2019年07月01日号
次回7月16日更新予定

artscapeレビュー

その他のジャンルに関するレビュー/プレビュー

仙台沿岸部の震災遺構をまわる

[宮城県]

せんだいメディアテークが推進するアートノード・プロジェクトのアドバイザー会議にあわせて、被災した仙台の沿岸部を視察した。熊本県から贈られ、公園の仮設住宅地につくられた伊東豊雄による第1号の《みんなの家》は、その後移築され、現在は《新浜 みんなの家》として活用されている。ただし、色が黒く塗られて、外観の雰囲気は変わっていた。そのすぐ近くが、アートノードの一環として、川俣正がフランスや日本の学生らとともに、家型が並ぶシルエットをもつ「みんなの橋」を設置する貞山運河の予定地だった。これは数年かかる事業になるだろう。



伊東豊雄建築設計事務所《新浜みんなの家》2017(宮城県仙台市宮城野区)


続いて荒浜に移動し、津波で破壊された住宅の跡をセルフビルドとリサイクルによってスケートパークに改造したラディカルな《CDP》(カルペ・ディエム・パーク)や、家が流され、複数の住宅の基礎だけが残る震災遺構の整備現場、自主的に運営されている海辺の図書館などをまわった(ちなみに石巻でも、被災した大きな倉庫がスケートパークに改造されていた)。



《CDP》(カルペ・ディエム・パーク)の様子



《CDP》(カルペ・ディエム・パーク)の様子


2017年にオープンした《震災遺構 荒浜小学校》も立ち寄った。周囲の家屋は流失したが、小学校は頑丈な躯体ゆえに大破しなかった。建物の手前はアスファルトの駐車場が整備され、観光バスを含めて、多くの来場者が訪れている。筆者が2011年の春に訪れたときは瓦礫や自動車が教室に押し込まれ、当然上階には行けなかったが、いまはすべて除去され、当時、320人が避難した屋上まで登ることが可能である。



《震災遺構 仙台市立荒浜小学校》2017年4月公開(宮城県仙台市若林区荒浜)。破壊の傷跡も生々しい


ここから周囲を見渡すと、復興の様子も一望できる。瓦礫はなくなったものの、1階の教室やバルコニーには破壊の傷跡が残り、2階は廊下の壁に津波の到達線が記されているほか、建築家の槻橋修が始めた失われた街を復元する白模型の荒浜バージョンなどが展示されていた。そして4階は、発災直後の出来事を空撮の映像や回想するインタビューなどによって伝えるドキュメントを流している。復興を勇ましく紹介する中国の四川大地震の震災メモリアルに比べると、全体としては静謐なイメージの施設だった。



《荒浜小学校》津波で破壊される前の様子を再現した模型



《荒浜小学校》4階の映像展示


2019/05/25(土)(五十嵐太郎)

BONE MUSIC展

会期:2019/04/27~2019/05/12

BA-TSU ART GALLERY[東京都]

「BONE MUSIC展」。訳すと、骨音楽? 骨を打楽器や管楽器のように使うのだろうか? チラシには手のひらのレントゲン写真が使われているが、よく見ると輪郭が円形で真ん中に黒い穴があり、レコードのようだ。つまり廃棄されたレントゲン写真をレコード盤にリサイクルしたものを展示しているのだ。

これは1940-60年代に旧ソ連で実際につくられ、使われていた非合法のレコード。冷戦時代のソ連では音楽をはじめ美術や文学など表現の自由が規制され、西欧文化が検閲されていた。それでもジャズやビートルズなど好きな音楽を聴きたい音楽ファンが、病院で不要になったレントゲン写真に目をつけ、自作のカッティングマシンでその表面に溝を彫って録音し、仲間内で売買していたのだという。78回転で片面だけ、録音は3分程度、蓄音機で10回も聴けばすり減ってしまったそうだ。ソノシートをさらにペラペラにしたような感じか。それでも需要が多く、地下で1枚「ウオッカ4分の1瓶」くらいの値段で売っていたらしい。どういう価値基準だ!?

同展のキュレーターは、作曲家で音楽プロデューサーのスティーヴン・コーツと、カメラマンのポール・ハートフィールドの両氏。コーツ氏がロシアへの旅行中に蚤の市でレントゲン写真のレコードを「発見」、レコードを買い集めると同時にその歴史背景も研究し、各地で展覧会を開いてきた。表面に頭蓋骨や肋骨の写ったレコードはなかなかオシャレだが、それよりなにより、表現を弾圧する国家がいまでもあること(他人事ではない)と、弾圧されれば知恵を絞って対抗手段を考えなければならないことを、「BONE MUSIC」は教えてくれる。ロシア人もなかなか「骨」があるな。



会場風景
[© HAJIME KAMIIISAKA]


公式サイト:http://www.bonemusic.jp/

2019/04/26(金)(村田真)

