artscapeレビュー

福住廉のレビュー/プレビュー

松田修展「みんなほんとはわかってる」

会期:2017/07/15~2017/08/12

無人島プロダクション[東京都]

先ごろ神奈川県立近代美術館葉山館で萬鉄五郎の回顧展がおよそ20年ぶりに開催された(9月3日まで。その後、新潟県立近代美術館に巡回)。萬といえば日本にフォーヴィスムを導入した立役者のひとりとして評価されているが、本展で強調されていたのは初期に学んだ水墨画や南画風に描かれた土着的な風景画などで、在野のモダニストとして一面的に語られがちな画家の多面性をあますことなく伝えていた。
松田修は東京藝術大学出身のアーティストだが、現在は特にペインターを自称しているわけでもないので、出身校以外に萬との共通点があるわけではない。だが、萬の代表作のひとつ《雲のある自画像》(1912)を見ると、松田との強い関連性を痛感しないわけにはいかない。暗く陰鬱な表情や顔立ちが似ているというだけではない。頭上に雲(と断定してよいものかどうかわからないが)を抱いた男という謎めいた主題が、松田の作品に感じる独特の気配と著しく通底しているように感じられるからだ。
今回発表された新作の映像作品《さよならシュギシャ》は、まさしく松田ならではの気配が濃厚に漂う作品である。カメラの前で松田自身が演じているのは、主義主張が異なるさまざまな主義者。マルクス主義者、フェミニスト、ペシミスト、ナルシシスト、新自由主義者、レイシスト、ナチュラリスト、ポピュリスト、ファシスト、アナキストなど、いかにも発言しそうな言葉をいかにもな身ぶりと声色で簡潔に語ってみせる芸は、ややふざけすぎている印象が強いとはいえ、それを徹底している点で見事である。最後を「オサムちゃん」で締めるなど、構成も素晴らしい。
むろん、ここにはあらゆる主義者を徹底的に小馬鹿にする批評性がないわけではない。政治的なイデオロギーは何であれ、特定の主義者にアイデンティティーを置く者が見れば、自らが嘲笑されたとして烈火の如く怒り狂うかもしれない。あるいは逆に、自らと敵対する主義者がネタにされているのを見て「ざまあみろ」と喝采を送った者もいるだろう。だが、かりにそうだとしても、来場者の脳内に一抹の疑問が残ることは否定できない。では松田自身は何主義者なのかと。
《さよならシュギシャ》という作品名から察すると、あらゆる主義主張を批判的に相対化する相対主義者のようにも見えるし、どんなイデオロギーであれすべてを笑いに還元する道化に徹しているという点では、虚無主義者のようでもある。松田はステイトメントにおいて既成のレッテルやカテゴリーへの批判的な問題意識を表明しているが、結果として「相対主義者」や「虚無主義者」に回収されているように見えかねない点は、あるいはこの作品の本質を突いているのかもしれない。
おそらく松田自身は知っているのだ。自分がどんな主義者にもなりきれないことを。だからこそどんな主義者にも等しくなりきる演技ができるのだろう(時折視線を落として手元の原稿を読んでいるような演技は、それが演技であることを鑑賞者に訴えるためのメタ演技である)。しかしその一方で、彼はなんらかの主義者を演じることを余儀なくされることもまた十分に熟知している。「オサムちゃん」にしても、たまたま同じ名前であるという理由だけで例の芸をやらざるをえない役割期待の重圧を物語る格好の例証だろう。その不可能性と役割期待とのあいだで自由に身動きが取れないまま生きてゆかざるをえないところに、彼はやるせないほどのリアリティを置いているのではなかったか。
松田はその暗澹たる気配を直接的に視覚化しているわけではない。その気配の質が直接的な表現を決して許容しないからだ。松田修の頭上に何かが浮かんでいるとすれば、それは萬鉄五郎の「雲」のように暗い内面の鬱勃の現われというより、むしろ自らの表現を抑圧してやまない「塊」なのではなかったか。彼の作品に強く醸し出されている、乾いた、そして醒めたユーモアは、その「塊」から生まれた生存様式なのだ。

2017/07/21(金)(福住廉)

カミナリとアート 光/電気/神さま

会期:2017/07/15~2017/09/03

群馬県立館林美術館[群馬県]

