2022年07月01日号
次回7月15日更新予定

artscapeレビュー

星野太のレビュー/プレビュー

カール・ゼーリヒ『ローベルト・ヴァルザーとの散策』

翻訳:新本文斉

発行所:白水社

発行日:2021/11/10

本書は、スイスの伝記作家・ジャーナリストであるカール・ゼーリヒが、作家ローベルト・ヴァルザー(1878-1956)との40回以上におよぶ散策の記録を書き留めたものである。本書は晩年のヴァルザーの人となりを伝える書物として長らく知られてきたが、たとえヴァルザーの作品について何も知らなくとも、本書はそれ自体できわめて興味深い読み物として成立している。

ごく個人的な話になるが、わたしはかつて、エンリーケ・ビラ=マタスの『バートルビーと仲間たち』(木村榮一訳、新潮社、2008)を通じて、このローベルト・ヴァルザーという作家に大きな関心をもった。ハーマン・メルヴィルの小説中の人物「バートルビー」に類する人物を文学史のなかに探っていくこの驚嘆すべき書物は、まさしくこのスイス人作家をめぐるエピソードから始まる。そこで描き出されるヴァルザーの実人生は、カフカやゼーバルトを魅了したその作品と同じく、あるいはそれ以上に興味をそそるものだった。

本書の主役であるローベルト・ヴァルザーは、この「散策」が始まった時点ですでに文学的には沈黙し、スイス東部ヘリザウの精神病院に収容されていた。かたや、編集者でもあった本書の著者ゼーリヒは、この散策に先立って──世間がヴァルザーにあらためて目をむけるべく──その作品をふたたび世に問おうとしていた。そうした背景のもと、1936年以来、ゼーリヒはヴァルザーのいた精神病院をたびたび訪れ、本書に収められた長期間にわたる「散策」を敢行する。本書の初版が世に出たのは1957年、ヴァルザーが亡くなった翌年のことである。

したがって本書はまず、晩年に沈黙したこの作家の言葉を伝える貴重な資料として読むことができる。しかし同時に、本書には「著者」ゼーリヒによる数多の脚色が施されていることに注意せねばならない。訳者あとがきでも指摘されるように、本書の端々にあらわれる箴言めいた言葉のなかには、どこかこの作家には似つかわしくないものも含まれる。この『ローベルト・ヴァルザーの散策』は2021年にズーアカンプから出た最新版の邦訳だが、その編者のひとりであるペーター・ウッツの指摘によれば、本書には「後見人」ゼーリヒの政治的な身振り、さらにはひとりの「作家」としての介入が数多くみとめられるという。

だが、それを単純に本書の瑕疵と考えるべきではないだろう。本書が、ローベルト・ヴァルザーという謎めいた作家との散策を伝える貴重な「資料」であり、それをもとにしたカール・ゼーリヒという人物の「作品」でもあるということはいずれも事実であり、この二つは単純な排他的関係にはない。晩年に沈黙したひとりの伝説的な作家の「生」が、ここには幾重にも捻れたしかたで描写されており、そのことが逆説的にも本書を魅力的なものとしている。さらに本書には、ゼーリヒ本人によるヴァルザーの肖像写真が多数収められている。二人きりの散策の「真実らしさ」を強調するかのようなその数々の写真をいかに「読む」か──それもまた、このミステリアスな書物がわれわれに突きつける問いのひとつである。

2022/06/07(火)(星野太)

フリードリヒ・シュレーゲル『ルツィンデ 他三篇』

翻訳:武田利勝

発行所:幻戯書房

発行日:2022/02/09

2019年6月に刊行開始された〈ルリユール叢書〉(幻戯書房)が、先ごろシリーズ30冊に達したという記事を読んだ。その玄人好みのラインナップもさることながら、たったひとりの編集者が、月に一冊を超えるペースでこの叢書を切り盛りしているというのは驚異的というほかない。ところで数ヶ月前、その新刊書のなかにひときわ目を引く表題を見つけた。それが本書、フリードリヒ・シュレーゲルの『ルツィンデ』である。

