artscapeレビュー
杉江あこのレビュー/プレビュー
フランク・ロイド・ライト─世界を結ぶ建築
会期:2024/01/11~2024/03/10
パナソニック汐留美術館[東京都]
大変人気な展覧会のようで、会場には大勢の来場者が押し寄せていた。フランク・ロイド・ライトが日本でいかに人気の高い建築家であるのかを物語る。その要因に帝国ホテル二代目本館と自由学園の存在があるに違いない。前者は一部が移築されて愛知県の「博物館明治村」で公開されており、後者は同じ場所に現存することから、日本でライトの建築がいまも見られることは大きい。いくら名建築とはいえ人は知らないものは愛せないため、多くの日本人が本物を知っているからこそ、ライトの建築は愛されているのだ。
本展を観ると、ライト自身もまた非常に親日家であったことがわかる。帝国ホテル二代目本館を設計するために日本に述べ3年以上滞在し、一世一代の大仕事を成し遂げただけでなく、実はそれ以前にも日本へ深く関心を寄せていたことが紹介されていた。きっかけは1893年に開催されたシカゴ万博だ。平等院鳳凰堂をモデルにしたという日本館「鳳凰殿」を訪れたライトは、日本建築や文化にすっかり魅了されたというのである。その後に日本を訪問した際には日本建築を見るだけでなく、浮世絵を買い漁り、それらに着想を得た従来の手法とは異なる建築ドローイングを発表した。モネやゴッホなど浮世絵に影響を受けた西洋画家はたくさんいるが、建築家にまで影響を及ぼしていたとは、恐るべしジャポニスムである。
そんな日本との関わりをはじめ、世界中の多様な文化に影響を受けながら、ライトは最新の素材や構造技術も積極的に取り入れ、晩年には高層建築に挑んでいたことが紹介されていた。ライトの建築といえば、どうしても前述した二館のイメージしかなかったため、やや意外に思えたが、しかしその根底には豊かな自然環境の下で営まれるべき人々の暮らしがあった。こうした軸は生涯一貫してブレることがなかったようだ。日本建築や文化も、もともと、自然と共生しながら育まれてきた。ライトが日本に深く傾倒した理由のひとつに、その点もあったのではないかと想像する。
フランク・ロイド・ライト─世界を結ぶ建築:https://panasonic.co.jp/ew/museum/exhibition/24/240111/
2024/01/28(日)(杉江あこ)
PERFECT DAYS
会期:2023/12/22
TOHOシネマズシャンテほか[全国]
近年、ウェルビーイングという言葉が注目されている。これは肉体的にも、精神的にも、社会的にもすべてが満たされた状態を指す。本作を観ていて、この言葉がふと浮かんだ。役所広司が演じる主人公は、東京・渋谷で公共トイレの清掃員として働く男である。いわゆる3Kのブルーカラーで、決して裕福とは言えない独り身の暮らしを送っているにもかかわらず、なぜだか満たされているように見えるのだ。毎日、日が昇る前に目を覚まし、薄い布団を畳み、身支度と植木の手入れを済ませて、駐車場の自動販売機で缶コーヒーを買い、仕事道具を積んだミニバンに乗る。その動きには無駄がいっさいない。もう何十年と続けているルーティーンであることを想像させる。そんな男の淡々とした日々を通して描かれるのは、小さな喜びや驚き、人間関係などである。
一見、ストイックな暮らしに見えて、彼にもささやかな楽しみがある。仕事へ向かう途中に車内でカセットテープを通して聴く昔の音楽、昼休みにフィルムカメラで撮る樹木や木漏れ日、仕事終わりに一番乗りで入る銭湯、いつもの大衆居酒屋で飲むチューハイ、就寝前の読書、そして休日に通う古本屋や美人ママのいるスナック……。身の丈に合った暮らしに納得し、つねに几帳面で、品良く振る舞えるのはなぜなのか。その理由を解き明かすヒントとして、物語の中盤で登場する姪と妹の存在から彼の出自を思わせる会話が交わされる。結局、ウェルビーイングとは自己が生み出すものであり、それはどんな境遇であろうと、自分の心持ちや姿勢次第でいくらでも可能であることをこの男が証明している。
