2021年08月01日号
次回9月1日更新予定

artscapeレビュー

村田真のレビュー/プレビュー

GENKYO 横尾忠則 原郷から幻境へ、そして現況は?

会期:2021/07/17~2021/10/17

東京都現代美術館[東京都]

都現美の巨大な企画展示室2フロアを使った大規模な個展。チラシによれば、「60年以上にわたる創造の全貌を目の当たりにすることができる集大成の展覧会」とあるが、60年代のポスターを飾ったコーナーはあるものの、出品作品の大半は80年代初頭のいわゆる「画家宣言」以降の絵画に占められている。それでも40年だ。そういえば10年くらい前にも横尾さんの個展を都現美でやったなあと思ったら、19年も前だった。あれは画家宣言20年目で、その倍の年月が過ぎたということだ。今回の出品点数は計603点。ならせば年平均15点、つまり月1点以上の計算になる。総作品数はその数倍はあるだろうけど、主要作品はほぼ網羅していると見ていい。とりあえず「質より量」だ。

作品はほぼ年代順に、「神話の森へ」から「多元宇宙論」「越境するグラフィック」「滝のインスタレーション」「Y字路にて」「原郷の森」まで13に分けられている。人気グラフィックデザイナーの横尾が画家へ転身したきっかけが、1980年にニューヨークで見たピカソの回顧展だったのは有名な話だが、初期の作品を見ると当時アートシーンを席巻していた新表現主義の影響が色濃い。というより新表現主義そのものだ。おそらく当時、アメリカのシュナーベルやイタリアの3Cあたりを見て「あ、これならオレにも描けそう」と思ったに違いない。その10年前だったらミニマルアートを見ても描きたいとは思わなかったはず。その意味で1980年代初頭に画家になるべくしてなったといえる。

もちろん新表現主義ベッタリというわけではなく、横尾ならではの工夫が随所に凝らされている。初期のころは、鏡の断片を画面に貼り付けたり(これは皿の破片を貼り付けたシュナーベルを思い出させるが)、絵の周囲をネオンで囲んだり、画面にキャンバス布を重ねたり、あれこれ試しているので見ていて飽きることがない。サービス精神が旺盛なのだ。

その後も、アンリ・ルソーや過去の自作イラストレーションをリメイクしたり、1万枚を超える滝の絵葉書を集めてインスタレーションとして見せたり、Y字路にこだわったり、プリミティブな筆づかいながらも一貫して奇想に富んだ絵を描き続けている。なかでも圧巻は最後の「原郷の森」だ。ここ1、2年の新作を集めたもので、デッサンは狂い、構図も破綻し、色彩も乱調をきわめているが、モネの最晩年のタッチを思わせる奔放なストロークは、もうだれにも止められない。もはや優劣とか善悪とかの価値観を超えて彼岸に達している。とうとうここまで来たか、ここまで見せるか。

2021/07/16(金)(村田真)

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さまよえる絵筆─東京・京都 戦時下の前衛画家たち

会期:2021/06/05~2021/07/25

京都文化博物館[京都府]

板橋区美でもやっていたのに、会期途中で非常事態宣言が出てしまったため見られず、京都会場に足を運んだ。タイトルにもあるように、これは戦時下における東京と京都の前衛画家たちがなにを思い、なにを描いたかを検証する展覧会。なので京都は単なる巡回先ではなく、展覧会においても重要な位置を占めているのだ。一般に戦時中の美術というと、勇ましくも愚かしい「戦争画」しか思い浮かばないが、もちろん戦争画を描かない画家たちもたくさんいた。では彼らはどんな絵を描いていたのか、とりわけ前衛的な画家たちはいったいなにをしていたのか? この展覧会によれば、彼らはおおむね「古典」および「伝統」に接近していたという。

戦前の前衛美術として、シュルレアリスム(超現実主義)、抽象、プロレタリア美術が知られているが、プロレタリア美術はすでに1934年に弾圧されて壊滅。翌1935年には帝展改組によって国家統制が強化されたが、それに対抗するように福沢一郎らの美術文化協会、長谷川三郎らの自由美術家協会が結成され、前衛運動は盛り上がったかに見える。だが、作品傾向としては抽象は先細り、シュルレアリスムは古典的絵画へと退行を余儀なくされる。要するにシュルレアリスム(超現実主義)から「シュル(超)」が抜け落ちて「現実主義」に立ち戻ったともいえるだろう。ここでいう「古典」とは美術史の古代ギリシャ・ローマに限らず、近代以前の美術全般を指し、また西洋だけでなく日本の仏像や古美術も含めてのもの。ナショナリズムの高まる時代になぜ西洋の古典が参照されたのかといえば、1937年に日独伊防共協定が結ばれたことが大きい。古典の宝庫であるイタリアはもとより、前衛芸術を弾圧し、古典美術を推奨したナチス・ドイツの影響もあるはずだ。

