2017年07月15日号
次回8月1日更新予定

artscapeレビュー

福住廉のレビュー/プレビュー

ヒカリエイガ

twitterでつぶやく

会期:2013/05/06~2013/05/06

渋谷ヒカリエ9階 ヒカリエホール[東京都]

昨年、渋谷駅東口の東京文化会館跡地に建設された複合商業施設「ヒカリエ」。本作は、その一周年を記念して製作された短編オムニバス映画で、9人の映画監督がヒカリエを舞台にそれぞれ物語を描いた。プロデューサーはドキュメンタリー映画監督の本多孝義。商業施設が主導して製作した映画自体珍しいが、その中身もそれぞれ面白い。
ありていに言って、商業施設と芸術の相性はあまりよくない。店舗などを活用した展覧会の場合、広告ディスプレイを阻害する美術作品は歓迎されないことが多いし、たとえ展示が許されたとしても、それらはおおむね広告の空間に埋没しがちである。美術の自立性は、ほとんどの場合、消費のための空間においては通用しないのである。
ところが、本作では商業施設と芸術の幸福な関係性を見出すことができた。というのも、本作には商業施設が敬遠しがちな外部や他者が正面から描写されていたからである。例えば『元気屋の戯言 マーガレットブルース』(元気屋エイジ監督)では「ヤクザ」、『私は知ってる、私は知らない』(澤田サンダー監督)では「幽霊」、『Make My Day』(完山京洪監督)では「(化粧品売り場における)怪しい男性客」などが物語を構成する重要な登場人物として描写されている。とりわけ、『SAMURAI MODE~拙者カジュアル~』(堀井彩監督)では「侍」や「オタク」が登場するばかりか、見方によってはショップ店員を揶揄しているように見える演出すらある。ようするに、この短編オムニバス映画には、ヒカリエに一貫しているおしゃれなイメージを損ないかねない要素がふんだんに盛り込まれているのである。
映画であろうと美術であろうと、外部や他者を欠落させた表現は退屈である。表現が到達するリーチが必然的に短くなるし、表現が内蔵するひろがりを殺してしまうからだ。とりわけ『Make My Day』は、化粧品売り場にとっての外部以外の何者でもない男性客をユーモラスに描写しながら、同時に、化粧する女性販売員の内側を巧みにあぶり出した。見終わったあと、不思議と幸福な心持ちになるほどの快作である。
本作は、企業イメージの向上ばかりを性急に求める企業メセナの現状に対する、ひとつの批判的かつ生産的な提案として評価できる。

2013/05/06(月)(福住廉)

三喜徹雄/GERDEN

twitterでつぶやく

会期:2013/04/16~2013/05/12

楓ギャラリー[大阪府]

1967年の結成以来、関西を拠点にしながら野外での表現活動を一貫して継続している前衛芸術運動「THE PLAY」。その主要なメンバーである三喜徹雄の個展。「THE PLAY」と同様、三喜個人の表現活動も海岸や山間部などで催しているが、本展も画廊の軒先と庭に作品を展示した。
緑が生い茂る庭に設置されていたのは、巨大な球状のオブジェ。最低限の竹を湾曲させながら組み合わせているため、後景を見通すことができるほど、量塊性には乏しい。けれども、背景に溶け込むかのような物体のありようは、求心的な造形によって自然と対峙する西欧彫刻の伝統とは異なる立体表現の可能性を示していた。しかも、西欧彫刻の伝統とは異なる立体表現を志向したにもかかわらず、依然として重力に従順だったもの派とは対照的に、その圏外からも軽やかに脱出する遠心性を造形化していたところがすばらしい。文字どおり、庭からも転がっていくような自在な運動性が感じられたのだ。
その身軽な運動性は、形式的にも内容的にも、三喜徹雄の表現活動の全般に通底する大きな特徴だが、軒先にずらりと展示されたこれまでの作品を記録した資料を通覧すると、そこには現代アートに対する根源的な批評性が含まれていることに気づく。それは、私たち鑑賞者のなかに認められる、美術作品と美術家を同一視する視線である。
私たちは、美術家の内的な必然性にしたがって表現された造形を美術作品として考える傾向がある。美術家は自らの思想なりメッセージを作品に埋め込んでおり、それゆえ私たち鑑賞者は想像力を駆使してそれらを掘り起こし、読み解かなければならないというわけだ。これは一見すると当たり前の考え方のようだが、じつは近代という時代に特有の芸術観念にすぎない。軒先の壁に貼りつけられたノートに記された三喜徹雄の次の言葉は、その芸術観念に毒された私たちの脳天を揺さぶるほどの強い衝撃があるに違いない。
「よく『意味』など聞いてくるアホもおるけど、意味なんかおまえが考えろと返事することにしてます。もしそいつに意味などというもんがあるんやったら、それはおまえの中にあるんであって、俺に聞くな!!」