もともと、本作は世界的な建築家やクリエイターらが東京・渋谷の公共トイレを個性的な空間に改修していく「The Tokyo Toilet」プロジェクトをきっかけに生まれた企画で、依頼を受けたヴィム・ヴェンダースが映画監督を務めたのだという。こうした社会課題への取り組み方があるのかという学びにもなったと同時に、さすがはヴィム・ヴェンダースというべき映画のクオリティで、カンヌ国際映画祭での受賞やアカデミー賞でのノミネートもすでに取り沙汰されている。
PERFECT DAYS:https://www.perfectdays-movie.jp
関連レビュー
ヴィム・ヴェンダース『PERFECT DAYS』|五十嵐太郎:artscapeレビュー(2024年01月15日号)
2024/01/28(日)(杉江あこ)
建築家・吉村順三の眼 アメリカと日本
会期:2023/12/22~2024/03/28
GALLERY A4(ギャラリー エー クワッド)[東京都]
日本を代表する近代建築家として後世に多大なる影響を与えた吉村順三。同世代の建築家たちと比べて彼が希有なのは、師であるアントニン・レーモンドからモダニズム建築を教わる一方で、自らもまた伝統的な日本建築や文化を伝えたという点があるからだ。本展は、こうした師弟間の日米異文化交流が戦前戦後を通して行なわれてきたことを主題に取り上げる。そもそもレーモンドが日本建築や文化に関心を抱いたきっかけは、帝国ホテル二代目本館の計画時にフランク・ロイド・ライトの設計助手として初来日したことだった。簡素な木造建築の町並みと庶民の暮らしぶりにすっかり魅了され、それらを「生活の芸術」と称して絶賛したのだという。そして早々に独立したレーモンドの下へ、彼の建築に惚れ込んだ吉村が飛び込んでいく。
戦前の1940年に吉村はレーモンドの要請を受けて渡米し、14カ月間、「レーモンド・ファーム」と呼ばれる自邸兼スタジオで住み込みながら学び働いた。ペンシルバニア州フィラデルフィア郊外にあるそこはファームというだけあり、農場も兼ね備えていたのが特徴で、所員たちは建築設計の見習いだけでなく、農業の手伝いもしたという。なんと牧歌的な……と思うが、自然と共生しながら、人が快適に住み暮らすとはどういうことなのかを、「レーモンド・ファーム」は自ら体験する場だったのだろう。そこの大きなガラスの開口部に、吉村が伝えた日本の障子がはまっていたのである。
本展では、吉村の眼(まなざし)として、14カ月間の米国滞在中に彼が撮った写真をはじめ、その後、米国や日本で設計した建築作品の数々が紹介されている。米国で伝統的な日本文化を伝え、日本で米国流の自由で平等な生活様式を取り入れた吉村。そんな日米間を行き来する媒介者だった彼の根底には、必ず人々の暮らしと風土があった。かつてレーモンドが魅せられたのは簡素な木造建築の町並みとそこで暮らす庶民であり、その眼を醸成するような「レーモンド・ファーム」が吉村の出発点だったからこそ、彼には住み手や使い手に立った視点が揺るぎなくあったに違いない。
建築家・吉村順三の眼 アメリカと日本:https://www.a-quad.jp
2024/01/27(土)(杉江あこ)
和田誠 映画の仕事
会期:2023/12/12~2024/03/24
国立映画アーカイブ[東京都]
「好きこそ物の上手なれ」とは、まさに和田誠のことではないかと本展を観て思った。2019年に逝去した和田は、日本を代表するグラフィックデザイナー・イラストレーターであったが、映画監督の顔ももっていた。これは彼の映画にまつわる仕事に焦点を当てた展覧会である。驚いたのは、駆け出しのデザイナーとして広告制作会社に勤めていた頃、本業の傍で、日活名画座から映画ポスターの制作を無報酬で請け負っていたという事実である。それが、映画少年として育ってきた彼が映画の仕事に携わるようになった第一歩だった。無報酬なのに、いや、無報酬だったからこそ存分に力を発揮できたのか。そのときの映画ポスターの数々を観ると、とても良い仕事をしているのである。力強い筆致のイラストレーションを際立たせながら、全体的に引き算の手法でまとめており、名画座に相応しい文化的な薫りがどこか漂っていた。
