2019年09月01日号
次回9月17日更新予定

artscapeレビュー

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広島平和記念資料館の展示リニューアル

広島平和記念資料館[広島県]

展示のリニューアルを終えた広島平和記念資料館を訪れた。以前に比べて、全体として展示のデザインは洗練されたと言えるだろう。広島の爆心地周辺の模型がある円形の台に対し、上から映像をプロジェクトする東館の展示は、すでに先行して公開され、DSAの日本空間デザイン大賞2017を受賞している。もっとも、同館の上空に吊るされた赤い球体で爆発を示した廃墟のジオラマや、リトルボーイの模型がなくなったのは寂しい。プリミティヴな展示だが、映像よりも空間やスケール感を伝える力があったのではないか。



円盤へのプロジェクション


リニューアル前の爆心地模型

さて、リニューアル後の本館は初めてである。筆者はかねてより被爆者の描いた絵が与える想像力が重要だと考えていたが、新しい展示では導入部のおどろおどろしい被曝再現人形が消え、代わりに暗い部屋で絵が大量に使われ(基本的に絵は複製)、スポットを当てたのはよかったと思う。ただし、絵と写真を同一面で混ぜて並べた展示にはやや違和感をもった。記憶にもとづき、だいぶ後になってから被爆者が描いた絵と、当時プロのカメラマンが撮影した写真では、メディアの性格が全然違うからだ。またリニューアル後の展示では、写真、衣服、遺品を用いて、子供の犠牲者の紹介が増えている。来場者に対し、悲しみの感情移入をうながしやすいだろう。そして日本人以外の被曝者にも触れている。総じて言えば、被害を受けた側の視点に立つ展示の性格がより強くなった。しかし、「なぜ、このような事態を招いたのか?」という説明がない。これでは自然災害と同じである。



被曝再現人形がなくなった導入部


被爆者の絵と写真


子供の犠牲者

以前から重要だと思っていたのが、展示を見終わった後、公園を望む通路を歩くことになるが、ここに架けられた原爆投下前の地図である。ここが昔は繁華街の中島町だったことを示しており、敗戦後に公園になったことを伝えるからだ。リニューアル前はひっそりと地図があり、気づかない人が多かった記憶があるが、今ははっきりとわかるように、キャプションもついている。また公園内では、昔の住宅など、被爆遺構の発掘を開始した。今後、その公開も予定されているという。


中島地区の地図



近年の発掘成果を紹介するパネル

2019/08/24(土)(五十嵐太郎)

梅田哲也『Composite』

会期:2019/08/12

神戸アートビレッジセンター KAVCホール[兵庫県]

「声と身体が立てる音」という最小限の要素で構成され、ルールの設定と即興、中心性の欠如、プログラムとエラーの介在、ミニマルな要素の反復とズレがもたらす多様性の生成、伝染や共鳴の現象といった問題群を提示しつつ、「個人と集団」「集団と集団」の調和とせめぎ合い、さらに「集団の崩壊と包摂/同調の浸透」へ。ワークショップに基づくパフォーマンスの実験性に社会構造への批判的視線を内在させた、恐るべき強度を持つのが梅田哲也の『Composite』である。2014年にフィリピン山岳地帯の村の子どもたちと制作され、日本ではKYOTO EXPERIMENT 2016 SPRINGでの発表以来の再演となる。今回の神戸公演では、小・中・高校生と教育に関わる大人を対象にしたワークショップを開催し、作品がつくり上げられた。

