artscapeレビュー

福住廉のレビュー/プレビュー

美しければ美しいほど The more beautiful it becomes

会期:2017/02/07~2017/04/09

原爆の図丸木美術館[埼玉県]

新進気鋭のインディペンデント・キュレーター、居原田遙による沖縄の「声」をテーマとした企画展。展示の中心は居原田と同じく沖縄県出身の嘉手苅志朗と埼玉県出身の川田淳の映像作品で、あわせて丸木位里・俊による《沖縄戦の図》を所蔵する佐喜眞美術館の館長、佐喜眞道夫が同作について解説した音声と、居原田と協力者の木村奈緒が沖縄の基地問題をめぐるさまざまな報道を検証したパネルも展示された。
会場には、じつにさまざまな「声」が反響していた。佐喜眞館長による語りは、とりわけ沖縄戦の実態を知らない若い世代や本土の人間の耳を傾けさせるには十分な迫力を伴っており、各種の報道を検証したパネルにしても、大手のマスメディアが伝えていない、しかしネット上には確かに残されている現場の生々しい状況が克明に浮き彫りになっている。そのなかには知っていると思っていたが、知らなかった情報も少なくない。音であれ文字であれ、沖縄からの、あるいは沖縄についての「声」を真摯に聴くことが求められているのである。
とはいえ、この企画展の骨子は沖縄と本土の非対称的な関係性を告発することにあるわけではない。本土の人間が沖縄の問題から目を背けていることは否定できない事実だとしても、その不誠実極まりない鈍感さを弾劾する沖縄本質主義と本展は一定の距離を保っている。なぜなら、本展における「声」とは、沖縄から本土に向けられた声というより、むしろ沖縄と本土の双方に通底しているはずの人間の想像力に強く訴えかける「声」だからだ。佐喜眞館長による語りを耳にしながらも、私たちはここで《沖縄戦の図》を目にすることはない。それゆえ不在の絵画に思いを馳せることを余儀なくされるのである。
嘉手苅の作品《interlude》は、沖縄在住のジャズシンガー、与世山澄子の顔だけをクローズアップで映したもの。自衛隊の基地の周囲を走行する車の中で、ジューン・クリスティによる同名曲を口ずさんでいるが、口元はフレームから外されているので、私たちの視線は彼女の鋭い眼光に注がれることになる。その顔を時折染めるオレンジ色は、基地に設置された外灯だろう。そこはかつて米軍基地だったというから、もしかしたら彼女が脳裏に浮かべているのは、戦後はアメリカに占領され、返還後は本土に支配されている沖縄の二重苦の歴史なのかもしれない。
嘉手苅の《interlude》が私たちの想像力を過去の歴史に誘っているとすれば、川田の新作《生き残る》は、より直接的に、私たちをそれに対峙させている。あわせて上映された川田の前作《終わらない過去》と同じく、《生き残る》もまた、ある種の語りを聴かせる映像だ。話しているのは、あの戦争で中国大陸に従軍し、後に沖縄でアメリカ兵と闘った元日本軍の兵士。絞り出すような声で語られる虐殺の経験や集団レイプの目撃談、同じ日本軍への呪詛などが、私たちの耳を切り裂きながら心底に暗い影を落とす。
