2018年10月15日号
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artscapeレビュー

土木展

2016年09月01日号

会期:2016/06/24~2016/09/25

21_21 DESIGN SIGHT[東京都]

残念な展覧会だった。しかし残念な理由はおそらく筆者が勝手に期待していた内容と違ったからであって、企画の問題ではないのだろう。なにしろネットで見る限り、この展覧会はすこぶる評判がよいのだから。いや実際、この展覧会が楽しい展覧会であることには異論はない。インタラクティブなしかけ、参加型の作品も多数あり、一人よりも二人、あるいはグループで訪れればより楽しめる。そのあたりは、とても21_21らしい企画と言ってよい。
すでに本展については福住廉が「物質の忘却と参加体験の強制」と批判している。ここには「土木の世界の物質性」がない。福住が「もし、あの広大な会場に重機のひとつでも展示されていたら、もしあの無機質な展示空間の床に底が見えないほどの暗い穴がひとつでも穿たれていたら、本展の印象は一変していたにちがいない」と書いているとおり、重機のイラストではなく実物を(せめて巨大なタイヤを)、消波ブロックのひとつふたつ、土木のスケールの非日常を体感できるようなしかけが欲しかった。とはいえ、この会場、3ヵ月の会期で出来ることは限られていたと思う。土木のリアルなスケールを体感したいのであれば、首都圏外郭放水路の見学会に行くとよい。あるいは本物の下水幹線に入れる小平市ふれあい下水道館もお勧めの施設だ。ダムを見に行くのもよいし、身近なところでは地下鉄や高速道路もまた土木技術の結晶だ。なにも展覧会に足を運ばなくても、当然のことながら街には土木が溢れている。だから、容易に実物を持ってくることができない会期限定の展覧会が福住が批判するところの「日常生活にあふれているメディア」に頼っていたとしても、そのこと自体はやむを得ない。問題はリアルなものを非リアルなメディアに変換しておきながら、その非リアルなメディアがリアルを再現できていないところだ。展示作品はばらばらで、土木というキーワードで括られている以上のものではない。土木との関連が強引に思われるものもある。たとえば、Rhizomatiks Researchの《Perfume Music Player》は、人々の行動分析を目的として情報を収集するアプリではないだろう(アプリ・ダウンロードの際にそのような説明はない)。土木に関連する映像や音をサンプリングしてボレロに仕立てた《土木オーケストラ》には「土木が造られていく現場を想像することができるでしょう」とあるが、筆者の想像力の貧困さを確認する以上のものではなかった。ダム建設の記録映画など、世の中にはすばらしい歴史的な土木ドキュメンタリーが多数存在しているのに、なぜ生のままを見せてくれないのだろう。展示では土木の目的、歴史についてはほとんど触れられていない。構造に関連する展示はあるが、技術の話はない。土木の現場を支えるヒトについては菊池茂夫の写真があるのみ。どの展示物も個々には優れていて面白く楽しめるのだが、土木というキーワードに対してあまりに抽象的で、その理解にはほど遠い。
しかしながら、このような印象は博物館で土木に関する展覧会が企画されたらこういう視点があるだろうという、筆者の勝手な思い込みによるものかもしれない。会場を一巡し、展覧会タイトルやステートメントもすべて忘れて、先入観を抜きにして、純粋に出展作品が何を語っているのかを考えてみると、これは土木を愛する人々による文化祭なのだと思い当たる。その愛がいちばん分かりやすく示されているのはご飯をダムにカレーを貯水湖に見立てた《ダムカレー》とその解説映像だろう。出展者が土木のさまざまな鑑賞の仕方、愛し方を持ち寄った企画なのだと考えると、本展に生の土木がないことにも納得がいく。ディレクターズ・メッセージには「縁の下の力持ち的な"見えない土木"を、楽しく美しくヴィジュアライズしたい」とある。この展覧会は身近にありながらもなかなか意識されない土木に気づいてもらうための試みであって、ここに土木やその前提となるインフラのリアルな課題や歴史的視点、批評が欠けているのは、そもそもそれを目的としていないからなのだ。[新川徳彦]

★──展示最終章「土木と哲学」にはそのような示唆が含まれるが、66分の映像を通して見る人がどれほどいるだろう。

2016/08/08(月)(SYNK)

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