2020年07月01日号
次回7月15日更新予定

artscapeレビュー

五十嵐太郎のレビュー/プレビュー

ウィリアム・モリス 原風景でたどるデザインの軌跡

会期:2020/05/18~2020/06/28

宮城県美術館[宮城県]

久しぶりの美術館への訪問は、やはり関東圏よりもいち早く再開となった仙台の宮城県美術館となった。興味深いのは、新型コロナウイルスの対策のために、いつもと違うモードだったこと。例えば、行列はなかったが、吹き抜けのアトリウムから外構にまで続く、床に記された2m間隔のライン、受付の透明なシールド、チラシや作品リストなど手で触るモノの配布をしない(QRコードによってデータのダウンロードは可能)、講演などのトークイヴェントの中止ほか、会場内でも鑑賞者が立ち止まって密になりやすい映像による展示は止めていた。

現在、延期になっている筆者が関わる展覧会でも、感染防止のために、なるべく什器の間隔をあけること、来場者が不規則に動かないよう動線を誘導し、パーティションやサインによって固定化すること、接触型の展示や配布の中止、入場制限などを検討し、会場デザインの変更も行なわれる。これがニューノーマルとして定着するのかはわからないが、当面は展示の空間にも大きな影響を与えるだろう。


感染対策のために、宮城県美術館の床に記された2m間隔のライン

さて、「ウィリアム・モリス」展では、彼の生涯を振り返りながら、数多くの内装用ファブリックや壁紙のデザインが紹介され、後半では大阪芸術大学の協力を得て、書物の装丁などの活動が取り上げられていた。また織作峰子が撮影したケルムスコット・マナーなど、モリスの過ごした環境や風景の写真も活用されていた。もちろん、中世を理想化しつつ、民衆の芸術をめざし、モダニズムを準備した美術史・デザイン史における重要性は理解しているのだが、どうも動植物をモチーフとしたファブリックや壁紙の意匠は、野暮ったい。むしろ、モリスに影響を受けた小野二郎を軸とした「ある編集者のユートピア」展(世田谷美術館、2019)にも感銘を受けたように、同じ装飾としては、中世風の字体やレイアウトを通じたブック・デザインの方が個人的には好みである。

ちなみに、モリス展の最後となる第6章「アーツ・アンド・クラフト運動とモリスの仲間たち」は、明らかにモダンデザインに変化していた。例えば、ウィリアム・アーサー・スミス・ベンソンの卓上ランプはややアール・ヌーヴォーであり、建築家のチャールズ・フランシス・アンスレー・ヴォイジーによる壁紙のグラフィックは動植物を用いながら抽象度を高め、世紀の変わり目には新しいステージに到達したことが確認できる。


「ウィリアム・モリス」展の展示風景

関連レビュー

ウィリアム・モリス 原風景でたどるデザインの軌跡|SYNK:artscapeレビュー(2017年04月01日号)

2020/05/29(金)(五十嵐太郎)

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ミッドサマー

5月末の段階では、東京の映画館が再開しておらず、やはりTOHOシネマズ仙台で『ミッドサマー』と『ブレードランナー』を鑑賞した。いずれも数名の入りしかなく、まだ映画館に人は戻っていない。後者はファイナル・カット版をスクリーンで初鑑賞したが、CGが当たり前になった現代から見ても、なんの遜色もないノワールなSFである。架空と実物の建築・都市を巧みに組み合わせた実在感が強烈だ。またリドリー・スコットらしい煙や霧、照明も美しい。人間よりも人間らしいレプリカントの設定が、作品を普遍的にしている。

さて、ようやく観ることになった話題の『ミッドサマー』は、様々な象徴を散りばめた美術、独特の建築デザイン(三角形のファサードをもつ黄色い神殿、変わった屋根形状の棟など)、音楽、衣装などを通じて、小さな共同体の世界観が綿密に構築されていた。ネットでも解説や謎解きを試みる多くのサイトが登場しているように、本作はすでにカルト的な人気を獲得している。

以前、新宗教の建築を研究した筆者にとって興味深いと思われたのは、サブカルチャーにおけるカルトの描き方である。通常、映画や漫画などでカルトが登場する場合、「実は教祖がひどい奴で、偽物の宗教が暴かれる」というのが、お決まりのパターンだ。しかし、本作はこの飽きるほど繰り返された物語とは違う。正確に言えば、教祖がいるわけではなく、昔から続く村の風習にもとづく夏至の祝祭なのだが、それがインチキだという構えはとらない。むしろ、あくまでも心を病む主人公の大学生ダニーの、心中で失った家族や、不安定な恋人との関係性を軸に、特殊な共同体を描いている。大きな家族に受け入れられ、傷心のダニーが再生する儀式というべきか。

