artscapeレビュー
杉江あこのレビュー/プレビュー
ステファン・サグマイスター ナウ・イズ・ベター
会期:2023/08/30~2023/10/23
ギンザ・グラフィック・ギャラリー[東京都]
社会問題を提起したアイロニカルなグラフィック作品は結構ある。本展に関しても、最初はその一種なのかと思っていた。しかし解説に目を通すと、どうやら趣旨が異なる。その真逆なのだ。「人類の歩みを50年、100年、200年といった単位で見てみると、私たちの生活は明らかに良くなっている」ことを訴えた作品群であった。作者はオーストリアに生まれ、現在、米国ニューヨークを拠点に活躍するデザイナーのステファン・サグマイスターである。見る角度によって絵柄が変わるレンチキュラーを使った作品や、古典的油彩画をベースに塗装木材を埋め込んだ作品などが並んでいた。いずれもポップでユニークな作風なのだが、ただ肝心の「良くなっている」ことを示す図がかなり抽象化されているため、若干のわかりにくさは否めない。
展示風景 ギンザ・グラフィック・ギャラリー1F[撮影:藤塚光政]
例えば自然災害による世界の死亡者総数は100年前に比べると半数に減った。先進国における公的教育にかける費用(対GDP比)は200年前から徐々に高くなった。大国間で戦争が起きていた期間の割合は、西暦1500年から1800年までは50%以上の高い割合が続くのだが、1825年以降は25%以下の低い割合が続き、1975年から2000年までの近年に至っては0%になった。こうしたデータを明るい色使いの幾何学図で示していた。また興味深い作品のひとつに、世界の貧困状態にある人々の割合は過去30年間で確実に減っているものの、改善していると信じる人の割合は少なく、むしろ悪化していると信じる人の割合の方が多いことを示したものがあった。
これらの作品群を観ながら、ふと似たような事例を思い出す。日本での交通事故死亡者数は、法律の見直しや取り締まり強化、自動車性能の向上によって過去数十年間で確実に減っているにもかかわらず、ショッキングなニュース映像などによって、私たちはなぜか増えているように感じてはいないだろうか。かつて多くの国々で為政者たちによるメディア操作は実際に行なわれてきたし、現代では日々発信されるSNS上の情報によって、大衆へのイメージのすり込みは簡単に行なわれ、一人ひとりのなかで勝手な思い込みがつくられていっている。
展示風景 ギンザ・グラフィック・ギャラリー1F[撮影:藤塚光政]
当然、ここでは取り上げられていない深刻なデータはもっとあるだろう。また取り上げられていたとしても、CO2排出量に関しては決して「良くなっている」データではない。しかし何をもって世の中の良し悪しを判断するのかということである。人類は確実に進歩しているし、科学技術も進んでいる。私たちはつい「昔は良かった」と懐古的になりがちだが、総体的に見ると、人々の健康や教育、自由、貧困、政治参加、そして災害や事故、犯罪、戦争といった面では改善がなされ、格段に生きやすい社会になっているのだ。その人類の歩みをたまには称えてもいいのではないかと、前向きな気持ちになれた展覧会だった。
公式サイト:https://www.dnpfcp.jp/gallery/ggg/jp/00000823
[ポスターデザイン:Stefan Sagmeister]
2023/09/05(火)(杉江あこ)
ファッション・リイマジン
会期:2023/09/22~未定
ヒューマントラストシネマ有楽町、新宿武蔵野館 ほか[全国順次公開]
ファッション産業が地球環境に多大な負荷を与えているという問題が、最近よく取り沙汰されるようになった。地球環境だけでなく、先進国が発展途上国を搾取する構造もそこには透けて見える。華やかで、文化的で、経済を大きく動かしてきた産業ゆえに、これまで私たちは見て見ぬふりを続けてきたが、そろそろ現実を見つめ直す時が来たのかもしれない。本作は英国のファッションブランド「Mother of Pearl(MOP)」のクリエイティブディレクター、エイミー・パウニーの活動を追いかけたドキュメンタリー映画だ。おそらく日本には正規代理店が存在しないため、MOPの服を入手するには海外通販サイトなどを通じてとなり、日本人にとってはあまり馴染みのないブランドかもしれない。私自身もそうだった。が、本作を観て、俄然、MOPへの興味が湧いた。ハイファッションでありながら、サステナブルなコレクションを立ち上げた稀有なブランドであるからだ。
