2019年09月01日号
次回9月17日更新予定

artscapeレビュー

美術に関するレビュー/プレビュー

山内道雄「LONDON」

会期:2019/08/09~2019/08/31

Zen Foto Gallery[東京都]

Zen Foto Galleryでの個展にあわせて刊行された同名の写真集の「後記」に、山内道雄がギャラリーのオーナーのマーク・ピアソンから「ロンドンの写真がない」と言われたと書いている。たしかに、ロンドンを撮影した現代写真はあまり見たことがない気がする。ロンドンはあまりにも「人工的で成熟した都市」であり過ぎて、写真家たちの写欲をそそらないのではないだろうか。

そう考えると、わずか3カ月あまりの滞在で、これだけ多様な、しかもクオリティの高い写真を撮影できた、山内のスナップシューターとしての底力に驚かされる。午前中は宿に近いキングス・クロス駅近くを、午後からは中心部のピカデリー・サーカスやテムズ川周辺を、そして夕方にはオックスフォード・ストリートというコースを、ほぼ毎日行き来して撮影した写真をまとめたシリーズだが、そこには確実に2010年代後半のロンドンの空気感が写り込んでいる。

機材をデジタルカメラに変えてから、山内の撮影のスタイルはより軽やかなものになった。それでも、いきなり目に飛び込んでくるような「ヤバい」写真がたくさんある。滞在途中で盗難にあったこともあって、本人は質、量ともにやや物足りないと思っているようだ。だが、展示にも写真集にも、路上スナップの王道とでもいうべき活気と熱量を感じる。山内は1950年生まれだから、もう70歳近いのだが、健脚はまだまだ衰えていないようだ。

2019/08/23(金)(飯沢耕太郎)

長島有里枝×竹村京 まえ と いま

会期:2019/07/13~2019/09/01

群馬県立近代美術館[群馬県]

長島有里枝の祖父母は群馬県高崎市の出身で、彼女も幼い頃から市内の親戚の家などをよく訪ねていたという。東京出身の長島にとって、高崎は第二の故郷だったということだ。そんな縁もあって、高崎の群馬県立現代美術館で、刺繍を作品に使う当地在住のアーティスト、竹村京との二人展が実現した。

長島は、祖母が撮影した庭の花の写真をモチーフに、滞在していたスイスで撮影した「SWISS」、祖母が買い揃えた衣服が、姪に「おさがり」として受け継がれる状況に目を向けた「Hand Me DOWN」、18歳から現在まで群馬県で撮った写真を集成した「Home Sweet Home」、祖母が遺した押し花用のドライフラワーをフォトグラムの技法で再生した「past,perfect,progressive/ 過去完了進行形」などのシリーズを、細やかな手つきでインスタレーションし、祖父母と高崎の記憶を再構築している。それらは竹村が制作し続けている、日常のモノや写真と刺繍された布とのコンビネーションの試みと、とてもうまく対応しており、二人のアーティストの作品世界が滑らかに接続していた。このところの長島の写真を使うアーティストとしての表現力は格段に上がってきており、どんな枠組にも対応できるようになってきている。今回は日本人のアーティストとの二人展だったが、もし機会があれば海外作家とのコラボレーションも考えられそうだ。

ちょうど夏休み中の企画だったということもあって、アーティストトークや小学生を対象とするワークショップも開催された。さまざまな観客に向けて広く開かれた、風通しのいい展覧会だ。

2019/08/20(火)(飯沢耕太郎)

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柚木沙弥郎の「鳥獣戯画」

会期:2019/07/13~2019/09/08

神奈川県立近代美術館 葉山[神奈川県]

柚木沙弥郎というと、民藝運動に影響を受けた染色家のひとりという概念しかなかったが、本展を観て、版画や絵本、立体作品といった分野でも活躍していたことを知った。むしろこれらの作品の方が、作家としての力量を感じた。創作活動の原点に、工芸と美術、西洋と東洋、作家と職人といった二者の間での葛藤があったというから、民藝運動が提唱した「用の美」の枠に当てはまらない創作意欲が、きっと内心からあふれていたのだろう。まず、本展の最初に展示されていた一連の版画作品「ひまわり」に目を奪われた。これらはアルシュ紙に墨一色でひまわりの一生を力強く描いた作品群で、特に《老いたひまわり》は柚木自身の姿でもあると評され、枯れてなお孤高の美しさがあることを表現した点には心動かされた。



柚木沙弥郎《老いたひまわり》(2014)
モノタイプ、アルシュ紙 公益財団法人泉美術館蔵

圧巻は、2019年の最新作「鳥獣戯画」である。鳥獣戯画で思い浮かぶ京都の高山寺所蔵の絵巻物は、いまもなお多くの日本人に愛される漫画の原点として知られるが、柚木は森山亜土の舞踊劇『鳥獣戯画』に着想を得て、全長12メートルに及ぶ大作に仕上げた。主に第一巻(甲巻)に準拠した内容で、兎、猿、蛙、狐らを登場させ、射的、相撲、田楽、仏の供養など18の場面を描いた。柚木は鳥獣戯画の魅力について「そこには、生き物の生きる喜びや躍動する生命観が、閉鎖的で憂鬱な社会の潮流に流されないで描かれていると思うのだ」と語っている。柚木が描いた「鳥獣戯画」は、原書と比べると巧さには欠けるが、味わい深く、愛らしい筆致に映った。まさに「生き物の生きる喜びや躍動する生命観」が強調された形のようである。

