毎月1日、15日号発行の美術館・アート情報をお伝えするWebマガジン(次回4月3日更新予定)

artscapeレビュー

福住廉のレビュー/プレビュー

田中正造をめぐる美術

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会期:2013/10/12~2013/11/24

佐野市立吉澤記念美術館[栃木県]

田中正造の没後百年を記念した展覧会。田中正造の肖像画をはじめ、丸木位里・俊による《足尾鉱毒の図》、小口一郎による連作版画《野に叫ぶ人々》、さらに田中正造自身による墨竹図や、田中正造が奮闘した渡良瀬川流域で現在制作している下川勝と光山明の作品も併せて展示された。小規模とはいえ、非常に充実した展覧会だった。
なかでも特筆したいのは、小口一郎の版画である。画面の大半が黒い版画は、必然的に主題に暗鬱とした空気感を添えているが、それだけではない。小口の版画の画面構成には、おそらくルポルタージュ絵画の中村宏にも通底する映画的な感性が大きく作用しているように思われる。《直訴》は、官憲による制止を振り払って直訴状を届けようとする田中正造の姿を描いた作品。動く被写体にカメラが寄っているような臨場感がある。しかも中央に握りしめた直訴状、右側に押し寄せる官憲、左側にムシロを掲げて行進する農民たちを置いているため、画面には左方向へ突き進む力と右方向に引き戻す力が拮抗しているようにすら感じられる。また、《川俣事件その2》は、請願に向かう被害農民たちと彼らを弾圧する官憲たちの乱闘を描いた作品だが、これは中村宏の《砂川五番》と同じように、画面の両端に奥行きをもたせた魚眼レンズで見たような構図を採用しているため、黒澤映画のような迫力があるのだ。
小口一郎の黒い版画が表現しているのが、止むに止まれず直訴という直接行動を実行した田中正造の緊迫した心情であることは間違いない。それが、東日本大震災以後の私たちの暗い心情と大きく共鳴することも疑いない。会場には鉱毒によって毒された土を除去する農民を写した写真が展示されていたが、これを見た誰もが放射性物質によって毒された土地を除染する今日の現代人を重ねざるをえないだろう。「真の文明は山を荒らさず川を荒らさず村を破らず人を殺さざるべし」という箴言も、今となってはこれまで以上に広く行き渡るに違いない。
ただ、田中正造にそうした今日的なアクチュアリティが認められることは確かだとしても、その一方でアクティヴィストという定型的なイメージには収まりきらない田中正造を見ることができたのも事実である。
たとえば、官吏として東北に赴任した頃に描かれた《田中正造御用雑記公私日記》。小さな紙面に微細な文字と図で農具や用水についての記録が丁寧に取られていて、田中正造の律儀な仕事ぶりが伺える。今日で言うところの民俗学者のような身ぶりを体現していたのだ。あるいは、自筆による《墨竹図》が展示されていたように、田中正造は少年時代に同館の由来である吉澤松堂に画を学んでいた。ところがうまく習得できなかったというから、いわば絵に関しては劣等生だったのだ。
絵描きになり損なった者が、絵描きに描かれるほど、絵以外の領域で大成する。つまり絵描きは民俗学者になりうるし政治家にもなりうる。本展で照らし出されていた田中正造のイメージが示しているのは、言ってみれば敗北の歴史である。しかしそれは必ずしも屈辱的なものではない。田中正造は敗北の先を切り開き、後続の者がさらにその先を目指しているからだ。

2013/11/19(火)(福住廉)

