artscapeレビュー

志賀理江子「ヒューマン・スプリング」

2019年03月01日号

会期:2019/03/05~2019/05/06

東京都写真美術館[東京都]

志賀理江子は東日本大震災の1年後の発表された「螺旋海岸」(せんだいメディアテーク、2012)の頃から、「春」をテーマにした作品を構想していたのだという。2008年に宮城県名取市に移住した彼女にとって、長く厳しい冬が終わって突然に訪れる東北の春は、恐るべきエネルギーを発散する特別な季節と感じられたはずだ。それとともに、春になると「全くの別人となる」人物との出会いもあったのだという。そこから育っていった「ヒューマン・スプリング」の構想は、「自分ですらコントロール不可能な内なる自然」の力を、生と死を往還する儀式めいたパフォーマンスを撮影した写真を中心として検証する試みとなった。タイトルは、どこか宮沢賢治の『春と修羅』(1922)を思わせるが、おそらく賢治の仕事も意識しているのではないかと思う。

志賀の展覧会は、いつでもインスタレーションに大変な精力を傾注して構築されている。今回は、等身大を超えるサイズの写真を4面+上面に貼り巡らせた20個の箱を、会場に不規則に配置していた。観客はその間を巡礼のように彷徨うことになる。箱の片側の面には、「人間の春・永遠の現在」と題された、顔を紅く塗った半裸の若い男性のまったく同じ写真がリピートされ、反対側、および側面にはここ1年ほどのあいだに集中して撮影されたという写真群が並ぶ。上面はほとんど見えないが、そこには「人間の春・彼が彼の体にある、ということだけが、かろうじて彼を彼たらしめている」と題した、寄せては返す波の写真が貼られている。展示自体は「螺旋海岸」や「ブラインドデート」(丸亀市猪熊弦一郎現代美術館、2017)の、あの観客を包み込み、巻き込むような圧倒的なインスタレーションと比較すると、やや素っ気ない印象すら受ける。だが「写真を見せる」という意図はこれまで以上にはっきりしているし、暗闇や音響の力を借りなくとも、観客を作品世界に引き入れることができるという自信がみなぎっているように感じた。

「ヒューマン・スプリング」に関しては、制作のプロセスもこれまでとはやや違ってきている。木村伊兵衛写真賞を受賞した『CANARY』(赤々舎、2007)、では、まず志賀自身のヴィジョンが明確にあり、それに沿ってパフォーマンスが展開される場合が多かったのではないかと思う。ところが、「螺旋海岸」「ブラインドデート」そして「ヒューマン・スプリング」と進むにつれて、被写体となる人物たちとの対話を重視し、撮影現場の偶発性を写真に取り込むようになってきた。特に今回は、若い男女の「チーム」が、志賀とともに制作のプロセスに大きくかかわり、彼らとのコラボレーションという側面がより強まってきている。何が出てくるかわからないような状況に身を委ねることで、作品自体の手触り感がより流動的なものになった。それにしても、一作一作新たな領域を模索し、実際に形にしていく志賀の底力にはあらためて感嘆するしかない。それがまだまだ未完成であり、伸びしろがあるのではないかと思ってしまうのも、考えてみれば凄いことだ。

2019/03/04(月)(飯沢耕太郎)

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