文字どおり雷をテーマとした企画展。自然現象としての稲妻を主題とした絵画や写真、雷神像など信仰心から生まれた民俗学的な資料、さらには雷を構成する光、音、そして電気などで表現された現代美術の作品など、69点が展示された。
同館がある関東平野の北部は、もともと雷が多発する地域として知られているが、昨今の異常気象は雷の脅威が特定の地域に限定されないことを如実に物語っている。ただ、その閃光と雷鳴が人々の恐怖を駆り立てることは事実だとしても、大地に轟くような音とともに空を走る稲妻の光線にある種の美しさや高揚感を感じることもまた否定できない。人間にとって雷とは両義的な自然現象であり、それゆえ崇高の対象であると言えるかもしれない。
バークやカントが練り上げた崇高論の要諦は、それを美と切り離しつつも、その根底にある種の逆転構造を見出した点にある。すなわち不快の経験がいつのまにか快楽のそれに転じること。アルプスの険しい山岳にせよドーバー海峡の荒々しい大海原にせよ、人間の生存を脅かしかねないほど強大な自然の猛威を目の当たりにした人々は、それに慄きながらも、同時に、それに惹きつけられる矛盾した心情を抱いた。自然への畏怖が時として畏敬の念に転じるような逆転する美学的概念こそが崇高にほかならない。
そのような観点から本展を鑑賞してみると、いわゆる「美術」の作品と「民俗」学的な資料とのあいだに歴然とした差を痛感せざるをえない。後者が崇高的な両義性を内包しているように感じられる反面、前者はおよそ一面的であるように感じられるからだ。富士山の前に立ち込めた暗雲の中に走る稲妻を描いた《怒る富士》(1944)であれ、白髪一雄の《普門品雷鼓制電》(1980)であれ、確かに雷の恐ろしさや激烈なエネルギーを体感することはできるが、崇高的な逆転構造を見出すことは難しい。それに対して、前近代の絵師たちが描いた風神雷神図はおおむねユーモラスに描写することによって、そのような逆転構造をよりいっそう強調しているように見える。一見すると雷の壮大な脅威にはそぐわないようだが、風神雷神をチャーミングなキャラクターとして描写することが、じつのところ雷の暴力性を逆照しているからだ。雷が恐ろしい現象であることが前提となっているからこそ、それをあえて脱力したキャラクターとして形象化していると言ってもいい。
現代社会から遠のいてゆく崇高──。むろんバークやカントが想定していた自然の崇高は、今日の都市社会においては、さほど大きなリアリティをもっているとは言い難い。その対象を人工的な都市社会に差し替えた「テクノロジー的崇高」なる概念が捻出されたこともあったが、前近代の人々と比べれば、現代人が雷の脅威に直面する機会は乏しいことに変わりはない。
ところが唯一の例外として考えられるが、ストーム・チェイサーこと青木豊である。嵐を追跡して観測・撮影するプロフェッショナルで、特に現代美術のアーティストというわけではないし、現代写真のフォトグラファーというわけでもないのだろうが、青木こそ、今日の崇高を体現する希少なクリエイターではなかったか。なぜなら彼が撮影した写真には、稲妻の美しさと恐ろしさが渾然一体となって写し出されていることが一目瞭然であるからだ。しかし、それだけではない。その写真には、本来であれば一目散に逃げ出さなければならないはずの雷を、逆に率先して発見して追い求める、異常なまでの執着心がにじみ出ている。あるいは、恐ろしさの痕跡が抹消されているように感じられるほど美しさが際立っている。こう言ってよければ、その狂気をはらんだ熱意に恐ろしさを感じるのだ。
不快の経験から快感のそれを導くのでなく、逆に、快感の経験を突き詰めることによって不快のそれを引き出す。やや大げさに言い換えれば、青木豊の仕事はバークやカントの逆転構造をさらに逆転させているのではないか。そこにこそ今日の崇高が立ち現われている。

2017/07/20(木)(福住廉)

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もにゅキャラ考

会期:2017/07/17

首都大学東京秋葉原サテライトキャンパス[東京都]