フリードリヒ・シュレーゲル(1772-1829)といえば、兄アウグスト・ヴィルヘルム・シュレーゲル(1767-1845)とともに雑誌『アテネーウム』を立ち上げるなど、多彩な活動で知られる初期ドイツ・ロマン派の作家だ。そして、この学者肌の作家による唯一の小説作品が、かれが27歳のときに発表した『ルツィンデ』(1799)なのである。

これは翻訳にして140頁ほどの中篇小説であり、ドイツ・ロマン派に格別の関心を寄せる読者を除けば、本書の存在を知る読者はそう多くはないだろう。ただ、『ルツィンデ』はけっして「知られざる」作品というわけでもない。戦前には1933年と34年に二種類の(!)翻訳が出ており、文芸同人誌『コギト』第30号(1934年11月号)には、かの保田與重郎による『ルツィンデ』論が掲載されている。すくなくとも戦前の日本では、本書は──おもに日本浪曼派を通じて──それなりに知られていた作品であった。戦後に目を転じてみると、1980年代から90年代にかけて刊行されていた『ドイツ・ロマン派全集』の第12巻に、やはり『ルツィンデ』の新訳が収められている(平野嘉彦訳、国書刊行会、1990)。そしてこのたびの『ルツィンデ 他三篇』は、当該作品に加え、関連する「ディオテーマについて」「哲学について」「小説についての書簡」の三篇を収録した、いわば決定版とでも言うべきものである。

そもそも本書はいわくつきの小説である。哲学および文学に深い造詣を示した若きフリードリヒ・シュレーゲルは、本書『ルツィンデ』が引き起こした一大スキャンダルによって、アカデミズムへの道を永久に絶たれることになった。それは、本書がシュレーゲル本人と、8歳年上の人妻ドロテーアの恋愛をただちに想起させる「モデル小説」だったからだ。本書におけるユーリウスとルツィンデは、その数年前、すでにベルリンのサロンで噂になっていたフリードリヒとドロテーアを明らかにモデルとしたものだった。本書の解説によると、『ルツィンデ』をめぐる騒動は、1801年に行なわれたシュレーゲルの教授資格審査の場にまで及んだという(293-294頁)。その小説としての内容の評価以前に、本書はそうしたスキャンダルとともに受容されたのだ。

だが、『ルツィンデ』の本当の「スキャンダル」はそこにはない──かつてそのことを指摘したのが、批評家のポール・ド・マンであった。ド・マンは「アイロニーの概念」(『美学イデオロギー』上野成利訳、平凡社ライブラリー、2013)において本書『ルツィンデ』を取りあげ、ヘーゲルやキルケゴールといった錚々たる哲学者たちが、この小説をなぜかくもヒステリックに論難するにいたったのかを説明する。ごくかいつまんで言えば、その理由は次のようになる。この小説──とりわけ「ある省察」と題されたパート(124-129頁)──では、性愛と哲学をめぐる議論がほとんど不可分なかたちで繰り広げられる。つまりこの小説では、性愛的描写と哲学的思弁が、明らかな意図をもって同じ平面のもとにおかれているのだ。ここに読まれるのは、「性愛のコード」と「哲学のコード」のアイロニカルな混淆であり、そのことが本書を読んだ哲学者たちを激しく苛立たせた原因だ、というのである。

実際に本書を読んでみると、このド・マンの立論にはそれなりに理があるように感じられる。つまり『ルツィンデ』が挑発的なのは、おのれの秘すべき恋愛をモデルにしたという表層的な次元にはおそらくない。むしろ読者は「小説(ロマン)」というこの文学形式に依拠した文学的かつ思想的な挑発にこそ着目すべきなのだ。本書に収録された「小説についての書簡」をはじめとする小品は、そうしたシュレーゲルの意図をうかがい知る助けとなるだろう。巻末の充実した註や訳者解題とあわせて、本書は日本語における『ルツィンデ』の決定版と言える一冊である。

