がり続けること』

2018年12月15日号

会期:2018/11/23~2018/11/25

京都芸術センター[京都府]

ダンサー、演出家のQUICKを中心に、2010年に京都で活動開始したパフォーマンスグループ、MuDA。これまでは野外やギャラリーの跡地など非劇場空間で、剥き出しの物質を配置したなかで肉体の衝突を繰り広げるパフォーマンス作品が特徴だったが、本作では、白い床だけのシンプルな舞台上で、「倒れる」という動作をミニマルにひたすら反復し、肉体と床面を衝突させ続ける過酷なパフォーマンスを行なった。

会場に入ると、プロレスのリングを思わせる白い正方形の床が観客と対峙する(「スタンディング」の鑑賞エリアも設けられている)。ほの暗い照明のなかで登場し、観客と相対したかと思うと、突如、前のめりに床に倒れ込むQUICK。激しい衝撃音。もがくように膝や足先を床に何度も打ち付け、のたうち回り、やっと立ち上がったかと思うと、再び激しく床に倒れ込む。その反復。舞台中央のQUICKを挟むように男女2人のパフォーマーも登場、同様の行為を反復し、衝突の衝撃が二重、三重に増幅されていく。彼らは立ち上がろうともがき苦しんでいるのか、それとも「立つ」ことに抗い続けているのか。外側から身体に加えられる暴力的な圧力なのか、あるいは体内で渦巻くエネルギーの内的状態が噴出しているのか。身体を制御しようとする苦しみなのか、それとも身体の制御への抵抗なのか。目の前でひたすら続く行為を見ているうちに、意味への求心ではなく、意味の決定を拒む両義的な隔たりが開けていく。山中透によるアンビエントなノイズサウンドが宗教的な儀式性を付加し、仏教徒が行なう「五体投地」のようにも見えてくる。



[撮影:井上嘉和]

「倒れ、腹ばいでもがき、立ち上がってはまた倒れる」動作の繰り返しは10分以上も続いただろうか。彼らの動作は少し変化し、「両足を大きく開いて立ち、ヘッドバンキングのように頭を振り回し、倒れる」動作を繰り返すようになった。衝突音に混じって、雄叫びのような唸り声も発される。この第2フェーズを10分ほど繰り返した後、「腕を大きく回してから倒れる」第3フェーズに至った。動きのペースは落ちないが、彼らの身体には疲労の色が次第に滲んでくる。音楽はいつしか止み、無音の静寂のなかに、ひたすら肉と物質のぶつかる音と荒い息づかいが響く。次第に照明は暗くなり、闇に包まれてもなお、衝突の音は響き渡り続けた。



[撮影:井上嘉和]

ここには一切のドラマが用意されていない。「身体的な負荷をかけ続けることで逆説的に輝き出す身体」とか、「倒れても倒れても立ち上がろうとする生命の力強さ」といったストーリーがないのだ。スポーツ観戦に「感動する」回路や「災害から立ち上がる人間の強さ」といった物語に回収されることを拒んでいる。彼らが床に我が身を打ち続ける過酷なパフォーマンスは、「身体」がそうした(資本や国家の)物語へと回収され、搾取されることへの「抵抗」としてなされたのではなかったか。

2018/11/23(金)(高嶋慈)

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