「もにゅキャラ」とは、モニュメントと化したアニメやマンガのキャラクターのこと。「鉄腕アトム」や「火の鳥」「メーテル」「ラムちゃん」「両津勘吉」など、さまざまなもにゅキャラが、ここ20年あまりのあいだ全国の公共空間に急速に設置されつつある。『美術手帖』元編集長で首都大学東京准教授の楠見清と、マンガ解説者の南信長は、全国のもにゅキャラを調査し、このほど『もにゅキャラ巡礼』(扶桑社、2017)を上梓した。楠見によって企画されたこのシンポジウムは、同大学の大学院生による研究報告をはじめ、「ケツバットガール」や「美少女図鑑」で知られるフォトプロデューサーでディレクターの西原伸也と筆者による基調講演、そして来場者をまじえたディスカッションを行なったものだ。
もにゅキャラの最大の特徴は、2次元のキャラクターを3次元のモニュメントに変換する点にある。そうした次元変換自体は、この国の芸術史あるいは芸能史を紐解けば一目瞭然であるように、さして珍しいわけではない。だが、もにゅキャラが謎めいているのは、その次元変換を、例えばコスプレのように主体的に身体化させるのではなく、ブロンズ像や石像、あるいはFRP像として客体的に造形化するからだ。謎というのは、もにゅキャラがあらゆる世代にとって親しみのあるキャラクターに基づいていることは事実だとしても、それらをわざわざ銅像に仕立て上げることの必然性がほとんど見受けられないことを意味している。コスプレであれば、衣裳とメイクによってキャラクターになりきるという点に個人的で主観的な欲望を投影しうるため、次元変換に合理的な理由を認めることは十分にできよう。しかし、もにゅキャラの場合、次元変換の背景にそのような享楽性を見出すことはできない。多くのモニュメントがそうであるように、歴史を超越する永遠性が体現されていることは理解できるにしても、なぜ、あえて平面上に描写されたキャラクターを立体造形化するのかは理解に苦しむ。そのキャラクターのファンですら、その疑問は禁じえないのではないか。現代美術の抽象彫刻であれば街の風景の一部として見過ごすことができるし、裸体彫刻であれば人体を再現したという揺るぎない理由がそのような謎を端から寄せつけないだろう。誰もが知るキャラクターであるがゆえに、それらを立体造形化していることの不思議さがよりいっそう募るのである。

西原が仕掛けたケツバットガールは、そのようなもにゅキャラの謎に対する、ひとつの創造的な回答であるように思われる。舞台は新潟市の古町通5番町商店街。この一角に設置された『ドカベン』の山田太郎像は、バッターボックスでバットを力強くスイングしているが、弓なりにしなったバットがあたかも臀部を打ち叩いているかのようなポーズで写真に収まる女子たちのことをケツバットガールと言う。むろん、ここにはかつての体育会系の伝統とされたケツバットという体罰をあえて自演してみせる自虐的な批評性がある。けれども、それ以上に重要なのは、ケツバットガールという西原によって開発された形式が、もにゅキャラという謎めいた銅像に新たな意味を付与しているという点である。ケツバットガールがなければ、山田太郎像は『ドカベン』のファンにとっての聖地にはなっていたかもしれないが、それ以上の意味を見出すことはできなかったに違いない。銅像という古めかしいメディウムは、山田太郎というキャラクターの名前以上の意味をことごとくはねつけるからだ。逆に言えば、モニュメントの永遠性が担保されるのは、銅像が銅像であるというトートロジー以外の意味を受けつけないからではなかったか。だからこそ、多くのモニュメントは認識されることはあっても、とりわけ愛着をもたれることはなく、どちらかと言えば風景の一部として放置されているのである。ケツバットガールは、そのような銅像の単一のイメージに全力で対抗することによって、それを複数のイメージに分裂させる。無味乾燥とした硬い銅像を柔らかく揉みほぐし、一時的に我有化することで新たな意味を生成していると言ってもいい。これほど愛されたもにゅキャラがあっただろうか。

とはいえ、地元住民に愛されるもにゅキャラがないわけではない。楠見と南によれば、神楽坂商店街のコボちゃん像は服を着せられているし(同書、pp.179-182)、鳥取の境港市の水木しげるロードに設置されたねずみ男像は、明らかに仏像ではないにもかかわらず、撫で仏のように撫でられているため鼻の下と膝頭がツルツルに磨き上げられているという(同書、p.117)。このように、もにゅキャラの作者はもちろん、マンガの原作者でさえ想定してなかった愛着の持たれ方は、あるいはもにゅキャラの謎を解き明かす、ひとつの鍵になりうるのかもしれない。もにゅキャラに限らず、この国のありとあらゆる造形の歴史を振り返ってみればわかるように、造形を制作する側というより、造形を受容する側に、民間信仰に似た精神性を無意識のうちに作動させてしまう論理と力学が確かに認められるからだ。私たちは愛着のあるイメージを造形化することによって、その愛情の投影をより直接的かつ確実にしながら、同時に、救いや祈りの対象にもしてきたのではなかったか。すべてとは言わないにせよ、もにゅキャラはそのような無意識の欲望の延長線上に現われた現象と言えるかもしれない。
しかし、仮にそうだとしても、もにゅキャラの謎は依然として深い。なぜならケツバットガールたちの方法は、いずれも写真というメディアに帰着しているからだ。もにゅキャラは2次元のキャラクターを3次元のモニュメントに置換したものだが、彼女たちは、いや、もにゅキャラに近接する者たちは誰であれ、もにゅキャラを再び写真という2次元に変換しているのである。だとすれば、もにゅキャラはいったいどこにいるのだろうか。