良い仕事をすれば、それが営業の種になるのは必然で、彼は別の映画ポスターや映画専門誌などで仕事の機会を増やしていく。そして、極めつけが映画監督だ。グラフィックデザイナーやイラストレーターが本業で、映画監督に挑んだというマルチクリエーターは後にも先にも和田誠をおいてほかにはいない。もちろんコマーシャルフィルムやコンセプトムービーのような映像制作に携わるマルチクリエーターはほかにもいるだろう。しかしながら、そうした類の映像と映画とはまるきり違う。映画はエンタテインメントだ。そこには「好きこそ物の上手なれ」的な情熱がなければ、面白い作品はつくれないだろう。
和田が監督を務めた映画『麻雀放浪記』(1984)と『快盗ルビイ』(1988)をかつて観たことがあるが、どちらも毛色のまったく違う作品で、そこに彼の器用さを垣間見ることができる。映画業界にどっぷりと浸かった人ではない、異色の分野からメガホンを取ることで生まれるクリエーションがある。彼が生んだ何本かの映画作品は、映画ファンとしての純粋な熱意と、デザイナーならではの洗練さが掛け合わさった良質な実験作と言える。
和田誠 映画の仕事:https://www.nfaj.go.jp/exhibition/makotowada2023/
2024/01/27(土)(杉江あこ)
青磁─世界を魅了したやきもの
会期:2023/11/03~2024/01/28
出光美術館[東京都]
佐賀県の有田焼産地で青磁の重要無形文化財保持者(人間国宝)として名を馳せた陶芸家、中島宏に生前インタビューしたことがあった。青磁はとにかく歩留まりが悪いが、窯の中でひとつでも優れた作品が出来上がればいいという覚悟で挑戦してきたという話を伺った覚えがある。彼が遺したいくつもの作品から、私は青磁の多様さを学んだ。濃い青や薄い青、緑掛かった青、グレー掛かった青、赤み掛かった青……。本展を見て、これらの青磁はすべて中国の古代から焼かれていたことを知った。もちろん磁器の発祥地が中国であることは百も承知なのだが、紀元前のおよそ3800年前には灰釉陶器(原始磁器・原始青磁)が誕生していたことを知り、その長い歴史にため息が漏れたのである。
本展はその灰釉陶器が焼かれた古代から三国時代、唐時代、西晋時代、宋時代、元時代、明時代と時代を追いながら、青磁がどの窯(地域)でどのように発展し流行したのかを紹介する内容だった。釉色の豊かさだけでなく、型押し、堆塑、彫塑などの技法を駆使した仏像、瑞鳥神獣、動物、人物などの意匠や、大胆で端正なフォルム、当時最先端だった技術の一端にも触れることができた。かつて日本が「唐物」として尊び目指した、言わば陶磁器のお手本がずらりと並んでいたのである。さらに将軍や大名、茶人らに儀礼や茶の湯で珍重された青磁をはじめ、《青磁輪花茶碗 銘 馬蝗絆》(東京国立博物館蔵)など重要文化財が6点も展示されていて、なかなか見応えがあった。
これら展示品のほとんどが同館のコレクションであることにも驚く。中国でつくられた青磁が日本に数多く渡ってきたことから、その保有数は本国をゆうに超えるのだという。長い歴史のなかで培われた中国陶磁器の生産技術は、その後、朝鮮半島や日本、アジア諸国、そして欧州にも派生して受け継がれていく。おかげで日本はその生産技術を独自に育み、後世に優れた窯元や陶芸家らをたくさん生むことになった。本展を観て、やはり青磁は陶磁器の最高峰だと痛感したのである。
青磁─世界を魅了したやきもの:https://idemitsu-museum.or.jp/exhibition/present/
2024/01/06(土)(杉江あこ)