京都市京セラ美術館リニューアル・オープン記者発表会

国際文化会館[東京都]

公立美術館としては東京都美術館に次いで2番目に古い京都市美術館が、来年3月のリニューアル・オープンに向けて現在改修工事中だが、なぜかこの時期に東京で記者発表するという。同館がネーミングライツで「京都市京セラ美術館」に改称することになったのは2年前の話だし、以前ナディッフにいた元スタッフたちが新たに加わったらしいが、そのためにわざわざ記者発表するだろうか。ひょっとしてなにかあるのかもしれないとわずかな期待を抱きつつ行ってみたら、なるほどそういうことだったのか。

最初は建築家の青木淳および青木事務所出身の西澤徹夫が手がけたリニューアルの概要を説明。大がかりな増改築としては、まずエントランス前の広場を掘り下げ、スロープを下って入館する構造にしたこと、もうひとつは本館の裏に、先端的な表現に対応できる約1,000平方メートルの展示スペースを増築したことだ。ほかにも、二つある中庭のひとつにガラスの大屋根をかけて室内空間にしたり、新進アーティストの発表の場として「ザ・トライアングル」を新設したり、コレクションの常設展示室を設けたり、おもに現代美術に対応できる体制にシフトしているのが特徴だ。

そして新館長の発表が行なわれたのだが、新しく館長に就任したのは、なんと青木淳その人。あれれ? 一瞬、頭が一回転してしまった。リニューアルの受注者が発注者になるの? だいたい美術館と建築家は、それぞれ理想とする美術館のイメージが異なるため仲が悪いってよく聞くけど、大丈夫なの? 青木さんは館長になってからもほかの美術館を設計することはあるの? 次々と疑問が湧いてくるが、でも青木さんなら市の役人なんかよりはるかに美術館のハードにもソフトにも詳しいだろうし、コレクターでもあるから美術に対する理解も深いはず。考えてみればこんなに館長にふさわしい人はいないとも思う。灯台下暗しってやつですね。ようやく東京で記者発表する理由がわかった。

2019/04/09(火)(村田真)

カメラが写した80年前の中国──京都大学人文科学研究所所蔵 華北交通写真

会期:2019/02/13~2019/04/14

京都大学総合博物館[京都府]

「華北交通」とは、日中戦争勃発直後の1937年8月に南満州鉄道株式会社(満鉄)の北支事務局として天津で発足し、日本軍による華北の軍事占領と鉄道接収後、39年4月に設立された交通・運輸会社である。傀儡政権として樹立された中華民国臨時政府の特殊会社で、満鉄と同じく日本の国策会社であり、北京、天津、青島などの大都市を含む華北占領地と内モンゴルの一部を営業範囲としていた。旅客や資源の輸送のほか、経済調査、学校や病院経営、警護組織の訓練なども担っていた。また満鉄と同様、弘報(広報)活動にも力を入れ、内地に向けて「平和」「融和」をアピールし、日本人技術者や労働者を中国北部に誘致するため、日本語のグラフ雑誌『北支』『華北』の編集や弘報写真の配信を行ない、線路開発、沿線の資源や産業、遺跡や仏閣、風土や生活風景、年中行事、学校教育などを撮影し、膨大にストックしていた。日本の敗戦後、華北交通は解散するが、35,000点あまりの写真が京都大学人文科学研究所に保管されており、近年、調査や研究が進められ、2019年2月にはデジタル・アーカイブも公開された。本展は、2016年の東京展に続き、2回目の展示となる。

展示構成は、写真を保存・整理するために作成された「旧分類表」に基づき、「華北交通(会社)」「資源」「産業」「生活・文化」「各路線」のテーマ別のほか、京大人文科学研究所の前身である東方文化研究所が行なった雲岡石窟調査の写真も含む(調査費の半額を華北交通が援助した)。また、旧分類とは別に設定された「鉄道・列車」「民族」「教育」「日本人社会」「娯楽」「検閲印付写真」のテーマによる紹介は、華北交通写真のプロパガンダとしての性格に迫るものであり、興味深い。鉄道へのゲリラ攻撃を防ぐために、インフラの警備組織を沿線住民に担わせようとした「愛路」工作。一方、検閲で不許可とされた写真には、列車事故現場が生々しく写る。ロシアからの移住者、モンゴル人の各部族、ユダヤ教徒や回教徒(イスラム教徒)など、沿線範囲に住む民族の多様性。イスラム教徒の子どもにアラビア文字を教える教育場面や、「愛路婦女隊」のたすき掛けをした農村の女性に日本語や料理、看護を教える授業風景。「新民体操」と呼ばれたラジオ体操にはげむ子どもたち。グラフ雑誌『北支』の表紙には、優雅な民族衣装に身を包んだ若い女性、無邪気に笑う子ども、雄大な遺跡や仏閣の写真が並ぶ。これらは「帝国によって守られるべき」かつエキゾチシズムの対象であり、山岳に残る史跡を背に煙を上げて進む機関車を写した写真は、「前近代的時間」/「進歩・技術・近代」の対比を視覚的に切り取ってみせる。いずれも典型的な植民地プロパガンダの表象だ。