映画『ファッション・リイマジン』より
出演:エイミー・パウニー(Mother of Pearlデザイナー)、クロエ・マークス、ペドロ・オテギ
監督:ベッキー・ハトナー
2022年/イギリス/英語/カラー/ビスタ/100分/日本語字幕:古田由紀子/原題:Fashion Reimagined
©2022 Fashion Reimagined Ltd
配給:フラッグ 宣伝:フラニー&Co. 映倫区分:G
契機は、2017年4月に英国ファッション協議会とファッション誌『VOGUE』により、その年の英国最優秀新人デザイナーにエイミーが選ばれ、10万ポンドの賞金を授与されたことだった。当時の為替で1500万円ほどである。この大金を元手に、彼女はMOPをサステナブルブランドに変えることを決意。その決心は彼女にとって決して唐突なことではなく、実は環境活動家だった両親の下、片田舎のトレーラーハウスで育ったことが根っ子にあることが徐々に明かされる。また、当時はファストファッションが台頭した時代でもあり、「1980年代に比較して、人々は3倍以上の服を購入」「毎年、一千億もの服が作られ、その5分の3が購入した年に捨てられる」といったショッキングな事実が述べられていく。こうした不健全きわまりない状況に、彼女はNOを突きつけたのだ。
映画『ファッション・リイマジン』より ©2022 Fashion Reimagined Ltd
オーガニックで、追跡可能な原材料。動物福祉に努める。最小限の地域で、最小限の化学物質で生産。低炭素排出量……と、彼女が掲げたのはいかにも理想的な目標だ。口で言うのは簡単だが、本当に実現可能なのか。しかも18カ月後にはコレクションを発表しなければならない。彼女はそのコレクション名を「No Frills(飾りは要らない)」に決め、スタッフとともにインターネットや展示会、人づてなどで情報を必死に集め、ウルグアイの羊毛業者やトルコのオーガニックコットン製造者らを訪ねていく。全編を通してストーリーとして見応えがあり、ファッション業界の仕組みを知る機会にもなるため、最後まで目が離せなかった。英国ではMOPの影響で、サステナブルブランドへ方向転換するファッションブランドが少しずつ増えてきたとのことだが、いまだに大量の服がつくられ、捨てられる状況は続いている。本作が、まずは消費者の意識変革のきっかけになればと思う。
映画『ファッション・リイマジン』より ©2022 Fashion Reimagined Ltd
公式サイト:https://Fashion-Reimagine.jp
2023/09/03(日)(杉江あこ)
速水健朗『1973年に生まれて 団塊ジュニア世代の半世紀』
発行所:東京書籍
発行日:2023/07/14
本書のタイトルに思わず引き付けられてしまった。なぜなら、私自身も1973年生まれであるからだ。2023年の今年はちょうど半世紀。だからこうした本が出版されるタイミングなのかと思うと同時に、もう50歳とは年を取ったなぁとしみじみ思う。1973年生まれはベビーブーマー、いわゆる団塊ジュニア世代である。かつてはX世代とも言われた。とにかく人口過多なのである。受験戦争がもっともピークに達した頃であったし、大学時代にバブル崩壊を迎えたため、就職氷河期の始まりでもあった。人口過多ゆえに損した世代と私は感じているのだが、本書で説かれているのはそういうお決まりの世代論ではない。1973年生まれの視点を通してこの半世紀を振り返る、社会史やサブカルチャー史のような側面をもつ。私も含めてになるが、彼・彼女らが物心の付いた1980年代からの出来事、事件、社会問題、芸能界、テクノロジーなどを列挙し、著者独自の解釈を加えた内容となっていた。
