artscapeレビュー

ゆうめい 父子の展示・公演『あか』

2018年07月01日号

会期:2018/06/08~2018/06/12

新宿眼科画廊スペースO[東京都]

「父子の展示・公演」と題された本作で描かれるのは、作・演出の池田亮とその父、そして祖父との関係だ。『あか』というタイトルは画家であった祖父が一貫して絵のモチーフとしていた色であり、同時に父と子のわかりあえなさ、つまり、家族もまた他人であることを意味するものだろう。

本作には池田自身に加え、池田の父・靖も出演している。「こんにちは、池田亮です」と池田役の俳優が登場するのはゆうめいお決まりのパターンなのだが、本作ではその役割を池田父が引き受けているのだ。直後に池田亮がこちらは父役として登場し、父子の役割が逆転したやりとりが演じられる。やがて二人は何食わぬ顔で役割を交換し、今度は自分自身の役を演じ始める。そこで語られるのは、中学生の亮が学校でいじめられていることを父に相談することができなかったというエピソードだ。「いじめられてんの?」と問う父は亮がいじめられていることを察しているようにも思えるが、亮は笑って「や、それはない」と答えてしまう。父が子の、子が父の思いを知ることはない。そのわからなさを改めて確認するかのように、役割は交換される。

だがそこにあるわからなさは特別なものではない。亮が子であるように、父たる靖もまた子であり、自身の父・一末との間には固有のわからなさがあったはずだ。ころころと役が入れ替わるなか、靖が一末を、亮が靖を演じる場面がある。一世代上にずれるかたちで演じられる父子関係は、靖と亮とのそれとは異なるものだが、父と子とが互いにわからない部分を抱えた存在であるという1点において共通している。当然のことだ。だが、家族という呪いはときにその当然を見えなくさせる。

完全なる他人として父子や周囲の人間を演じる小松大二郎、石倉来輝、田中祐希ら俳優陣の役割も大きい。わがことを他人ごととして、他人ごとをわがこととして考えてみること。そうしてはじめて問いは開かれるだろう。

[撮影:武久直樹]

公式サイト:https://www.yu-mei.com/

2018/06/11(山﨑健太)

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