2021年06月15日号
次回7月1日更新予定

artscapeレビュー

飯沢耕太郎のレビュー/プレビュー

善本喜一郎『東京タイムスリップ 1984⇔2021』

発行所:河出書房新社

発行日:2021/05/25

文句なしに面白い写真集だ。善本喜一郎は東京写真専門学校(現・東京ビジュアルアーツ)で森山大道、深瀬昌久に師事し、卒業後は『平凡パンチ』(マガジンハウス)の特約カメラマンとして仕事をしながら、仲間たちと東京・渋谷に自主運営ギャラリー「さくら組」を開設して活動していた。ちょうどその1984年頃に、東京の街頭を6×7判のカメラで撮影したモノクロームの写真群を、新型コロナウィルス感染症の緊急事態宣言中に整理していたら、あまりの面白さに「自分が撮ったことなど忘れて、すっかり見入って」しまったという。その後、写真に写っている場所が今はどうなっているのかが気になり出して、カラー写真で再撮影するようになる。それらの写真を、2枚並べて収録したのが本書『東京タイムスリップ 1984⇔2021』である。

写真を見ていると、風景が大きく変わった場所と、あまり変化のない場所とが混在しているのがわかる。写真集の冒頭に登場する「新宿駅東南口」などは、土地が削られて地形そのものが変わっているし、建物が消えたり、高層ビルが建ったりして大きく変貌したところも多い。とはいえ、新宿の「思い出横丁」や「ゴールデン街」のたたずまいはほぼ同じだし、ガード下の通路などがそのまま残っていることもある。写真からよみがえる記憶も同じで、まったく忘れてしまった場所もあるし、ありありと、視覚だけでなく匂いや手触りまでも含めて立ち上がってくることもある。それぞれの生のあり方に応じて「タイムスリップ」できるところに、本書の魅力があるといえるだろう。やや不思議なことに、これらの写真をSNSに上げると、1980年代の東京を知らない若い世代や外国人からも、ヴィヴィッドな反応が返ってくるという。どうやら記憶を再活性化する写真の力は、世代や国籍を超えて普遍的にはたらくようだ。

特筆すべきなのは、2枚の写真を同じ位置から、同じアングルで撮影する「定点観測写真」として成立させる善本の能力の高さである。建物や街路だけでなく、撮影時間、天候、たまたま写り込んだ通行人にまで配慮してシャッターを切っている。長年、商業写真やポートレートの分野で鍛えてきた技術力の高さが、見事に活かされた写真集ともいえる。

2021/05/18(火)(飯沢耕太郎)

森下大輔「Dance with Blanks」

会期:2021/04/16~2021/06/05

PGI[東京都]

確か、森下大輔のデビュー写真展「重力の様式」(新宿ニコンサロン、2005)を見ているはずだ。それ以来、何度か個展、写真集などで彼の写真に接しているのだが、その印象はあまり大きく変わっていない。モノクロームの銀塩写真にこだわり、特定の意味に収束するような被写体は注意深く避けて、モノや風景を、彼なりの美意識できっちりと統御して画面に配置する。今回の個展のテーマである「Blanks(空白)」もずっと一貫して取り上げられてきた。

とはいっても、写真の幅は意外に広い。「Blanks」にもいろいろあって、レンズの前に何かが置かれたことによる黒っぽい影(陰)、空や壁、穴のようなもの、何かと何かの間など多岐にわたる。仏教用語の「空(くう)」に近い概念にも思えるのだが、厳密な定義はあえておこなわず、「Blanks」という言葉の広がりを楽しみつつ形にしているように見える。そんな自由なアプローチの仕方は、今回の個展でもうまくはたらいていた。ただ、ではこれらの写真群から、何か際立ったメッセージが伝わるのかといえば、そうとはいえない。個々の写真はよくできているのだが、「こうでしかない」という切実さがあまり感じられないのだ。

そろそろヴァリエーションを増やすのではなく、構造化していく時期に来ているのではないかと思う。被写体の幅は保ちながら、抽象的な概念に拡散させずに、このような写真を撮り続けていることの意味を、もっと強く見る者にアピールすべきだろう。モノクロームの銀塩写真という方法論も、このままでいいのかどうか検討してもいいかもしれない。PGIでの個展は初めてだそうだが、これをきっかけにして次のステップに踏み込んでいけないだろうか。

2021/05/12(水)(飯沢耕太郎)

藤岡亜弥「花のゆくえ」

会期:2021/05/06~2021/05/30

コミュニケーションギャラリーふげん社[東京都]

藤岡亜弥は、今回の個展のために自分の古い写真を見直しているうちに、花の写真がかなり多いことに気づいた。意図的に花にカメラを向けるのではなく、無意識的に写り込んだものが多いが、逆にそこから何かが見えてくるのではないかと考えた。写真展に寄せたテキストに「花はいのちのメタファーとしてわたしの存在をより確かなものにしてくれるだろうか。また、花は女のメタファーとしてわたしの傾斜や偏見を説明してくれるだろうか」と書いているが、メタフォリカルな志向はそれほど感じられず、そこにある花を即物的に撮影していることが多い。とはいえ、そこにはやはり「藤岡亜弥の花」としかいいようのない独特の雰囲気が漂っているように感じられる。