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TRANS ARTS TOKYO 2013

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会期:2013/10/19~2013/11/10

3331 Arts Chiyoda、旧東京電機大学7号館地下、神田錦町共同ビルほか[東京都]

昨年、旧東京電機大学の校舎を丸ごと使って大きな話題を集めたTATが、今年は同じ神田で会場をいくつかに分散して開催された。展示会場となったのは、工事中の地下空間をはじめ、空きビルや商業ビルなど。エレベーターが設置されていない古いビルが多いせいか、狭い階段を何度も昇り降りしながら作品を鑑賞するという仕掛けだ。動線がほぼ垂直方向に限定されていた前回とは対照的に、文字どおり都市を縫うように練り歩く経験が楽しい。
とはいえ、そこかしこに展示されていた作品には、ある種の定型に収まる傾向が認められたことは否定できない。それは、乱雑で猥雑、雑然とした作品があまりにも多かったこと。これは「天才ハイスクール!!!!」や「どくろ興行」が輝いていた前回から続く本展の特色なのかもしれない。ただ、仮にそうだとしても、そうしたアナーキーな色調が際立っていたのは、取り壊しが決定していたとはいえ、大学の校舎という確固とした白い壁面があってこそだった。しかし今回、とりわけ古い雑居ビルを展示会場とした雑多な作品の数々は、不本意ではあるだろうが、雑然とした空間に溶けこんでしまっていたように思われた。
その点で言えば、地と図を際立たせることに成功していたのは、林可奈子である。路上のパフォーマンスを映像インスタレーションとして見せる作品は、映像のなかの身体動作の点でも、モニターを立ち並べた展示の点でも、きわめてシンプルであるがゆえに、周囲の乱雑な空間とは明確に一線を画していた。むろん、静謐で上品な作品がなかったわけではない。けれども、林の作品がそうした中庸な「現代アート」と似て非なるものであったのは、やはり映像で見せた身体パフォーマンスの質に由来する。路上をでんぐり返しで進んだり、街角の凹凸に身体を当てはめたり、林の身体所作は品位を保ちながらも、どこかでひそやかな狂気を感じさせていたからだ。基準と逸脱のバランスが絶妙だったと言ってもいい。
一定のリズムで、しかし、通常の所作とは異なるかたちで歩んでゆく林の奇妙なパフォーマンス。そこには、本展を鑑賞する私たち自身が重ねられているように見えた。空洞化した都市に充填されたアートを見て歩く行為が、日常からわずかに逸れているからだけではない。林も私たちも、ともに都市の隙間と隙間を縫い合わせているように思われたからだ。林が路上に残した足跡と、私たちが神田の街を踏破した痕跡は、いずれもその縫合を示すステッチである。そのことに気づいたとき、都市はそれまでとはまったく異なる全貌を露わにするだろう。

2013/11/10(日)(福住廉)

関東大震災から90年─よみがえる被災と復興の記録─展

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会期:2013/10/12~2013/10/20

湘南くじら館スペースkujira[神奈川県]

関東大震災直後に発行された新聞や雑誌、写真集、絵葉書などを見せた展覧会。大変貴重な資料の数々が、決して広くはない会場に所狭しと展示された。関東大震災関連の展覧会といえば、「関東大震災と横浜─廃墟から復興まで」(横浜年発展記念館)や「被災者が語る関東大震災」(横浜開港資料館)、「レンズがとらえた震災復興─1923~1929」(横浜市史資料室)、「横浜港と関東大震災」(横浜みなと博物館、11月17日まで)などがほぼ同時期に催されたが、本展の醍醐味は、展示された資料をガラスケース越しにではなく、肉眼で間近に見ることができるばかりか、部分的には直接手にとって鑑賞することができる点にある。古い資料が発するオーラを体感できる意義は大きい。
そのなかで気がついたのは、当時のメディアが現在とは比べ物にならないほど直接的に震災の被害を伝達していることである。新聞には現在では必ず回避される被災者の遺体を写した写真が掲載されているし、震災で破壊された街並みを印刷した絵葉書も飛ぶように売れたらしい。むろん、当時はメディアをめぐる社会的なコードが未成熟だったことや、そもそもメディアの種類が乏しかったことにもその一因があるのだろう。
けれども、同時にまざまざと実感できたのは、当時の人びとにとって震災は、伝えたい出来事であり、知りたい出来事でもあったという、厳然たる事実である。より直截に言い換えれば、当時の写真家や絵描きたちは、関東大震災によって、身が震えるほど表現意欲を掻き立てられたのだ。展示された資料の向こうには、夢中になってシャッターを切る写真家や、嬉々として絵筆を振るう絵描きたちの姿が透けて見えるようだった。かつて菊畑茂久馬は戦争画を描いた藤田嗣治の絵描きとしての心情を想像的に読み取ったが、それは関東大震災を主題とした写真家や絵描きたちの心の躍動と重なっているのかもしれない。
「私は偉大な破壊が好きであった。私は爆弾や焼夷弾に慄きながら、狂暴な破壊に劇しく亢奮していたが、それにもかかわらず、このときほど人間を愛しなつかしんでいた時はないような思いがする」(坂口安吾「堕落論」)。もちろん震災と戦争は違う。時代も同じではない。けれども安吾もまた、破壊された都市を眼差す心の内側に、同じ熱量を感じ取っていたに違いない。それは、被災者を慮る同情や共感、あるいは復興のための努力や善意とはまったく無関係な、しかし、表現にとっては必要不可欠であり、それゆえ歴史を構築しうる、剥き出しの欲望にほかならない。

2013/10/18(金)(福住廉)

えっ?『授業』の展覧会ー図工・美術をまなび直すー展

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会期:2013/09/14~2013/10/27

うらわ美術館[埼玉県]

