2017年12月15日号
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artscapeレビュー

コドモノクニ展

2012年08月01日号

会期:2012/06/30~2012/09/02

多摩美術大学美術館[東京都]

『コドモノクニ』は1922(大正11)年1月に創刊し、1944(昭和19)年3月の終刊までの23年間に287冊を刊行した月刊の絵雑誌である。同時代の子ども向け絵雑誌としては『子供の友』(1913年創刊)『キンダーブック』(1927年創刊)があるが、それらの中でも、『コドモノクニ』は、大判厚手紙、オフセット5色刷、オールカラーという、他の絵雑誌とは一線を画する体裁であった。『コドモノクニ』を舞台に活躍した童画家たちには、岡本帰一、武井武雄、本田庄太郎、初山滋、村山知義、東山新吉(魁夷)らがいる。これまでにこうした画家やその作品を取り上げた展覧会は幾度も開催されているが、今回の展覧会は主に『コドモノクニ』の編集者・鷹見久太郎(1875-1945)の仕事に焦点を当てる。
 鷹見久太郎は国木田独歩が創設した独歩社を引き継ぎ、1907(明治40)年に東京社を創業する。東京社では、独歩社から引き継いだ『婦人画報』とともに『少女画報』『皇族画報』などの出版を手掛けた。その鷹見の編集方針は極めて理想主義的なものであったようである。「氏は曰う……編輯の理想と販賣の現実とは曾て握手をしたことがない。理想を没した多賣主義の編集方針なら販賣に好都合だらうが、天下の婦人はそれがために堕落し、好奇と挑發にのみ打興するであらう、さらば操觚者の無責任を如何にすると」★1。「販売の現実」という点でいうと、残念ながら鷹見にはその才能はなかったようだ。1924(大正13)年にマネジメントを仕切っていた島田義三が没した後、東京社は経営難に陥り、1931(昭和6)年に事業を武侠社の柳沼沢介に譲渡する。東京社を離れた鷹見は1933(昭和8)年に子供之天地社を設立し、絵雑誌『コドモノテンチ』を創刊したが長くは続かず、1934年には休刊している。鷹見が離れたあとも『コドモノクニ』は同様の体裁で刊行を継続できたことを見れば、彼の思想が受け入れられなかった訳ではなく、鷹見を支える優れたマネージャーがいれば、彼の仕事もさらに広がりを見せたであろうと残念に思う。
 しかし、鷹見が播いた種は確実に育った。工業デザイナー秋岡芳夫(1920-1997)は、小学校を卒業したあとまでも『コドモノクニ』を愛読していたという。「とくに、初山滋はぼくの人生を左右した。後にぼくは、初山滋のような人間になりたくて、その門をたたき、三十代から四十代の半ばまでは、童画や子どもの本の挿絵を描くことになった」★2。エディトリアル・デザイナー堀内誠一(1932-1987)もまた、幼年時代に『コドモノクニ』に親しんだと述べている★3。彼らが直接的に影響を受けたのは作家や童画家の作品からである。しかしそれらの作品が成立した背景には、フルカラーの絵雑誌という媒体を用意し、画家たちに自由な表現の場を与え、他誌と比べて破格の稿料を支払った編集者・鷹見久太郎の仕事があってこそのものであったということは覚えておかなければならないだろう。[新川徳彦]

★1──『読売新聞』1926(大正15)年6月10日。
★2──秋岡芳夫(工業デザイナー)「思い出の一冊」(『朝日新聞』1989年6月28日)。
★3──堀内誠一『父の時代・私の時代──わがエディトリアルデザイン史』(マガジンハウス、2007)、20頁。

2012/07/09(月)(SYNK)

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