artscapeレビュー
ミクニヤナイハラプロジェクト『幸福オンザ道路』
2012年04月01日号
会期:2012/03/22~2012/03/24
横浜赤レンガ倉庫1号館3Fホール[神奈川県]
演劇の矢内原美邦は高速を目指す。台詞回しも、ときに台詞とはほとんど関係なく行なわれる身体動作も、超速い。速すぎて言葉は聞き取れない。時折、ぐっとくる名言が飛び出しているようなのだが、しゃべりの速さと同じくらい速く記憶される前に消えてしまう。反演劇? でも、矢内原は以前から早口でも観客に台詞は届けたいのだと言っているのだ。ならば、目指すは明瞭に聞き取れる速い演劇? 難しいのなら、台詞担当(声)と動作担当(身振り)を分けてみたらとアフタートークで岡田利規は提案していたけれど、矢内原はそれを両立しうる身体こそ求めているのだから、解決にはならないだろう。以前どこかでぼくは矢内原の演劇はビデオの早回しのようだと書いた。その喩えで言えば、二倍速でも声は明瞭に聞き取れる「時短ビデオ」が矢内原演劇の目標であると、さしあたり言うことができそうだ。
次の問いはこうなる。なぜ矢内原は高速化を目指すのか? おそらく矢内原が求めているのは役者の身体が非人間化することであり、裏返して言えば、機械化であると推測する。早口でしゃべりながら台詞と無関係な動作を高速で行なうというのは、人間業ではない。人間業を超えたパフォーマンスとともにしゃべることで、言葉というものの人間性を乗り越えようとする、ここにおそらく矢内原演劇の核心がある。そこまでは予測がつくが、さて、それを目指した先になにが見えるのか、この点はまだわからない。だが、こうした発想自体は、歴史を振り返れば、それほど無謀とは言えないはずだ。例えば、戯曲の内容に即応しないアクロバティックな運動を演技に採用した、メイエルホリドの俳優訓練法「ビオメハニカ」と矢内原の考え(とぼくが思うもの)とはそれほど大きく違いはないだろう。矢内原がメイエルホリドならば、岡田利規にはブレヒトを重ねてみてもいい。そう仮に考えることで、演劇の原理的な問いから彼らの取り組みをとらえられるようになるだろう。
と書きつつ、矢内原演劇の魅力の核心は、さながらアウトサイダー・アーティストのようになにがしたいのか実のところわかっていないかもしれない矢内原の闇雲に前進する様に、はらはらドキドキしながらついていくところにあると思っている。
2012/03/22(木)(木村覚)