2019年07月01日号
次回7月16日更新予定

artscapeレビュー

建築に関するレビュー/プレビュー

中山英之展「, and then」

会期:2019/05/23~2019/08/04

TOTOギャラリー・間[東京都]

ギャラリー間では、ベスト級の展覧会だった。個人的に良い展覧会のポイントは、以下の3つである。第一に素晴らしい作品、もしくは貴重な資料があること。第二に、ここでしか体験できないこと(すなわち、書物に置き換えにくい内容)。そして第三に、展覧会の枠組を改めて問うこと。とくに映像との関係で建築展をひっくり返すことに成功している。どういうことか。通常、建築展において映像は付属物として扱われる。だが、本展のメインとなる4階を、むしろ彼の作品について制作された6編のショート・ムービーを上映する映画館=「シネ間」とし、3階を映像に関する資料、ドローイング、模型などの展示場とした。つまり、建築家の手を離れた後、現在、どのように住宅が使われているかを伝える、ドキュメンタリー映画の方が主役である。また『家と道』以外は上映時間10分以内に抑えられ(あまり長過ぎないことも好感がもてる)、休憩・CMを含めて、ちょうど1時間のタイムテーブルが組まれている。



「中山英之展 and then」映画館の入り口をイメージした3階の展示風景



「中山英之展 and then」屋外展示の風景



「中山英之展 and then」短編映画の上映サイクル


過去にも千葉学が数名の施主に使い捨てカメラを送り、住宅の現状を撮影したものを活用する展覧会があったが(建築家に依頼するだけに、写真のセンスが良いことにも感心)、今回は施主だけでなく、さまざまなアーティストが撮影しており、建築の特徴を引きだしつつ、それぞれの強い個性が反映されている。とくに実見したことがある「O邸」は、訪問したときに比べて、かなり使い倒されている雰囲気がよくわかった。『Mitosaya薬草園蒸留所』はライブ感あふれる商品の製造過程をとらえ、「弦と孤」は上下と回転運動のみによるカメラが1日の様子を撮影し、ギャラリー間としては破格に横長の三面スクリーンに映しだされる。『2004』はかわいらしいアニメーションと写真のスライドショーであり、「家と道」は入念に演出された人々の動きをカメラのアングルを変えながら紹介する(もっとも面白い作品だったが、5回目のループはなくてもよかったかもしれない)。



「中山英之展 and then」《家と道》コーナーより



「中山英之展 and then」《弦と弧》コーナーより


2019/05/31(金)(五十嵐太郎)

仙台沿岸部の震災遺構をまわる

[宮城県]

せんだいメディアテークが推進するアートノード・プロジェクトのアドバイザー会議にあわせて、被災した仙台の沿岸部を視察した。熊本県から贈られ、公園の仮設住宅地につくられた伊東豊雄による第1号の《みんなの家》は、その後移築され、現在は《新浜 みんなの家》として活用されている。ただし、色が黒く塗られて、外観の雰囲気は変わっていた。そのすぐ近くが、アートノードの一環として、川俣正がフランスや日本の学生らとともに、家型が並ぶシルエットをもつ「みんなの橋」を設置する貞山運河の予定地だった。これは数年かかる事業になるだろう。



伊東豊雄建築設計事務所《新浜みんなの家》2017(宮城県仙台市宮城野区)


続いて荒浜に移動し、津波で破壊された住宅の跡をセルフビルドとリサイクルによってスケートパークに改造したラディカルな《CDP》(カルペ・ディエム・パーク)や、家が流され、複数の住宅の基礎だけが残る震災遺構の整備現場、自主的に運営されている海辺の図書館などをまわった(ちなみに石巻でも、被災した大きな倉庫がスケートパークに改造されていた)。



《CDP》(カルペ・ディエム・パーク)の様子



《CDP》(カルペ・ディエム・パーク)の様子


2017年にオープンした《震災遺構 荒浜小学校》も立ち寄った。周囲の家屋は流失したが、小学校は頑丈な躯体ゆえに大破しなかった。建物の手前はアスファルトの駐車場が整備され、観光バスを含めて、多くの来場者が訪れている。筆者が2011年の春に訪れたときは瓦礫や自動車が教室に押し込まれ、当然上階には行けなかったが、いまはすべて除去され、当時、320人が避難した屋上まで登ることが可能である。