だが、ここで私たちが覚える恐怖は、決して彼の証言の内容だけに由来しているだけではない。隣室に展示されている丸木夫妻の《南京虐殺の図》をおのずと連想してしまうことも小さくないだろう。けれども、それ以上に大きな要因は、《生き残る》が《終わらない過去》と同様に音声と映像を基本的には照応させていない点にある。《生き残る》が映し出しているのは、ほとんどが赤ん坊。寝返りを打ったり泣きわめいたり、赤ん坊の無邪気な身ぶりは、恐るべき戦争の記憶を物語る語り口と著しく対照的である。だが、赤ん坊であれ戦争の証言であれ、映像と音声が完全に照応していたら、私たちの想像力はそれほど刺激されることはなかったにちがいない。むしろ双方に大きな乖離があるからこそ、私たちの想像力はその間隙を縫うように躍動しながら映像と言葉の彼岸に向かうのである。
感覚の分断と再構成。あるいは視覚と聴覚の切断と想像力による再統合。嘉手苅と川田に共通する手法があるとすれば、それはおそらくこのように要約することができる。だが、それはアーティストの個人的で内在的な方法論というより、むしろ沖縄と本土の非対称性という外在的な条件から必然的に導き出された技術知ではなかったか。というのも、統合された感覚を自明視する思考のありようこそ、沖縄と本土の非対称的な関係性を疑うことなく再生産する身ぶりと通底しているように考えられるからだ。
通常、私たちが美術や映像を鑑賞するとき、視覚的な情報と聴覚的な情報を分解しながら受容することはほとんどない。例えばキュビスムにしても、どちらかと言えば分解というより再構成のほうに力点が置かれていたし、日本におけるキュビスムは、先ごろ埼玉県立近代美術館で催された同名の企画展が明示していたように、おおむね「様式」として消費することに終始したと言ってよい。
だが嘉手苅と川田は、その切断をおそらくは戦略的に試みることによって、私たちの感覚や認識に大きな裂け目を切り開くことをねらっている。いや、より直截に言い換えるならば、私たちの認識の前提や存在の条件をあえて攪乱することで、私たちの想像力を強引に起動させようとしているのではなかったか。なぜなら沖縄と本土の非対称的な関係性に想像力を誘導するには、そのようなある種の暴力性が必要不可欠であることを彼らは熟知しているからである。世界に解き放たれた想像力は、新たな統合を求めてさまよい続け、何かしらの結節点に意味を見出そうと、もがくほかない。
そのことをもっとも端的に示しているのが、《生き残る》のラストシーンである。沖縄で無残に犬死にしていった仲間たちを悔恨の涙とともに振り返る痛切な「声」は、私たちの耳では受け止めることができないほど、重い。だが、そのとき画面に映し出されているのは、床に転がった赤ん坊の顔。透明度の高い黒い眼球でこちらを見つめている。それが私たちの視線と交わったとき、その悲痛な「声」は、まるで受肉したかのような生々しさを伴って、私たちの心の底を勢いよく突き抜けていくのだ。それは過去と未来が同時に顕現した奇跡的な一瞬である。

