artscapeレビュー

美術に関するレビュー/プレビュー

福岡の建築

[福岡県]

約2年ぶりに博多を訪れた。《福岡大名ガーデンシティ》(2023)は、都心の大型再開発だが、高層棟の足元が二つに割れたゲートのような空間をくぐると、旧大名小学校の校庭が広がる。リノベーションされた校舎はスタートアップの場に変えられており、とても雰囲気が良かった。やはり、昨年オープンした《麻布台ヒルズ》、《虎ノ門ヒルズ ステーションタワー》、《東急歌舞伎町タワー》など、地価の高い東京の再開発よりも、全体として空間に余裕が感じられる。


《福岡大名ガーデンシティ》(2023)

30年経っても、ど迫力の《アクロス福岡》(1995)のそばの西中洲エリアに、yHa architects(平瀬有人+平瀬祐子)による公園のPark-PFI(公募設置管理制度)事業、地形を延長したような2棟の小さな飲食施設《ハレノガーデン》(2019)が建つ。これらの建築が引き立てるのは、奥の《旧福岡県公会堂貴賓館》(1910)である。これも山形の《文翔館》(1916)と同様、共進会に関わる建築だった。1910年の九州沖縄八県連合共進会に際して来賓接待所としてつくられ、山形出身の三條栄三郎が設計している。もっとも、気になったのは、説明文で「フレンチ・ルネサンス」のラベルを貼ってしまうことで、デザインをわかった気にさせていること(ちなみに、解説の映像ではイタリアのオペラを流していた)。なるほど、急勾配の屋根の窓や造形などはフランス風だが、それらがすべてではない。筆者が文翔館でも試みたように、もっと精緻に外観や各部屋の差異に関する分析が可能であり、意匠を奥深く楽しむことができるはずだ。


《アクロス福岡》(1995)


左から、yHa architects(平瀬有人+平瀬祐子)設計《ハレノガーデン》(2019)、《旧福岡県公会堂貴賓館》(1910)


《旧福岡県公会堂貴賓館》内部、貴賓室の様子


太宰府は十数年ぶりだろうか。斜めに小さい木を組んで構造とインテリアを兼ねる隈研吾のスターバックス(2011)は、インスタ映えする建築として有名であり、朝から海外からの観光客で賑わっていた。


隈研吾設計《スターバックスコーヒー 太宰府天満宮表参道店》(2011)


今回の目的は、藤本壮介による屋根の植栽が盛り盛りになった《天満宮仮殿》(2023)である。彼らしいユーモアと大胆さに溢れ、期間限定ながら、これもフォトジェニックな建築だった。藤本の初期作品は平面の構成が特徴だったが、ブダペストの音楽の家や万博の木造リングなど、近作は屋根がキャラ立ちする。ちなみに、太宰府天満宮の各所には、境内美術館として現代アートがあちこちに散りばめられ、それらを探して歩くのも楽しい。ライアン・ガンダーやサイモン・フジワラらの作品が見逃すような場所にそっと置かれ、風景にまぎれている。以前、太宰府のアートプログラムでも、春木麻衣子やホンマタカシが参加しており、TARO NASUギャラリーの作家で固めているようだ。


藤本壮介設計《天満宮仮殿》(2023)


「境内美術館」として太宰府の敷地内に展示されている作品の一部。左から、サイモン・フジワラ《時間について考える》(2013)、ライアン・ガンダー《この空気のように》(2011)

2024/01/20(土)(五十嵐太郎)

開館20周年記念展 私たちのエコロジー:地球という惑星を生きるために

会期:2023/10/18~2024/03/31

森美術館[東京都]

美術館の大規模な企画展を見てしばしば思うのは、せっかくつくり上げた展示ディスプレイを会期終了後に取り壊してしまうのはもったいないなということだ。いくらハリボテとはいえ、いくら使い回しがきかないとはいえ、展覧会のテーマに合わせ丁寧につくり込まれた陳列台や装飾の大半は廃棄される運命にあるのだ。まあ大規模展なら何十万人もの観客が見てくれるし、億単位の金が動くだろうから、ディスプレイごときにケチなことはいわないのだろうけど。と思っていたら、森美術館が前の展覧会の展示壁や壁パネルをそのまま再利用していた。お、やるじゃん。しかも森美術館がやると貧乏くさくなくてオシャレに見えるんだよね。そもそも「エコロジー」がテーマの企画展だから理にかなっているというか、それ自体が出品作品のひとつみたいに自慢げでさえある。

