2019年09月15日号
次回10月1日更新予定

artscapeレビュー

五十嵐太郎のレビュー/プレビュー

広島平和記念資料館の展示リニューアル

広島平和記念資料館[広島県]

展示のリニューアルを終えた広島平和記念資料館を訪れた。以前に比べて、全体として展示のデザインは洗練されたと言えるだろう。広島の爆心地周辺の模型がある円形の台に対し、上から映像をプロジェクトする東館の展示は、すでに先行して公開され、DSAの日本空間デザイン大賞2017を受賞している。もっとも、同館の上空に吊るされた赤い球体で爆発を示した廃墟のジオラマや、リトルボーイの模型がなくなったのは寂しい。プリミティヴな展示だが、映像よりも空間やスケール感を伝える力があったのではないか。



円盤へのプロジェクション


リニューアル前の爆心地模型

さて、リニューアル後の本館は初めてである。筆者はかねてより被爆者の描いた絵が与える想像力が重要だと考えていたが、新しい展示では導入部のおどろおどろしい被曝再現人形が消え、代わりに暗い部屋で絵が大量に使われ(基本的に絵は複製)、スポットを当てたのはよかったと思う。ただし、絵と写真を同一面で混ぜて並べた展示にはやや違和感をもった。記憶にもとづき、だいぶ後になってから被爆者が描いた絵と、当時プロのカメラマンが撮影した写真では、メディアの性格が全然違うからだ。またリニューアル後の展示では、写真、衣服、遺品を用いて、子供の犠牲者の紹介が増えている。来場者に対し、悲しみの感情移入をうながしやすいだろう。そして日本人以外の被曝者にも触れている。総じて言えば、被害を受けた側の視点に立つ展示の性格がより強くなった。しかし、「なぜ、このような事態を招いたのか?」という説明がない。これでは自然災害と同じである。



被曝再現人形がなくなった導入部


被爆者の絵と写真


子供の犠牲者

以前から重要だと思っていたのが、展示を見終わった後、公園を望む通路を歩くことになるが、ここに架けられた原爆投下前の地図である。ここが昔は繁華街の中島町だったことを示しており、敗戦後に公園になったことを伝えるからだ。リニューアル前はひっそりと地図があり、気づかない人が多かった記憶があるが、今ははっきりとわかるように、キャプションもついている。また公園内では、昔の住宅など、被爆遺構の発掘を開始した。今後、その公開も予定されているという。


中島地区の地図



近年の発掘成果を紹介するパネル

2019/08/24(土)(五十嵐太郎)

新聞記者

遅ればせながら、藤井道人監督の映画『新聞記者』を観る。主役の演技も、観客を宙吊りにするラストもよかった。女性の新聞記者と若手官僚が政権の闇を暴こうとする物語だが、「特別に配慮された大学の新設」というモチーフは明らかに加計学園や森友学園の問題を連想させ、日本では希有な同時代的な政治サスペンスである。もっとも、直接的に固有名詞を使わないこのレベルでさえ、「テレビの仕事がなくなるから」と2つの製作会社が依頼を断ったり、政権批判的な内容ゆえに、テレビでもあまり映画を紹介しなかったことに驚かされた。

あいちトリエンナーレに対する激しいネット・バッシングの後だと、内閣情報調査室がネット書き込みで世論操作をしているシーンがリアルに不気味だ。実際、「毎年(!)トリエンナーレを楽しみにしていたのに、もう行かない」といった組織的な書き込みが数多く出現したのは、よく知られている。また展覧会が始まってすぐ、少女像と天皇を扱う作品の他に、今回の「表現の不自由展・その後」には出品されていない、安倍首相と菅官房長官と見られる人物の口を踏みつけにした竹川宣彰の作品も、いっしょに画像つきで拡散された。後者は、アーティストのホームページから、香港の展覧会を探さないと見つからない画像であり、簡単には出てこない。したがって、偶然に間違えたのではなく、炎上を加速させる目的で、悪意をもって紛れ込ませたフェイクの情報である(これを今でも信じている書き込みも散見される)。

ところで、映画内に出てきた内調のネット書き込み部隊のインテリアの空間表現が興味深かった。明るく乱雑な新聞社のオフィスに対し、暗い部屋で青白く光るパソコンの画面に向かい、職員たちが黙々と悪口を書き込むのである。これはいかにもネットの悪い人というイメージだが、あえてリアリティがない表現なのかもしれない。なぜなら、こうした組織の実態がよくわからないからだ。映画では、官僚の強烈な台詞がある。「日本の民主主義は形だけでいい」というものだ。官僚は国民ではなく、政権の維持に奉仕する。これでは、東大の入試で文1(法学部)と文2(経済学部)の合格最低点が逆転したように、官僚の希望者が減るのも仕方ない。