2017/03/10(金)(福住廉)

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花森安治の仕事─デザインする手、編集長の眼

会期:2017/02/11~2017/04/09

世田谷美術館[東京都]

雑誌『暮しの手帖』をつくり上げた名編集者、花森安治(1911-1978)についての展覧会。同誌の編集作業に用いられた原稿や写真、表紙絵などをはじめ、同誌の代名詞とも言える「商品テスト」で使用した数々の商品、学生時代の水彩画や新聞原稿など、約750点の資料が展示された。花森の回顧展はこれまで幾度か催されてきたが、規模の面でも内容の面でも、今回は決定版と言えるほど充実した展観である。
会場に立ち込めていたのは、全人生を仕事に費やした花森の熱量。事実、花森の仕事は「編集者」という肩書きを大きくはみ出すほど多岐にわたっていた。原稿を執筆することはもちろん、写真を撮影し、表紙絵やカット絵を描き、電車の中吊り広告のデザインも自ら手がけた。雑誌づくりのほとんどすべての行程に眼を光らせ、辣腕を振るっていたと言ってよい。細かく分業化された現在の雑誌づくりと比べると、花森のある種のエゴイズムは羨望の的以外の何物でもあるまい。
むろん、その熱を帯びたエゴイズムはたんなる利己主義ではなかった。会場には、編集部員が撮影してきた早朝の築地の写真について烈火の如く怒りながら説教する音声が流れていたが、その様子を想像すると花森の家父長的な権威主義を実感できるのは事実である。だが展示でも強調されていたように、その権威性の根底には明確な批判精神が宿っていた。同誌は広告を一切掲載していないが、それは広告収入に依存することで商品への批評が鈍ることを避けるためだ。「商品テスト」が目指していたのは、客観的な実験と忌憚のない批評によって、庶民の暮らしを豊かに拡充することだった。
「暮らしなんてものはなんだ、少なくとも男にとっては、もっと何か大事なものがある、何かはわからんくせに、何かがあるような気がして生きてきたわけです。あるいはあるように教えられてきた。戦争に敗けてみると、実はなんにもなかったのです。暮らしを犠牲にしてまで守る、戦うものはなんにもなかった。それなのに大事な暮らしを八月十五日まではとことん軽んじきた、あるいは軽んじさせられてきたのです」(『一億人の昭和史4 空襲・敗戦・引揚』毎日新聞社、1975)。このように花森が戦争を振り返るとき、おそらく念頭にあったのは大政翼賛会の記憶だろう。花森は戦時中、大政翼賛会に在籍し、戦意の高揚と銃後の守りを庶民に訴えかける宣伝活動に従事していた。展示には大政翼賛会のコピーも含まれていたが、それと『暮しの手帖』の広告の類似性には、誰もが驚かされたにちがいない。花森が編集部で愛用していたという質実剛健な机は、大政翼賛会が仕事を発注していた報道技術研究会から譲り受けたものだったというから、花森の手と眼は、つねに戦争に加担した反省と贖罪の意識のうえで動いていたのかもしれない。
国や企業と私たちの暮らしとのあいだに明確な一線を画すこと。戦後、花森が『暮しの手帖』で実践してきた仕事を要約するとすれば、こうなる。つまり花森にとっての「暮らし」とは、たんに生活を美しく豊かに改変することだけではなく、国や企業に脅かされかねない生活を守り、それらに抵抗するための準拠点を意味していた。新たな戦前の気配が漂い始めたばかりか、豊かさの陰で生活そのものが成り立ちにくく、しかも私たちの生存が国や企業に完全に包摂される時代になりつつある昨今、私たちが花森の批判精神に学ぶことは多い。それは、公的領域と私的領域を明確に峻別するという点で、きわめて近代的な意識だった。
しかし、その一方で、花森の近代的な批判精神には拭い難い難点があることも否定できない。それは、その社会的な意義が高まれば高まるほど、個々の自由は失われていくという逆説である。むろん国や企業と暮らしを混同せず、双方を明確に区別するという批判精神が意義深いことに疑いはない。だが、そうであればこそ、まるで社会的正義のようなテーゼが私たちを苦しめる。例えば花森が自ら描いた表紙絵は、どれも丁寧な筆致で、美しい。けれども、それらを立て続けに見ていくうちに、得も言われぬ息苦しさを覚えたのも否定できない。正しいがゆえに苦しい。ここにこそ花森安治の批評精神の本質的な二面性が体現されているのではなかったか。

2017/03/03(金)(福住廉)

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Chim↑Pom展“The other side”

会期:2017/02/18~2017/04/09

無人島プロダクション[東京都]