《震災遺構 仙台市立荒浜小学校》2017年4月公開(宮城県仙台市若林区荒浜)。破壊の傷跡も生々しい


ここから周囲を見渡すと、復興の様子も一望できる。瓦礫はなくなったものの、1階の教室やバルコニーには破壊の傷跡が残り、2階は廊下の壁に津波の到達線が記されているほか、建築家の槻橋修が始めた失われた街を復元する白模型の荒浜バージョンなどが展示されていた。そして4階は、発災直後の出来事を空撮の映像や回想するインタビューなどによって伝えるドキュメントを流している。復興を勇ましく紹介する中国の四川大地震の震災メモリアルに比べると、全体としては静謐なイメージの施設だった。



《荒浜小学校》津波で破壊される前の様子を再現した模型



《荒浜小学校》4階の映像展示


2019/05/25(土)(五十嵐太郎)

那須の建築をまわる

《アートビオトープ那須》にある石上純也の《ウォーター・ガーデン(水庭)》(2018)を見学するために、ランチ付きのツアーに参加した。おそらく、もっと緑の多い時期に訪れたほうが良さそうだったが、やはり新鮮な体験だった。土地の高低差はあまりない平場において、彼の傑作《KAIT工房》の柱の本数とほぼ近い約300本の樹木をすべて独自に配置しながら、それらのあいだに鏡面と化す大小の水庭を迷路のように散りばめる。屋根はないから、《KAIT工房》のときのような構造計算の必要はないが、複雑性への志向は同じだ。当然、これは明快な軸をもった幾何学式の庭園ではない。かといって風景式の庭園に比べると、ある種のルールをもち、自然に発生しない状態になっており、自然と人工の中間だ。また通常の生態系ならば、生まれるであろう背の低い植物も、視界を確保するためなのか、排除されている。なお、《ウォーター・ガーデン(水庭)》の向かいには坂茂による新しいコテージが登場する予定らしい。



《ウォーター・ガーデン(水庭)》2018(栃木県那須郡那須町)

続いて、宮晶子のデビュー作、《那須の山荘》(1998)を見学した。隣地に他の建築が増えないであろう恵まれた自然環境に囲まれた、家型をもつ縦長・細長のヴォリュームである。1階は床が段々に上がることで地形を吸収しつつ、内壁を袖壁で分節し、さまざまな場をつくり、前後は大きなガラスの開口によって視線が建物を貫通する。2階はチャーミングな動きをする開口を全開にすると、樹上に浮かぶフロアに変化する。また屋根をスライドさせてから登ることができる屋上も楽しい。


宮晶子 / STUDIO 2A《那須の山荘》1998(栃木県那須郡那須町)


《那須の山荘》の内装


帰路の途中、明治建築である《旧青木家那須別邸》(1888)を見学した。正直、なめていたが、いずれもドイツに留学した施主の青木周蔵、設計者の松ヶ崎萬長ともに、創成期の日本建築学会にとって重要人物だったことを知る。別荘も当初はシンメトリー重視で矩形の観念的なプランだったが、のちの増築によって左右のウィングともに、かなり奇妙な和洋折衷の空間やズレが生じ、ヴェンチューリ的だった。この建物の背後には、奈良美智の作品やコレクションを展示している、イシダアーキテクツスタジオ設計の《N's YARD》(2017)という美術館もある。



松ヶ崎萬長《旧青木家那須別邸》1888(栃木県那須塩原市)


《旧青木家那須別邸》内装



イシダアーキテクツスタジオ《N’s YARD》2017(栃木県那須塩原市)

2019/05/01(水)(五十嵐太郎)

高雄の現代建築をまわる

[台湾]

約10年ぶりに台湾の高雄を訪れた。主な目的はオランダのメカノーによる《衛武営国家芸術文化センター》がオープンしたからである。が、これ以外にもいくつものインパクトがある大型の建築プロジェクトが進行しており、高雄は変貌の最中だった。一方でグローバル時代の都市間競争を考えたとき、東京は開発の数こそ多いけれども、注目すべき建築がほとんどないことが心配になる。

さて、コンピュータ時代のぐにゃぐにゃの造形をもつメカノーの新作は、伊東豊雄の《台中国立歌劇院》と同様、矩形の輪郭だが、垂直方向ではなく、うねりながら水平に広がり、公園に接続している。ホール群の内部は見学できなかったが、その余白には広い共有空間があり、建築を楽しめるのが良い。実際、台湾の各地から多くの観光客が集まっていた。施工の粗さは気になるが、意気込みを感じる巨大な実験建築である。



Francine Houben / メカノー《衛式営国家芸術文化センター》2017(台湾、高雄市)