森美術館はこれまでにも「カタストロフ」「AI 」「パンデミック以降」など時宜にかなったテーマの企画展を開いてきた。現代美術館としての使命をわきまえているというか、流行にすぐ飛びつくというか、いずれにせよ他人事のようにただテーマに沿って作品を集めましたってだけでなく、展示壁の再利用のように自分たちの問題として取り組んでいるところがエライ。次回展も同じく展示壁を使い回したら尊敬しちゃうけどね。それでこそサステイナビリティってもんだ。

展示は、ハンス・ハーケが1970年前後に気象現象や動植物を撮った記録写真《無題》(1968-1972)から始まる。1970年の「人間と物質」展の出品作品《循環》(1970)も含めて、このころから彼が自然の循環について考えてきたことがわかるが、なぜそれがその後の大企業を告発するような作品に移行したのか不思議に思っていた。今回、19世紀にはエコロジーとエコノミーが同義語として用いられていたこと、そして自然の生態と人間の経済はそれこそひとつの大きな生態系のなかでつながっていることを知り、長年の謎が解けた気がした。やれやれ、半世紀がかりだ。

次の部屋には床に5トンのホタテの貝殻が敷き詰められ、その上を歩けるようになっている。ニナ・カネルの《マッスル・メモリー(5トン)》(2023)だ。貝殻は自然のなかで何億年もかけて石灰石に変わり、それを人間はコンクリートの原料として建材に利用する。ホタテにとって貝殻は家のようなものだが、それが巡り巡って人間の家になるわけで、この貝殻を踏みつぶすという行為も生物が建築に近づいていく過程を示唆するものだという。ただし貝殻を建材として実際に利活用できるようにするには、重油をはじめ多大なエネルギーを消費しなければならないというジレンマに直面する。まあそんな固いことは考えずに、パリパリと貝殻を踏みつぶして楽しんでいる観客が大半だが。

第2章では、岡本太郎や桂ゆきの絵画、中谷芙二子のビデオなど、戦後日本で制作された核実験や公害を告発する作品が並ぶ。中西夏之や工藤哲巳のオブジェもエコロジーの観点から再解釈しているが、それより取り上げるべき作家はほかにもいそうな気がする。殿敷侃の《山口─日本海─二位ノ浜 お好み焼き》が首都を見渡せる展示室に置かれているのはすばらしい。海岸に掘った穴に拾い集めたゴミ(プラスチックが大半)を入れて燃やし、大きな塊にした作品だ。眼下に広がるこの大都市も焼け野原にならないよう祈るばかりだ。



殿敷侃《山口─日本海─二位ノ浜 お好み焼き》(1987)[筆者撮影]


ほかにも、「エコロジー」をテーマによくこれだけ探し集めたものだと感心するほど多様な作品が紹介されているが、最後の最後に笑ってしまうようなケッサクが待っていた。照明が消されたその部屋は天窓から日光が差し込み、壁に沿って足場が組まれている。それだけ。これは天窓の故障が見つかったため足場を組んで修理し、それをアサド・ラザが作品化したというもの。この部屋をラザに割り振ってから天窓の故障が見つかったのか、それとも最後の部屋の天窓が故障していたからラザに作品化させたのか知らないが、ここが超高層ビルの最上階で、展覧会の最後であることが重要だ。結果的に、最近の美術館としては珍しく自然光によるエコロジカルな展示室を実現させたのだ。しかも修理後は六本木の「朝日神社」の宮司を呼んで神事を行なったというから、櫓のような足場には崇高さといかがわしさが加わることになった。



アサド・ラザ《木漏れ日》(2023)[筆者撮影]


開館20周年記念展 私たちのエコロジー:地球という惑星を生きるために:https://www.mori.art.museum/jp/exhibitions/eco/

2024/01/20(土)(村田真)

artscapeレビュー /relation/e_00066919.json s 10189912

ピョトル・ブヤク「LOOK」

会期:2024/01/10~2024/01/28

小金井アートスポット シャトー2F[東京都]

JRの中央線、武蔵小金井駅の南口から徒歩5分。巨大なイトーヨーカドーと駅ビルの合間を進み、いきなり空が広くなったところにある「小金井アートスポット シャトー2F」でポーランドのベンジン出身であるピョトル・ブヤク(Piotr Bujak)の個展が開催された。