★──中村健太郎「果てなき“文芸の共和国”を目指す〈ルリユール叢書〉とは──ひとり編集部で30冊刊行できたわけ」(じんぶん堂、2022年4月25日)https://book.asahi.com/jinbun/article/14601870

2022/06/07(火)(星野太)

前田英樹『民俗と民藝』、沢山遼『絵画の力学』、北大路魯山人『魯山人の真髄』

著者、書名:前田英樹『民俗と民藝』
発行所:講談社
発行日:2013/04/10

著者、書名:沢山遼『絵画の力学』
発行所:書肆侃侃房
発行日:2020/10/17

著者、書名:北大路魯山人『魯山人の真髄』
発行所:河出書房新社
発行日:2015/08/06

先日閉幕した「柳宗悦没後60年記念展 民藝の100年」(東京国立近代美術館、2021年10月26日〜2022年2月13日)をきっかけとして、民藝が新たに脚光を浴びている。柳宗悦・河井寬次郎・濱田庄司の3人が「民藝」という言葉を考案したのが1925年のことであるから(翌1926年に「日本民藝美術館設立趣意書」を発表)、いまや民藝の歴史もほぼ一世紀を数えることになる。そうした節目であることに加え、昨今の時代の趨勢もあり、民藝をめぐる入門書や専門書の類いはここのところ百花繚乱の様相を呈している。そこで今回は、あえて新刊書に限定することなく、いわゆる「民藝」を論じたものとしては見落とされがちな幾つかの書物を取り上げることにしたい。

前田英樹『民俗と民藝』は、柳田國男(1875-1962)と柳宗悦(1889-1961)という「互いにほとんど通い合うところがなかった」2人の仕事を、「輪唱のように」歌わせることに捧げられた書物である(同書、3頁)。著者は、柳田の民俗学と柳の民藝運動に共通の土壌を「原理としての日本」という言葉で言い表わしている。ただし、著者もことわっているように、ここでいう「原理としての日本」とは、狭隘な日本主義や日本特殊論とはいかなる関係もない。それは、近代化の過程で抑圧されてきた数ある伝統のうち、かつてこの列島に存在した何ものか──たとえば「稲」に対する強い信仰──を名指すための暫定的な言葉である。

同書は『民俗と民藝』と題されているだけあって、柳田國男による民謡の採集にまつわるエピソードから始まったかと思えば、いつしか柳宗悦による李朝陶磁の発見をめぐる話題へと転じるなど、「民俗学」と「民藝運動」をまたぐその構成に大きな特徴がある。なかでも強い印象を残すのは、この2人の仕事や思想を記述する、その力強い筆致であろう。本書をぱらぱらとめくればすぐさま明らかになるように、その文体は、ごく整然とした伝記的な記述とは一線を画している。柳についてのみ言えば、著者の眼目は、柳が李朝陶磁と木喰仏との出会いを通じていったい何を「発見」したのか、というそもそもの始まりを復元することにある。まるでその場に立ち会ったかのような迫真的な記述は好みが分かれるだろうが、すくなくとも本書は、民藝思想の始まりにいかなる「原光景」が存在したのかを、われわれの目にまざまざと映し出してくれる。

沢山遼『絵画の力学』には、柳宗悦論である「自然という戦略──宗教的力としての民藝」が収められている(初出『美術手帖』2019年4月号)。同論文は、柳の思想における「芸術」と「宗教」という二つの立脚点に照準を合わせ、この両者の不可分な関係を批判的に論じたものである。知られるように、初期のウィリアム・ブレイク研究から、晩年の一遍上人研究にいたるまで、思想家・柳宗悦の核心にはつねに宗教をめぐる問いがあった。1920年代に誕生した「民藝」の思想が、それを放棄するのではなくむしろ深化させたということも、柳のその後の著述活動から知られる通りである。

