artscapeレビュー
写真に関するレビュー/プレビュー
開館20周年記念展 私たちのエコロジー:地球という惑星を生きるために
会期:2023/10/18~2024/03/31
森美術館[東京都]
美術館の大規模な企画展を見てしばしば思うのは、せっかくつくり上げた展示ディスプレイを会期終了後に取り壊してしまうのはもったいないなということだ。いくらハリボテとはいえ、いくら使い回しがきかないとはいえ、展覧会のテーマに合わせ丁寧につくり込まれた陳列台や装飾の大半は廃棄される運命にあるのだ。まあ大規模展なら何十万人もの観客が見てくれるし、億単位の金が動くだろうから、ディスプレイごときにケチなことはいわないのだろうけど。と思っていたら、森美術館が前の展覧会の展示壁や壁パネルをそのまま再利用していた。お、やるじゃん。しかも森美術館がやると貧乏くさくなくてオシャレに見えるんだよね。そもそも「エコロジー」がテーマの企画展だから理にかなっているというか、それ自体が出品作品のひとつみたいに自慢げでさえある。
森美術館はこれまでにも「カタストロフ」「AI 」「パンデミック以降」など時宜にかなったテーマの企画展を開いてきた。現代美術館としての使命をわきまえているというか、流行にすぐ飛びつくというか、いずれにせよ他人事のようにただテーマに沿って作品を集めましたってだけでなく、展示壁の再利用のように自分たちの問題として取り組んでいるところがエライ。次回展も同じく展示壁を使い回したら尊敬しちゃうけどね。それでこそサステイナビリティってもんだ。
展示は、ハンス・ハーケが1970年前後に気象現象や動植物を撮った記録写真《無題》(1968-1972)から始まる。1970年の「人間と物質」展の出品作品《循環》(1970)も含めて、このころから彼が自然の循環について考えてきたことがわかるが、なぜそれがその後の大企業を告発するような作品に移行したのか不思議に思っていた。今回、19世紀にはエコロジーとエコノミーが同義語として用いられていたこと、そして自然の生態と人間の経済はそれこそひとつの大きな生態系のなかでつながっていることを知り、長年の謎が解けた気がした。やれやれ、半世紀がかりだ。
次の部屋には床に5トンのホタテの貝殻が敷き詰められ、その上を歩けるようになっている。ニナ・カネルの《マッスル・メモリー(5トン)》(2023)だ。貝殻は自然のなかで何億年もかけて石灰石に変わり、それを人間はコンクリートの原料として建材に利用する。ホタテにとって貝殻は家のようなものだが、それが巡り巡って人間の家になるわけで、この貝殻を踏みつぶすという行為も生物が建築に近づいていく過程を示唆するものだという。ただし貝殻を建材として実際に利活用できるようにするには、重油をはじめ多大なエネルギーを消費しなければならないというジレンマに直面する。まあそんな固いことは考えずに、パリパリと貝殻を踏みつぶして楽しんでいる観客が大半だが。
第2章では、岡本太郎や桂ゆきの絵画、中谷芙二子のビデオなど、戦後日本で制作された核実験や公害を告発する作品が並ぶ。中西夏之や工藤哲巳のオブジェもエコロジーの観点から再解釈しているが、それより取り上げるべき作家はほかにもいそうな気がする。殿敷侃の《山口─日本海─二位ノ浜 お好み焼き》が首都を見渡せる展示室に置かれているのはすばらしい。海岸に掘った穴に拾い集めたゴミ(プラスチックが大半)を入れて燃やし、大きな塊にした作品だ。眼下に広がるこの大都市も焼け野原にならないよう祈るばかりだ。
ほかにも、「エコロジー」をテーマによくこれだけ探し集めたものだと感心するほど多様な作品が紹介されているが、最後の最後に笑ってしまうようなケッサクが待っていた。照明が消されたその部屋は天窓から日光が差し込み、壁に沿って足場が組まれている。それだけ。これは天窓の故障が見つかったため足場を組んで修理し、それをアサド・ラザが作品化したというもの。この部屋をラザに割り振ってから天窓の故障が見つかったのか、それとも最後の部屋の天窓が故障していたからラザに作品化させたのか知らないが、ここが超高層ビルの最上階で、展覧会の最後であることが重要だ。結果的に、最近の美術館としては珍しく自然光によるエコロジカルな展示室を実現させたのだ。しかも修理後は六本木の「朝日神社」の宮司を呼んで神事を行なったというから、櫓のような足場には崇高さといかがわしさが加わることになった。
