2021年04月15日号
次回5月17日更新予定

artscapeレビュー

建築に関するレビュー/プレビュー

アイノとアルヴァ 二人のアアルト フィンランド─建築・デザインの神話

会期:2021/03/20~2021/06/20

世田谷美術館[東京都]

フィンランドを代表する建築家・デザイナーといえば、アアルトである。アアルトと聞くと、アルヴァ・アアルトを思い浮かべがちだが、彼の側にはつねに妻のアイノ・アアルトの存在があった。本展はタイトルどおり、夫婦二人三脚で取り組んだ、アイノとアルヴァの活躍にスポットを当てたものだ。「アアルト」ブランドを築けたのは、アイノもいたからこそというわけである。夫婦で活躍した世界的デザイナーといえば、ほかに米国のチャールズ&レイ・イームズが挙げられるが、夫は頭脳明晰でモダニスト、妻は感性豊かな芸術家肌で、二人は互いに尊敬し合う良きパートナーという点でも両夫婦は似ているように感じた。これが理想の夫婦デザイナー像なのか……。

アイノ・アアルトとアルヴァ・アアルト 1937 Aalto Family Collection[Photo: Eino Mäkinen]

さて、アアルト夫妻がデザインしたのはアルテックの家具やイッタラのガラス器ばかりではない。もちろんこれらも優れた功績のひとつだが、彼らは実にさまざまな方面で活躍した。一貫していたのは「人々の暮らしを大切にする」という視点だ。これは北欧らしい社会主義的視点とも言える。20世紀前半は二つの大戦や世界大恐慌などが起こった激動の時代であると同時に、近代から現代へと生活様式が移り変わった過渡期でもある。そんな時代において、彼らは庶民の生活環境の改善に尽力した。その一例である1930年に発表された「最小限住宅展」が本展でも再現されており、必要最低限のコンパクトさやシンプルさは、いま見ても、また日本人から見ても、共感できるものだった。

展示風景 世田谷美術館

なかでも私が改めて注目したのは、1933年に建てられた「パイミオのサナトリウム」である。アアルト夫妻の代表作とも言えるこれは、結核患者のための療養施設で、病室棟、外気浴棟、食堂・娯楽室棟、サービス棟、医師住宅、ガレージが総合的に備わった建物だ。結核は結核菌による感染症のひとつで、日本でも戦前は「国民病」と恐れられるほど多くの患者で溢れた。それは欧州でも然りだったのだろう。アアルト夫妻は「病人のための設計」の視点を強く持ち、衛生面はもちろん、病人にストレスや不安をなるべく感じさせず、快適で、明るい気持ちに少しでもなれるように隅々まで配慮した。新型コロナウイルス感染症がいまだ猛威を振るう昨今、この「パイミオのサナトリウム」をただ遺産として讃えるだけでなく、積極的に学ぶべき点は多いのではないかと痛感した。

エイノ・カウリア/アルヴァ・アアルト、パイミオのサナトリウム1階天井色彩計画、1930頃 Alvar Aalto Foundation


公式サイト:https://www.setagayaartmuseum.or.jp/exhibition/special/detail.php?id=sp00202
※日時指定予約制
※画像の無断転載を禁じます


関連レビュー

アルヴァ・アアルト──もうひとつの自然|杉江あこ:artscapeレビュー(2018年10月01日号)

2021/03/28(日)(杉江あこ)

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「写真の都」物語、GENKYO 横尾忠則

名古屋市美術館、愛知県美術館[愛知県]

名古屋市美術館の「『写真の都』物語 —名古屋写真運動史:1911-1972—」展は、有名な写真家をとりあげるのではなく、機関誌や組織の動向に注目しつつ、地方都市の写真史を振り返る好企画だった。したがって、構成は時系列となり、順番に1920年代のピクトリアリズム(日高長太郎が創設した愛友写真倶楽部など)、1930年代の前衛写真(高田皆義など)と超現実主義(山本悍右など)、戦後は対極的なリアリズム運動と主観主義(後藤敬一郎)、そして2階に上がると、1960年代以降の東松照明のデビュー、政治の季節(石原輝雄《広小路通り、名古屋駅前 1968.10.21》など)、「中部学生写真連盟」や名古屋女子大学写真部の集団撮影行動の試みをたどる。