会場風景


会場風景

ほぼ同時期に、「満洲」で展開された写真表現を検証する展覧会として、2017年に名古屋市美術館で開催された「異郷のモダニズム─満洲写真全史─」展がある。同展で紹介された、満鉄が発行したグラフ雑誌『満洲グラフ』の写真は、モダニズム写真の実験性とプロパガンダとしての質が危うい拮抗を保って展開されていたことが分かる。本展もまた、写真とプロパガンダの関係のみならず、中国現代史、植民地教育史、民俗学、仏教美術研究など幅広い射程の研究に資する内容をもつ。

ただ惜しむらくは、展示の大半が引き伸ばした複製パネルで構成されており、現物のプリントはガラスケース内にわずかしか展示されていなかったことだ。元のプリントの鮮明さに引き込まれる体験に加え、70年以上の時間を経た紙焼き写真の質感、台紙の紙質や反り具合、キャプション情報や撮影メモの手書き文字、スタンプの刻印や打ち消し線などの情報のレイヤーといった、アーカイブのもつ「感覚的体験」「触覚的な質」が削がれた「資料展」然だったことが惜しまれる。


会場風景

また、展示構成のなかで、ウェブ上で全写真データが公開されている「華北交通アーカイブ」に触れられていても良かったのではないか。「華北交通アーカイブ」では、膨大な写真を撮影年や駅名別に検索できるほか、「機械タグ」のワードリストも載っている。ただ、画像自動認識による即物的なタグ付けで、アーカイブの潜在的な豊かさを開くことにどこまで貢献できるだろうかという疑問が残る。中立性の担保よりも、むしろ個別的な眼差しの痕跡を積み上げて可視化していくような試みが、ウェブ上のデジタル・アーカイブという場でできないだろうか。例えば、ユーザーがそれぞれの関心に従って「検索タグ」を多言語で追加できたり、その検索結果であるイメージの集合体を公開履歴として蓄積できるような機能。とりわけ、民族衣装をまとった中国人・モンゴル人女性や「愛路婦女隊」、「大日本国防婦人会」のたすき掛けをした和装の日本人女性など、ジェンダーやエスニシティの表象は、撮影者である「日本人男性」すなわち帝国の眼差しの反映であり、それらを多言語かつ複数の眼差しで読み解き、積み重ねていくことで、支配者の眼差しをズラし、相対化していくことにつながる。その時アーカイブは、複眼的かつ生産的な批評の営みの場となる。

華北交通アーカイブ:http://codh.rois.ac.jp/north-china-railway/

関連レビュー

異郷のモダニズム─満洲写真全史─|高嶋慈:artscapeレビュー(2017年07月15日号)

2019/03/02(土)(高嶋慈)

木下直之全集―近くても遠い場所へ―

会期:2018/12/07~2019/02/28

ギャラリーエークワッド[東京都]

日本の近代美術をまともに研究すればするほど道を踏み外しかねない。それは近代以前の日本には西洋的な「美術」は存在しなかったのに、幸か不幸か「美術らしきもの」が存在し、両者が強引に接ぎ木されることで歪みや矛盾が生じ、「つくりもの」「まがいもの」といった魅力的なマグマを吹き出すからではないか。だから東京藝大から公立美術館の学芸員を経て、東大の教授を務めるという美術の王道を歩んだ木下直之氏が、にもかかわらず、というよりそれゆえに「つくりもの」「まがいもの」の森に迷い込んだのも故なきことではないのだ。王道を行けばいつのまにか邪道にそれ、その邪道こそ実は王道だったりする迷宮世界。それが日本の近代美術なのかもしれない。

同展はこれまで木下氏が執筆してきた12冊の本を全集に見立て、「本物とにせもの」「作品とつくりもの」「都市とモニュメント」「ヌードとはだか」などに分類し、本物、ニセモノ、パネル、映像などで紹介している。日用品を組み合わせて人の姿に似せたつくりものをはじめ、西郷さんや小便小僧の人形、銅像の絵葉書、男性裸体彫刻の股間コレクション、お城のミニチュア、木下氏が高校時代に描いた抽象画まで、美術と美術でないものの境界線上にひしめくアイテムばかり。展覧会全体が見世物仕立てになっている。近年マンガやアニメ、建築やデザインなどのマージナルな分野の展覧会は盛んに行なわれるようになったが、こうした「つくりもの」「まがいもの」はそれこそ「美術」概念を破壊しかねないせいか、美術館では扱わないらしい。ならば同展をこのまま常設展示してほしい。

2018/12/18(火)(村田真)

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