美術教育の何が問題なのか。それは、美術の制作に重心を置くあまり、鑑賞教育がないがしろにされている点にある。制作と鑑賞が分断されたまま美術が教育されていると言ってもいい。こうした偏重は、大量のアーティスト予備軍を排出することで美術大学や美術予備校の経営的な基盤を確保している一方、結果的に「制作」を「鑑賞」より上位にみなす権威的な視線を制度化した。美術館における鑑賞者教育のプログラムは充実しつつあるが、それにしても「制作者」や「アーティスト」(あるいは、ここに「企画者」ないしは「キュレーター」を含めてもいいかもしれない)に匹敵するほど「鑑賞者」という立ち位置が確立されているわけではない。質的にも量的にも、鑑賞者を育むことを蔑ろにしてきたからこそ、市場を含めた美術の世界はことほどかように脆弱になっているのではないか。
本展は、小学校における図画工作および中学校における美術をテーマとした展覧会。明治以来の美術教育の変遷を貴重な資料によって振り返るとともに、現在、美術教育の現場で試行されているさまざまな実験的な授業を紹介した。展示されていた文科省による「児童・生徒指導要領の評価の変遷」を見ると、「鑑賞能力」は昭和36年から現在まで一貫して評価軸に含まれているにせよ、それが「表現能力」や「造形への関心」と交わることは、ついに一度もない。すなわち、制作と鑑賞の分断は制度的に歴史化されてきたのだった。
しかし、改めて振り返ってみれば一目瞭然であるように、制作と鑑賞の分離政策は美術に決して小さくない損害を与えてきた。従来の鑑賞教育は、「自由」という美辞麗句の陰に鑑賞を追いやり、方法としての鑑賞を練り上げることを放棄してきたため、結果として鑑賞と本来的に分かち難く結びついている批評を育むこともなかった。言うまでもなく批評とは批評家の専売特許ではないし、批評的視線を欠落させた鑑賞は鑑賞行為としても不十分であると言わざるをえない。批評の貧困は、批評家の力量不足もさることながら、鑑賞教育の乏しさにも由来しているのだ。
必要なのは、おそらく鑑賞=批評を「表現」としてとらえる視座である。制作と鑑賞を分離する従来の考え方では、制作は表現という上位概念に含まれることはあっても、鑑賞はそこから周到に排除されていた。しかし、批評が作品との直接的な出会いを契機として生み出される言語表現だとすれば、批評と直結した鑑賞もまた、そうした表現の一部として認めなければなるまい。「表現」という概念をいま以上に練り上げることによって、鑑賞を制作より下位に置くフレームを取り払うこと。そこに美術の未来はあるのではないだろうか。

2013/10/16(水)(福住廉)

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黄金町バザール2013

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会期:2013/09/14~2013/11/24

京急線「日の出町駅」から「黄金町駅」の間の高架下スタジオ、周辺スタジオ、既存の店舗、屋外ほか[神奈川県]

2008年以来、神奈川県横浜市の黄金町一帯で催されてきた「黄金町バザール」も6回目を迎えた。今回参加したのは、国内外から推薦され、あるいは公募を通過したアーティスト16組。基本的に黄金町に滞在して制作した新作を発表した。
前回までとの大きな違いは、展示エリアがコンパクトになっていた点である。京急の高架下を中心に作品が点在しているので、鑑賞者は地図を片手に作品を探し歩くことになるが、いずれの会場もほどよく近いので、歩きやすい。ところが、その道中で気がついた点がある。それは、自分の足取りが、いわゆる「黄金町」と呼称される地域の外縁にほぼ相当しているという事実である。鑑賞者は「黄金町バザール」を楽しみながら、同時に、黄金町の内部と外部の境界線を上書きしていたのだ。
この内部と外部の境界線という主題を、最も如実に表現していたのが、太田遼である。太田は建物の戸外に設置されている雨樋を室内に引き込んだ。展示会場の白い床には、薄汚れた水滴の痕跡が重なりながら残されていたから、雨樋として実際に機能しているのだろう。西野達とは違ったかたちで外部を内部に取り込む手並みが鮮やかだが、太田の作品はもうひとつあった。会場の奥の扉を開けると、そこには中庭のような、しかし、用途不明の奇妙な空間が広がっている。建物と建物の背中が合わせられたデッドスペースに、トタン板などを張り巡らせることで、外部でありながら内部でもあるような両義的な空間を作り出したのである。内部と外部の境界線を巧みに編集してきた太田ならではの傑作と言えよう。
今回の「黄金町バザール」は、展示エリアを縮小したことによって、結果として「黄金町」という地域の既存の境界線を強固に補強してしまったように思えてならない。青線地帯という固有の歴史を背負っているがゆえに、外部から隔絶された閉鎖的な街。「黄金町バザール」が、その負の歴史からの脱却ないしは克服を目指しているとすれば、必要なのは「黄金町」の境界線をなぞることではなく、まさしく太田が鮮やかに示したように、内部と外部の境界線を反転させることで、両義的な空間を拡張していくことではなかろうか。「黄金町」でありながら「黄金町」とも限らないような街。アートがまちづくりに貢献できることがあるとすれば、そのような不明瞭な街並みをアートによって見せていくこと以外にないのではなかろうか。

2013/10/09(水)(福住廉)

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福住廉

1975年生まれ。美術評論家。著書=『今日の限界芸術』共著=『フィールド・キャラバン計画へ』『ビエンナーレの現在』『道の手帖 鶴見俊輔』。

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2017年03月15日号