2020年09月15日号
次回10月1日更新予定

artscapeレビュー

書籍・Webサイトに関するレビュー/プレビュー

カタログ&ブックス | 2020年9月15日号[近刊編]

展覧会カタログ、アートやデザインにまつわる近刊書籍をartscape編集部が紹介します。
※hontoサイトで販売中の書籍は、紹介文末尾の[hontoウェブサイト]からhontoへリンクされます





活動の奇跡 アーレント政治理論と哲学カフェ

著者:三浦隆宏
発行:法政大学出版局
発行日:2020年6月30日
定価:3,400円(税抜)
サイズ:四六判、380ページ

アーレントが見出した「活動」の奇蹟と、哲学カフェ実践の軌跡。人生のさまざまな困難の当事者を含め、誰もが平等に声を発し、互いに耳を傾け、その人固有の存在として現われることのできる新しい政治的公共性の場所づくりが、いま求められている。哲学とその外を往還し、村上春樹と悪のモチーフ、建築や臨床の知の具体例から、「私たち」の感覚を取り戻し、思考なき全体主義を克服する道を探る好著。

A NEW RIVER

著者:岩根愛
ブックデザイン:町口覚
発行:bookshop M
発行日:2020年7月28日
定価:2,500円(税抜)
サイズ:257mm×182mm、32ページ

デザイン/装画:


第44回木村伊兵衛写真賞を受賞した岩根愛の新刊。三春、北上、遠野、一関、八戸で撮影された桜のほか、各地の伝統芸能の写真で構成。

美術解剖学とは何か

著者:加藤公太
発行:株式会社トランスビュー
発行日:2020年7月30日
定価:2,500円(税抜)
サイズ:A5判、280ページ

「美術解剖学」という学問がある。古くはダ・ヴィンチが解剖のスケッチをしていたように、芸術家は人間を表現するために、人体の内部構造から多くのことを学んできた。しかし、この美術と医学のあいだにある学問について、現代的な知見に基づいてしっかりと解説した本はほとんどない。本書は、美術解剖学について、その内容から歴史までを概観した、人体を「見る目」を養う学問についての、これまでにない入門書だ。

笹久保伸写真集 Town C Difference and Repetition

著者:笹久保伸
デザイン/装画:鷲尾友公
発行:現代企画室
発行日:2020年8月1日
定価:2,800円(税抜)
サイズ:B5判、48ページ

秩父のアーティスト笹久保伸が、自身の生まれ育った秩父の町を撮影した写真集。(中略)3作目となるこの写真集では、彼の故郷である秩父のリアルな姿が映し出される。笹久保伸の目を通して見る郷里の風景には、外側からは見えない世界の細部が浮かび上がるだろう。

瀬戸内国際芸術祭2019

監修:北川フラム、瀬戸内国際芸術祭実行委員会
寄稿:北川フラム、福武總一郎、西尾洋一、高木智子
発行:青幻舎
発行日:2020年8月7日
定価:3,000円(税抜)
サイズ:B5判、296ページ

2010年に「海の復権」をテーマに掲げスタートした、瀬戸内国際芸術祭。4回目を迎えた2019年の芸術祭では、瀬戸内海の12の島々と2つの港を舞台に、春・夏・秋の3会期に分て計107日間開催された。世界32の国と地域から参加した230組のアーティストによる、瀬戸内海でしか生み出すことのできないアートやイベント、体験、食プロジェクトまでを完全収録した記録集。

押井守の映画50年50本

著者:押井守
発行:立東舎
発行日:2020年8月12日
定価:2,200円(税抜)
サイズ:A5判、320ページ

キューブリック、タランティーノ、デル・トロ…。押井守が、1968年から2017年まで、各年を代表する映画を1本ずつ選び、これまでの50年を振り返りつつ、未来の映画の可能性についても考察する。

政治の展覧会:世界大戦と前衛芸術 (政治の展覧会)