Chim↑Pomの真髄は、現代美術の息苦しい理論や硬直した作法に束縛されることなく、柔軟な感性としなやかな瞬発力によって同時代性を獲得する点にある。東日本大震災に反応したアーティストのなかでも、その発想と行動力は群を抜いていると言ってよい。
今回、彼らが注目したのは「国境」。アメリカ合衆国のトランプ大統領がメキシコからの不法移民の侵入を防ぐため国境沿いに「壁」を建設すると公言しているなか、その国境に隣接するメキシコで制作した映像作品などを発表した。これまでと同様、同時代の現代社会に介入することを試みた作品である。
舞台はスラム街の一角にある手づくりの邸宅で、家の壁がそのまま国境になっている。「こちら側」と「あちら側」を隔てる境界が生々しい。島国に住む私たちは国境を意識する機会に乏しいが、彼らはそれが暮らしのなかに剥き出しにされた現場に通いながら作品を制作した。「あちら側」のアメリカの監視塔に相対するかのように「こちら側」の樹木の上にツリーハウスをつくったり、「あちら側」の象徴である自由の墓を「あちら側」に建てたり、いずれも国境が露呈した現場ならではの痛快な作品である。
とりわけ優れていたのが《The Grounds》。「壁」の手前で深い穴を掘り、そこにメンバーのエリイが身を沈めながら境界部分の土に足跡を残した映像作品だ。むろん人の移動を一方的に許可ないしは禁止する国境の権力性を足蹴にするという批評的な意味がないわけではない。だが、それ以上に重要なのは、彼らが国境の人工性を浮き彫りにした点である。この現場では国境が物質として可視化され、なかば「自然」と化しているが、彼らは地中に潜り、地中からの視点を提供することで、その「自然」が決して文字どおりの自然ではないことを表わした。暗闇の中でアメリカへの呪詛の言葉を吐くエリイは愉快だが、私たちがその暗闇の「向こう側」に見出すのは、国境があるかないかにかかわらず、地中はあくまでも地中であり、大地はどこまでいっても大地であるというイメージである。彼女が暗い穴から地上に這い上がったとき、抜けるように明るい青空の下に敷設された国境の禍々しさが逆照されるのである。
社会的現実を芸術によって変革するのではなく、その社会的現実そのものが芸術と同じように人工的につくられたものであることを鮮やかに照らし出すこと。Chim↑Pomが柔軟な感性としなやかな瞬発力によって私たちの眼前に示しているのは、このようなイメージである。それは、いわゆる「まちおこし」や「地域の活性化」を目的としたアートプロジェクトや社会的問題の現実的な解決を図るアーティストによる作品とは明らかに異なっているが、社会と芸術の媒介を試みている点で言えば、それらと同じように社会介入型の現代美術であると言えよう。ただChim↑Pomに独自性があるのは、その媒介をあくまでも私たちの想像力によって成し遂げようとしているからであり、その点で正確に言い換えれば、芸術が社会に介入するのではなく、社会を芸術に介入させているのである。Chim↑Pomは現代美術の周縁から生まれ、現にそのように位置づけられがちだが、実は現代美術の王道を追究する、きわめてまっとうなアーティストなのだ。
しかし、現代社会は現代美術に決して小さくない難問を突きつけている。社会的現実が人工的な造形物であることは事実だとしても、昨今の政治の喜劇的混乱が端的に示しているように、その虚構性はますます増強しつつあるからだ。かつてChim↑Pomは広島の空に飛行機雲で「ピカッ」と描き大顰蹙を買ったが、いまもっとも「やばい」のはもしかしたらあの政治家なのかもしれない。自己表現のために公共空間を使用するアーティスト以上に、権力を傘に公共性をなりふり構わず私物化しているからだ。虚言を憚ることなく現実の政治が遂行される時代にあって、現代美術のアーティストはいかなる想像力によって立ち向かうのか。Chim↑Pomは「私性の公共化」という実践によって、その問いにいち早く回答した。

2017/03/02(木)(福住廉)

昭和官能劇画展

会期:2017/02/16~2017/02/27

墓場の画廊[東京都]

