2017年05月15日号
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artscapeレビュー

2010年09月15日号のレビュー/プレビュー

綿谷修「Juvenile」

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会期:2010/07/23~2010/08/25

RAT HOLE GALLERY[東京都]

綿谷修の前作の写真集『CHILDHOOD』(RAT HOLE GALLERY, 2010)は、「Amsterdam」「Hokkaido Hometown」「Boy at 12」「Capability」の4部構成で、写真家としての軌跡を辿り直そうとする意欲作だった。そのなかから、くっきりとひとつの水脈が浮かび上がってきたように思える。「Juvenile」、すなわち「幼いもの」「年少のもの」に対する写真家の偏愛である。その水脈は、今回のRAT HOLE GALLERYでの個展と、同名の写真集の発行によって、より強い流れとして見えてきたのではないだろうか。
「Juvenile」はいうまでもなく「失われたもの」の代名詞だ。それがひりつくような憧憬や、どうにも回復しようがない悔恨や追憶と結びつくことが多いのは、例えばラリー・クラークの「Teenage Lust」や「The Perfect Childhood」のシリーズを見れば明らかだろう。ところが、綿谷修の今回の展示からは、そのようなどちらかといえばネガティブな感情の傾きはほとんど感じられない。ウクライナで撮影されたという、水辺で屈託なく遊ぶ少年や少女たちに向けられた綿谷の視線は、大人が保護者としてふるまうようなものでは決してなく、むしろ同年齢、あるいはやや年下の弟のそれであるように見えるのだ。何の衒いもなく、慣れ親しんだ存在に対して向けられた、親密さとうざったさが混じり合った眼差し。逆に言えば、ここまで同じ目の高さに執着し続けることに、綿谷の覚悟を見ることができるともいえるだろう。あえて写真家としての成熟を拒否することによって、「Juvenile」の時期以外にはあらわれてこない、どこか痛みをともなった輝きが、写真にきちんと写り込んできている。

2010/07/31(土)(飯沢耕太郎)

山田脩二『山田脩二 日本旅 1960-2010』

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発行所:平凡社

発行日:2010年7月3日

1982年にカメラマンからカワラマン(瓦職人)になった山田脩二の写真集である。本書は、京都駅や六本木ヒルズ、大阪万博の大屋根や東京ビックサイトなど、建築家の設計した作品もあるが、垂直線を厳守する、いわゆる建築写真ではなく、むしろ日本各地を旅しながら、都市部ではない風景と人々の生活を撮影した白黒写真を収録している。いまのデジカメにはない、フィルムならではの、粒子がもつ質感が強い写真だ。そして黒い部分が多い。おおむね時間軸に沿って、1963年から2007年までの写真が並んでいるが、激動した時代の変化を強調するのではない。むろん、すでに失われた風景はある。とはいえ、全体的にあまり変わらない風景であることが興味深い。同じ目を通して撮影したせいもあるのだろう。彼が淡路島に越して、そこを拠点にしたことも一因かもしれない。冒頭を飾る島の棚田と、ラストにある淡路島の農村風景を比較しても、44年という時間の流れを感じさせない。だが、その変わらなさが、とてつもなく新鮮に思われる。

2010/07/31(土)(五十嵐太郎)

多摩川アートラインプロジェクト実行委員会編『街とアートの挑戦』

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発行所:東京書籍

発行日:2010年4月22日

2007年に開始した東急多摩川線を舞台とする、多摩川アートラインの三年間の記録である。清水敏男のディレクションのもと、アーティストや建築家らが参加し、駅や車両、あるいは駅のまわりで、さまざまな作品を手がけたプロジェクトだ。決して派手なイベントではないが、路線沿いにネットワークを形成しながら、身近な場所があちこちで変容する風景が印象に残っている。筆者も二回ほど出かけ、2007年にアトリエ・ワンのインフォ・トンネル、2008年に関根伸夫の伝説的な作品「位相─大地」の再制作やフロリアン・クロールの作品などを見学した。本書を読むと、どのようにアートラインが始まったのか、それがどう評価されたのか、あるいはどのような問題があったのか、がわかる。また参加者のコメントも寄せられており、今後、こうした企画がなされるときの礎になっている。

2010/07/31(土)(五十嵐太郎)

三浦丈典『起こらなかった世界についての物語』

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発行所:彰国社

発行日:2010年8月10日

タイトルだけを見ると、まるで文学の本のようだが、本書はいわゆるアンビルドのドローイング集であり、時空を超えて、建築や美術を横断するような内容になっている。古いものでは、かつてアタナシウス・キルヒャーが想像したノアの方舟の図や、ジョン・ソーンのドラフトマンだったJ・M・ガンディーなども含む。小さな絵本風の美しい装幀で、筆者もこうした本を書いてみたかったと、つい思い出してしまった。実現しなかった建築の世界は、ユートピアへの扉になるからである。それぞれのエッセイからは客観的な解説というよりも、建築家の人となり、あるいはその家族のこと、また著者の個人的なエピソードなどを語り、対象への強い思い入れを感じさせる(もしキルヒャーに会ったら、はなしが尽きなかったはずだという!)。74年生まれの筆者が選ぶ、まったく今風ではないセレクションも興味深い。ポール・ルドルフやエミリオ・アンバースのドローイングから始まるのだが、彼らは筆者の世代にとっても、すでに古い建築家である。ゼロ年代のリアルといった議論が飛び交うなかで、ユートピア的な懐かしささえ覚える本だ。

2010/07/31(土)(五十嵐太郎)

細田雅春『文脈を探る どこへ行く現代建築』

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発行所:日刊建設通信新聞社

発行日:2008年7月26日

本書は、2004年1月から2008年4月まで『日刊建設通信新聞』で掲載された、細田雅春による時評をまとめたものだ。ゼロ年代に入り、『バリュー流動化社会』(2004)では、グローバルな資本主義の世界におけるバリュー流動化を指摘していたが、本書はその後に起きた社会の動向を受けた建築・都市論になっている。いわば、天声人語的な時評はクロニクルに並び、年の変わり目には、当時の状況を思い出せるよう、扉のページに社会の世相や事件の一覧を記す。いずれの文章にも共通しているのは、耐震偽装やサブプライムローンの問題や景観論、ときには展覧会など、具体的なトピックをとりあげ、そこから建築の話題を展開していくこと。建築家は単に商品を扱うパッケージデザイナーではないという。佐藤総合計画の社長だが(本書の刊行時は副社長)、細田が拝金主義的な都市開発やミニ開発を批判し、本来の都市のあり方を論じているのは印象的である。アトリエ系ではなく、大手の設計組織のトップだからこそ、建築に対する資本の影響をダイナミックに感じているのだろう。また、アルゴリズムは都市に貢献するか?など、若手の視線からのアーキテクチャ礼賛論ではなく、大人の視点から語っているのも興味深い。

2010/07/31(土)(五十嵐太郎)

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