本作の構造は明快だ。輪をつくった6名の男女のグループAによる合唱(規範的な集団の発生)、子どもを含むもうひとつのグループBによる同様の合唱(相似的な別集団の形成)、そして異なる単旋律を唱える第三勢力Cの登場を経て、Cが有する「伝染」作用による集団の崩壊と全体的な包摂へと展開する。初めに登場したグループAは、円陣を組み、「アレアレウッ」という掛け声と足踏み、肩や腕を叩く音で一定のリズムを反復する。向かい合った2人ごとに微妙に異なるリズムが設定され、「掛け声、足踏み、身体部位を叩く音」という構成要素の共通性とそのパターンの違いにより、ミニマルな要素から複雑な合唱を立ち上げていく。リズムが途切れると輪が回転し、「前任者の担当パターン」が引き継がれていくようだ。目をぎゅっとつぶったパフォーマーたちは、互いの立てるリズムに妨害されずに自分に課せられたルールを遂行しようと、集中力を保つのに懸命だ。「手を繋いだ輪」が示唆する共同体とその閉鎖性、個人の声と集団の声のせめぎ合い、調和と不調和、「位置の交替」による役割の引継ぎなど、音響の生成を通した社会集団の抽象化が提示される。



最終リハーサルの様子 [写真提供:神戸アートビレッジセンター]


遅れて登場した相似的な別集団Bも、同様のリズムの生成に従事する。だが、AとBは完全に同期しないため、集団内の調和と不調和は、集団対集団のそれへと拡大される。そして、A・Bとは異なる単調な旋律を歌う第三勢力Cが、客席から一人、また一人と登場する。このCは「位置移動」と「接触による伝染」という能力を持っており、CとぶつかったA・Bの構成員はC化し、帰属していた集団を離れてバラバラの方向に歩き出し、移動先でさらに伝染を拡大させていく。そして暗転。集団の崩壊と、次第に大きくなる「ひとつの単旋律」への吸収が、暗闇のなか、音響の強度のみで想像され、震撼させる。その想像力の宛先は、極めて両義的だ。「他者」との接触によって閉じた共同体が解体され、解放された個人が他者への「共感」を通して、全員が包摂されるユートピアが広がっていくのか。それとも逆に、その過程は、次第に膨れ上がり大きくなる「単一の声」の伝染力に抗えず、個人の声が帰属を失って同化吸収され、「異なる小さな声」を排除していく全体主義的な過程なのか。



最終リハーサルの様子 [写真提供:神戸アートビレッジセンター]


『Composite』は、専門化されたダンサーやパフォーマーではなく、子どもや一般の人々とつくり上げるワークショップにより、「私たちの生きる社会構造がどう形成され、どこへ向かうのか」を美しくも不穏さを湛えた合唱作品として予見的にあぶり出す。民主的なプロセスによって社会形成そのものを問う、透徹した思考に支えられた作品だ。公演終了後は、梅田と出演者による振り返りのミーティングが行なわれていたが、一般非公開だったことが惜しまれる。参加者、特に子どもたちは、あの場で直感的に何を経験していただろうか。梅田がワークショップ対象者に子どもたちを含めていたことに、本作に込められた希望を見出したい。

関連レビュー

KYOTO EXPERIMENT 2016 SPRING ショーケース「Forecast」国枝かつらプログラム|高嶋慈:artscapeレビュー(2016年04月15日号)

2019/08/12(月)(高嶋慈)

あいちトリエンナーレ2019 情の時代(初日)

会期:2019/08/01~2019/10/14

愛知県芸術文化センター+四間道・円頓寺+名古屋市美術館ほか[愛知県][愛知県]

今回、名古屋で泊まったホテルは、エレベータが止まるたびに、各フロアで派手なコスプレをした外国人が次々と入ってきた。彼らはロビーで集合し、バスに乗って出発していたが、愛知芸術文化センターや隣接するオアシス21でも数多く目撃した。現代アートとコスプレが混在する、なんともカオティックな風景が出現したのは、「あいちトリエンナーレ」のスタートが、ちょうど「世界コスプレサミット2019」の期間と重なっているからだ。

トリエンナーレの初日は、豊田市のエリアをまわった。名古屋市のエリアは、映像などのインストールしやすいものが多い印象だったが、建築的、もしくは空間的な作品はこちらに集中している。特に高嶺格によるプールの床を剥がして、垂直に立てたインスタレーションは、将来、坂茂による豊田市博物館が建設される予定の場所だが、なるべく長く残して欲しい大作だ(なお、運動場に唐突に設置されていた鳥居は、彼の作品ではなく、夏祭りのためらしい)。豊田市のエリアでは、レニエール・レイバ・ノボ、小田原のどか、タリン・サイモンなど、戦争・権力・モニュメントを考えさせる作品が興味深い。