そして客観的にはおぞましい出来事が起きているにも関わらず、笑顔の村人は明るく、花が咲き乱れる風景なのだ。また白夜のために、太陽が沈んでも完全な闇は訪れない。徹底して明るいのだ。だからこそ、ダニーが見せる最後のあの表情が、いつまでも余韻をもって記憶に残る。


公式サイト:https://www.phantom-film.com/midsommar/

2020/05/29(金)(五十嵐太郎)

ダークアンデパンダン

非公開

「ダークアンデパンダン」展は、アーティストが自由に出品できるウェブ版とは別に、キュレーションされたリアルな会場があり、こちらを某所にて鑑賞した。これは通常の展覧会とは違い、場所や作品の内容について他言してはいけない。正確に言うと、個別の作品や作家については了解が得られたら、言及は可能だが、ここではあえて展覧会の形式について論評する。

会場で選ばれた作品群はいずれもヘヴィであり、現地を訪れて、非公開になっている理由も理解した。あいちトリエンナーレ2019に対するネットの反応を思い返せば、間違いなく炎上するだろう。もっとも、本来はこうした作品も、普通に公開できるような社会が望ましいはずだ。ともあれ、本展は一方的に鑑賞するというよりも、目撃者、もしくは当事者として巻き込まれるような形の企画である。実際、来場者は、内容を他言しないことにサインさせられたり、問題が起きた場合の応援団になることも要望されている。そもそも場所は非公開であり、誰もが来場できる展覧会ではない。企画者サイドが鑑賞者を選び、その名前の一覧はネット上で公開された。

現代アートがわかりやすく、誰にでも開かれた場を探求していく傾向とは真逆である。むしろ、観客もキュレーションによって選ばれ、閉じた場がつくられる。作品が観る人を選ぶという感覚は、以前、キリンアートアワードの審査で、K.Kの映像作品《ワラッテイイトモ、》に出会ったときにも思ったことだ。こちらが作品を選ぶのではない。作品が鑑賞者、もしくは発見者を指さしているのだ。

ところで、コロナ禍のために在宅時間が増え、Amazonプライム・ビデオで低予算系の映画ばかりを鑑賞していたのだが、カスタマレビューにおける、通常はフツーの作品しか観ていなさそうな人の罵倒コメントの多さに驚かされた。おそらく、ネットがなければ、両者は出会わなかったはずである。本来は映画館に通いつめたり、レンタルヴィデオを大量に利用するようなコアな鑑賞者がたどりついたものだ。同様に、現代アートがネットで炎上しているのも、展覧会と無縁の人間が遭遇することで交通事故を起こしているからだろう。そうした状況を踏まえて、閉じることの意味を問うのが、「ダークアンデパンダン」展だ。ちなみに、あいちトリエンナーレ2019の一件やコロナ禍を受けて企画したものではなく、それ以前から構想をあたためていたものらしい。

実は筆者にとって、これは1カ月半ぶりに展覧会を生で見る機会となった。それほど大きくない会場だったが、約1時間半かけて、じっくりと全作品を鑑賞したのは、身体的な悦びも大きかったからである。

開催期間:2020年5月20日、22日、24日、25日、27日、29日

公式サイト(ウェブ版):https://darkindependants.web.app/

2020/05/25(月)(五十嵐太郎)

湘南T-SITE、Fujisawa SST、ミナガーデン十日市場

[神奈川県]

なかなか足を運ぶ機会がなかった《湘南T-SITE》(2014)も、ようやく訪れる機会を得た。再開したばかりで待ちかねた人が集まっていたが、店内への入場制限や、椅子の使用禁止、一部の飲食施設の休業などによって感染の対策を施していた。《代官山T-SITE》と同様、クライン・ダイサム・アーキテクツが総合ディレクションを担当しており、基本的には同じコンセプトのデザインである。代官山は「T」の字を外壁で反復しているのに対し、湘南は(蔦屋書店のシンボルにあたる)蔦の葉のモチーフを選ぶといった差異は認められる。また平行に配置された 3棟の屋内外を串刺しにするようなストリートも同じ構成だ(ただし、湘南は一部、車道を横断する)。もっとも、こういうことは現場に行かないとわからないのだが、まわりの風景が全然違う。