通読するとなかなか圧巻で、懐かしさや共感を覚えるモノや出来事もあれば、男女差のせいなのか、私があまり関心のなかった話題もいくつかあった。ただあまりに多くの事柄を列挙しているため、一つひとつに対する見解がやや少なく、もう少し深掘りしてほしいと思う面が総じてあるが、きっと本書の狙いはそこにはないのだろう。この半世紀を概観する試み自体が重要だったに違いない。
こうして振り返ると、1980年代はバブル期の始まりとはいえ、ずいぶん牧歌的な時代だったと思える。さまざまな機器がまだデジタル化される前であるし、大人も子どもも一緒にお茶の間でテレビを囲んでいた時代であった。当時、世間を騒がせたグリコ・森永事件や日航機墜落事故、リクルート事件といった事件は、私も子どもながら印象に深く残っていて、大人になってからその真相や詳細を調べたり聞いたりしたものである。1990年代はバブルが弾けたとはいえ、いま思えば、まだ深刻な不景気に差しかかる前で、世の中は比較的明るかった。後半からはパソコンや携帯電話が普及し始め、デジタル化に突入する過渡期となる。そして2000年代からは一気にデジタル化の波が押し寄せ、後半からはスマホの時代に入る。ここがまさに時代の節目だったのかもしれない。本書では、当時の出来事や事件に絡んだ人物、芸能人、スポーツ選手らのそれぞれの生年が逐一記されている点も面白い。1973年生まれとその同世代の人々、また彼・彼女らの親世代が世の中をどうつくってきたのかを知る手掛かりとしても読めるのだ。
2023/09/02(土)(杉江あこ)
アアルト
会期:2023/10/13~未定
ヒューマントラストシネマ有楽町、アップリンク吉祥寺、東京都写真美術館ホール(10/28〜) ほか[全国順次公開]
日本にその建築は存在しないが、アルテックの家具やイッタラのグラスを通して、アアルトのデザインは日本人の間でも人気が高い。シンプルかつモダンでありながら、温かみを感じられるため、生活空間に設えた際に気負った感じを受けないのが魅力なのかもしれない。
アアルトの人物像に迫ったドキュメンタリー映画が間もなく公開される。ここでいうアアルトとは、ご存知のようにアルヴァ&アイノ・アアルト夫妻を指すのだが、本作のなかではもうひとり登場する。アイノの没後、アルヴァの後妻となったエリッサ・アアルトだ。正直、本作を観るまで、エリッサの存在について私は知らなかった。アイノの名前があまりに知られているため、てっきりアルヴァの妻はアイノひとりだと思い込んでいたのだ。
映画『アアルト』より
原題:AALTO
監督:ヴィルピ・スータリ(Virpi Suutari)
制作:2020年 配給:ドマ 宣伝:VALERIA
後援:フィンランド大使館、フィンランドセンター、公益社団法人日本建築家協会、協力:アルテック、イッタラ
2020年/フィンランド/103分/©Aalto Family ©Fl2020 – Euphoria Film
本作の前半では当然のことながら、アルヴァとアイノの出会いや結婚生活が描かれる。モダニズムの潮流のなかで世界的な建築家として注目を浴びたアルヴァ、豊かな芸術的才能にあふれたアイノというように、理想的な夫妻として世間から称賛された一方で、その実、二人の間には濃密な愛や情熱、嫉妬もあった。そうしたむき出しの喜怒哀楽が、二人の交わした書簡や家族写真、過去のインタビューなどからつまびらかにされる。それは展覧会では見えてこない、ドキュメンタリー映画ならではの面白さだった。夫妻で活躍した世界的なデザイナーといえば、時代は少し下がるが、ほかに米国のチャールズ&レイ・イームズを思い出す。かつて上映された彼らのドキュメンタリー映画でも、やはり知られざる二人の間の愛や嫉妬がちらほらと明かされた。
映画『アアルト』より ©Aalto Family ©Fl2020 – Euphoria Film