企画・制作:引込線/放射線パブリケーションズ
主催:引込線2019実行委員会
編集長:松井勝正
副編集長:中島水緒
デザイン:橋本聡
発行:EOS ART BOOKS
発行日:2020年8月27日
定価:1,500円(税抜)
サイズ:A5判、160ページ

2つの世界大戦が生じた時期の政治と芸術について、マリネッティ、リシツキーなど4人の芸術家・批評家の大戦期の活動をケーススタディとして取り上げて考察する。ホッチキス止めされた1000ソヴィエトルーブル紙幣付き。





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2020/09/14(月)

カタログ&ブックス | 2020年9月1日号[テーマ:皮膚]

テーマに沿って、アートやデザインにまつわる書籍の購買冊数ランキングをartscape編集部が紹介します。今回のテーマは、足利市立美術館(栃木県)で2020年11月3日(火・祝)まで開催中の展覧会「瞬く皮膚、死から発光する生」にちなみ「皮膚」。このキーワード関連する、書籍の購買冊数ランキングトップ10をお楽しみください。
ハイブリッド型総合書店honto調べ。書籍の詳細情報はhontoサイトより転載。
※本ランキングで紹介した書籍は在庫切れの場合がございますのでご了承ください。

「皮膚」関連書籍 購買冊数トップ10

1位:青空

歌詞:真島昌利
絵:Botchy-Botchy
発行:現代書館
発売日:2019年12月16日
定価:1,300円(税抜)
サイズ:22cm

生まれた所や皮膚や目の色で、いったいこの僕の何がわかるというのだろう──。いつの時代に口ずさんでも同じ強い力を持っている、ザ・ブルーハーツの名曲「青空」を絵本化。吉本ばななのメッセージも収録。


2位:マルドゥック・スクランブル The 2nd Combustuion−燃焼 完全版(ハヤカワ文庫 JA)

著者:冲方丁
発行:早川書房
発売日:2010年10月
定価:700円(税抜)
サイズ:16cm、324ページ

少女は戦うことを選択した──人工皮膚をまとい、高度な電子干渉能力を得て再生したバロットにとって、ボイルドが放った5人の襲撃者も敵ではなかった。ウフコックが変身した銃を手に、驚異的な空間認識力と正確無比な射撃で、次々に相手を仕留めていくバロット。しかしその表情には強大な力への陶酔があった。やがて濫用されたウフコックが彼女の手から乖離した刹那、ボイルドの圧倒的な銃撃が眼前に迫る。緊迫の第2巻。


3位:ANIMAL MODELING 動物造形解剖学

著者:片桐裕司
発行:玄光社
発売日:2017年5月26日
定価:2,700円(税抜)
サイズ:26cm、170ページ

皮膚にあらわれる骨格の凹凸、動きによって形を変える肢体の筋、光と影による筋肉のかたち──。造形家の視点からとらえた、動物造形解剖学の決定版。ハリウッド造形界のトップの立体作品を彫刻レクチャーとともに収録する。



4位:島々百景

文と写真:宮沢和史
発行:ラティーナ
発売日:2019年7月3日
定価:2,500円(税抜)
サイズ:18×18cm、167ページ

その音楽を産んだ土壌に、人々に会いたくて旅に出るのだ。なぜその音楽が生まれたのか。それを皮膚で知り、感じたいからなのだ──。歌手の宮沢和史が、音楽に誘われ旅した島々の記憶を綴る。『月刊ラティーナ』連載を書籍化。



5位:ミメーシスを超えて 美術史の無意識を問う

著者:岡田温司
発行:勁草書房
発売日:2000年5月
定価:3,700円(税抜)
サイズ:20cm、275+13ページ

絵の見方、美術の歴史を「父の機能」の一党支配から解放する戦略とは? 無意識のイデオロギーを相対化し、主体、トラウマ、メディウムと皮膚、見る・触れる、メタファー・メトニミー等の観点から試行する。



5位:考える皮膚 触覚文化論 増補新版

著者:港千尋
発行:青土社
発売日:2010年3月
定価:2,400円(税抜)
サイズ:20cm、308ページ

棘の芸術、タトゥー・ブーム、皮膚の色の政治学、盲目論、世界皮膚の夢……。エスニック芸術からテクノロジーに至るまでの領域を渉猟してさぐる、時代のうごきを先鋭的に捉えた触覚文化論。