沢山の前掲論文は、こうした柳の宗教=芸術思想に対する、ある重大な臆見を拭い去るものである。柳は、わずかな個人の天才性に依拠する近代芸術を退け、むしろ中世のギルド的な生産体制を評価した。こうしたことから、今も昔も、柳の民藝思想は近代芸術のまったく対極にあるものと見なされるきらいがある。しかしながら、宗教や神秘主義への関心は、柳と同時代の抽象芸術にもしばしば見られるものである。具体的に挙げれば、青騎士(カンディンスキー)やシュプレマティスム(マレーヴィチ)のような同時代の美術実践・思想は、民衆芸術や神智学を通じた「現実の階層秩序」の解体や無効化をめざすという点で、柳の民藝思想と大きな親和性を有している(同書、324頁)。

民藝運動が、従来の近代芸術へのアンチテーゼであったとする見方は、以上のような視点を欠いたごく一面的なものにすぎない。沢山が「階層秩序の脱構成」と呼ぶこの視点を確保することによってこそ、柳宗悦の思想を同時代の美術潮流のなかにただしく位置づけることが可能になる。これに加え、最初の著書である『科学と人生』(1911)において心霊現象やテレパシーに関心を寄せ、やがて主体なき「自動性」に基づく芸術生産を謳うことになった柳の民藝思想が、シュルレアリスムの「自動記述(オートマティスム)」と同時代的なものであるという指摘も示唆的である。

最後に、柳宗悦の同時代人である北大路魯山人(1883-1959)の著作を挙げておきたい。古今の書画に通じ、すぐれた料理家・美食家でもあった魯山人は、柳をしばしば舌鋒鋭く批判したことでも知られる。過去の偉大な思想は、しばしば過剰なまでの神秘化を呼び招くものだが、柳を批判する論敵・魯山人の筆は、等身大の人間としての柳宗悦の姿をわれわれに伝えてくれる。

それだけではない。幼少より書画の分野で才覚を発揮した魯山人は、1926年、43歳のときに鎌倉で本格的な作陶を開始する。これは柳らが「日本民藝美術館設立趣意書」を公表したのとほぼ同時期のことであった。柳宗悦と北大路魯山人と言えば、人格的にも思想的にも対極的な人物と見られるのが常である。しかし、平野武(編)『独歩──魯山人芸術論集』(美術出版社、1964)などに目を通してみれば、読者はそこに「自然」を唯一無二の範とするこの人物の芸術思想をかいま見ることができる。それは柳の言う「自然」──沢山の前掲書を参照のこと──と、いったいどこまで重なり合い、どこで袂を分かつのか。生前、民藝運動を批判して止むことのなかった魯山人だが、『魯山人の真髄』に所収の「民芸彫刻について」や「柳宗悦氏への筆を洗う」をはじめとする論攷を傍らに置いてこそ、民藝そのものもまた新たな姿を見せるのではないか。魯山人が生前に書き残したものは、平野雅章(編)『魯山人著作集』(全三巻、五月書房、1980)にまとめられているほか、主だったものは『魯山人味道』『魯山人陶説』『魯山人書論』(中公文庫)などでも読むことができる。

2022/04/09(土)(星野太)

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ジュリア・フィリップス『消失の惑星』

翻訳:井上里

発行所:早川書房

発行日:2021/02/25

2019年に全米図書賞(小説部門)の最終候補となり、商業的にも大きな成功を収めた本書『消失の惑星(Disappearing Earth)』が日本語に翻訳されたのはおよそ一年前のことである。昨今の時流にも即した本書は日本でも多くの読者を獲得し、話題を呼んだ。そのため、これから書くことはいささか時宜を逸したものであることは否めないが、あらためて同書の外郭をたどりつつ、従来の書評とはやや異なった視点から本書の紹介を試みたい。