2017/07/17(月)(福住廉)

北アルプス国際芸術祭2017 ~信濃大町 食とアートの回廊~ その2

会期:2017/06/04~2017/07/30

大町市内各所[長野県]

問題なのは、そのような芸術祭にふさわしい類型的な作品が、芸術祭という形式にとっての最終形態であるように感じられる点にある。仮に現行の日本型芸術祭の端緒を「大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ2000」に求めるならば、アーティストたちはその形式のなかで自らの美術作品を問いかけ、17年もの時間をかけて切磋琢磨することによって、芸術祭にふさわしい作品が徐々に選別されてきたことになる。その取捨選択の政治学は決して悪いことではないし、芸術祭で歓迎される作品が洗練されることもことさら否定されるべきではない。美術館で歓迎される作品が恣意的に選別されてきたことは誰もが知る事実であるし、それが眼に見えて先細りになっている以上、芸術祭という新たな形式の開発は、結果としてアーティストに新たな発表の機会をもたらし、事実として美術作品の幅に広がりを与えたからだ。アトラクションと体感を重視する類の作品の台頭は、大衆に受容され支持されることを必要条件とする芸術祭という形式が日本社会に定着する道のりの必然的な帰結とも言えよう。だが、それが発展途上の形態ではなく、完成形だとしたら、どうだろう。完成形とは、言い換えれば、その先に発展する見込みが望めないということだから、仮に場所を移動しながらバージョンアップすることはあっても、基本的な「文法」は変わらない。今後日本の各地で開催される芸術祭や国際展で、目のようなアトラクションと体感を重視した作品が来場者の広範な支持を得ながら増加することは容易に想像できる。しかし、そもそもアーティストの仕事は、「文法」の応用ではなく、「文法」そのものの開発ではなかったか。
例えば里山と棚田が広がる小さな集落で制作・展示されたフェリーチェ・ヴァリーニの作品は、家屋の外壁や屋根のいたるところに黄色い曲線を描いたものだが、ある一点から鑑賞すると線と線が結びつくことで楕円形の模様が浮かび上がるように見える。しかし、これは原理的には、室内空間を塗り上げることで任意の地点から幾何学的な形態を浮上させるジョルジュ・ルースの作品の「応用」である。屋外で、より大規模に展開したところに独自性を見出すこともできなくはないが、それは必ずしも文法の開発とは言えない。

それに比べれば、多くの参加アーティストが風土を過剰に意識した作品を発表するなか、そうした類型的な作品とは明確に一線を画しながら、自らの作風をあくまでも貫いた岡村桂三郎のほうが、たとえ文法の開発とまでは言えないにせよ、芸術祭という形式を一切省みない頑なな態度が、かえって芸術祭にふさわしい類型的な作品の歪さを逆照するという点で、批評的に見えたのも偽らざる事実である。岡村は、例によって焼いた平面をスクレーパーで削り出した巨大な屏風状の作品を、会場とした休憩施設の中に、これでもかというくらいに大量に展示して見せた。主題としているのは、いつものように龍や鳥などの神獣や人間だから、作品が一変したわけではない。だが、決して広くはない空間に押し込められた作品の物量が、いつも以上にすさまじい迫力を倍増させていた(2015年、岡村は浜松市秋野不矩美術館で大規模な個展を催したが、延床面積で言えば、その個展のほうが圧倒的に大きいはずだが、作品が醸し出す迫力という点で言えば、本展のほうが明らかに勝っていた)。作品を芸術祭に従属させるのではなく、芸術祭を作品に従属させること。岡村が示しているのは、類型化を進行させつつある現在の芸術祭に対するアーティストなりの気骨ではなかったか。
いずれにせよ問題の所在は芸術祭に最適化した作品である。それが最終形態を迎えているとすれば、それを無限に反復ないしは増殖させることで芸術祭という形式の寿命を延ばすことはできるかもしれない。だが、それは美術の本質とはまったく無関係である。地域再生や観光振興といった目的が直接的に紐づけられているにせよ、原則的に言えば、芸術祭とは美術作品を媒介としながらアーティストと来場者、そして地元住民が出会うための形式にすぎないからだ。美術が時代とともに形態や思想を変容させてきたことは事実だとしても、その作品が芸術祭によって類型化を免れないとすれば、私たちはいずれ芸術祭という形式を思い切って打ち砕く必要に迫られるかもしれない。いや、あるいはすでに次の形式を探し出す旅に出発する時機が到来しているのではないか。

