2019年07月15日号
次回8月1日更新予定

artscapeレビュー

村田真のレビュー/プレビュー

ジョシュ・スパーリング「Summertime」

会期:2019/07/03~2019/08/10

ペロタン東京[東京都]

4つの壁面に、パステルカラーに塗り分けた弧や波形のキャンバスを適度の余裕をもって敷き詰め、太い角柱の3面にも波形のキャンバスを貼り付けている。見た目は「のたうつミミズ」だが、美学的に言えば、シェイプト・キャンバスをポップ化したパロディとも言えるし、壁面を1枚のキャンバスに見立てたレリーフ画と見ることもできる。

まずグラフィックデザインのソフトウェアを使って形態を決め、合板をレリーフ状にくり抜き、キャンバス布を貼り、中間色の色彩を施すという手の込んだ作業を経るというだけあって、仕上がりは完璧。ただの思いつきではなく、ちゃんと絵画制作の手続きを踏まえているのだ。奥の部屋には彩色した円形をベースに正方形、三角形、弧をはめ込んだ複合パネルの絵画が6点。表面にわずかに凹凸があり、70年代のステラの作品や、エットーレ・ソットサスのデザインを思い出す。いずれも美術史を参照し、相対化し、骨抜きにして工芸化した作品と言えばいいか。でも、これって絵画なのか?


会場風景
Photograph : Kei Okano Courtesy of Josh Sperling and Perrotin


会場風景
Photograph : Kei Okano Courtesy of Josh Sperling and Perrotin

2019/07/06(土)(村田真)

坂本夏子個展「迷いの尺度─シグナルたちの星屑に輪郭をさがして」

会期:2019/06/08~2019/07/06

ANOMALY[東京都]

坂本夏子といえば、河原温の《浴室》シリーズみたいな(ぜんぜん違うけど)タイル貼りの部屋の中に人物がたたずむ絵しか知らなかったけど、おもしろい視点を持った作家だ。今回は絵画だけでなく、スケッチや立体も展示している。絵画の方は画面の一部または全部が網目やモザイクや格子模様で覆われていて、どこか上空から眺めた地上の姿にも見え、アボリジニの世界観をマッピングしたドリーミング絵画を思わせる。

興味深いのは《ペインティング・ボックス》という立体で、商品の箱の表面を彩色し、蓋を開けて中を見られるようにしたオブジェ。内部には紙細工や粘土細工、プラスチックの小物などが配置され、ジョセフ・コーネルの「箱」を彷彿させるが、鑑賞方法はまったく異なる。《ペインティング・ボックス》の場合、内部を見るには蓋を開けるという行為を伴うこと、そして卓上に置かれた箱の中身を、コーネルのように水平の視線ではなく、上から見下ろすということ。だとすれば、中身も俯瞰されるように配置されているはずで、それは構成というよりマッピングに近い作業ではないかと思うのだ。



Natsuko Sakamoto Signals, mapping 2019
Oil on canvas, H194xW130.3cm
[© Natsuko Sakamoto, ANOMALY, Photo by Ichiro Mishima]

2019/07/05(金)(村田真)

カンディダ・ヘーファー「The Large and The Small─The Still and The Moving 」

会期:2019/06/08~2019/08/03

ユカ・ツルノ・ギャラリー[東京都]

デュッセルドルフの芸術アカデミーでトーマス・ルフ、アンドレアス・グルスキーらとともにベッヒャー夫妻のもとに学んだ、いわゆるベッヒャー・シューレのひとり。今回は図書館、劇場、そして近作の抽象的な写真シリーズの展示。