共通のテーマを集団で撮影する写真表現など、知らなかった運動もあって興味深い内容であり、彼らの活動の拠点となる機関誌を数多く展示していたのも印象的だった。また結果的に、東松がいきなり彗星のように現われたわけでなく、どのような背景で登場したかがよく分かる。また、筆者があいちトリエンナーレ2013の芸術監督を担当したときに(海外作家によるビルの壁画の作品では、東松の写真も参照した)、歴史に裏付けられた名古屋のアートに対する底力を感じたが、それを思い起こさせる企画でもあった。

かたや愛知県美術館の「GENKYO 横尾忠則」展は、よくぞこれだけ多くの作品を集めたという集大成的な内容だった。サブタイトルの「原郷から幻境へ、そして現況は?」の通り、少年期の絵からデザイナー時代の仕事、ジャンル横断的な活動、コラージュや画面の複層化、滝の連作とその資料、Y字路やコロナ禍において過去作品にマスクをはめこむ試みまで、代表的なシリーズを網羅している。まとめて見ると、自作を何度も再利用しながら、変形させていることが興味深い。彼はデザイナーから転身し、1980年代に画家宣言をするが、同じような道を辿りながら自死に至ったカッサンドルと根本的に違うのは、横尾の創作意欲と楽観性なのだろうかと、考えさせられた。


「GENKYO 横尾忠則」、「Y字路の彼方へ」より


「GENKYO 横尾忠則」、「肖像図鑑」や猫のコーナー


「GENKYO 横尾忠則」、「原郷の森」より


「GENKYO 横尾忠則」、「コロナ・シリーズ」より

ところで、本展ではあまり触れられていなかったが、彼が関わった大阪万博《せんい館》の展示も欲しい。これは工事用の足場を残して、「未完成」を積極的に表現した破天荒なプロジェクトであり、おそらく現在の日本では許されないからだ。いまやオリンピックの開会式や万博が、クリエイターではなく代理店主導になっている状況に対し、展覧会が批評的な意味をもつはずである。

「「写真の都」物語 ─名古屋写真運動史:1911-1972─」

会期:2021/02/6~2021/03/28
会場:名古屋市美術館


「GENKYO 横尾忠則 原郷から幻境へ、そして現況は?」

会期:2021/01/15 ~2021/04/11
会場:愛知県美術館


2021/03/21(日)(五十嵐太郎)

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「ストリーミング・ヘリテージ」展で考えた、金鯱と名古屋城の今後

会期:2021/03/12~2021/03/28

名古屋城二之丸広場ほか[愛知県]

名古屋市の歴史と文化を現代的な視点から読み解く「ストリーミング・ヘリテージ|台地と海のあいだ」のイベントに登壇した。名古屋城の会場で、先行する日栄一真+竹市学のパフォーマンスはなんとか小雨で終えた。つづく秋庭史典のモデレートによるメディア・アーティストの市原えつこと筆者の対談は、文化と厄災、伝統とデジタル・テクノロジーをめぐる話題になったものの、激しい雨に見舞われた。個人的にも、これだけ厳しい天候の野外トークは初めてかもしれない。そういう意味で記憶に残るイベントだったが、もうひとつ強烈だったのが、普段は屋根の上にある金鯱が真横にあるというステージだったこと。16年ぶりに地上に降臨したらしい。