本作では、仕事のために遠く離れたアルヴァとアイノの間で交わされた書簡がいくつも紹介された後、アイノが若くして病死したという事実を知らされるため、観る側としても受けるショックが大きい。その後、アルヴァは事務所に入所してきたエリッサと結婚。24歳も年下の後妻だったが、エリッサはアイノがかつてそうだったように、自らもアルヴァの公私にわたるパートナーとして生きようとするのだった。そうしたエリッサの懸命さにも心がえぐられる。どんなに偉業を成し遂げたデザイナーであろうと、誰しも人間臭い側面を持ち合わせているもので、それが存分に垣間見られる作品となっていた。
映画『アアルト』より ©Aalto Family ©Fl2020 – Euphoria Film
公式サイト:https://aaltofilm.com
関連レビュー
アイノとアルヴァ 二人のアアルト フィンランド─建築・デザインの神話|杉江あこ:artscapeレビュー(2021年04月15日号)
アルヴァ・アアルト──もうひとつの自然|杉江あこ:artscapeレビュー(2018年10月01日号)
2023/08/22(火)(杉江あこ)
私たちは何者? ボーダーレス・ドールズ
会期:2023/07/01~2023/08/27(※)
渋谷区立松濤美術館[東京都]
なかなかユニークな展覧会だった。人形を題材に、ここまで風呂敷を広げられるのかと感心した。民俗学的な側面もありながら、工芸や彫刻、玩具、そして現代美術まで、さまざまな分野をボーダーレスに飛び越える媒介として人形を扱っている点が興味深い。ヒトガタと書く人形は、まさに人の写しなのだ。だからこそ人に付いてまわり、人が関わる分野すべてに関係する。古くは呪詛や信仰の対象となり、雛人形や五月人形のように子どもの健康を願い、社会の規範を教える存在となり、また生人形のように市井の人々の生活や風習を描く展示物となった。本展はそんな日本の人形の歴史を順に追っていき、観る者に人形とは何かを考えさせた。
【後期展示】《立雛(次郎左衛門頭)》(江戸時代・18〜19世紀)東京国立博物館蔵[Image: TNM Image Archives]
私自身、人形との関わりを振り返れば、雛人形もそうだが、もっとも思い出深いのは子どもの頃に遊んだリカちゃんだろう。赤いドレスを着たリカちゃん1体と、確かスーパーマーケットのような模型のセットが家にあり、それらで友達と何度もごっこ遊びをした。子どもが大人の真似事をするごっこ遊びも、いわば、社会の規範を学ぶ一過程である。あの頃、私も含めた少女たちは、少しお姉さんになった自分の理想の姿をリカちゃんに投影して遊んでいたような気がする。そういう点で、リカちゃんは現代っ子の写しなのだ。
人の写しであるからには、人形はさまざまな面を負ってきた。戦争が色濃くなった昭和初期から中期にかけては、騎馬戦に興じる軍国少年たちを象った彫刻や、出兵する青年たちに少女たちがつくって渡したという「慰問人形」があった。慰問人形は粗末な布で手づくりされた人形とも言えないほどの出来なのだが、これは少女たちの写しであり、青年たちは出兵先でこれを見て、自らを鼓舞する力を得たのだという。また昭和初期から百貨店を彩り始めたのがマネキンだ。人々の消費の媒介として、マネキンはもはや当たり前ものになった。さらに人形は性の相手にもなる。本展の最後にはなんとラブドールの展示まであった。あまり見る機会のない、等身大の女性と男装した女性の姿をした2体のラブドールを間近にし、意外にも洋服を着た外観が普通であることに拍子抜けした。しかしどこか虚ろな眼差しがラブドールらしさを物語っている。何らかの理由でこうしたラブドールを必要とする人がおり、彼らはラブドールに家族や恋人のような愛情を注ぐのだという。人の代わりとなってさまざまな場面で人を演じる人形は、いまも昔も、人にとって欠かせないものであり続けるのだろう。
川路農美生産組合《伊那踊人形》(1920〜30年代)上田市立美術館蔵[撮影:齋梧伸一郎]
高浜かの子《騎馬戦》(1940)国立工芸館蔵[撮影:アローアートワークス]
公式サイト:https://shoto-museum.jp/exhibitions/200dolls/
※会期中、一部展示替えあり。
前期:2023年7月1日(土)~30日(日)
後期:2023年8月1日(火)~27日(日)
※18歳以下(高校生含む)の方は一部鑑賞不可。
2023/07/15(土)(杉江あこ)