5位:どうぶつのことば 根源的暴力をこえて

著者:鴻池朋子
発行:羽鳥書店
発売日:2016年9月5日
定価:3,400円(税抜)
サイズ:22cm、365ページ

人間の思索のみに閉じるアートに、皮膚の森から啼き声があがる。芸術の始まりに立ち戻り、人間がものをつくることを問い直す。人間と動物の境界に出現するアートを求めて、様々な専門家との対話の旅をする。いままでのものとは全く違う想像力と出会った鴻池朋子が、語り、書く。



8位:かなでるからだ 混声合唱とピアノのための(合唱 混声)

作曲:森山至貴
詩:みなづきみのり
発行:音楽之友社
発売日:2016年5月14日
定価:1,800円(税抜)
サイズ:30cm、62ページ

「皮膚、肌」「膝」「骨」「肩」の4曲からなる組曲。「人体」をテーマにした詩は肌や骨の手触り、その存在感をコミカルに描きながら、歌い手はそれを体全体で表現する。激しくビートを刻んでアクロバチックに、ときには高音を絶唱し、狂おしく優しく人生の悲喜を、体温の熱さを奏でる。



9位:クラシック野獣主義

編著:鈴木淳史
発行:青弓社
発売日:2013年6月21日
定価:1,600円(税抜)
サイズ:19cm、173ページ

クラシックは一度はまれば出口がない怪しくも魅惑に満ちた世界だ! 迷宮のなかで頼りになるのは自分の感性だけ。聴くことの快楽を突き詰めた達人たちのほとばしる感性に身をゆだねて皮膚感覚を研ぎ澄ませ、クラシックに耽溺しつくすための咆哮的論考集。



9位:銘機礼讃2 語りだすディテール

著者:田中長徳
発行:日本カメラ社
発売日:1996年11月
定価:2,117円(税抜)
サイズ:20cm、276+16ページ

塗り直しライカの皮膚感覚、チープシックのリコーカメラ、指のパワーを保存するカメラ、気になるカメラがひしめきあう、カメラエッセイ。「銘機礼讃」から4年、待望の続編。



9位:CGテクスチャプロ技55 現場で使える実践テクニック+フリー素材

著者:岩崎塁、櫻井克彦
発行:ワークスコーポレーション
発売日:2010年12月
定価:3,800円(税抜)
サイズ:26cm、263ページ

大理石、土、木、ヘアライン、人の皮膚、紙……。3DCG作成において頻繁に使用するテクスチャを厳選し、その作成方法を分かりやすく解説。写真撮影のコツや動画のマッピングなども掲載。





artscape編集部のランキング解説

「『皮膚』は、人の存在そのものを包んで成り立たせる役割を担っています。私たちは『皮膚』を通して、他者や光景の中に宿る無数の命と、生涯を通じ呼応し続けています」。これは足利市立美術館で開催中の、写真を中心とした企画展「瞬く皮膚、死から発光する生」のステートメントからの引用です。今回のランキングでも、書誌情報の本の説明のなかに「皮膚で知る/感じる」「皮膚感覚」といった表現が用いられていたことでランクインしている本が少なくありません。皮膚は感覚器官のひとつとして日常のなかで敏感に機能し、人々に強いイメージを想起させ続けているのでしょう。
その文脈で特に注目したいのが、5位にランクインした『考える皮膚 触覚文化論 増補新版』。写真家/映像人類学者である著者が古今東西の彫刻、絵画、写真、広告、あるいは民俗学的なアプローチから、皮膚を「脳のひろがり」として捉え直し、触覚についての思索をアップデートできる豊かな一冊です。続けて読むのにおすすめしたいのは、牛革などを素材に用い、「表皮」のイメージを観る者に喚起させる《あたらしい皮膚》《皮緞帳》などの作品でも知られるアーティスト・鴻池朋子による対談集『どうぶつのことば 根源的暴力をこえて』(同列5位)。鴻池が、考古学やおとぎ話の研究者などさまざまな分野の専門家と対峙し「芸術の始まり」をめぐって語る言葉には、先述の『考える皮膚』との親和性が感じられるところもあり、彼女の作品だけでなく、芸術作品全般の見方が拡張されるはず。
一方、ザ・ブルーハーツの楽曲世界を絵本化した『青空』(1位)や、金属繊維による人工皮膚を移植された少女が主人公として戦うSF作品『マルドゥック・スクランブル The 2nd Combustuion−燃焼 完全版』(2位)など、「皮膚」というキーワードを起点に、技術書からフィクションまでバラエティ豊富なランキングになりました。暑さも次第に落ち着いてくるこれからの季節、環境の変化にも身体感覚を研ぎ澄ませつつ、読書を楽しんでみてください。