本書は、米国ニュージャージー生まれの作家ジュリア・フィリップス(1989-)のデビュー作である。舞台はロシア東部のカムチャツカ半島であり、物語はアリョーナとソフィヤという幼い姉妹の失踪事件から始まる。しかしながら、本書の叙述は、物語が進むにつれて次第に事件の顛末が明らかになっていくミステリーのそれとは大きく異なる。姉妹が姿を消した「8月」からおよそ一ヶ月ごとに進む本書では、まるで終わりのない短編集のように、カムチャツカ半島に生きる女性たちのエピソードがかわるがわる披露される。友人との関係に悩む中学生オーリャ、新しくできたそそっかしい恋人とキャンプに出かけるカーチャ、鎖骨の下の水疱に悩む学校秘書のワレンチナ、少数民族にルーツをもつ大学生クシューシャなど、彼女たちのエピソードは──部分的に重なりつつも──ほとんど独立しており、物語の結末にむけて一点に収束していくわけではかならずしもない。それらに共通するところがあるとすれば、それは幼い姉妹の失踪事件を背景に否が応でも増幅される、同地の「女性たちの」孤独・煩悶・喪失である。

はじめにも述べたように、本書『消失の惑星』はすでに読書界で高い評価を獲得しており、その構成や文体に鑑みても、これがきわめて完成度の高い長編小説であるという評価は揺るぎようがない。かといって、終始破綻なく進むこの物語に、あらためて批評的な読みどころを見いだすこともむずかしい。そこで、ここではあえて、本書の成立の背景に注目してみたい。

英語によるいくつかの記事に目を通してみるとわかるように、著者フィリップスは、本書の執筆に20代のほぼすべてを費やしている。高校生のころからロシアに関心を抱いていたという著者は、バーナード・カレッジ卒業後にフルブライト奨学金を得て、『消失の惑星』の舞台となったカムチャツカ半島で2年間のリサーチを行なっている★1。また、そうした現地でのリサーチのかたわら、彼女がニューヨークの犯罪被害者支援センター(CVTC)で長く勤務していたという事実も注目に値する★2。本書については、前者のカムチャツカ半島でのリサーチばかりが注目されるきらいがあるが、その内容に鑑みれば、犯罪被害者に間近で接してきた後者の経験が本書の執筆に大きな影響を及ぼしていることは疑えない。

本書は、以上のような長期にわたる、粘り強い創作活動の果てに成った一冊である。その事実をここであえて強調するのは、現代美術の世界で──制度的に──しばしば横行する、ごく短い期間の「リサーチ」なるものとの、彼我の隔たりに思いをめぐらせるためである。むろん、小説とそれ以外の表現形式とでは、基本的な前提に大きな違いがあることもたしかだろう。しかしそれでも、本書のような10年単位のリサーチが、なぜ現代美術の世界において見られないのかということはやはり考えざるをえない。すくなくともこの小説は、1、2年ほどの中途半端なリサーチによっては到底不可能な、きわめて大きな達成である。実際にそうした活動に身を投じるかどうかはともかく、何らかのリサーチに基づく(research-based)作品であることを殊更に謳うからには、本書のような仕事が存在することは重々意識しておく必要があるだろう。

★1──“Barnard’s 2011 Fulbright Recipients Announced” (コロンビア大学、バーナード・カレッジ、2011年5月9日)https://barnard.edu/headlines/barnards-2011-fulbright-recipients-announced(2022年2月6日閲覧)
★2──“Julia Phillips: Debut Novelist And National Book Award Finalist” (ニューヨーク・クイーンズ公立図書館、2020年1月24日)https://www.queenslibrary.org/about-us/news-media/blog/2010(2022年2月6日閲覧)

2022/02/07(月)(星野太)