図書館シリーズはまず被写体そのものに驚く。宮殿のように絢爛豪華な装飾が施されていたり、丸天井が美しい弧を描くヨーロッパの図書館は、それだけでも見る欲望を刺激してやまないが、それをヘーファーは、何千冊とある本の背表紙の文字まで判読できるほどではないものの、視覚の容量を超えた情報をダダ盛りにして見る者に差し出してくるのだ。ある図書館は天井に丸い天井画が描かれ、それを囲むようにレリーフ状の装飾が施されているが、ある部分は本物のレリーフで、別の部分はレリーフに見せかけただまし絵だったりする。それらを1枚の平面に定着させたこの写真は、二重のだまし絵ともいえる。これは欲しくなるが、サイズがでかすぎる。でも小さくしたら解像度が落ちて意味がなくなる。ま、どっちにしろ買えないけどね。

2019/07/05(金)(村田真)

80年代の美術3 諏訪直樹

会期:2019/06/17~2019/06/29

コバヤシ画廊[東京都]

来年、没後30年を迎える諏訪の晩年の絵画を展示。晩年といってもまだ30代半ば、力は衰えていないばかりかむしろピークに達していたように思う。作品は、四曲一双の屏風絵や掛軸など日本画の形式を借りた「抽象表現山水画」とでも呼ぶべき絵画で、画面を三角に分割する幾何学的抽象と、金や群青の顔料を用いた激しい筆づかいによる表現主義の混淆した独自のもの。

諏訪はポストもの派の代表的作家のひとりに数えられるが、それは先行するもの派がゼロにまで還元してしまった美術表現を、もういちど1から立ち上げようと試行錯誤したからだ。そのため彼は、日本の伝統絵画の形式やアメリカの抽象表現主義を参照し、80年代の10年間をかけてこのような形式を完成させていった。しかしいま改めて見ると、良くも悪くも80年代のマニエリスムというか、絵画におけるガラパゴス現象という印象は否めない。

余談だが、意味のないこととは承知の上で、それでも彼がもし生きていたらどんな絵を描いていただろうと、同い年としてはつい想像してしまうのだ。このまま突き進んで日本ならではのガラパゴス絵画を打ち立てたか、あるいはまったく異なるスタイルに宗旨替えしたか。ひょっとしたら筆を置いて、お父さんのように牧師を継いでいたかもしれない。



会場風景
諏訪直樹 PS-8823「波濤の記憶 R」、PS-8824「波濤の記憶 L」(1988)
アクリル、綿布、屏風状[四曲一双], 各163×240cm
[写真提供:コバヤシ画廊]

2019/06/25(火)(村田真)

モダン・ウーマン─フィンランド美術を彩った女性芸術家たち

会期:2019/06/18~2019/09/23

国立西洋美術館[東京都]

「松方コレクション展」を見た後で常設展を訪れたら、やっていた。フィンランドの女性芸術家たちによる絵画、版画、彫刻、素描などの展示。なぜフィンランドなのかといえば、日本との外交関係樹立100周年だからだそうだが、なぜ女性だけなのかといえば、なんでだろう? もうひとつ気になったのは、サブタイトルに「フィンランド美術を彩った」とあること。「築いた」でも「背負った」でもなく、「彩った」のは女性だからか? やはり「築いた」り「背負った」りしたのは男性芸術家たちなのか? ぼくはフェミニストではないし、おそらく事実上「築いた」というより「彩った」のだろうけど、ちょっと引っかかる。

出品作家はだれひとり知らないが(男性作家も知らない)、作品はある意味とても興味深かった。それは描かれたものが、自画像をはじめ母子像や家族の肖像、日常生活、風景など身近なモチーフばかりであること、逆に、戦争画や歴史画といった重くて勇ましい大作が皆無であることだ。フィンランドでは19世紀半ばに設立された最初の美術学校が、当時としては珍しく男女平等の教育を奨励したというが、あまり効果はなかったようだ。時代的には彼女たちより少し前のメアリー・カサットやベルト・モリゾら印象派の女性画家たちが、やはり子どもや友人、身近な風景しか描かなかった(描けなかった)のと変わりがない。女性の社会進出が著しい北欧のフィンランドでさえ、1世紀前はこんなもんだったのだ。「彩った」と書かざるをえないゆえんだろう。

2019/06/21(金)(村田真)

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