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開館35周年記念 福田美蘭─美術って、なに?

2023年11月01日号

会期:2023/09/23~2023/11/19

名古屋市美術館[愛知県]

安井賞を受賞した1989年の大作《緑の巨人》から、本展のために制作した5点の最新作まで、34年にわたる作品のなかから計56点を展示。新作を除いて出品作品の大半は見たことがあるので、これまでの軌跡を代表作で振り返る「還暦」記念展といっていいだろう(本人は嫌がるだろうけど)。作品は年代順ではなく、「福田美蘭のすがた」「名画─イメージのひろがり」「名画─視点をかえる」「時代をみる」というテーマ別に並んでいる。驚くのは、年を追うごとに磨きをかけてきているとはいえ、時代によってコンセプトも描画技術もそれほど変わりがないこと。裏返せば、20代のころからすでに完成の域に達していたということで、これじゃあ年代順に並べても意味がない。

福田の絵の特徴は、テーマがなんであれ現実の人物や風景を見て描くのではなく、写真やマンガや絵画などすでにある画像に基づいて制作すること。たとえば《ゼレンスキー大統領》(2022)は、当然ながら本人を前にして制作したのではなく、おそらく報道写真を見て描いたものだ。初期の《緑の巨人》のコメントに、「伝統的絵画からコミックまで、視覚による情報として誰でも知っている既存のイメージで作品をつくっていこうとした」とあるが、この姿勢はいまでも守られている。

ただし、写真や名画を丸写ししているわけではない。《ゴッホをもっとゴッホらしくするには》(2002)は、名画ならぬ贋作をより本物らしく描き直すというアクロバティックな試み。きっとゴッホ作品と贋作を見比べながらゴッホになりきって描いたに違いない。また、モナリザが寝そべっている《ポーズの途中に休憩するモデル》(2000)や、林のなかで裸の女性と着衣の紳士がくつろぐ《帽子を被った男性から見た草上の二人》(1992)は、パッと見なんだかわからないが、すぐにだれもが知っている名画を異なる視点から描き変えたものであることに気づく。この場合、福田はポーズするモデルを参照したかもれないが、それより《モナリザ》や《草上の昼食》を凝視し、3次元化し、絵のなかに入り込んでヴィジョンを得たことのほうが重要だ。

福田にとって「なにを描くか」「どのように描くか」といったことは重要だが、それより実は「どこまで描けるか」がいちばんの問題なのではないかとふと思う。アイデアが浮かんだとき、たいていそれは突拍子もないものだが、それを自分は絵にできるかどうか自問してみる。簡単に絵にできそうなアイデアだったら、ほかのだれかがすでにやっているかもしれないので採用せず、描くのが難しい、だれも思いつきそうにない、実現できそうにないアイデアこそ作品化しているのではないかと思うのだ。陳腐な言い方をすれば「不可能に挑戦」しているわけだが、なぜそんなことをするのかといえば、うまく描き上げたときの喜びに勝るものはないからだろう。一種の征服欲というか、高い山ほど登りたくなるように、うまい絵ほど描きたくなるみたいな。あくまで憶測にすぎないが。

もし福田にライバルがいるとすれば、それは最近になって登場したAIに違いない。「ゴッホの贋作をもっと本物らしく」とか「モナリザをその場で休憩させて」とか入力すれば、それなりの絵柄が出力されるだろう。もちろんそこにはマチエールがないし、描く楽しみも描き上げた喜びも得られないが。ほかにも、写楽の浮世絵をリアルに肉づけした《三代目大谷鬼次の奴江戸兵衛》(1996)にしろ、ロシアの大統領をモディリアーニ風にアレンジした《プーチン大統領の肖像》(2023)にしろ、福田の絵の多くはAIの得意とするところ。その意味で、福田はAI絵画の先駆者ともいえるのだ。しかしAIが追いついてきた以上、これからはAIでは描けない、AIの追従を許さない絵画を目指すしかないだろう。


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2023/10/06(金)(村田真)

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