開館20周年記念展 私たちのエコロジー:地球という惑星を生きるために:https://www.mori.art.museum/jp/exhibitions/eco/
2024/01/20(土)(村田真)
道先潤「a Breath」
会期:2023/12/19~2024/01/08
ニコンサロン[東京都]
見ていて、すっと心が静まり、安らかな気分にさせてくれるいい写真展だった。道先潤は1984年、山口県の生まれ。写真家のアシスタントなどを経て独立し、2018~19年に写真「1_WALL」展で連続入賞するなど、自分の世界を少しずつ深めてきた。
今回の個展では、福島県会津と東京都という二つの土地を巡るストーリーが展開していく。身近な人物たちのポートレート、「住んでいる土地、目の前の景色」を淡々と撮影したスナップ写真がバランスよく配置され、「静けさ」という今回のテーマにふさわしい雰囲気が醸し出されている。写真の選択と組み方が的確なので、知らず知らずのうちに道先の呼吸(a Breath)と同化していくように感じた。
だがこのままだと、当たり障りのない「生の記録」として自足してしまいそうでもある。もう少し、思い入れの強い写真、自分自身にも見る者にも波風が立つような写真を加えていくべきではないだろうか。「静けさ」とは程遠いノイズや不協和音も入り混じりそうだが、そうすることが本作をひと回り大きな作品に仕上げていくには必要になるのではないかと思う。真面目すぎるほど真面目に「その者を形成する根底的な“何か”」を追求していく道先の姿勢には、とても好感が持てる。それだけに、もう一歩先に踏み出せば、より高い評価を得ることができるようになるのではないだろうか。
道先潤「a Breath」:https://www.nikon-image.com/activity/exhibition/thegallery/events/2023/20231219_ns.html
2024/01/05(金)(飯沢耕太郎)
清水裕貴『岸』
発行所:赤々舎
発行日:2023/12/08
2022年度の木村伊兵衛写真賞の最終候補に選出されるなど、注目度が上がっている清水裕貴。2011年に写真「1_WALL」展でグランプリ受賞後、コンスタントに個展を開催し、小説家としても作品を発表するなど、多面的な活動を展開してきた。本作はその彼女の最初の本格的な写真作品集である。
水/岸辺を基調テーマとする写真が連なり、その合間にポエティックな文章が挟み込まれる。あるイメージを受け止め、次のイメージを引き出していく、その流れに独特のリズムがあり、写真による「文体」がかたちをとり始めている。文章を綴る能力にも磨きがかかり、写真とことばの精妙なバランスの取り方も、とてもうまくいっているように思えた。
ただ、「この人は結局何を言いたいのだ」という肝心要のメッセージがうまく掴み取れない。淡々と進んでいく写真の流れが、大きく転調する箇所(例えば、26枚目の奇妙な人形、82枚目の兎)がいくつかあるのだが、そこに必然性が読みとれないのだ。文章のほうも、途中で「魚」になってしまう「あなた」が、「わたし」とどんな関係にあり、どのように作品世界に位置づけられるのか、その輪郭が曖昧模糊としていてリアリティが感じられない。写真と文章とを一対一で対応させる必要はないが、もう少し丁寧にフォローしていくべきではないだろうか。文章の量がやや少なすぎたのではないかとも思う。
写真とことばの両者を高度なレベルで使いこなし、新たな領域を切り拓いていく作り手としての清水裕貴への期待は大きい。見る者(読み手)を震撼させる作品に出会いたいものだ。
清水裕貴『岸』:http://www.akaaka.com/publishing/YukiShimizu-shore.html
2024/01/04(木)(飯沢耕太郎)
蜷川実花展 Eternity in a Moment 瞬きの中の永遠
会期:2023/12/05~2024/02/25
TOKYO NODE[東京都]
「作家史上最大」の体験型展覧会だという。蜷川実花はこれまでも内外の美術館で規模の大きな展覧会を実現してきた。だが、今回の「蜷川実花展 Eternity in a Moment」はひと味違っていた。地上200メートルのTOKYO NODEの広くて天井の高い会場を目一杯使ったということもあるが、蜷川だけでなくデータサイエンティストの宮田裕章、セットデザイナーのEnzoと組んだEternity in a Moment(EiM)というチームでコンセプトを共有し、会場を共同制作したのが大きかったのではないだろうか。映像とサウンドとインスタレーションが一体化した空間を構築したことで、それぞれの個の力が拡張し、増幅するという結果を生んだ。