高嶺格《反歌:見上げたる 空を悲しもその色に 染まり果てにき 我ならぬまで》



レニエール・レイバ・ノボ《革命は抽象である》展示風景


小田原のどか《↓ (1946-1948) 》


小田原のどか《↓ (1923−1951) 》

そしてトリエンナーレの批判にいそしみ、ネットで騒ぐ人たちが好きな特攻隊をとりあげ、歴史・哲学的な考察を加えて、彼らが出陣前に過ごした喜楽亭の日本家屋の構造を生かしたダイナミックな映像インスタレーションのホー・ツーニェンも力作である。なお、豊田市美術館では、東京で見逃したクリムトの展覧会も観ることができた。ファンが多い画家なので、トリエンナーレよりも客の入りがよいのはさすがだった。


ホー・ツーニェン《旅館アポリア》

名古屋に戻り、長者町にて「ART FARMing(アート・ファーミング)」展を独自に開催している綿覚ビルを見学してから、二度目の愛知芸術文化センターで、緊張感が強くなった「表現の不自由展・その後」にもう一度、足を運ぶ。そして夕刻に行われた高山明のレクチャー・パフォーマンス「パブリック・スピーチ・プロジェクト」は、岡倉天心らの大アジア主義を再読し、その簡単な批判ではなく、可能性と限界を検証する試みだった。その手がかりとして、ワーグナー/ヒトラー的なスペクタクルに抗したブレヒト的なズラしの手法やギリシア時代の街が見える屋外劇場のシステムを召喚しつつ、アジアの四都市(名古屋、マニラ、台北、ソウル)をつなぎ多言語のヒップホップ・パーティを10月に開催するという。作家たちの企ては、まさにトリエンナーレをめぐって日本で起きつつあるネガティヴな状況に対するポジティヴな回答になっている。


「ART FARMing」展が開催されていた綿覚ビル

展覧会の初日からネットなどから情報を得た政治家が、不自由展に対する抑圧的な発言を開始し、まさに「情の時代」を証明する状況が初日から起きていた。このときは、英語タイトルに掲げた言葉「Taming Y/Our Passion」、すなわち、「われわれ/あなたたちの感情を飼いならす」ことを期待していた。しかし、筆者にとって「表現の不自由展・その後」は、この日が見納めとなった。(9月8日現在。ただし、同展が会期中に再開されることを強く望む)

公式サイト:https://aichitriennale.jp/

2019/08/01(木)(五十嵐太郎)

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あいちトリエンナーレ2019 情の時代(内覧会)

会期:2019/08/01~2019/10/14

愛知県芸術文化センター+四間道・円頓寺+名古屋市美術館ほかほか[愛知県]

「あいちトリエンナーレ2019」の内覧会を訪れ、豊田市以外の会場を駆け足でまわった。津田大介芸術監督とアドバイザーの東浩紀による「情の時代」というテーマを反映し、移民、難民、戦争、記憶、家族、アイデンティティなど、現代社会の諸問題をジャーナリスティックに扱う明快な作品が多い。国際展にふさわしい統一感をもつ内容であり、全体としてのクオリティも総じて高い。練られたコンセプトをもたず、類似した芸術祭が日本国内で乱立するなか、これは高く評価すべき芸術祭だろう。

長者町の代わりに、新しい街なかの会場となった円頓寺・四間道のエリアもよい感じである(暑い夏だと、アーケードはありがたい)。円頓寺では、性別を変えた人たちが名前を叫ぶ映像を制作したキュンチョメ、ある子供の死亡事故をめぐる弓指寛治の作品が印象的だった。また四間道では、津田道子と岩崎貴宏が伊藤家住宅に空間的に介入していた。オープニングは市内のホテルで開催され、大勢の来場者で賑わい、その後も津田監督が自らDJを行なう二次会で盛り上がっていた。パフォーミング・アーツと違い、展覧会は初日を無事に迎えることができれば、最大の関門は突破したも同然である。だが、そのとき、すでにTwitter上では、「表現の不自由展・その後」に対する激しい批判が続々と書き込まれ、ネット民による政治家やインフルエンサーへの告げ口が始まっていた。


