artscapeレビュー

激動の時代 幕末明治の絵師たち

2023年11月01日号

会期:2023/10/11~2023/12/03

サントリー美術館[東京都]

「十九世紀の江戸では、浮世絵をはじめ、狩野派や南蘋派、文人画など多彩な作品が描かれ、まさに百花繚乱の様相をみせていました」

カタログの第1章冒頭の一節だ。「浮世絵」「狩野派」「南蘋派」「文人画」と、当時の絵画の分け方はジャンル別だったり流派別だったり、基準が統一されていないことがわかる。それが明治になると「日本画」「洋画」「版画」などに分類され、全体で「絵画」として括られ、さらに彫刻を(のちに工芸も)含めて「美術」としての体裁が整えられていく。そうなると確かに西洋風にスッキリはするのだが、そこで抜け落ちてしまった猥雑で混沌とした表現や分類不可能な折衷様式は、いま見るととても新鮮に映るだけでなく、これからの美術を考えるうえでも大きな示唆を与えてくれるように思えるのだ。

そんな幕末・維新の激動の時代につくられた異色の絵画展だから、おもしろくないわけがない。まず登場するのが、狩野一信の《五百羅漢図》(1854-1863)計100幅のうちの6幅。狩野派の画法に則りつつ、個性的すぎる五百羅漢たちが餓鬼や畜生らとともに濃密に描写される。極彩色の衣装に西洋的な陰影が施され、いったいいつの時代の、どこの国の絵なのかわからなくなる。若冲の《動植綵絵》(1757)にも匹敵する空前絶後の大連作だと思うのだが、国宝はおろか重文にも指定されていないのはなぜだろう(芝増上寺の所蔵で、港区有形文化財には指定されているけど)。

狩野了承の《二十六夜待図》(江戸時代、19世紀)は、左上に出る月が阿弥陀・観音・勢至(菩薩)の三尊として描かれ、海を挟んで下方の家々に明かりの灯る表現が斬新で美しい。《五百羅漢図》の第49幅・第50幅といい、ここには出ていないが葛飾応為の《吉原格子先之図》(1816-1860)といい、この時代にはしばしば夜の風景が描かれていた。テネブリズム(夜景表現)は西洋だけのものではなかったのだ。安田雷洲の《赤穂義士報讐図》(江戸時代、19世紀)も闇夜の出来事を表わしたもの。赤穂浪士が吉良上野介の首を討ち取った場面を洋風に描いているが、これはオランダの聖書の「羊飼いの礼拝」の挿絵に基づいており、幼児イエスを吉良の首に、それを抱える聖母マリアを大石内蔵助に変えているのだ。バチ当たりな翻案。

雷洲はほかにも多くの洋風画や銅版画が出ていて、前後期合わせて28件の出品点数は最多。なかでも《江戸近国風景》(江戸時代、19世紀)や《東海道五十三駅》(1844)は、銅版と木版の違いがあるとはいえ、北斎や広重の風景画よりはるかに写実的だ。きわめつきは、信州の善光寺地震を主題とした《丁未地震》(1847)で、崩れる家屋や逃げまとう群衆の姿が真に迫っている。モノクロでサイズが小さいのが難点だが、江戸のカタストロフィ絵画としては異例のリアリズム表現といっていい。ところがカタログを見ると、その8年後に起きた安政江戸地震を伝える《武江地震》(1855)も、題や日付をちょこっと変えただけで同じ版を使い回しているのだ。このいいかげんさ、おおらかさがなんともいえない。

浮世絵もこの時代、大きく進展した。浮世絵というと江戸の大衆芸術と思いがちだが、実のところ幕末維新に大きな発展を遂げ、明治期には部数もはるかにたくさん出たはず。役者絵、美人画、名所絵に加え、激動の時代を伝えるジャーナリスティックな浮世絵や、世相を反映して妖怪画、残酷絵なども登場した。開港後の横浜の商館内部を表わした五雲亭貞秀の《横浜異人商館座敷之図》(1861)、維新後の洋風建築を描いた二代歌川国輝の《第一大区京橋商店 煉瓦石繁栄図》(1873)、巨大怪魚の描写で知られる歌川国芳の《讃岐院眷属をして為朝をすくふ図》(c. 1851)など、枚挙にいとまがない。この時期、影をひそめたのは取り締まりが厳しくなった春画くらいか。

同展は幕末・維新期の絵画を扱っているとはいえ、高橋由一や五姓田派の油彩画は出ていないし、日本画でも狩野芳崖や橋本雅邦らアカデミズム系は排除されている。それらはやはり「近代」に属するからで、ここではそれ以前の「激動の時代」ゆえのエキセントリックな表現や、大衆に支持されたグロテスクな表現にスポットを当てているのだ。これを日本のマニエリスムと呼んでみたい気もする。


激動の時代 幕末明治の絵師たち: https://www.suntory.co.jp/sma/exhibition/2023_4

2023/10/10(火・祝)(内覧会)(村田真)

artscapeレビュー /relation/e_00066916.json l 10188394

2023年11月01日号の
artscapeレビュー