2021年01月15日号
次回2月1日更新予定

artscapeレビュー

飯沢耕太郎のレビュー/プレビュー

小平雅尋『同じ時間に同じ場所で度々彼を見かけた/I OFTEN SAW HIM AT THE SAME TIME IN THE SAME PLACE』

発行所:シンメトリー

発行日:2020/10/19

とても奇妙な、複雑かつ微妙な味わいを残す写真集である。場所はどうやら東京・六本木のようだ。いつもきっかり同時刻に、交差点を小走りに渡っていく若者がいる。やや小太りの体型、大抵チェック柄のシャツを身につけ、チノパンを穿いている。小平雅尋は彼の姿を目に止め、おそらく何気なくシャッターを切った。そのうちに、彼が必ず同時刻に現われることに気がつき、意識的にその後ろ姿を撮影するようになった。写真集にはそうやって撮り溜められた、2019年2月23日から2020年3月5日までの約1年間の写真、56枚が淡々とレイアウトされて並んでいる。

小平は、彼が何者であり、何を目的として、どこに行こうとしているのか、という謎解きをしようとしているわけではない。そのことは、やや距離を置いて後ろ姿だけを写した写真を選んで、顔のような彼の特定に繋がる部位を注意深く避けていることからもわかる。とはいえ、56枚の写真を見ているうちに、この男が写真家にとって、また写真を見るわれわれにとっても、何かしら特別な意味を持つ存在として、じわじわと浮上してくるように感じる。どこかしら、フランツ・カフカの短編小説を読む時のような、細部は明晰であるにもかかわらず、全体としてみるとあやふやで不条理な世界に誘い込まれるような気分になってくるのだ。

小平雅尋はこれまで、写真集『ローレンツ氏の蝶』(シンメトリー、2011)や写真展「他なるもの」(タカ・イシイギャラリー フォトグラフィー/フィルム、2015)などで、写真表現の本質的な要素を、抽象度の高いモノクローム写真で追求していくような作品を発表してきた。一転して本作では、曖昧な日常に潜む陥穽を明るみに出すような作品にシフトしている。とても興味深い作風が生まれつつある。

2020/11/21(土)(飯沢耕太郎)

ときたま写真展「たね」

会期:2020/11/19~2020/11/29

コミュニケーションギャラリーふげん社[東京都]

ときたま(1954年、東京生まれ)は、これまで葉書に「コトバ」を印刷して不特定多数に送る「ときのコトバ」、ドローイングした「プラ板」で立体作品を作る「ぷらたま」、トートバッグに「コトバ」の1文字をドローイングした「ことバッグ」といった、日常の事物を介したコミュニケーションをテーマとするアート活動を展開してきた。2016年に携帯電話をiPhoneに変えたことをきっかけとして、日々写真を撮影し始める。それら数万点に及ぶスナップ写真から約5000枚をポストカード大にプリントし、そこから391点を選んで写真集『たね』(トキヲ)を刊行した。今回のコミュニケーションギャラリーふげん社での展覧会は、そのお披露目を兼ねた企画である。

「ときのコトバ」や「ぷらたま」と同様に、写真でも彼女の基本的な姿勢に変わりはない。日々の出来事を、全方位型のアンテナで捕捉して定着させ、短い断片を撒き散らすように提示していく。「日々は、いつもと面白いとたまたまの「たね」でできている」という認識、それらを再編集し、新たな世界を構築していく歓びが、写真集からも写真展示からもいきいきと伝わってきた。「たね」の写真群には「コロナの日々」に撮影されたものも含まれている。本来は今年6月頃に写真集を出版する予定で、写真選びやレイアウトも終わっていたが、「そのままだとコロナ以前の写真集になってしまう」ということで、急遽予定を変え、自粛期間中に撮影した写真も加えた。そのことで、日常と非日常とが交錯した2020年現在の東京のあり方が、よりヴィヴィッドに浮かび上がってきた。

ときたまの写真行為は、「スマホとSNSの時代」における写真表現のひとつの方向性を示しているのではないかと思う。インスタグラムやフェイスブックでは、垂れ流されるだけで拡散してしまいがちな写真群を、写真集や写真展のような長年の蓄積のある媒体を使って再組織化し、ソリッドな形式に落とし込んで観客に伝達していく。そこに思いがけない新たな可能性が生まれてきそうだ。

2020/11/20(金)(飯沢耕太郎)

田川基成「見果てぬ海」

会期:2020/11/17~2020/11/30

ニコンプラザ東京 THE GALLERY[東京都]

田川基成は1985年、長崎県生まれ。北海道大学農学部卒業後、編集者を経て写真家として活動し始め、2017年に銀座ニコンサロンで開催した個展「ジャシム一家」で第20回三木淳賞を受賞した。「ジャシム一家」は、千葉県在住のイスラム教徒の移民一家の生活を丹念に追ったドキュメンタリーである。この作品に限らず、田川にとっては、移動と土地の記憶、信仰などが大きなテーマとなってきた。