「官能劇画」とは、おもに成人向けのマンガ雑誌で発表されるエロティックな劇画。より直截に「エロ劇画」ともいう。その端緒はむろん劇画にあるが、60年代後半から官能性を主題にしたマンガが登場し始め、1973年発行の「エロトピア」以後、70年代後半にかけて隆盛したと言われている。本展が「昭和」という言葉を掲げているのは、その限定された時代性を強調するためだろう。ケン月影をはじめ、間宮聖士、景山ロウ、西城かおる、村田やすゆき、林昌也、吉浜さかり、城野晃、吉田昭夫、やまもとあき、石川俊による原画が一挙に展示された。
湿り気を帯びた暗さ──。官能劇画に通底する作画的な特徴がこの点にあることは言うまでもない。大半の作家が描き出す豊満な女体に独特の湿度と暗い影を感じ取れるからだ。とりわけ傑出していたのがケン月影。線の美しさはもちろん、着物の柄を克明に描き込むことで、その下の白い肌の肌理を逆説的に強調する描写法は見事と言うほかない。画面から香しい色気が漂ってくるように感じられるほどだ。
しかし「官能劇画」は、いまや風前の灯である。インターネット社会で歓迎されているのは、「官能劇画」とは対照的に、乾いた明るさのエロティシズムだからだ。さらに雪崩打つような社会全体のロリコン化も「官能劇画」を追い詰めた要因として挙げられよう。思えば、いつでも煌々と明るいコンビニの一角を辛うじて占めている官能劇画は文字どおり最後の砦なのかもしれないが、それにしても次の東京オリンピックを前に空前の危機に瀕していると言わねばなるまい。前回の東京オリンピックで貧民街が一掃され、「思想的な変質者」が取り締まりの対象となったように、社会の広範囲に及ぶ徹底的な「浄化作戦」が実施されることはほぼ間違いないからだ。「官能劇画」のような扇情的な視覚イメージがその標的となることは想像に難くない。
だとすれば、本展はそのような窮状にある「官能劇画」を救出する試みとして考えることができる。だが、どのようにして? むろん「絵画」として位置づけることも可能だろう。絵画史に接続できれば、曲がりなりにも永遠性が担保された美術館に収蔵されることも夢ではないかもしれない。けれども壁面を埋め尽くした「官能劇画」を見れば見るほど、それは「絵画」には馴染まないように思われた。
フレーミングされた原画は、確かに肉筆の妙を味わうには十分だったが、その一方で奇妙な違和感を覚えたことも事実である。それは、おそらくそのようにして見せられている「官能劇画」が成人向けのマンガ雑誌のような幅と厚みを失っていたからではなかったか。その幅と厚みを欠落させた「官能劇画」は、一見すると絵画的だが、「官能劇画」の肉感性を半減させてしまっているように感じられたのだ。「官能劇画」とは、本来的に、成人向けのマンガ雑誌という「肉」を必要としているのだ。
むろん「官能劇画」にとっての肉は、成人向けのマンガ雑誌に限定されているわけではあるまい。本展では、「官能劇画」が転写されたiPhoneケースが販売されていたが、それが消費者の購買意欲をほんとうにそそるかどうかはさておき、それは「官能劇画」が成人向けマンガとは別の新たな寄生先を探し求めていることの現われだったのかもしれない。「官能劇画」の真価とは、メディアを変換しながらも次々とイメージを転位させていく運動性にある。それこそ、イメージとメディアを同一視して疑わない「絵画」には到底望めない、「官能劇画」の特性にほかならない。

2017/02/27(月)(福住廉)

鴻池朋子展 皮と針と糸と(根源的暴力 vol.3)

会期:2016/12/17~2017/02/12

新潟県立万代島美術館[新潟県]