第1章では福沢一郎とその薫陶を受けた小川原脩、杉全直らの人物像などを展示。軍靴の響きが近づくにつれ奇抜さは影を潜め、穏やかなシュルレアリスムに落ち着いていくのがわかる。ちなみにこの3人はその後、戦争画を描いている。戦争画に反発したことでよく知られているのは、松本竣介や靉光や麻生三郎らが1943年に結成した新人画会だが、彼らは別に戦争に反対していたわけではなく、戦時下においてもふだんどおりに描いたり発表しようとしただけにすぎない。いまでは当たり前のことが、当時は非常識と受け止められたのだ。第2章ではこの新人画会が取り上げられている。西洋と東洋の古典技法を採り入れた靉光は不穏な時代を予感させる静物画を残し、戦前ヨーロッパに滞在した麻生はレンブラントばりの自画像を制作した。

第3章では、古代ギリシャ美術から仏像や埴輪にモチーフを移行させた難波田龍起、第4章では締め付けが厳しくなる戦時下、東北への取材旅行に活路を見出した吉井忠を中心に紹介。そして第5章で、京都を拠点に活動した北脇昇と小牧源太郎の出番となる。京都の数寄屋建築から想を得た北脇の幾何学的抽象絵画や図式絵画、小牧の仏教美術研究から導き出されたシュールな仏画もユニークだが、いちばん目を引いたのは、この2人を含めた新日本洋画協会のメンバーによる集団制作だ。その第1号の「浦島物語」では、北脇が「浦島亀を救ふ」から「玉手筥は遂に開かれた」まで全体の構成を決め、14人の同人がそれぞれ与えられた命題を描いていく。連歌や連想ゲーム、あるいはシュルレアリスムの実験のように、全体でストーリーがつながっていながら個々の作品としても鑑賞できるという優れものだ。絵はダリやタンギーに似た寂しげなイメージが多いが、これで紙芝居か絵本をつくればおもしろいかもしれない。

ともあれ、こうして見てくると、古典回帰といっても中途半端なシュールがかったリアリズムだったり、とりあえずの一時的な日本回帰だったりして、本格的に古典主義を採り入れるまでには至らなかったようだ。もちろん戦時下だから古典というのは隠れミノで、同展を企画した弘中智子氏が指摘するように、「『古典』を取り入れることで監視の目をくぐり抜けながら、戦時下の日本の社会が抱える問題を描き出そうとしていた」面もあるだろう。それにしても、やむをえずではあれ、戦時中の前衛画家が古典に向き合う時を得たのは無駄なことではなかったはずだ。であればこそ、戦争画が短期間のあいだに大量に復活させた「物語画」ともども、これらの前衛画家たちが試行錯誤した「古典主義」も、戦争が終わった途端に失われ、再びゼロから出発せざるをえなかったことは、日本の近代美術史にとって大きな損失ではないかと思うのだ。あーもったいない。

2021/07/13(火)(村田真)

石内都展 見える見えない、写真のゆくえ

会期:2021/04/03~2021/07/25

西宮市大谷記念美術館[兵庫県]

「写真は表面しか撮影することが出来ない」。これは同展のカタログに載っていた石内自身の言葉だ。当たり前のことを言っているのだが、その当たり前のこと(それは写真家の戒めにも聞こえる)を、石内ほど作品に染み渡らせている写真家もいないだろう。展覧会を見て、あらためてそう思った。ちなみに冒頭の言葉は、「しかし、その表面は支える裏側としての内部が存在し、間口と奥行きが見えない隠れた中身として、全体をかたち造っている」と続く。

出品は初期の「連夜の街」から昨年の「The Drowned」まで、12シリーズ約170点で、40年あまりの仕事を振り返っている。全国の元赤線地帯を撮影した「連夜の街」(1978-80)には遊廓だった建物が写っているが、目に止まるのは建築そのものでもその場の空気でもなく、剥がれた天井や壁のシミだったり、場違いなタイルやステンドグラスといった外面のほうだ。ここではまさに「隠れた中身」を予感させるべく、表面が撮られている。建物の表面を撮ったら、次は人間の表面だろう。「Scars」(1991-)と「INNOCENCE」(2001-)は、女性の身体に刻まれた傷跡を写したシリーズ。これと同じ展示室に、石内の愛する植物を撮った「sa・bo・ten」(2013)と「Naked Rose」(2005-06)のシリーズも並んでいる。女性の体表と植物とは妙な取り合わせだと思ったが、なるほど年季の入った身体というのは、モノクロ画像だけ見れば、肉塊みたいなサボテンやしおれかけたバラの花と見分けがつきにくい。