ハイブリッド型総合書店honto(hontoサイトの本の通販ストア・電子書籍ストアと、丸善、ジュンク堂書店、文教堂など)でジャンル「芸術・アート」キーワード「皮膚」の書籍の全性別・全年齢における購買冊数のランキングを抽出。〈集計期間:2019年8月20日~2020年8月19日〉

2020/09/01(火)(artscape編集部)

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岡田利規『未練の幽霊と怪物 挫波/敦賀』

発行所:白水社
発行日:2020/08/03


岡田利規の新たな戯曲集『未練の幽霊と怪物 挫波/敦賀』には「能にインスパイアされた」2編(『NŌ THEATER』『未練の幽霊と怪物』)5本の戯曲と、岡田が能に魅せられこれらの戯曲を書くに至った背景を記した2本の短いエッセイが収録されている。

狂言「ガートルード」を除いた4本の戯曲はすべて夢幻能の形式に基づいており、つまりは亡霊が登場する物語なのだが、それらは通常の意味の亡霊=回帰する過去ではない。能「六本木」に登場する男の「こうならないことも、あるいはできたはずだった」という言葉に集約されるように、それらは失われた未来の亡霊とでも呼ぶべきものだ。

「六本木」「都庁前」「挫波」「敦賀」に登場するのはそれぞれ、自殺した金融マン、都議会で差別的な野次を飛ばされた女性議員、ザハ・ハディド、そして核燃料サイクル政策の亡霊/生霊だ。経済発展、男女平等、ザハ・ハディドのプランによる新国立競技場、そして核燃料サイクル政策。彼ら彼女らが(あるいは「私たち」が?)信じた、いまだ実現しない、あるいはすでに頓挫した輝かしい未来。

ザハが「線を描き続けて 探り続けていたビジョン」は「活気を信じることのできる 未来を信じることのできる フィクション」と呼ばれ「ザハ・ハディドのスタジアムを 今や擁した東京は」「世界を生き延びる 都市の ビジョンの ひとつとなる」と歌われて能「挫波」は幕となる。だが周知の通り、そのような未来は到来しなかった。それどころか、2020年に予定されていた東京オリンピック自体が1年後に延期され、東京オリンピックもまた失われた未来となりかねない状況が続いている(いや、それはすでに一度、1940年に失われた未来だ)。

当初、『未練の幽霊と怪物』は2020年6月に神奈川芸術劇場で(ザハの描いたものとは異なる未来と対置されるかたちで)上演される予定だった。だが、新型コロナウイルスの影響を受け、公演は(延期を前提とした)中止に。代わりにKAAT YouTubeチャンネルを通じて「『未練の幽霊と怪物』の上演の幽霊」(以下、「上演の幽霊」)が配信された。