ジェニー・オデル『何もしない』

翻訳:竹内要江

発行所:早川書房

発行日:2021/10/05

アーティストのジェニー・オデルが、本書『何もしない方法(How to do Nothing)』の原型となる講演をEyeo Festivalで行なったのは2017年のことである。その後、本書は2019年に書籍として書き下ろされ、かのバラク・オバマの目にとまることになる。その高評価とも相まって、同書は『ニューヨーク・タイムズ』をはじめ、数多くの媒体で取り上げられるベストセラーとなった。

本書が人々の関心を集めた最大の理由は、そのテーマのもつ時宜性と、語り口のユニークさにあると言えるだろう。本書の問題意識は、「われわれは注意経済(アテンション・エコノミー)からいかに距離を取ることができるか」という問いにほとんど還元されると言ってよい。事実、日本語では省略されてしまっている原書の副題は「注意経済への抵抗(Resisting the Attention Economy)」である。つまり、日々インターネットの記事・広告・SNSなどから垂れ流されてくる情報の氾濫からいかにして身を守るべきか、というのが本書の基調をなす問題意識なのだ。しかしそれと同時に、著者は「TwitterやFacebookをやめるべきだ」とか「スマートフォンを手放すべきだ」といった安易な「デジタル・デトックス」がなんの解決にもならないということを早々と指摘する。肝要なのは、そうした一見わかりやすい解決策に飛びつくことではなく、われわれの「注意」のありかたそのものを変えていくことなのだ──本書を通して、著者が一貫して唱えているのはそうしたことである。

本書『何もしない』がよくある巷の啓蒙書と異なるとしたら、それはアーティストである著者ならではの具体的な経験が広く散りばめられているからだろう。同書の論述はけっして一本道ではなく、そこでは現在と過去、理論と実践、作品と日常がいたるところで絡まりあっている。そこに登場するエピソードのなかには、オデルその人の作品や実践のみならず、彼女が教鞭をとるスタンフォード大学での学生とのやりとりや、家族やパートナーとのささやかな出来事も含まれる。また、1960年代に生じたコミューン運動への批判的なまなざし(第二章)や、彼女の論旨を補強するピルヴィ・タカラや謝徳慶といったパフォーマンス・アーティストの作品(第三章)も、それぞれ興味深いものである。かたや、全体にわたり参照される哲学・文学作品のなかには過去にさんざん使い回され、いくぶん摩耗したものも含まれるが(ジル・ドゥルーズ『記号と事件』、ハーマン・メルヴィル『代書人バートルビー』、レベッカ・ソルニット『災害ユートピア』など)、広範な読者を想定した一般書としては致し方のないことかもしれない。

いずれにせよ、本書のスタンスに注目すべき点があるとすれば、それは「注意経済」に覆い尽くされた日々の生活を惰性的に受け入れるのでも、反対にそこからの安易な離脱を説くのでもなく、そのなかで何とかやっていくためのヒントを具体的に示しているところだろう。オデルが言うように、いまのわれわれに必要なのは、みずからの注意をコントロールするための「継続的なトレーニング」である(154頁)。そのさい著者が何度も引き合いに出すのは、地元オークランドのバラ園やバードウォッチングだが、既述の通り、それはかならずしもわかりやすい「自然回帰」を志向するものではない。情報テクノロジーからの完全な離脱がもはや現実的ではない現下の状況において、本書は「第三の空間」(121頁)や「コンテクストの回復」(268頁)が、そこからの脱出口となりうることを指摘する。それを、理論/実践いずれかの一辺倒ではなく、両者を縫い合わせるかたちで──しかも、あくまでユーモラスに──示した本書の提言は、たしかに一読に値するものでる。

★──Eyeo Festivalは、コンピューター・テクノロジーに関心を寄せるアーティスト、デザイナー、コーダーらを対象とするカンファレンス。年一回、ミネアポリスのウォーカー・アート・センターで行なわれる。2017年のオデルの講演の動画は以下のURLで公開されており、講演の書き起こしもmediumのブログで読むことができる。https://vimeo.com/232544904(2022年2月6日閲覧)

2022/02/07(月)(星野太)

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