公式サイト:https://shimbunkisha.jp/

2019/08/17(水)(五十嵐太郎)

横浜市寿町健康福祉交流センター

横浜市寿町健康福祉交流センター[神奈川県]

小泉雅生が設計した横浜市寿町健康福祉交流センターとその上にのる市営住宅のスカイハイツを見学した。これは労働者街として知られる寿町が高齢化するなかで、複雑な与件を解きほぐす複合施設であり、やはり、彼が得意とする実に複雑な建築だ。


横浜市寿町健康福祉交流センターとスカイハイツの外観

ちょうど7月6日、門脇耕三+長谷川逸子「理論としての建築家の自邸」(gallery IHA)において、小泉自邸のアシタノイエがとりあげられ、そのクリティックとして筆者が参加し、再考する機会を得た直後だけに、住宅から公共建築まで、共通のデザイン手法を確認することになった。アシタノイエは、多くの要素を抱え込む設計であり、彼の探求するフィジックス・デザインや環境分析の先駆けとなった(設計作業を通じて、若手のメジロスタジオを育て、ここで暮らした子供2人が建築家になった家でもある)。筆者は15年前にこの住宅を見学したが、周辺の環境が大きく変わり、さらによい雰囲気になったようだ。

さて、横浜市寿町健康福祉交流センターの1階は、朝からラウンジが大勢の人で賑わい、すごく活用されている空間だった。その1階は、建て替え前からあった図書コーナーを継承したほか、多目的室、作業室、調理室を備えている。また2階は庇をもつ街の縁側を外周にめぐらせ、それぞれの部屋に直接アクセスできる公衆浴場、診療所、デイケア、健康コーディネイト室、協働スペースを配置する。


2階部分の外周にめぐらされた、街の縁側


診療所と公衆浴場をつなぐ、街の縁側


建物の下の部分は公衆浴場になっている


公衆浴場では、落語などのイヴェントも開催される

外観の特徴は、新築であるにもかかわらず、すでに年月を経て、増改築されたかのように、小割りにヴォリュームを分節し、素材も変えている。またシンボリックな空気塔のほか、塔状のヴォリュームが林立することも目を引く。そしてスカイハイツは、単身用だけでなく、家族も受け入れられるように多様なプランを用意し、実際、若い層が新しく引越しているという。したがって、高齢者と子供などの多世代が交流する可能性を秘めた建築になっている。


内側から見上げた、シンボリックな空気塔の内部


風で開閉する空気塔の窓

2019/08/08(木)(五十嵐太郎)

あいちトリエンナーレ2019 情の時代(開催7日目)

会期:2019/08/01~2019/10/14

愛知県芸術文化センター+四間道・円頓寺+名古屋市美術館ほか[愛知県][愛知県]

4回目の愛知県芸術文化センターでは、「表現の不自由展・その後」の中止に抗議し、韓国の作家2名の部屋が閉鎖され(いずれも北朝鮮を扱う作品)、さらにもぎとられたようで痛々しい。とはいえ、何度か通っても、映像の作品が長いので、まだ全部を見ることができないくらいのヴォリュームがある。



イム・ミヌク《ニュースの終焉》の展示中止を伝える説明パネル


パク・チャンキョンによる、北朝鮮の少年兵を連想させる作品《チャイルド・ソルジャー》も展示中止に

10階の田中功起の作品は、大きな展示室に批評的に介入する空間インスタレーションも興味深いが、鑑賞するのにかなり時間がかかる映像が素晴らしい。今回のトリエンナーレでは、家族や移民など、アイデンティティをめぐる作品が多いが、これも日本に暮らす混血・多国籍のメンバーが互いの記憶や経験を語りあいながら、共同作業によって抽象画を描く試みである。あからさまなプロパガンダではない。しかし、確実に、いま起きている事態への静かな抵抗にもなっている。



田中功起《抽象・家族》の展示風景より


田中功起《抽象・家族》の展示風景より

この日は、展示室からも怒号が聞こえ、後で出入口に行ったら、バケツで水をまいていた人がとりおさえられていた。津田監督のトークイベントも当面は中止か、延期になっており、事態が落ち着き、今回の件をじっくりと説明・議論できる場が設けられ、再開への道を探ることを期待したい。そもそも「不自由展」が展覧会の中のミニ展覧会であり、さまざまな作品の共通点は、過去に排除されたことがあることだけだ(例えば、Chim↑Pom(チンポム)は「福島」や「放射能」の言葉が入っているだけでNGに)。そうした基本的な情報すら理解されず、少女像や天皇の肖像を用いた作品の背景も、まったく理解されていない。芸術の政治利用と批判されているが、作品の一部だけを切り取り、もはや政治が芸術を利用している状態である。しかもメディアが政局化を煽るという最悪のパターンだ。