会期がまだ残っているので詳細な描写は差し控えるが、本展にあるものをざっくり伝えるならば、ひとつの映像作品とひとつのサウンド作品だ。映像作品は過去作であり、もう片方は作家が小金井に滞在するなかで収録した音声を用いて制作されている。未就学児から60、70代の地域住民に協力してもらい収録されたと作家から聞いた。割合短い音声がループしているのだが、その音声は実にきわめて匿名的であるがゆえに、音ひとつからいくつもの情報を探ろうとしてしまう。立ったり、しゃがんだり、歩き回ったり。映像も音声作品も、会場にあるステイトメントに記載されていた制作方法、さらにはインストールまで、かなりシンプルだ。

作家が音声を収録したのは13名。その収録は作家がスマートフォンを手持ちした状態で協力者の口元にかざすようにして実施された。収音はスタジオでもなく、高性能なマイクが用いられたわけでもなく、ピョトルが自身の方法を説明する言葉の通り、「低予算、素早く雑に、DIYで、打って走る(Low Budget, Quick and Dirty, Do It Yourself and Hit and Run)」という志向が形になっている。


展覧会の様子[画像提供:ピョトル・ブヤク]


脱技術(deskilling)は前衛芸術にとって、既存の世界(の価値)を破壊する手法であり思想だった。その手法をピョトルは持続可能な展示、表現の在り方の模索のための参照源へと読み替えているということも、本展の見どころのひとつだろう。このとき、本展のあらゆる仕様が芸術という余白だらけで志向性や文脈を根源的には規定しえないもののアクティビズム性の最大化として浮かび上がってくる。具体的に言うならば、ピョトルによる民主的技術の徹底、展示のしつらえの簡素さ、展台の高さの調整にはレンガが無造作に積まれていること(作品に合わせて展示台を作成しない)、作品の匿名性の高さ(脱スペシフィシティ)、ポータビリティ(この展示はどこでもすぐに巡回可能だろう)といった在り方だ。

そして重要なのは、本展のいずれの作品にしても、「なにを表現しているのか」「なにを想って作られたのか」というような参照先が明示されていないことだろう。しかしながら、本展であれば例えば、「ゴミ袋に入った人体」や「苦しそうな呼吸」や「消えていく呼気」といった事物から、この場所に訪れることができる観賞者がいま何を想像する可能性があるかということは、方向づけられているのではないだろうか。それもまた、ピョトルならではのスピードが実現する表現の造形法だと思った。

本展は無料で観覧可能でした。


ピョトル・ブヤク「LOOK」:https://artfullaction.net/gallery-event/look/

2024/01/11(木)(きりとりめでる)

青磁─世界を魅了したやきもの

会期:2023/11/03~2024/01/28

出光美術館[東京都]

佐賀県の有田焼産地で青磁の重要無形文化財保持者(人間国宝)として名を馳せた陶芸家、中島宏に生前インタビューしたことがあった。青磁はとにかく歩留まりが悪いが、窯の中でひとつでも優れた作品が出来上がればいいという覚悟で挑戦してきたという話を伺った覚えがある。彼が遺したいくつもの作品から、私は青磁の多様さを学んだ。濃い青や薄い青、緑掛かった青、グレー掛かった青、赤み掛かった青……。本展を見て、これらの青磁はすべて中国の古代から焼かれていたことを知った。もちろん磁器の発祥地が中国であることは百も承知なのだが、紀元前のおよそ3800年前には灰釉陶器(原始磁器・原始青磁)が誕生していたことを知り、その長い歴史にため息が漏れたのである。


《青磁鎬文壺》(龍泉窯 中国 元時代 出光美術館)


本展はその灰釉陶器が焼かれた古代から三国時代、唐時代、西晋時代、宋時代、元時代、明時代と時代を追いながら、青磁がどの窯(地域)でどのように発展し流行したのかを紹介する内容だった。釉色の豊かさだけでなく、型押し、堆塑、彫塑などの技法を駆使した仏像、瑞鳥神獣、動物、人物などの意匠や、大胆で端正なフォルム、当時最先端だった技術の一端にも触れることができた。かつて日本が「唐物」として尊び目指した、言わば陶磁器のお手本がずらりと並んでいたのである。さらに将軍や大名、茶人らに儀礼や茶の湯で珍重された青磁をはじめ、《青磁輪花茶碗 銘 馬蝗絆》(東京国立博物館蔵)など重要文化財が6点も展示されていて、なかなか見応えがあった。


