artscapeレビュー
大橋可也&ダンサーズ『ザ・ワールド』
2014年04月01日号
会期:2014/03/08~2014/03/09
森下スタジオ[東京都]
仮に『あなたがここにいてほしい』(2004)から数えるならば、10年を少し越えた大橋可也の活動は、いつも一貫して「生きづらさ」にフォーカスしていた。新作『ザ・ワールド』を見ながら思っていたのは、絶えず変化と進歩を目指して走り続けていたこのカンパニーが、変わらずにずっとこだわってきたもののことだった。土方巽から始まり多様な派生物を生み出してきた舞踏というコンセプトが、たんなる歴史的な遺産としてではないかたちで、今日もなお生きて働く運動体そのものであるとすれば、例えば、大橋のこの10年ほどの試みを無視するわけにはゆくまい。その特徴は、暗黒舞踏の「暗黒」は日常とは別のところにあるのではなく、日常そのものが暗黒なのだと考えるところにある。比較の対象をあげてみよう。舞踏を今日も生きたものにしているもうひとつの存在に大駱駝艦がいる。彼らの公演もまた日常に依拠しているが、日常が非日常的なイメージへとスライドしていくところに彼らの特徴がある。まるでシュルレアリスムの絵画だ。あるいは少年漫画だ。白塗りが引きだす異形性は、そうして見方を変えることで気づかずにいた自分を掘り下げてゆく。そこにファンタジーも恐怖もエロティシズムもある。大橋は、白塗りも派手なファンタジーも用意しない。その代わりに、ごくごく日常的な衣裳を着た普通の男女が、突然、倒れたり、走り出したり、なにかに振り回される。自分の知らない自分のなにかが自分を襲う。大橋はいつもここにいた。このことにあらためて気づかされ、驚いた。今作は、長島確をドラマトゥルクに据え、大橋の住む江東区をリサーチして生まれた、という話だ。なるほど、冒頭で、街にひっそりと据えられた神輿の倉庫に暮らしたいと吸血鬼である男女2人が対話し、その後に10人ほどのダンサーたちが登場するのだけれど、彼らも街に徘徊する吸血鬼たちなのだろう、首や足首に噛みつく振る舞いが何度も繰り返される。「吸血鬼」や「リサーチ」という今作独自の試みは、きっと過渡的なものだろう、もっと街(土地)を感じさせたり、もっとファンタジーを巧みに利用する方途はありうるはずだ。そう感じつつも、そんなことは小さなことだと思った。それよりも大橋の試みてきたもっと大きなことが身に迫ってきた。吸血鬼は自分に戸惑い、自分を突き動かすものに抗えない。「噛む」という行為は彼ら吸血鬼の抗えない暴力性に違いない。大橋はこの10年、暴力の問題に向き合い、自分の作品に摂取してきたが、そのなかで「噛む」という「振り」は、こういっていいかわからないが、なんだかかわいい。エロティックな「愛撫」に転化できたらいいのだが、そうは簡単にはいかないもどかしさが、かわいい。こうして、人間のもどかしさ、生きることの難しさを見つめている大橋は、やさしい。大橋がこの10年の間貫いてきたのは、人間に対するやさしく繊細なまなざしだったのではないかと思う。
2014/03/09(日)(木村覚)