「上演の予定がなくなった演劇は、幽霊になるのでしょうか?」という問いを掲げたこの配信では「挫波」「敦賀」それぞれが途中まで上演されたのだが、その形式もまたユニークだった。配信画面に対して斜めの位置にテーブルが置かれ、その上にはいくつかの直方体のオブジェが配されている。テーブルの奥の窓越しには路上を行き交う人の姿が見える。やがて上演が始まると直方体のそれぞれに俳優の姿が映し出される。つまり、卓上プロジェクションマッピングでの上演だったのだ。近年、岡田が継続的に取り組んでいる映像演劇のシリーズには、卓上に並んだスマートフォン2台を使った作品(「Standing on the Stage」)があったが、「上演の幽霊」をその系譜に連なるものとして見ることも可能だろう。その場にはいないはずのものと「鑑賞者」とが出会うという点において映像演劇と夢幻能とは似た部分がある。

夢幻能では旅人がある場所を訪れることで亡霊と遭遇するが、「上演の幽霊」のすぐそばを行き交う路上の人々はそこにいる「幽霊」に気がつかない。いま、私の机の上に置かれている『未練の幽霊と怪物 挫波/敦賀』の戯曲と同じように、それは演劇未満の状態に止まっている。未来は可能性のままに潜在し、上演を、観客を待っている。戯曲の上演という演劇の形式は失われた未来を繰り返し回帰させ、そのたびに新たな未来の選択を私に迫る。

2020/08/30(日)(山﨑健太)

萩原弘子『ブラック 人種と視線をめぐる闘争』

発行所:毎日新聞社

発行日:2002/06/30

BLM(Black Lives Matter)運動の再熱は、人種差別抗議デモにとどまらず、銅像への抗議や引き倒し、奴隷制下の南部を理想化して描いた映画への批判など、「表象」と差別の構造的再生産に関わる問いへと拡張している。例えば、黒人と先住民を従えたセオドア・ルーズベルト大統領の騎馬像がアメリカ自然史博物館前から撤去され、南部バージニア州では、南北戦争時の南部軍司令官リー将軍の騎馬像も撤去が決定された。奴隷制や植民地支配に関わった人物の彫像に対する抗議は、イギリスやベルギーにも波及した。また、「従順な良き使用人」として黒人をステレオタイプ化し、奴隷制下の南部を回顧的に美化していると批判された映画『風と共に去りぬ』(1939)は、動画配信が一時停止。制作当時の時代背景や問題点の解説付きで配信再開された。同様に、理想化されたユートピアとして南部の農場を描いたディズニー映画『南部の唄』(1946)をテーマとした、米国内ディズニーランドのアトラクションも改装が発表された。

ただし、「偶像破壊」や問題のある描写の「削除」だけでは、偏った歴史と表象文化の関わりについての批判的検証の機会を奪う点で、「抹消」(そして将来的な忘却)という別の暴力性を有している。白人中心の歴史観や白人にとって都合のよい黒人表象が、視覚文化のなかでどのように生産・受容され、黒人アーティストたちはどのような批判的視座から介入し、抵抗し、観る者の眼差しを更新してきたのか。本書の刊行は2002年だが、黒人の表象文化に関わる理論的枠組みと、主に90年代の映画と現代美術作品の具体的分析で構成され、深い洞察と示唆に富む。著者の萩原弘子は黒人文化研究者で、フェミニズムの理論家グリゼルダ・ポロックの著作『女・アート・イデオロギー』(1992、ロジカ・パーカーと共著)、『視線と差異』(1998)の翻訳を手掛けるなど、ジェンダー研究にも携わっている。

「理論編」の第一章では、西洋近代が自然科学の「正当性」を根拠に支配の言説として打ち立てた「人種」というカテゴリーとその適用の恣意性、アイデンティティの政治学が「主体の再構築」として抵抗の手段になるとともに排他や本質主義に陥るジレンマ、映画を中心としたステレオタイプな黒人表象の分析研究の蓄積、「Black/black」および「ブラック/黒人」という表記をめぐる問題について概説する。「『人種』はフィクションだが、人種的周縁化は現実である」と述べる著者が「黒人」表象をめぐる政治学に着目するのは、「黒人」の分類概念が西洋近代と奴隷貿易によってつくり出され、その政治学を問い直す黒人アーティストたちの実践が、「西洋近代」とその正当性を批判的に逆照射するからだ。