《青磁輪花茶碗 銘 馬蝗絆》(龍泉窯 中国 南宋時代 重要文化財 東京国立博物館)[Image: TNM Image Archives]


これら展示品のほとんどが同館のコレクションであることにも驚く。中国でつくられた青磁が日本に数多く渡ってきたことから、その保有数は本国をゆうに超えるのだという。長い歴史のなかで培われた中国陶磁器の生産技術は、その後、朝鮮半島や日本、アジア諸国、そして欧州にも派生して受け継がれていく。おかげで日本はその生産技術を独自に育み、後世に優れた窯元や陶芸家らをたくさん生むことになった。本展を観て、やはり青磁は陶磁器の最高峰だと痛感したのである。


《青磁神亭壺》(越州窯 中国 西晋時代 出光美術館)



青磁─世界を魅了したやきもの:https://idemitsu-museum.or.jp/exhibition/present/

2024/01/06(土)(杉江あこ)

artscapeレビュー /relation/e_00067270.json s 10189492

ゲティ・センター、ゲティ・ヴィラ

[アメリカ合衆国、ロサンゼルス]

32年前はまだゲティ・センターはなく、ヴィラを訪れた記憶はあるが、ヴィラのほうもその後リニューアルされたという。まずはホテルからバスを乗り継いでゲティ・センターへ。バスを降りるとそこから丘の上までトラムに乗る。これは快適。しかもトラムもセンターの入場料もタダというから太っ腹だ。創設者のジャン・ポール・ゲティ(1892-1976)は石油王として世界一の大富豪になったこともある実業家。金持ちといっても日本とはスケールが違う。丘の上に建つセンターはリチャード・マイヤーの設計で1997年に開館、そのうち美術館は5棟の白いモダンな建物からなる。美術館のテラスに出ると眼下にLAの街から太平洋までが広がり、絶景というほかない。



ゲティ・センター [筆者撮影]



ゲティ・センター庭園 [筆者撮影]


ここでは中世から近代までの絵画を中心に展示している。あるわあるわ、マサッチョからルーベンス、ターナー、モネ、ファン・ゴッホまで教科書どおりにひととおりそろえている。この大富豪は美術が好きというより、みずからのルーツであるヨーロッパに憧れ、ヨーロッパの歴史・文化を可視化した絵画を買い集めることで(西洋)美術史そのものを手に入れたかったに違いない。そのせいか、一流品はあっても超一流品はない。そもそも集めたのが20世紀なので、超一流品はすでにヨーロッパの老舗ミュージアムに収まっていたのだ。

と思って見ていたら、ティツィアーノの《ヴィーナスとアドニス》があるではないか。古典絵画のなかでもこれがもっとも価値が高そうだが、しかしこの作品は何点ものヴァージョンがあって、ここのは工房作とする専門家もいる。ファン・ゴッホの《アイリス》もある。バブルの時期に約73億円で落札されて有名になった作品だが、購入者が手放したのを入手したのだろう。あれこれ手を使って買い集め、美術史の教科書をつくろうとしたことがわかる。規模の大きさ、建築および環境のすばらしさに比べて、中身はやはりアメリカン(少し薄い)というのが正直な感想だ。

Uberでゲティ・ヴィラに移動。ヴィラはポンペイの近くに埋もれていた邸宅を模した美術館で、古代ギリシャ・ローマの美術を中心に展示している。ここに来ると、ゲティがヨーロッパに恋焦がれてコレクションと美術館建設に走ったことが、推測ではなく確信に変わる。LACMAにしろザ・ブロードにしろMOCAにしろ、いずれも世界の現代美術が中心なのに、ヴィラとセンターだけが古代から近代までの西洋美術に限定しているからだ。これはジャン・ポール・ゲティの個人的な好みもあるだろうが、むしろ自分のルーツを西洋に求めたがる保守的なアメリカ人の嗜好を反映したものと捉えるべきかもしれない。それにしても、繰り返すようだが中身はともかく、土地と建物にどれだけ大金を注ぎ込んだことか。しかも驚くべきことに入館無料なのだ。ちなみに、ゲティも含めてこの3日間で訪れた美術館5館の入場料はすべて無料だった。道理でどこも混んでるはずだ。




ゲティ・ヴィラ [筆者撮影]


The Getty:https://www.getty.edu/

2024/01/04(木)(村田真)