ひとつには、花を単独で捉えている写真は少なく、多くは周囲の事物や人物たちが写り込んでいるということだ。花々はさまざまな事象と関係づけられ、その間にあって強い存在感を発している。花がそこにあることで、その場面の持つ意味が微妙に揺らぐ。そのことが、藤岡にシャッターを切らせる動機になっているように見える。もうひとつは、藤岡が撮影する花たちが「いのちのメタファー」=生命力の象徴、というよりは、むしろ死の匂いを濃厚に発しているということだ。それは花の写真に限らず彼女の初期の写真からずっと一貫している傾向で、どんなに輝かしい場面を撮影していても、不吉な翳りが滲み出てくるように感じる。花はそこでは、じわじわと死に向けて進行していく時間そのものを封じ込める器となっているのではないだろうか。

ひとりの写真家の仕事を、何か特定のテーマで掬いあげていくのは、なかなか面白い試みといえる。その写真家の無意識の領域が滲み出てくる可能性があるからだ。「花のゆくえ」を見極めることで、次の一歩を踏み出すきっかけが見つかるかもしれない。

2021/05/08(土)(飯沢耕太郎)

Ryu Ika『The Second Seeing』

発行所:赤々舎

発行日:2021/04/01

パワフルの一言に尽きる。『The Second Seeing』は、中国・内モンゴル自治区の出身で、武蔵野美術大学、パリ国立高等美術学校などで学んだRyu Ikaの、私家版ではない最初の写真集である。収録されているのは、第21回写真「1_WALL」展のグランプリ受賞者個展としてガーディアン・ガーデンで開催された、同名の展覧会の出品作。展示では、出力したプリントを壁一面に貼りめぐらせたり、くしゃくしゃに丸めて床に積み上げたりして、目覚ましいインスタレーションを実現していたのだが、今回の写真集ヴァージョンでも、出力紙を折りたたんだ状態で印刷するなど、印刷やレイアウトに工夫を凝らして視覚的スペクタクルの強度をさらに上げている。内モンゴル自治区、エジプト、日本、フランスで撮影された写真群が入り混じり、衝突しあって、異様にテンションの高い映像の世界が出現してきているのだ。ギラつくような原色、神経を苛立たせるノイズ、物質感を強調することで、真似のできない独特の表現のあり方が、形をとりつつある。

状況を演出し、撮影した写真にも手を加えることが多いにもかかわらず、Ryu Ikaの写真は現実の世界から離脱しているのではなく、むしろ地に足をつけた重力を感じさせる。それは、写真のなかに「我」を埋め込みたいという強い思いが貫かれているからだろう。ガーディアン・ガーデンでの展示に寄せたテキスト(本書にも再録)に「ただ撮った/見た風景を紙に再現したと思われるのが気が済まないというか、その現実からデータ、データから現実のプロセスの中に『我』がいることを、我々作り手としては、それを無視したくない、無視されたくないと世の中に伝えたい」と書いている。若い世代の写真家たちの仕事を見ると、画像を改変することで、「我」=「私」の痕跡を消去してしまうことが多いように感じる。そんななかで、Ryu Ikaの「我」に固執する姿勢は際立っている。そのことが彼女の写真に、絵空事ではないリアリティを与えているのではないだろうか。

2021/05/04(火)(飯沢耕太郎)

石内都展 見える見えない、写真のゆくえ

会期:2021/04/03~2021/07/25

西宮市大谷記念美術館[兵庫県]

石内都が関西地域の美術館で展覧会を開催するのは初めてだそうだが、とても充実した内容の展示になった。石内は2017年に、長年住み慣れた横須賀から群馬県桐生に移転した。そのことで、あらためてこれまでの自分の作品を見直し、新たなスタートラインを引き直そうと考えたのではないだろうか。作品の選定や配置にも、そんな思いがよく表われていた。

展示室Iには「ひろしま」と「Frida by Ishiuchi」「Frida Love and Pain」が、展示室IIには「連夜の街」「絹の夢」が、展示室IIIには「INNOCENCE」「Scars」「sa・bo・ten」「Naked Rose」の連作が並ぶ。 これらは旧作だが、スライド上映を試みたり(「連夜の街」)、シリーズごとに壁の色を変えたりするなどインスタレーションに工夫を凝らしていた。また「Naked Rose」のパートでは、2006年に制作されたという、カメラをゆっくりと移動させながら、バラの花弁をクローズアップで撮影した映像作品も出品されていた。

展示室IVには近作、新作が並ぶ。「One Day」「Yokohama Days」は、日常の情景をカラー写真でスナップ撮影したシリーズ、「Moving Away」は引越しをきっかけに、横須賀の自宅とその近辺、さらに自分の手足を「セルフ・ポートレート 」として撮影した写真群である。衝撃を受けたのは「The Drowned」で、2019年の台風19号で大きな被害を受け、収蔵庫が水没した川崎市市民ミュージアムで、自分の作品にカメラを向けている。急遽、展示が決まったそうだが、泥にまみれ、損傷し、異臭を発するプリントに向ける視線のあり方が、「ひろしま」や「Scars」とまったく変わらず、その触感を丁寧に画像に移し替えようとしていることに、逆に胸を突かれた。

展示室IVの作品には、石内が新たな表現の世界へとさらに踏み出していこうとしている強い意欲を感じる。むしろ新作だけで構成された展覧会を見てみたい。

関連レビュー

石内都「肌理(きめ)と写真」|飯沢耕太郎:artscapeレビュー(2018年01月15日号)

石内都展 Frida is|飯沢耕太郎:artscapeレビュー(2016年08月15日号)

2021/04/16(金)(飯沢耕太郎)

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