特に重要なのが、「彼ら」をどう呼ぶかという呼称と命名の権力に関わる問題である。白人が支配のための分類枠として用いた「black」に対し、1960年代アメリカのブラック・パワー運動で、一方的に名付けられた側が連帯の基盤を表わす自称として奪還したのが、語頭を大文字で綴る「Black」である。著者はこの「Black」の持つ意味に敬意を払いつつ、その語を(自称ではなく)他称として用いざるをえない自身の葛藤に誠実に向き合う態度を選ぶ。さらにやっかいなのは、「ブラック/黒人」という日本語が抱える、翻訳と文脈移植の問題である。「Black」をそのまま音訳した「ブラック」に比べ、「黒人」は「色による人の分類」をより強調するが、「ブラック」の表記では、経験と闘争の共有という原語のもつ複雑なニュアンスがこぼれ落ちてしまう(著者はタイトルに「ブラック(Black)」を採用し、文中では「ブラック/黒人」を使い分けている)。

第二章では、スパイク・リーやアイザック・ジュリアン、トリン・T・ミンハなど、ハリウッドから実験的短編映画までが論じられる。通底するのは、誰が、どのような観客に向けて(奴隷制を「安全な過去」としてノスタルジックに消費する白人観客? あるいはスクリーン上で見られる[性的]対象としても視線の主体としても最も排除されてきた黒人女性観客?)、どのような欲望や視点から過去を語り直すのか、という問いである。

第三章では、イギリスで活動するブラック・アーティスト8人の作品分析が展開される(西インド諸島からの再移民やインド亜大陸にルーツを持つ者も含み、奴隷制に代わる支配システムである植民地支配の歴史も含み込む)。植民地期イギリスの富裕層の肖像画や室内空間を「アフリカ布」で覆い、富の供給源の暴露と「真正で純粋な民族性」への懐疑を示すインカ・ショニバレ。イングランド的とされる田園風景の不調和な侵入者として、黒人女性である自身のポートレートを撮影・彩色し、その美しい風景が激しい排他的空間であることを示すイングリッド・ポラード。黒人ゲイ男性として抱くエロティシズムを視覚化しつつ、ブラック・パワー運動の男性中心主義を批判するアジャムの写真。「犯罪の匂いのする不良」というメディアの黒人男性イメージを演じつつ違和感を差し込む、改宗ムスリムのフェイザル・アブドゥアラ。黒人をデザインした雑貨や玩具を、皮膚の漂白クリームにまみれさせて展示ケースに押し込め、大衆文化の愛玩・蒐集行為と博物館的装置における他者の文化の奪取や視線の非対称性を問題提起する、シャヒーン・メラリ。

本書を貫くのは、単一の「黒人性(Blackness)」があるのではなく、ディアスポラとしての経験、ナショナリティ、階級、ジェンダー、セクシュアリティ、文化的・宗教的帰属など、多面的で複雑な差異の交差するものとして捉える必要性である。「ブラック」が、連帯しえない人々とのあいだを区切る政治的境界でもあることを自覚しつつ、政治的課題に応じて差異や分断を超えて連帯するための枠組みとして用いること。その射程は、人種主義にとどまらず、「近代」への根源的な問い直しに向けられている。

2020/08/29(土)(高嶋慈)

𠮷田隆之『芸術祭の危機管理 表現の自由を守るマネジメント』

発行所:水曜社

発行日:2020/08/01

「あいちトリエンナーレ2019」での「表現の不自由展・その後」の展示中止から1年が経つ。本書は、社会批判や政治性の強い作品への攻撃や自主規制が強まることの懸念に対し、「不自由展」をめぐる一連の出来事を事例に、「表現の自由を守るマネジメント」とは何かを問う。本書の前半では、芸術祭開幕から展示中止に至る経緯をたどり、展示中止の要因についての複数の見解(キュレーションの不備、電凸対応策の不十分さ、政治家の発言、「表現の自由」の後退傾向)について検証し、展示再開に貢献したステークホルダー(津田大介芸術監督、「ReFreedom_Aichi」など参加アーティストの連帯、大村秀章知事、「あいちトリエンナーレのあり方検証・検討委員会」、ボランティア、ラーニングチーム、現場の緩やかなネットワーク)について述べる。後半では、文化行政やマネジメントの軸から、文化庁の補助金不交付決定の是非、「あいちトリエンナーレのあり方検証・検討委員会」による報告書と提言、「あいちトリエンナーレ名古屋市あり方・負担金検証委員会」の報告書について検証する。著者の𠮷田隆之は文化政策やアートプロジェクト論が専門の研究者で、愛知県職員として「あいちトリエンナーレ2010」で長者町会場を担当した経歴を持つ。