もともと金鯱は、火事のときは水を噴きだすというイメージから、建築の守り神と考えられていた(当日は効きすぎて、豪雨になったが)。現代の設備なら、スプリンクラーである。ともあれ、金鯱は名古屋のシンボルになっており、これがあるからこそ、名古屋城が大事にされていると考えると、やはり建築を守る存在だろう(ちなみに、ヴェネツィアは有翼の獅子が街の守護神であり、サン・マルコ広場のあちこちで見出すことができる。ヴェネツィア国際映画祭の金獅子賞もこれにちなむ)。抽象的な建築だと、一般には受け入れられにくいが、金鯱という具象的なシンボルは、やはりキャラとして愛されやすい。最強のアイコンなのだ。


イベント・ステージ真横に位置する金鯱(海シャチ)。逆さ金鯱が水面に映っている


ステージ上から撮影した、2つの金鯱

さて、輝く金鯱が地上に降りたのは、これで3度目であり、2005年の愛知万博(愛・地球博)以来になるが、今回は河村たかし市長が名古屋城の木造化の機運を高めるために企画したものだ。彼が選挙の公約として掲げながら、遅々としてプロジェクトが進まないのは、現在のコンクリート造の城の問題ではない。足元にある石垣がオリジナルであるため、その扱いに慎重さが求められるからだ。もっとも、石垣を傷つけずに工事するのは、血を出さずに肉を切るという「ヴェニスの商人」的な状況と似ていよう。すでに名古屋市は竹中工務店に発注し、おそらく設計もしているほか、必要な木材も購入しているらしい。もし着工されなければ、これらは無駄に終わる。とすれば、戦後に市民の応援で復元したコンクリート造の城を残しつつ、石垣保全の問題が起きない近くの場所で、木造の名古屋城を別に建設すればよいのではないか、と思う。荒唐無稽のように思えるが、戦災で焼失した城をコンクリートで復元したことも、重要な歴史の出来事であり、その記憶を抹消しないですむ。また2つの城が、双子のように並ぶインパクトのある風景は、ほかに存在しないから、観光資源にもなるはずだ。



名古屋城二之丸広場で開催された「名古屋城金鯱展」


特設会場脇の砂山に吸えられた金鯱(山シャチ)


展示フレーム越しに眺めた金鯱

公式サイト: https://streamingheritage.jp/

2021/03/20(土)(五十嵐太郎)

山形の建築と博物館をまわる2(酒田市)

[山形県]

酒田市では、まず《本間美術館》を訪問した。これも歴史が古く、敗戦直後の1947年に豪商だった本間家が設立し、当初は《清遠閣》(1813)の和空間において、洋画を含む、様々な展示を開催していた(それゆえ、和室にピクチャー・レールが残る)。そして1968年に伊藤喜三郎の設計による、モダニズムの新館が登場した。館長から当時の記録を見せてもらったが、めまぐるしく多種多様な展示が行なわれていたのも興味深い。ここに限らないが、現在は美術館の企画展は2~3カ月行なうものだが、ほとんど週代わりで内容が変わり、展示の入れ替えも2日程度で行なっている。こうした展示は、いまのわれわれが考える以上に、重要な娯楽になっていたはずだ。ともあれ、「美の鉱脈」展のレビューでも触れたように、山形はいまだに県立美術館がない、おそらく最後の県なのだが(青森で全部そろったと思っていたが、実はそうではない)、逆に民間の美術館が、全国レベルでも早い時期から、ここ山形で頑張っていたことと無関係ではないだろう。


《本間美術館》の外観


《清遠閣》の室内

その後、池原義郎が設計した《酒田市美術館》(1997)と、谷口吉生による《土門拳記念館》(1983)を見学した。前者は、アプローチから室内まで、建築系の人にとってはシビれるようなディテールを随所に散りばめ、落ち着いて作品を見られないのでは、と思うような技巧的なデザインである。いまの公共建築の予算では、ここまでやりきることはできないだろう。「アンティークドールの夢」展を準備中だったが、先の《本間美術館》を含めて、同日に雛祭りの人形展をすでに3カ所で見たこともあり、山形は人形好き(?)なのかと気になった。後者の《土門拳記念館》は、名誉市民となった土門拳が全作品を寄贈したことが契機に建設されたものだが、やはり背筋がぴんとする空間である。そして谷口らしい水面と建築のコラボレーションだ。