体表とくれば、その延長としての衣服に行くのは自然だろう。しかし衣服ならなんでもいいというわけではない。そこで選ばれたのが広島の被爆者たちが身に着けていた衣類で、「ひろしま」(2007-20)シリーズと名付けられた。衣服だけでなく、手袋、眼鏡、頭巾、靴なども写しているが、いずれも皮膚の延長物であることに変わりない。それゆえに、血がついていたり穴が開いたりしていると痛々しく感じられる。この「ひろしま」シリーズは最初の展示室に飾られているが、見ていくと、義足やコルセット、あまり汚れていないカラフルなドレスの写真もあって違和感を覚える。リストを見ると、後半はメキシコの女性画家、フリーダ・カーロの愛用品を撮った「Frida by Ishiuchi」「Frida Love and Pain」(2012)シリーズだった。もうひとつ衣服を写したシリーズに「絹の夢」(2011)がある。これは石内の故郷である桐生名産の絹織物を撮ったもの。蚕のまゆから着物の模様まで写しているが、織物のパターンをクローズアップした写真はまるで抽象絵画のようだ。

驚いたのは、昨年撮影したばかりの新作「The Drowned」(2020)シリーズ。2年前の台風で川崎市市民ミュージアムの収蔵庫が浸水し、石内の初期作品の「アパートメント」や祖母を写した「1899」が壊滅的な被害を受けた。「The Drowned」はそのボロボロに変質した印画紙を撮影したもの。つまり自分の写真をもういちど写真に撮ったわけだが、「アパートメント」のほうはまだ被写体の建物や看板などが確認できるものの、あと2点は画像が溶け、表面が剥がれ、カビや汚れで褐色に変色していて判別がつかない。石内の言葉を借りれば、「裏側」に「存在」したはずの「中身」は消え去り、ただ荒れた「表面」があるだけ。「写真は表面しか撮影することが出来ない」とすれば、いずれ絵か写真を撮影するのではないかと予想はできるが、まさかこんな写真の果ての「写真」に行き着くとは!

2021/07/13(火)(村田真)

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宇佐美圭司 よみがえる画家展

会期:2021/04/28~2021/08/29

東京大学大学院総合文化研究科・教養学部 駒場博物館[東京都]

東大駒場博物館は初めて訪れる。3階分ブチ抜きの大きなドーム状の建物で、体積が大きい割に壁面は少ない。なんでそんな絵画の展示に向かない博物館で、東大を出たわけでも教えたわけでもない画家の宇佐美圭司(1940-2012)の展覧会が開かれるのかというと、もちろん2018年に発覚した宇佐美作品の「廃棄事件」が発端であることは間違いない。1977年から東大本郷の食堂の壁に飾られていた宇佐美の大画面《きずな》が、2017年の改修工事の際にあろうことか廃棄されてしまったのだ。これを機に東大でシンポジウムが開かれ、宇佐美の業績を見直す展覧会の開催が決まったという。

宇佐美圭司はぼくの世代にとってはスーパースターのひとりだ。とはいえ現代美術史における宇佐美圭司の位置づけは難しく、彼の前後の世代が近年海外でも高く再評価されているのに比べれば、省みられることが少なかったように思う。だからもし廃棄事件がなかったら、こうした見直しの機会もなく、宇佐美の存在は美術史からフェイドアウトしていったかもしれない。その意味で今回の展覧会開催は不幸中の幸いというべきか。

出品作品はわずか11点。うち1点は、同館が所蔵するデュシャンの通称《大ガラス》のレプリカ(これは「再制作」の観点からの関連出品)、1点は失われた《きずな》の再現画像なので、宇佐美自身の手になる作品は9点のみ。そのうち1点はレーザー関連のインスタレーション、1点は立体、2点はドローイングなので、タブローは5点しかない。しかもタブローのうち4点は1960年代の作品に占められているのだ。これで宇佐美の画業を振り返るのは不可能と思われるかもしれないが、むしろ生半可な知識しかないぼくには必要最小限の作品だと思った。

出品作品に沿って画業をたどってみよう。最初は抽象表現主義風の《焔の船No.10》(1962)で、赤、青、白などの絵具が炎のようなタッチで画面を埋め尽くしている。弱冠22歳の作品だ。次は画面がいくつかに分割され、具体的な形象も認められるジャスパー・ジョーンズ風の《習慣の倍数》(1965)。このへんは当時日本に次々と紹介されたアメリカ絵画の影響が濃厚だ。このあと、アメリカの黒人暴動を撮った報道写真から人物の輪郭を借りた「人型」シリーズが始まり、大作《ゴースト・プランNo.1》(1969)に結実する。これは画面内に配された人型が斜線によってつながれたダイヤグラムのような図像で、それまでの表現主義的タッチは一掃され、すっきりしたフラットな平面になっている。図像的にはこの作品がもっとも《きずな》に近い。