車道を挟んで各棟が並ぶ


蔦の葉のモチーフで覆われた《湘南T-SITE》の外壁

すなわち、《湘南T-SITE》は、パナソニック工場跡地につくられた新興の住宅地、《Fujisawaサスティナブル・スマートタウン》のコアのひとつとなる施設なのだ。したがって、まわりをピカピカの住宅がぐるりと囲んでいる。環境に配慮した約1000戸のニュータウンゆえに、戸建て住宅の内部はさまざまな最新の設備をもつが、外観はほとんど同じようなデザインであり、絵に描いたような郊外住宅群だ。なお、交通量が多いロードサイド沿いに、太陽光発電のパネルが延々と続く風景も独特である。《湘南T-SITE》も、ロードサイド側には開かず、直接のアクセスはない。斜めの太陽光パネルと、一段高く持ち上げたデッキによって、道路と距離がとられている。


《湘南T-SITE》に隣接する住宅街


《湘南T-SITE》の駐車場から見た住宅

11棟のスマートハウスなので、規模はまったく違うが、横浜市の《ミナガーデン十日市場》(2012)も、やはり環境配慮型まちづくりをうたう。これは飯田善彦と小林克弘がマスターアーキテクトとなり、産・官・学の共同プロジェクトとして横河健や首都大学東京などが参加したものである。興味深いのは、ひな壇造成をせず、起伏のある地形や植生をうまく活かしながら、各住戸が角度を変えながらややランダムに配され、中央にみんなの庭が設けられていること。その結果、ありがちな郊外住宅地とはならずに(周囲は集合住宅群)、家と家の関係性を操作するだけで、単調さを回避しつつ、忘れがたい風景が生みだされていた。


《ミナガーデン十日市場》のスマートハウス群


各住戸のあいだに塀がなく、共有スペースになっている


起伏のある地形や植生を活かした住戸配置が《ミナガーデン十日市場》の特徴のひとつ

2020/05/17(日)(五十嵐太郎)

『AKIRA』IMAX版

1カ月半ぶりの映画鑑賞は、いち早く緊急事態宣言が解除された宮城県におけるTOHOシネマズ仙台となった。新作はわずかで、代わりに『ベン・ハー』、『オズの魔法使』、『タワーリング・インフェルノ』、『ブレードランナー』、『シン・ゴジラ』、『君の名は。』などの古典的な名作をずらりと揃えた最強のラインナップで興味深い。館の再開初日の朝だったので、待ちきれなかった多くの映画ファンが詰めかけているかと思いきや、実際には閑散としていた。ソーシャル・ディスタンスをとるため、半分の座席は使用不可とし、市松模様の配置パターンでチケットを販売していたが、最大のキャパのスクリーン6は364席に対し、わずか約10名の入りという超低密度である。





再開初日の朝なのに券売機前も閑散とした映画館


さて、筆者が鑑賞したのは、漫画中心で読んでおり、映画版はヴィデオで観ていた『AKIRA』だ。そしてIMAX版の『AKIRA』の凄さに驚愕することになった。もちろん、大スクリーンの上映に耐える圧倒的な細部の描写ゆえである。テレビの画面では確認できない、様々な情報がぎっしりと詰め込まれていた。

1988年に公開された『AKIRA』は、それまでの映画史の記憶を踏まえた作品であると同時に(『マッドマックス』、『スキャナーズ』、『トロン』、『ブレードランナー』など)、32年後だからこそわかる、これに続く後発の映画への影響力の大きさ(『新世紀エヴァンゲリオン』や、アニメにおける幻想的なシーンなど)を確認できるものだった。

まだ生々しかった学生運動の記憶、2.26事件へのオマージュを感じる一方で、鉄雄が戦車と対峙する終盤のシーンは、1989年の天安門事件を予見したかのようだ。そして現実になった東京オリンピック2020とその延期も、コロナ禍の今だからこそ、重く受けとめたい設定である。音楽は芸能山城組が印象的だが、途中の未来都市のシーンにおいて、暁テル子の楽曲「東京シューシャインボーイ」(1951)が挿入歌として使われていることも発見した。渋い選曲である。ともあれ、最初の公開から長い時間を経ても、未来の鑑賞者に多くの気づきを繰り返しもたらす『AKIRA』は、やはり古典的な名作と呼ぶにふさわしい。


左上:「AKIRA 4Kリマスター」IMAX上映ポスター
[© 1988マッシュルーム/アキラ製作委員会]

2020/05/15(金) (五十嵐太郎)

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