本展の最後を締めくくったのは型染布のほか、絵本である。柚木はさまざまな絵本の原画を手がけているが、宮沢賢治の名作『雨ニモマケズ』に寄せた原画に、私は注目した。同作で語られる、勤勉で、健康で、無欲で、身の丈に合った暮らしのなかで、他人のために率先して行動する理想の農民像が、なんとなく柚木の作風と相通じるものを感じたからだ。ひと言で言えば、素朴ゆえの力強さだろうか。先の「鳥獣戯画」にもつながるが、生きる力強さかもしれない。『雨ニモマケズ』が書かれた昭和初期に比べると、いまの世の中にはそうした力強さが足りないように思う。だからこそ、いま、柚木の作品が見直されているのだろう。



柚木沙弥郎《いのちの樹》(2018)
型染、紬 作家蔵
[撮影:阿部健]

絵本『雨ニモマケズ』原画
(作:宮沢賢治 絵:柚木沙弥郎)(2016)
水彩、紙 公益財団法人泉美術館蔵

公式サイト:http://www.moma.pref.kanagawa.jp/exhibition/2019_yunoki

2019/08/20(杉江あこ)

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TOPコレクション イメージを読む 写真の時間

会期:2019/08/10~2019/11/04

東京都写真美術館 3階展示室[東京都]

東京都写真美術館所蔵の写真コレクションによる企画も、だいぶ回を重ねてきた。常設展にあたるこのような展覧会は、繰り返すうちに同工異曲のものになりがちだ。3万5千点を超えるという東京都写真美術館の収蔵作品をどういう切り口で紹介していくのか、新たな展覧会のアイディアを考えること自体が徐々にきつくなってくる。今回の「写真の時間」にしても、何度か同じような趣向の展示を見た記憶がある。というより、「写真」と「時間」はいわば同義語反復のようなものであり、担当学芸員の枡田言葉が同展カタログの序文に書いているように、「制作の時間」、「イメージの時間」、「鑑賞の時間」という「今回取り上げた3つのキーワードは相互に重なり合うため、各章における作品の選択は恣意的にならざるを得ない」のだ。

とはいえ、コレクション展においては、新奇性のみにこだわる必要はないだろう。要するに、いい作品をきちんと選び、作品相互の関係に気を配りつつ、丁寧な解説を付して展示すればそれでいいのではないだろうか。今回の展覧会でいえば、アウグスト・ザンダーと鬼海弘雄のポートレートの対比、田口和奈の「あなたを待っている細長い私」や畠山直哉「Slow Glass/Tokyo」といったあまり見る機会のない作品、川内倫子の「Illuminance」と「Iridescence」の両シリーズのまとまった展示などを見ることができたのは大きな収穫だった。開館以来30年近くを経て、東京都写真美術館の写真コレクションがかなり充実してきたことが、出品作品からも伝わってくる。写真を「見る」ことの歓びを、多くの人たちに知ってもらうためにも、コレクション展の役割は、今後より重要なものになっていくだろう。

2019/08/14(水)(飯沢耕太郎)

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美術の中のかたち─手で見る造形 八田豊展─流れに触れる

会期:2019/07/06~2019/11/10

兵庫県立美術館[兵庫県]

兵庫県立美術館のアニュアル企画「美術の中のかたち─手で見る造形」展は、視覚障碍者にも美術鑑賞の機会を提供することを目的として、作品に触って鑑賞できる展覧会で、1989年度より始められ、今年で30回目となる。八田豊(1930-)は、油彩画や金属板に幾何学模様を刻む作品を制作していたが、1980年代前半に視力が低下し始めたことを機に聴覚や触覚を使った制作へと移行し、90年代以降は地元の福井県越前市の名産品である和紙やその原料の楮(こうぞ)を使った平面作品「流れ」シリーズを制作し続けている。本展では、90年代半ば~2000年代にかけての「流れ」シリーズ計12点が展示された。



会場風景


シリーズ初期では、和紙になる前のドロドロとしたペースト状の白い楮が用いられ、支持体に貼り付けた八田の指や掌の跡が生々しく残る。メレンゲか白い泥の塊が指で激しくかき回され、そのまま凝固したようだ。一方、以降の作品では、通常は除去される外皮(鬼皮)をそのまま残した状態の素材が用いられ、指でその黒い表面に触るとゴツゴツと硬い。また、和紙を染めて、まるめて棒状にしたものを敷き詰めた作品の表面は、丸みを帯びた陰影の連なりがさざ波の立つ水面を思わせ、触ると柔らかみを帯びている。左右や上下に分割された画面それぞれに、楮の色や鬼皮の残り具合が異なる素材を用いた作品もあり、幾何学的抽象絵画で色域を変えるように、「触覚」によって画面構成がなされていたことが実際に触るとよく分かる。

これらの作品群は「流れ」と名付けられているが、壁に垂直に掛けられた平面作品として向き合うと、波立つ水面や茫漠と広がる大地といった連想以上に、地層の堆積や積層構造を強く想起した。「水面」「砂漠の大地」といった(直に触れられない)「イメージ」ではなく、触覚によって惹起された、ザラッとした手触りと物質感を備えた、半ば実体的な層構造。それは、繊維の束をひとつずつ手探りで支持体に貼り付けていった八田の手の痕跡の連なりであり、和紙の原料である楮の木が成長した時間を含み、さらには繊維加工文化がもつ歴史的な時間の層でもある。「流れ」を指で辿ることで、そうした複数の時間の層を肌で感じるとともに、視覚偏重の美術鑑賞体験への批判的契機ともなっていた。



会場風景


2019/08/12(月)(高嶋慈)

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