内容面においては、いい意味での開き直りを感じた。これまで蜷川が繰り返し使ってきた花、金魚、蝶、花火、都市風景といったイメージを出し惜しみせずにフル動員している。もちろん生と死のコントラスト、日常から未来へ、多様性や環境問題への視点など、思想的な側面をおろそかにしているわけではない。とはいえ、それらを前面に押し出すのではなく、むしろ網膜と鼓膜と直感とをダイレクトに融合させた、色と光と音の乱舞のなかに包み込んでしまう戦略をとったことが成功したのではないだろうか。連日超満員という動員力を見ても、蜷川のイベント・クリエイターとしての能力が傑出してきていることがわかる。
もうひとつ強く印象に残ったのは、観客の反応である。会場滞在の時間がとても長く、ほとんどの観客が自分の携帯のカメラで映像やインスタレーションを動画撮影している。それらは、LineやInstagramなどのSNSにアップされて拡散していくのだろう。おそらく会場を構成したEiMのメンバーがもっとも心を砕いたのは、「インスタ映え」する視覚的、聴覚的効果をいかに作り出すかではなかっただろうか。観客の反応を見ると、それはとてもうまくいっていたようだ。
蜷川実花の作品の魅力のひとつは、一見軽やかで、華やかで、ポジティブに見えるイメージが、その正反対ともいえる陰鬱で、ビザールで、ネガティブな感情を引き出してくることだった。やや残念なことに、今回の展示では、その「毒」は希釈され、薄められてしまっていた。後半の花のパートには、生花を使って「花々が異なる周期で朽ちていく様子」も展示されているのだが、それらは全体のなかでほとんど目立たない。むずかしい注文かもしれないが、今回のような衛生無害な「桃源郷」だけでなく、「まろやかな毒景色」(2001年開催の蜷川のパルコギャラリーでの展示のタイトル)のような展示をもう一度見たいものだ。
蜷川実花展 Eternity in a Moment 瞬きの中の永遠:https://tokyonode.jp/sp/eim/
関連レビュー
蜷川実花「Eternity in a Moment」|飯沢耕太郎:artscapeレビュー(2023年06月15日号)
2023/12/29(金)(飯沢耕太郎)
うつゆみこ「あたま きまま らっきー」
会期:2023/12/07~2023/12/24
OGU MAG[東京都]
作品、190点を収録した14年ぶりの写真集『Wunderkammer』(ふげん社)を刊行し、東京都写真美術館で開催された「日本の新進作家 Vol.20 見る前に跳べ」にも出品するなど、うつゆみこの意欲的な活動には拍車がかかってきている。東京荒川区のギャラリー、OGU MAGで開催した個展でも、1000点余りの作品を、スペースを目一杯使って全面展開していた。
今回の展示では、モノと生きものとがコラージュ的にひしめき合う彼女のこれまでの作品とは、かなり違う方向性が目指されている。生まれ育った荒川区の街々を歩き回って撮影したスナップ写真では、日常の場面に向けられた眼差しが検証される。被写体を発見し、つかみとるように捕獲していくあり方は、これまでの作品とも共通しているが、よりノンシャランにさまざまな方向にアンテナを伸ばしている様子が伝わってくる。亡くなった父親がよく通っていたという店の前に、うつ自身が立って撮影するという試みも面白い。
二人の娘さんとの共作も展示していた。特に11歳のお姉さんは好奇心旺盛で創作意欲も強く、うつの顔に大胆なペインティングを施して、連続場面のポートレートを撮影している。娘さんたちが撮影した、家の中での普段の表情を撮影したスナップ写真にも勢いがある。うつ自身の作品にも言えることだが、予想の範囲におさまりそうな場面を、うまくコントロールを外して、ありそうであまりない状況に仕立てていた。この共作にはさらなる可能性がありそうだ。
うつゆみこ「あたま きまま らっきー」:https://ogumag.wixsite.com/schedule/single-post/utsuyumiko
関連レビュー
うつゆみこ『Wunderkammer』|飯沢耕太郎:artscapeレビュー(2023年11月15日号)
見るまえに跳べ 日本の新進作家vol.20|飯沢耕太郎:artscapeレビュー(2023年11月15日号)
2023/12/23(土)(飯沢耕太郎)