《衛式営国家芸術文化センター》内装


《衛式営国家芸術文化センター》外観

高雄駅と周辺の大開発も、メカノーが担当しており、部分的にダイナミックな空間が完成している。完成予想図を見ると、日本統治時代につくられた小さな《旧高雄駅》が再び曳家され、都市の中心軸に配置されるようだ。




メカノーによる高尾駅周辺の開発


海辺にも新しい風景が出現している。ウォーターフロントの倉庫群は、芸術特区となり、あちこちに飲食店とアート作品が散りばめられ、賑わっている。また一角にある《鉄道館》のミニ鉄道が外にも飛びだすのが楽しい。平田晃久がコンペで二位だった《海洋文化及流行音楽中心》は工事が進み、幾何学形態を組み合わせながら、海を囲む建築の姿がだいぶわかるようになった。ライザー+ウメモトによる大型のクルーズ船を意識した《高雄港国際線旅客船ターミナル》も、かなり完成している。その近くにたつCOXによる《高雄展覧館》(2013)や李祖原の《高雄85ビル》(1997)も、巨大建築だ。



Manuel Alvarz Monteserin Lahoz + 翁祖模建築師事務所《海洋文化及流行音楽中心》建設中(台湾、高雄市)


ライザー+ウメモト《高雄港国際線旅客船ターミナル》建設中(台湾、高雄市)


《高雄市立図書館 総館》(2014)は《せんだいメディアテーク》とよく似た外観だが(逆に違いを比較すると興味深い)、伊東の名前もクレジットされており、計画に関わっているらしい。ちなみに、和洋の《高雄市歴史博物館》(1939)のほか、哈馬星のエリアにも独特の柱をもつ《高雄武徳殿》(1924)、《臺貳樓(旧山形屋書店)》(1920)、貨幣博物館になった銀行、駅舎など、日本統治時代の建築がよく残り、うまく活用されていた。



伊東豊雄建築設計事務所+劉培森建築事務所《高雄市立図書館 総館》2014(台湾、高雄市)



《高雄市歴史博物館》1939(台湾、高雄市)

2019/04/28(日)(五十嵐太郎)

佐々瞬の借家訪問、鎌田友介ミニレクチャー

東北大学青葉山キャンパス[宮城県]

仙台のアーティスト、佐々瞬が、持ち主から借りている沿岸部・新浜の住宅を、彼の友人である鎌田友介とともに訪問した。これは東日本大震災で半壊したが、当初は再びそこで暮らす意志があり、公費解体を受けず、かといって結局、別の場所での生活を始めたため、そのまま残ったものである。窓や壁の一部は壊れたまま、1階の壁には浸水の到達線も残っているが、だんだん薄くなっているらしい。昨年、荒浜の小学校は震災遺構になったが、生活の空間で解体を免れ、被害の爪痕を確認できる事例はもう少ない。佐々も、この住宅をどうするか決めているわけではないが、とにかく借りることにしたという。いずれ時間が経てば、被災した民間の住宅として重要視されるはずだ。が、すぐにはそうならないだろうから、しばらくは維持する必要がある。また、こうした場所をわれわれが今後どう使うのかも試されているように思う。そこで筆者も大学のゼミで、まずは一度ここを活用することに決めた。



佐々瞬が新浜で借りている民間住宅の外観。先の東日本大震災で被災した 



佐々瞬が新浜で借りている住宅の内部


最近はほとんど海外で調査と制作を続けている現代美術家の鎌田が、仙台に滞在するということで、東北大においてミニレクチャーを依頼した。もともと彼は壊れた窓枠が絡まりあう建築的なインスタレーションを手がけていたが、近年は住宅と記憶をテーマにした作品を発表している。とくに日本統治時代の韓国、あるいは日本の移民が渡ったブラジルに建設され、今も残る日本家屋、そして戦時下において、一時アメリカに戻っていたアントニン・レーモンドが軍に協力し、効果的な焼夷弾の開発のために砂漠に建設した日本的な木造家屋を綿密に調査している。が、彼は研究者ではないので、論文を執筆するわけではない。これら一連の日本家屋のリサーチから展開された構造物のシリーズは、国際芸術センター青森のほか、各地で展示されたが、国立現代美術館ソウル館の大きな吹抜けでは、3つの住宅が重なる空間インスタレーションを展開した。すなわち、戦争、植民地、空襲、移民といった20世紀の歴史が交錯する日本家屋である。

2019/04/18(木)(五十嵐太郎)

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