今回のトリエンナーレはオペラをやめて、ポピュラー音楽にシフトしたが、その目玉となるのが、サカナクションの『暗闇 -KURAYAMI-』である。タイトル通り、ホールの照明をすべて消し、ライブを行なうものだ。かつてゲーテが音楽を鑑賞する際、演奏者の姿が邪魔になると述べたこと、また大きな壁でメンバーが隠されたピンク・フロイドの『ザ・ウォール』のライブなどを想起させる。なるほど、これだけの大空間が本当の闇になると凄い。視覚を遮断することによって、さらに音が立体的になり、音が身体を包み、音が空気の振動で直接に触ってくる実験的な体験だった。「不自由展」も、目に見える部分だけで条件反射しているのではないか。アートには制作者の思想があり、それを切り離して考えることはできない。

公式サイト:https://aichitriennale.jp/

2019/08/07(水)(五十嵐太郎)

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あいちトリエンナーレ2019 情の時代(開催4日目)

会期:2019/08/01~2019/10/14

愛知県芸術文化センター+四間道・円頓寺+名古屋市美術館ほか[愛知県][愛知県]

残念ながら「表現の不自由展・その後」は、開幕3日目で閉鎖に追い込まれた。直接的な理由は、想定外の規模の電凸攻撃と脅迫の多さゆえに、来場者の安全を確保できないこと、またスタッフの精神的な限界である。これは公共施設に対するテロのはずだが、後に警察の初動が鈍かったことが判明している。「不自由展」の作品は、美術館や行政側が自主規制したり、おそらく議員の非公式な接触などが原因で展示中止になったものが多かったように思われたが、今回は、複数の政治家が展示の内容に介入することを公式の場で発言したことに驚かされた。確かに社会のフェイズが変わったことを示している。N国がマツコ・デラックスを批判し、ネット民もそれに同調するなど、杉田水脈や丸山穂高もそうだが、意見が異なる個人への攻撃を扇動するのは、国会議員の職務でないだろう。「不自由展」に対する政治家の圧力と同様、タガが外れている。メディアがこれをどっちもどっちの雰囲気で面白おかしく報道するのも、おかしい。

「不自由展」に関して、筆者が「あいちトリエンナーレ2013」の芸術監督だったことから、4つの新聞社を含む、複数のメディアからコメントなどの依頼が寄せられた。当時、津田監督が外部に向けて十分に発信できなかったのは、おそらく県の施設に殺到した膨大な数の脅迫への対策に追われていたのだろう。3度目に訪れた愛知芸術文化センターでは、本当に可動壁を入れて(上部は空いているが)、その奥の「不自由展」へのアクセスが塞がれていた。もっとも、この部屋は必ず通過しないといけない動線上ではなく、ルートからそれた袋小路となる位置であり、運営上の影響は比較的少ない。



閉ざされた「表現の不自由展・その後」 へのアクセス

情報系や工芸系の作品がある、名古屋市美術館も2周目に挑戦した。初見ではゆっくり時間がとれなかった藤井光の作品は、日本統治時代の台湾における同化教育の過去の映像とその身体運動を模倣する現代の映像を並べている。そう、歴史修正主義が跋扈し、不敬罪という言葉が叫ばれ、確かに2019年が当時とリアルにつながっているのではないか。この数日、「あいちトリエンナーレ」に起きた出来事によって、作品の見え方も変わった。

3つのパフォーミング・アーツのプログラムを鑑賞したが、ベルギーで有名な連続少女監禁殺人事件を題材とし、子供たちに演じさせる形式をとったミロ・ラウ(IIPM)+CAMPOの『5つのやさしい小品』が印象に残った。日本ならばさしずめ、宮崎勤が引き起こした連続幼女誘拐殺人事件の演劇化だろうか。炎上しそうな作品である。しかし、内容は知的に構成され、演じるとは何かのメタ的な視点をもち、この日のもうひとつの演目、ドラ・ガルシアのレクチャーパフォーマンス《ロミオ》に通じるものだった。ところで、『5つのやさしい小品』の冒頭で、思いがけず「イマジン」が歌われ、いまの残酷に分断された日本を想う。


ドラ・ガルシア、レクチャーパフォーマンス『ロミオ』のポスター

公式サイト:https://aichitriennale.jp/

2019/08/04(日)(五十嵐太郎)

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