この「人型」はかたちを変えながら、その後の宇佐美のトレードマークのように繰り返し現われる。レーザーを使った《Laser:Beam:Joint》(1968/2021)や、積み木状に立体化した《ゴーストプラン・イン・プロセスⅠ~Ⅳ:プロフィール(Ⅳ)》(1972)もそうだし、《100枚のドローイングNo.13》(1978)や《大洪水No.7》(2011)などのドローイング・シリーズもその延長線上に位置づけられる。ちなみに《大洪水No.7》は、神話や聖書に出てくる洪水のエピソードを、3.11の大津波に重ねたものだろう。数十もの人型をインクで描いた上に渦を巻くように水彩を重ねることで、スケールこそ小さいものの、まるでミケランジェロの壁画のような壮大な印象を与えている。

こうして見ると、いくつかのことがわかる。まず、宇佐美の芸術的エッセンスは1960年代にほぼ出尽くしていること。レーザーや立体など寄り道はしたものの、一貫して絵画にこだわり続けたこと。アメリカのモダニズム絵画の影響を色濃く受け、次々と新しいスタイルを採り込んだこと。しかしモダニズム一辺倒ではなく、暴動や震災など社会問題も作品に採り込んだこと、また、彼に近い世代の美術家たちの多くがネオダダやもの派などのグループおよび運動体に属していたのに対し、宇佐美は最初から最後まで孤軍奮闘していたこと、などだ。そしてこれらが宇佐美という美術家を捉えにくくし、現代美術における彼の位置づけを難しくし、再評価を遅らせる要因になっているのではないかと思うのだ。

ミもフタもない言い方をすれば、1970年の大阪万博にレーザー作品で参加したことも含めて、彼は70年代にはすでに過去の人になっていた、あるいは、そのように見なされていたのではないか。じつはそれはずいぶん前から感じていたことで、1960年代の作品を中心に据えた今回の展示は改めてその思いを後押しするものだった。だから逆にいえば、もし70年代以降の作品を中心に構成されていたら、60年代のヴァリエーションに過ぎないと思われていた後期の作品に、豊穣な絵画世界を発見していたかもしれない。

2021/07/11(日)(村田真)

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横田大輔個展 Alluvion

会期:2021/07/10~2021/08/07

RICOH ART GALLERY[東京都]

銀座4丁目交差点の三愛ビルにオープンしたギャラリー。この三愛ビル、1963年の開業間もないころ親に連れられて来たことがある。まだ超高層ビルもない時代、日本一の繁華街に建った珍しい円筒形のビルだったのでよく覚えている。調べてみたら、このビルはリコーの創業者が建てたもので、正式名称を三愛ドリームセンターという。東京オリンピック直前の、いかにも昭和なネーミングだ。長じて、このビルの前は画廊まわりのたびに何百回も通り過ぎることになったが、入るのはじつに58年ぶり。

リコーアートギャラリーはビルの最上階8、9階にあり、来年3月までの期間限定で、リコーの「StareReap(ステアリープ)」と呼ばれる2.5次元印刷技術を使ってアーティストとともに作品を制作し、紹介していく。このStareReap、原理はさっぱりわからないが、「リコー独自のインクジェット技術によって凹凸や質感などをリアルに再現することが可能」なのだそうだ。要するにフラットな写真を浮き彫りのように半立体化する技術のことであり、その技術を使って若手作家とコラボレーションするプロジェクトを進めていこうということだ。その第1段は梅沢和木で、第2段が今回の横田大輔。おもしろいのは、どちらの作品も立体感はあるけどブツ撮りした写真ではなく、デジタル画像だったりフィルムを化学的に処理したプリントであること。つまりオリジナルが平面のものに、あえて凹凸をつけているのだ。そう考えれば「余計なお世話」をしているわけだが、実際に見てみると視覚だけでなく皮膚感覚に訴えるものがあり、思わずほおずりしたくなっちゃうほど。

しばしば筆跡まで立体的に再現した複製名画が通販などで売られているが、あれを千倍くらい精密にしたものと考えればいい。違うのは、名画の表面にはもともと凹凸があるのに対し、StareReapは厚みのない平面にわざわざ凹凸をつけること。横田の「Color Photographs」は、まるで抽象画を接写したかのような絵具の質感を感じさせるが、実際は「フィルムに直接光学的、化学的な変化を起こし、さまざまな色の皮膜がよれたり重なり合ったりする状態を撮影したシリーズ」。今回はその複雑な色彩や形態に合わせて恣意的に層を重ねて立体化している。写真は本来3次元のものを2次元化するが、横田の写真は初めから2次元で完結している。それをどっちつかずの2.5次元化したのが今回の作品といえばいいか。だからでき上がった作品はオリジナルでもコピーでもない、また別の新しい創造物。

2021/07/09(金)(村田真)

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