池原義郎設計の《酒田市美術館》(1997)ロビー


《酒田市美術館》内の喫茶室


谷口吉生《土門拳記念館》の外観

酒田市では、そのほか茶室や数寄屋の研究で知られる中村昌生の技巧を凝らした《出羽遊心館》(1994)、「おしん」のロケ地で有名な川沿いに並ぶ明治期の《山居倉庫》、映画『おくりびと』に登場した改修中の《旧割烹小幡》などに立ち寄った。和風建築の《出羽遊心館》は、生涯学習施設という位置づけだが、なんと2018年に「森山大道写真展」を開催したこともあるという。


中村昌生《出羽遊心館》の館内


《山居倉庫》外観

2021/03/17(水)(五十嵐太郎)

山形の建築と博物館をまわる1(鶴岡市)

[山形県]

一泊二日で山形の建築と博物館をまわった。近年、鶴岡は2つの注目すべき現代建築が登場した。坂茂が設計した《ショウナイホテル・スイデンテラス》(2018)とSANAAほかが手がけた《荘銀タクト鶴岡》(2017)である。前者は、水とホテルが組み合わされており、リゾート風だが、その名の通り、水田をイメージしたのはユニークだろう。彼らしい、システマチックなフレームによる空間である。そして隣接する、やはり坂による児童施設の《KIDS DOME SORAI》は、亀の甲羅のような全天候型の木造ドームが目立つ。



坂茂設計の《ショウナイホテル・スイデンテラス》


これまた坂茂設計の《KIDS DOME SORAI》

一方、《荘銀タクト鶴岡》は、幾重にも屋根が連なる外観が山々の風景とも呼応しながら、場所によって見え方が変わる新しいランドマークだった。客席は非対称のワインヤード席であり、これを包むコンクリートのヴォリュームから、軽やかな鉄の階段や空中歩廊が外周部に展開する。またホールでありながら、いつでも入れるフリーゾーンをもつ開かれた建築だった。なお、イタリア料理で有名なアル・ケッチャーノも鶴岡市内にあるので、このエリアを建築めぐりする場合は、《スイデンテラス》の宿泊とあわせて、そちらで食事をすることを勧めたい。



屋根が特徴的な《荘銀タクト鶴岡》

《荘銀タクト鶴岡》は当初、別の場所での建設も検討されていたらしいが、現在の位置は《鶴岡アートフォーラム》《大寶館》《藤沢周平記念館》《東北公益文科大学》《致道博物館》などに近く、文化系の施設がまとまった領域を形成しつつ、市の中心部に21世紀的な空間が追加されたと位置づけられる。ただし、外でのランチの習慣があまりないせいか、《荘銀タクト鶴岡》のフリーゾーンにカフェがないのが惜しい。

興味深いのは、開業がかなり早く、なんと1950年代にさかのぼる独特の施設である《致道博物館》だ。しかも、いわゆる博物館の建築とはだいぶ違う。ここにはモダニズムの美術展覧会場(1961)もあるのだが、江戸時代の《旧庄内藩主御隠殿》(1863)や《旧渋谷家住宅》(1822)、明治期の擬古典系意匠の《旧西田川郡役所》(1881)や《旧鶴岡警察署庁舎》(1884)などを随時移築し、それらが並ぶ、野外博物館的な場所なのだ。つまり各棟の建築それ自体が、山形の歴史を刻む、大きな展示物である。訪問時は企画展として、雛人形展や礒貝吉紀のドールハウス展(マッキントッシュのインテリアもいくつか含む)が開催されていた。



《旧庄内藩主御隠殿》の室内


《旧渋谷家住宅》外観


《旧西田川郡役所》(1881)


《旧鶴岡警察署庁舎》外観

2021/03/17(日)(五十嵐太郎)

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