2017/07/10(月)(福住廉)

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北アルプス国際芸術祭2017 ~信濃大町 食とアートの回廊~ その1

会期:2017/06/04~2017/07/30

大町市内各所[長野県]

長野県大町市を舞台とした芸術祭の初回。総合ディレクターに北川フラムを迎え、国内外のアーティスト36組による作品を、市街地をはじめ大町ダム、青木湖、温泉街などに展示した。同じディレクターであるため必然的に「大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ」や「瀬戸内国際芸術祭」と比較しながら鑑賞することを余儀なくされるが、何よりも特徴的なのは、その開催規模である。先行する2つの国際展とは対照的に、本展の会場は比較的小規模なエリアに限定されており、ちょうど1泊2日で十分に回遊できるほどだ。アーティストも少数精鋭に絞られており、その点ではいくぶん物足りない印象を覚えなくもないが、開催エリアが狭い割には、山間部から市街地まで、あるいはダムから湖まで、それぞれ抑揚があるため、決して飽きることはない。
とはいえ、個別の作品についてはある種の限界を痛感させられたのも事実である。美術館のホワイトキューブではない野外や山村集落、あるいは古民家などで発表される作品は、いまやはっきりと類型化されつつあるように感じられたからだ。例えば、無数の木の枝を組み合わせることで台風のような渦巻状の構築物を森の中に出現させたリー・クーチェの作品や、竹林から切り出した竹を地元住民と共に垂直状に組み上げたニコライ・ボリスキーの作品は、いずれも自然の素材を改変することによって自然の風景を美しく異化するもので、これは越後妻有でたびたび眼にしてきた作品と同じ傾向にある。あるいは、神社の境内に向かう橋の上に霧のリングをつくったジェームズ・タップスコットの作品と、森林劇場の舞台に自然と人工が融合したような不思議な音楽装置をつくったマーリア・ヴィルッカラの作品は、いずれもミストを発生させている点で共通している。「水」という風土を過剰に意識したのかもしれないが、これは、規模こそ異なるとは言え、否が応でも中谷芙二子の《霧の彫刻》を彷彿させてやまない。少なくとも素材技法の面で言えば、芸術祭で歓迎される作品はいまや芸術祭という形式に最適化されつつあるのではないか。

芸術祭にふさわしい作品。そのもっとも典型的な事例が、目だ。「大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ2015」をはじめ、「さいたまトリエンナーレ2016」など、近年国際展や芸術祭に精力的に参加しているクリエイティブ・チームである。今回発表した《信濃大町実景舎》は、市街地を見下ろす山腹に建つ古民家の内部を漆喰で塗り固めることでコクーンのような空間に仕立て上げたもの。来場者は狭く、細く、そして緩やかに曲げられた導線を進みながら、非日常的な空間を体験するというわけだ。事実、多くの来場者がまるで遊園地を訪れたかのように歓声を上げながら楽しんでいた。市街地の景観自体は変わらないにせよ、この白い空間から見晴らすと、視線が鮮やかに更新されたように錯覚するという点では、例えばジェームズ・タレルの作品と近しいのかもしれない。だが、それ以上に重要なのは、彼らの作品が来場者の体感を刺激するアトラクションの要素を強く醸し出しており、それが芸術祭にふさわしい作品として類型化しつつあるという点である。
あえて類型化と言い切ることができるのは、例えば栗林隆の作品にも目と同じく体感を刺激するアトラクションの要素を色濃く見出すことができるからだ。商店街の空き店舗の1階に40分の1のスケールで黒部ダムを再現し、2階のダム湖を足湯に浸かりながら鑑賞するという作品だ。ここでも来場者は全身の感覚を刺激されながら狭い通路と階段をくぐりぬけ、その先に現われたドラマチックな光景に目を奪われる。そのようにして来場者の視線と身体を誘導する展開の仕組みが優れている点は否定しない。しかし、その一方で、そのような「文法」が目と著しく通底していることは決して無視しえない。そこには明らかに類型化の問題がひそんでいるからだ。

2017/07/09(日)(福住廉)