キュンチョメ《声枯れるまで》


弓指寛治「輝けるこども」より


津田道子《あなたは、その後彼らに会いに向こうに行っていたでしょう。》
伊藤家住宅にて展示


岩崎貴宏《町蔵》。伊藤家住宅にて展示

今回のトリエンナーレは、事前に男女の参加を同數にするというジェンダー平等の枠組が話題になっていたが、実際に展示が始まると、本人の身体性を前面に出さない限り、作家の性別はあまり気にならない。むしろ、セキュリティなどの理由から、ぎりぎりまで広報を控えていた「表現の不自由展・その後」が、今後は社会に強烈なインパクトを与えるだろうことが、内覧会によって明らかになっていた。実際、筆者がこの部屋に入ったとき、すでに韓国のメディアが取材していたほか、内覧会の途中で、顔見知りの新聞記者から「少女像の展示をどう思うか?」といきなり質問され(その時点で筆者はまだ見ていなかった)、注目度の高さを感じた。しかし、その後に起きた出来事は、はるかに予想を超えていた。



「表現の不自由展・その後」の出品作のひとつ、《平和の少女像》をプレスが取材しているところ


「表現の不自由展・その後」の展示風景については、各種SNSへの写真・動画の投稿を禁止するという炎上対策が取られていた

公式サイト:https://aichitriennale.jp/

2019/07/31(水)(五十嵐太郎)

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HMSベルファスト号

[イギリス、ロンドン市]

映画やアニメではさんざん見ていたが、ロンドンで本物の軍艦に初めて乗船した。現在、テムズ川に係留された「HMSベルファスト号」は1938年に進水し、第二次世界大戦ではDデイ(ノルマンディー上陸作戦)でも活躍し、1963年に退役した軽巡洋艦である。建築で言えば、モダニズムの時代にあたり、どれくらいの効き目があるのかわからないが、外観は迷彩を施されていた。全長は187m。高層ビルを横倒しにしたくらいの長さがある。乗船すると、テムズ川の両岸がよく見え、ロンドン橋のほか、右手にはノーマン・フォスターによるロンドン市庁舎、左手にはバンク周辺の高層ビルが林立する風景が楽しめる。つまり、かつての戦艦はすっかり観光地となり、都市を眺める展望の機能を獲得している。艦橋からの見晴らしも確認できる。戦争と観光は、ともに眺めのよい場所をおさえることが重要であるという原理を想起させるだろう。



テムズ川に浮かぶ「ベルファスト号」。乗船して内部を見学できる


「ベルファスト号」の見学案内図

とはいえ、当時の最先端テクノロジーをつぎ込んだ、海に浮かぶ鉄の建築だ。やはり、内部の空間も興味深い。大量の乗客を収容するために、垂直に十数層も重ね、上部を客室、下部をサーヴィスのバックヤードにあてる大型客船(全長も350m以上あり、横倒しにした超高層ビルだ)とは違い、機能性を最優先する戦艦は、食堂、調理場、食料貯蔵庫、ハンモックの寝床、売店、治療室など、生活関係の空間をおおむねワンフロアに集約し、水平移動だけですむようにレイアウトされている。



「ベルファスト号」内のオペレーションルーム


「ベルファスト号」に設置された三連装砲塔内部


「ベルファスト号」内のチャペル

展示で興味深いのは、ロンドンが得意とする(?)蝋人形を使い、当時の様子が再現されていること。逆にいうと、それ以外の空間は、砲塔から司令室まで、船員がそれぞれの立場で、コマのひとつとなる巨大な戦闘機械である。とりわけ、当時は最先端だった旧式のコンピュータを備えており、船の技術が輝いていた時代を象徴するかのようだった。



弾道計算を行なっているところ


船内の治療室。歯科検診の様子が再現されている


ハンモックの寝床が再現されている

2019/06/28(金)(五十嵐太郎)

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