「三木淳賞受賞新作写真展」として開催された今回の「見果てぬ海」でも、それらのテーマへの関心が貫かれている。故郷である長崎県松島とその周辺の島々の風土と人々の暮らしを撮影しようと思ったきっかけは、2014年に日系人社会の取材のため4カ月ほどブラジルに滞在したことだった。長崎でもよく見かけた木造や簡素なコンクリート造りの教会が、ブラジルにも点在しているのを目にして「それまで意識したことのなかった二つの土地が、私の中で線となってつながった」のだという。

それから5年余りかけて、松島だけでなく、五島列島、平戸島、島原半島など長崎県各地を訪れて撮影を続けた。あらかじめ綿密な日程を組んで取材するのではなく、移動する旅人の視線を基調として、かつてはキリスト教が浸透していた海辺の土地の風景と出来事をカメラにおさめていく。そのことで、明るい光に満たされた土地で、海を交通路として暮らしてきた人々のネットワークがゆるやかに浮かび上がってきた。押しつけがましさのない、気持ちよくその中に入り込むことができるドキュメンタリーの仕事である。展覧会にあわせて、赤々舎から同名の写真集が刊行されたが、こちらも掲載されている写真と、丁寧で行き届いた解説がうまく呼応していて、とてもいい出来栄えだった。なお、本展は2021年1月21日~27日にニコンプラザ大阪に巡回する。

2020/11/18(水)(飯沢耕太郎)

髙橋健太郎『A RED HAT』

発行所:赤々舎

発行日:2020/9/20

髙橋健太郎は1989年、横浜市生まれのドキュメンタリー写真家。1941年に旭川師範学校の美術部に属していた菱谷良一(当時19歳)と松本五郎(当時20歳)が、共産主義運動に呼応した制作活動を行なったという嫌疑で特別高等警察によって検挙されたという「生活図画事件」をテーマとする本作「A RED HAT」は、昨年(2019年)9月~10月に銀座ニコンサロンで展示され、同年度の東川賞特別作家賞も受賞している。本来なら、写真展にあわせて本書『A RED HAT』が出版される予定だったが、刊行が遅れに遅れ、ようやく手にすることができた。

髙橋は2017年の「テロ等準備罪」(いわゆる共謀罪)の国会通過をきっかけとして、戦前の治安維持法による取り締まりの実態について調べ始め、「生活図画事件」に行き着いた。その当事者の二人がまだ存命なのを知り、北海道・旭川と音更町の彼らの自宅を訪ねて丹念な取材を開始した。さらに長年にわたって「生活図画事件」の聞き取り調査を行なってきた宮田汎も取材する。彼らの写真、証言、当時の記録資料などを1冊にまとめたのが本書である。

髙橋は、菱谷、松本、宮田の暮らしのあり方、東京での国会請願行動などの写真を、ジャーナリスティックなセンセーショナリズムを注意深く排除し、節度と距離感を保って撮影した。80年近く前の事件が彼らに及ぼした傷痕を、事物のディテールを丁寧に描写することで静かに開示していく写真には説得力があり、写真集のタイトルの元になった、松本が釈放後に一気に描いたという妹の赤い帽子をかぶった自画像など、鍵になるイメージが的確に配置されている。ただ、あまり大きくない判型の本に、写真ページとかなり詳細な文章ページを同居させるのは、やや無理があるように見える。写真篇と資料篇を分冊にする選択肢もあったかもしれない。

2020/11/16(月)(飯沢耕太郎)

本城直季 (un)real utopia

会期:2020/11/07~2021/01/24

市原湖畔美術館[千葉県]

本城直季は、4×5インチ判の大判カメラの「アオリ」の機能を活かして、ミニチュアのような人物や建物を配したジオラマ的な風景写真を撮影・発表してきた。写真集『small planet』(リトルモア、2006)で第32回木村伊兵衛写真賞を受賞した時、たしかに卓抜なアイディアの作品だと思ったのだが、テクニックが目につくこの種の仕事のむずかしさも感じた。同じ手法を繰り返すことで、マンネリズムに陥るのではないかと危惧したのだ。ところが、本城はその後、被写体の幅を大きく広げ、ヘリコプターによる空撮なども積極的に使うことで、新鮮な印象を与える眺めを生み出し続けている。彼の「ジオラマ/ミニチュア風景写真」は意外に奥行きが深かったということだろう。

本格的な回顧展としては最初のものとなる今回の「(un)real utopia」展では、これまであまり発表されることがなかった作品を見ることができた。大学時代のポラロイド作品(「daily photos」)や大判カメラを使った習作は、本城がどんな試行錯誤を経て「ジオラマ/ミニチュア風景写真」に至ったかを示していた。初めて公開されるという「tohoku 311」は東日本大震災の3カ月後に、被災地を空撮したシリーズだが、「街がなくなるということが、どういうことなのか」という問題提起への答えが、説得力のある画像表現として提示されている。工場地帯を撮影した「industry」や自然に中の人為的な痕跡を探った「plastic nature」もそうなのだが、画面の一部分にのみピントが合う「アオリ」によって見えてくる眺めには、被写体となる風景そのもののベーシックな構造をくっきりと浮かび上がらせる効果がある。今回の市原湖畔美術館の展示では、部屋ごとのインスタレーションにも工夫が凝らされていて、本城直季の写真作家としての本質的な要素が見事にあぶり出されていた。

2020/11/14(土)(飯沢耕太郎)

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