2021年01月15日号
次回2月1日更新予定

artscapeレビュー

美術に関するレビュー/プレビュー

池内晶子「atomized / inside out」

会期:2020/11/19~2020/12/06

gallery 21yo-j[東京都]

ドアを開けると、展示室の前にロープが張ってあってすぐには入れず、作品も見えない。まずスタッフの注意を聞く。中央付近に作品があるので、気をつけて、周囲から見てくださいと。入場を許されて近づいていくと、クモの糸のようなものが見えてくる。壁が白いので見えにくいったらありゃしないが、よく見ると、何本かの絹糸を上から吊るし、下のほうにいくにつれ束ねるように収束させているのがわかる。竜巻型というか、双曲面の上半分というか、急峻にした富士山を逆さにしたような末広がりの逆三角形だ。この形態は池内が制御してバランスを保っているものの、人工的な造形というより、自然の織りなす形であり、重力の生み出す美といえる。

近年、空間全体に糸を張り巡らせたり、上から糸でなにかを吊ったりするインスタレーションが多い。それはものを宙に浮かせる1つの方法であり、また、少ない量で空間全体を埋めるための方便でもあるだろう。しかしそこでは糸は脇役か、さもなければ必要悪として用いられる。言葉は悪いが「上げ底」の発想であり、一種のトリックにほかならない。ところが池内は、あくまで糸を主役として使い、糸の属性に従う。作者が語るのではなく、糸に語らせているのだ。

2020/11/28(土)(村田真)

生命の庭―8人の現代作家が見つけた小宇宙

会期:2020/10/17~2021/01/12

東京都庭園美術館[東京都]

「緑豊かな自然に囲まれた旧朝香宮邸を舞台に、日本を代表する8人の現代作家たちの作品を通して、人間と自然との関係性を問い直す試み」だそうだ。出品作家は、青木美歌、淺井裕介、加藤泉、康夏奈、小林正人、佐々木愛、志村信裕、山口啓介の8人。ありがちなタイトル、誰もが考えそうなテーマ、意外性のない顔ぶれだが、思ったより退屈しなかったのは、旧朝香宮邸の展示空間に負うところが大きい。もちろんインテリアがすばらしいとか、現代美術とのコラボレーションが斬新だとかではなく、ドントタッチな空間とアーティストの攻防が見ものだったのだ。

例えば、現場制作のウォール・ドローイングが持ち味の淺井裕介は、ここでは泥絵具を壁に塗りたくることなどもってのほかなので、あらかじめつくった作品を持ち込むという、らしくない展示に甘んじるしかなかった。しかも作品が直接壁や床に触れないように注意が払われている。つまり「浮いている」。木枠を組む、キャンバスを張る、絵具を塗るという行為を同時進行する小林正人も、まさかこの場所で絵具と格闘するわけにはいかず、一見できそこないみたいな完成作を壁や床に接しないように養生しつつ展示していた。きっと、室内を汚したり傷つけたりするなとうるさく言われたんだろうなあ。なにしろ重要文化財の建物だからね。でも2階奥の部屋のひしゃげたキャンバス作品は、インスタレーションとして秀逸だった。

美術館みたいに展示できないのなら、美術館にはない空間を探して展示しちゃえ、というのが加藤泉だ。まず、玄関前の狛犬みたいな一対の彫刻の横にちゃっかり石像を設置。エントランスホール脇の待合室や、物置みたいな空間にも作品を置いている。へーこんなとこにも部屋があったのかと感心した。これじゃアートを見にきたのか、家捜しにきたのかわからない。しかもたくさんの部屋を開放したため、監視員がやたら多かった。なんか見張られているようで居心地はよくない。

そんななか、いちばん感銘を受けたのが志村信裕の映像だ。メンデルスゾーンの楽譜の上に木漏れ日を映したり、円天井にリボンの舞う映像を流したり。なるほど映像なら壁も床も汚さずにイメージを映し出せるわけだ。なかでも傑作だったのが、バスルームの磨りガラスに投影した花火の映像。直径10センチくらいのボケた映像で、最初なんだかわからなかったが、花が開くような様子を見ていて打ち上げ花火と気がついた。手のひらサイズのプチ花火、これはいい。ちなみに、思いきり大作を発表する人が多かった新館の展示は蛇足でしょう。

2020/11/27(金)(村田真)

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眠り展:アートと生きること ゴヤ、ルーベンスから塩田千春まで

会期:2020/11/25~2021/02/23

東京国立近代美術館[東京都]

眠り? なにをいまさら寝ぼけたテーマをと思ったら、これは東近だけでなく、国立西洋美術館、京都国立近代美術館、国立国際美術館など国立美術館のコレクションを寄せ集めた合同展。なるほど、それで古今東西にまたがる(古と西は少ないけど)無難なテーマに落ち着いたわけか。長引くコロナ禍で気持ち眠ってる人も多いだろうし。