「根源的暴力」展(神奈川県民ホールギャラリー、2015)、そして「根源的暴力vol.2 あたらしいほね」(群馬県立近代美術館、2016)に続く、鴻池朋子の個展。基本的な構成は以前と同じだが、作品の見せ方を変えたり、新作を部分的に加えたり、その都度新たな一面を発見させる巡回展である。
今回新たに展示されていたのは、《テーブルランナー》(2016)。鴻池が東北の各地で展開しているプロジェクト「物語るテーブルランナー」から生まれた作品で、その土地で暮らす女性たちがかつて経験した逸話を鴻池が聞き取り、さらにそれぞれの話を絵に描き起こし、それらの下図をもとに当人を含む女性たちがテーブルランナーを縫うというものだ。漬物小屋の箪笥を開けるとたくさんのネズミが出てきた話や、人間の顔と同じくらいの大きさのカエルに出会った話、悪いことをして穴蔵に閉じ込められた話、あるいは学校帰りの子どもに向けて入れ歯を外して驚かせていたおじいさんの話。いずれも公の歴史として残るような物語ではないが、だからといってたんなる個人史として括るにはあまりにも惜しい、人間の欲動や情感と深く結びついた、ある種の民俗学的な物語である。それぞれのテーブルランナーには文字が縫い込まれているほか、傍らに語り手による「語り」が掲示されているため、鑑賞者はそれらの言葉を手がかりにしながら、その情景を思い浮かべ、その語り手の肉声や表情をありありと想像するのである。
美術の専門家と美術の非専門家との協働作業。この作品を、そうしたある種のコラボレーションとして考えることは、できなくはない。けれども、鴻池朋子の作品をそのような現代美術の専門用語で解釈したとしても、いかにも物足りない。それらは、人間の条件としては不可欠でありながら実体としては不可視である「人間の想像力」を正面から問うているからだ。
今回の展示で深く印象づけられたのは、表面のイメージである。《テーブルランナー》はもちろん水平面に置かれるものであるし、素焼き粘土に水彩絵具で着色した立体作品も底が浅く広い展示ケースに並べられたせいか、水平方向に果てしなく広がってゆくイメージが強い。牛革を支持体にした平面作品にしても、《皮緞帳》のように天井から吊り下げることで光の世界と闇の世界を切り分ける境界線として見せられている作品もあれば、《あたらしい皮膚》や《あたらしいほね》のように、何枚かの牛革をキャンバスに張って絵画というメディウムを強調した作品もあるが、いずれにせよ奥行きを欠いた表面であることにちがいはない。そして、何よりも本展のタイトル「皮と針と糸と」には、表面と表面を連結してゆくイメージがある。
ただ、ここでいう表面は2つに大別されうるように思う。ひとつは、《あたらしい皮膚》や《あたらしいほね》のような牛革をキャンバス状に仕立てた作品であり、もうひとつは《皮着物》や《白無垢》のような牛革を着物に仕立てた作品である。そのように大別しうると考えられるのは、後者が見る者の視線をどこまでも深く誘うのに対して、前者はむしろ見る者の視線を跳ね返すほど固く閉じていたように見えたからだ。事実、前者の表面には牛革を外側に伸ばす張力が漲っており、見る者の視線を拒むような緊張感が漂っていたが、後者の表面はむしろ柔らかく、不在の身体を想像させる着物という外形も手伝って、私たちの視線を包み込むような抱擁感があった。前者と後者は同じ空間に正対するかたちで展示されていたため、同じ牛革というメディウムを用いた作品でありながら、想像力の質が正反対であることを否応なく痛感させられたのである。
この著しい対照性は、いったい何を意味しているのか。むろん、絵画=現代美術を切り捨てる一方、民衆の想像力=創造力を持ち上げるという一面がないわけではない。だが、より本質的には、そのような想像力の二面性に同時に立ち会うことによって、私たち鑑賞者は現代美術や民俗学といった制度的分類を超えた、根源的な想像力をイメージしたのではなかったか。
そのことを如実に物語っていたのが、《着物 鳥》である。かたちとしては着物でありながら、一枚の絵画のように見える作品だ。中央に羽を広げて翔ぶ鳥のイメージを認められるが、その躯体には森や湖が描かれているため、まるで鳥の中に大自然が広がっているように見える。しかも、その鳥のイメージの背景は、本物の鳥の羽毛で埋め尽くされているため、地と図が反転しながら同一化する世界を垣間見たような気がするのだ。部分と全体が入れ替わりうるという点でいえば、フラクタル構造として考えることもできなくはない。だが、これこそ人間の根源的な想像力を体現した作品のように思われる。イメージは特定のかたちに拘束されているわけではなく、想像力によって解放することができるし、それらの内側と外側を反転させることすらできる。「根源的暴力」とは、じつのところ「根源的想像力」なのだ。

2017/01/27(金)(福住廉)

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