とりわけ本書の骨子は、「あいちトリエンナーレのあり方検証・検討委員会」についての「検証」にあるだろう。著者は、展示再開に貢献したステークホルダーのひとつとして「検証・検討委員会」を挙げ、専門家集団である委員会が9月25日に発表した中間報告で「すみやかに再開すべき」と提言したことが、再開の正当性の根拠になったと評価する(この提言を受けて同日、大村知事が展示再開を表明したが、翌26日、この展示再開への道筋を回避するため、文化庁の補助金不交付決定の判断が出されたことに着目する)。

この肯定的な評価の一方で、著者は、「検証・検討委員会」の最終報告書の第一次提言に盛り込まれた具体策について、問題点を指摘する。問題視されるのは、「芸術祭実行委員会の会長に民間人を起用する」「専門家らで組織するアーツカウンシル的組織を設置し、芸術監督を選任する」「愛知県美術館への指定管理者制度の導入」の3点だ。これに対し著者は、「アームズ・レングスの原則」(金は出すが、口は出さない)に則った行政主体の助成において「表現の自由」が守られるべきであること、アーツカウンシル的組織による芸術監督の選任は「アーツカウンシル」の名称を用いた権力による干渉の正当化になりかねないこと、愛知県美術館はトリエンナーレ期間中に貸館をしているだけで運営形態とは関係がないこと、の論点から批判する。著者は、「検証・検討委員会」の報告書は電凸による展示中止が起きた社会的・政治的背景を看過し、津田芸術監督の責任論に終始していると批判し、上記の提言を「物議を醸さないマネジメント」であるとして退ける。

ではこれに代わり、著者が提起する「表現の自由を守るマネジメント」とはどのようなものか。
(1)展示再開時に実効性を示せた電凸対応策を情報共有すること。
(2)物議を醸すと想定される作品を展示する場合、会期前や会期中に、芸術と公共性に関する議論の場を設けること。
(3)キュレーションの自律のための環境を整えること。
(4)検閲を招きかねないガバナンス組織をそもそも作らないこと。

本書は、経緯や論点の整理という点ではコンパクトにまとめられているが、帯が謳う「なぜ世論は分断されるのか」という最大の問いには、「おわりに」で「今後の研究課題」としてふれられるだけで、実際には中心的な論題になっていないことが惜しまれる。世論の分断について分析するのであれば、作品の一部を切り取った画像がSNS上でどのような文言とともに拡散されたのかや、メディアでの報道のあり方について詳細な検証が欠かせない。また、展示中止の要因として、短期的な社会背景としては、徴用工問題をめぐる韓国との外交関係の悪化の渦中だったこと、改元と皇位継承による皇室祝賀ムード、より長期的にはヘイトスピーチの増加、第2次安倍政権の2010年代以降における美術作品の撤去や変更の増加、一方で「地域アート」の隆盛における「アート=無害で誰でも楽しめるもの」という価値観の醸成なども挙げられる。さらに歴史的射程で見れば、より深い問題の根は、戦後日本が戦争責任や加害の謝罪など過去の精算を怠ってきたことにあり、帝国主義、植民地主義、ナショナリズム、性差別の温存が、「公金の投入」を根拠として一気に吹き出したといえる。電凸対策など現場レベルの環境整備に加え、より複合的で長期的な視野に立ち、「公共性や多様性、歴史意識についての成熟した議論の場をアートがつくっていく」という意識が必要とされている。

2020/08/08(土)(高嶋慈)

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