序章の「目を閉じて」は、ゴヤの版画集『ロス・カプリーチョス』より《睡魔が彼女たちを圧倒する》から始まる。以下、ルドンのまさに《目を閉じて》、ルーベンスの《眠る二人の子供》、藤田嗣治の《横たわる裸婦(夢)》など、文字通り目を閉じている人を描いた作品が並ぶ。ハッとしたのが河口龍夫の《DARK BOX 2009》で、目じゃなくて鉄の箱を閉じて、闇を封印しているのだ。第1章「夢かうつつか」の冒頭はゴヤの《理性の眠りは怪物を生む》。なるほど、ゴヤの版画が各章のあいさつ代わりか。次にルドンの版画集『ゴヤ讃』が来て、エルンストのフロッタージュやミショーのメスカリン素描など、シュールな「夢うつつ」の世界が展開。だが、水に浮いて水平線ギリギリに風景を撮った楢橋朝子の写真で、「なんでこれが眠り?」と立ち止まってしまう。答えは「half awake and half asleep in the water」というシリーズ名にあった。水にたゆたいながら夢うつつの状態で撮った写真なのだ。

こんな調子で2章、3章と進んでいくのだが、なぜだかほかのテーマ展では感じられない安心感がある。描かれた人物の多くが目をつむっているからだろうか。つまり作品から見られていない安心感? あるいは、「眠り」というどうでもいいようなテーマがもたらす油断があるかもしれない。よくも悪くも緊張感に欠け、のんびり見られるのだ。

そんな「ゆるい」展示のなかで、たまに覚醒させられるのは、なんでこれがここに? という疑惑の作品があるからだ。序章の河口、第1章の楢橋もそうだが、第3章の森村泰昌と第5章の河原温にも違和感があった。ま、河原は「I Got Up」シリーズがあるし、起きてから寝るまでを作品化した作家だからわからないでもないが、森村の《烈火の季節/なにものかへのレクイエム(MISHIMA)》は理解に苦しんだ。三島由紀夫による自決直前の演説を模写った映像だが、これは「眠り」じゃなくて「覚醒」だろ? ひょっとして、三島=森村が覚醒させようとしたのが「眠れる国民」ってことか? いささか強引だけど、ちょうど50年前の事件を呼び起こすので駆り出されたのかもしれない。こうしてノンレム睡眠とレム睡眠を繰り返しながら、なんとなく目覚めてしまう展覧会だった。

2020/11/24(火)(村田真)

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黄金町バザール2020─アーティストとコミュニティ

会期:2020/11/06~2020/11/29

京急線日ノ出町駅・⻩金町駅間の高架下スタジオ/周辺のスタジオ/地域商店/屋外空地ほか[神奈川県]

ヨコトリの会期に合わせたレジデンス・アーティストによる第1部は終わり、推薦と公募で選ばれた6カ国9組のアーティストによる第2部が始まった。海外アーティストの来日を待って時期を遅らせたものの、結局コロナが長引いて来日はかなわず、リモートによる制作・展示となった。そのせいもあるかもしれないが、全体に低調だった。

そんななかで輝いて見えたのが、インドネシアのアルフィア・ラッディニによる《Sailormoonah》というインスタレーション。ギャラリー中央に太い角柱を設け、四方からプロジェクターで四面にひとつの彫刻を映し出している。公園に一時設置された銀色の彫刻は、タイトルから察するにセーラームーンのキャラクターらしいが、スカートが長いうえヒジャブをつけたムスリム・バージョン。四角い台座にはインドネシア語で「この彫刻をどう思うか?」「好きか? 嫌いか?」「壊すべきか?」などの質問が書かれ、チョークで意見が書けるようになっている。セーラームーンもイスラム圏では長いスカートをはき、ヒジャブをつけなければいけないこと、そんなアニメのキャラが公共彫刻になっていること、それに対してどう思うかを問い、市民が答えていること。「アーティストとコミュニティ」のテーマに沿った示唆に富む作品だ。

2020/11/16(月)(村田真)

#16 VIVIDOR - 人生を謳歌する人

会期:2020/10/24~2020/11/15

アズマテイプロジェクト[神奈川県]

イセザキモールの片隅に建つ古びたビルの2階奥の1室で開かれた映像展。計2時間10分の長丁場だが、29組が1組5分以内にまとめた短編をつなげたオムニバスなので見に行った。最初の作品は、白人と黒人が向かい合い、中央に置かれた袋から白い粉(小麦粉?)をつかんでお互いに掛け合うという映像だが、粉が掛かる音は銃声だ。白人はより白く、黒人はすごく白くなり、最後は2人が正面を向いて終わり。Eross Istvanの《Dialogue》で、これを見て最後まで見る気になった。でもこうした比喩的な表現は少なかった。

自分と同じサイズの蛍光灯、マット、鉄の箱を床に並べて本人もその横に寝そべる倉重光則の《1974年の七つのパフォーマンス》は、4半世紀後のリメイクらしいが、いかにも70年代的なポストもの派の発想だ。自身の不幸な生い立ちを文章だけで読ませる辻郷晃司の《私とボクのカルテ》は、見ていてツラくなる。髪の薄い中年男性客の後頭部を画面に入れながら、回転寿司を撮り続けるダニエル・ゲティンの《Food Train》は秀逸だ。生茂るマロニエの木立をクローズアップして、葉陰からのぞく向こう側を歩く人を捉えたSoft-Concreteの《marronnier》は、音楽ともども癒された。

2020/11/15(日)(村田真)

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