2013/04/20(土)(福住廉)

極限芸術~死刑囚の表現~

twitterでつぶやく

会期:2013/04/20~2013/06/23

鞆の津ミュージアム[広島県]

死刑囚たちが描いた絵画を集めた展覧会。実名と匿名合わせて37名によるおよそ300点の作品が一挙に展示された。同類の展覧会としては、例えば「獄中画の世界 25人のアウトサイダーアート展」(Gallery TEN、2010年)などが先行しているが、これだけ大規模な展覧会はおそらく初めての試みではないか。
会場を一巡してたちまち理解できるのは、いずれの作品も「死刑囚」という不自由な境遇で描写された絵画であること。画材はほとんど色鉛筆やボールペンであり、支持体もノートや色紙などに限られている。いずれも絵画のサイズが決して大きくないことも、その不自由の象徴だろう。いつ訪れるともわからない死刑執行への不安や恐怖がそれぞれの絵画の根底にひそんでいることも、大きな共通点だ。
とはいえ、そのようにして表現された絵画は、じつに多種多様。死刑囚である自分を具象的に描く者がいれば、抽象的に描く者もいるし、あるいは漫画として表現する者さえいる。死刑制度への反対を訴えるポスターもあれば、死刑によって命を落とす自分を象徴的に描く者もいる。技術的な面でも、稚拙なものから職人的な完成度を備えているものまで、さまざまだ。
例えば、林眞須美の《青空泥棒》。青い背景に黒い枠組みが描かれ、その中に赤い丸が一点置かれた、じつにシンプルな絵である。タイトルが暗示しているように、この赤い丸が青空から隔離された作者自身であることは、想像に難くない。青空の見えない三畳一間で365日を送る非人間的な日常。それを、直接的に描写したのであれば、とくに感慨も想像も生まれたなかったに違いない。情緒性を一切排除した抽象的な記号表現だからこそ、私たちはそれらの奥に向かって具体的に思いを馳せるのである。
あるいは、闇鏡の《100拝》は、ノートを日付によって分割し、それぞれの枠に野菜などのイラストを3つずつ記したもの。ネギ、大根、ナス、じゃがいも、豆腐などのイラストが細かく並んだ絵は、「死刑囚」という条件が連想させるシリアスなイメージとは裏腹に、何ともかわいらしい。これは、その日の食事で供された味噌汁の具材を記録したものだという。死刑囚による絵画表現には、考現学的な調査報告も含まれていたのだ。
本展で浮き彫りになっていたのは、単に死刑囚という特殊な境遇にある者が描いたアウトサイダーアートではない。それは、むしろ人が絵を描く原初的な動機である。これほど、切実に、純粋に、真正面から、絵を描くことができるアーティストが、現在どれだけいるだろうか。アートマーケットなどには目もくれず、アイロニーという逃げ道を拵えることもなく、絵画を理論武装するわけでもない。ただただ、絵を描きたかったのだ。いや、描かざるをえなかったのだ。そのあまりにも透明度の高い絵画は、私たちの不純な視線をあらわにする鏡のようでもあった。思わずたじろぐ私たちを、彼らはどんなふうに想像しているのだろうか。

2013/04/20(土)(福住廉)

artscapeレビュー /relation/e_00021490.json s 10087566

Under35

twitterでつぶやく

会期:2013/03/22~2013/04/14

BankART Studio NYK[神奈川県]

35歳以下の若手アーティストを対象としたBankART 1929の恒例企画。3回目となる今回の特徴は、アーティストとギャラリーないしはマネージャーをひとつのチームとみなして公募したこと。そうして選出された6組が、同一会場で同時に個展を催した。
際立っていたのは、丸山純子+大友恵理と幸田千依+橋本誠。両アーティストは共に他に類例を見ない作風をすでに確立しているが、今回の個展ではそれをそれぞれ着実に深化させていることを証明した。
丸山は、これまでスーパーの袋でつくった花でインスタレーションを構成したり、洗濯用の粉石けんで大地に巨大な花の絵を描いたり、ダイナミックな形式によって繊細な感性を巧みに造形化してきたが、今回もその手腕は存分に発揮されていた。コンクリートがむき出しの空間にあったのは、二艘の木造船。床には、粉石けんで描かれた無数の花が描かれているから、白い花の海を舟が漂っているようにも見える。あるいは、二艘の舟はともに会場の外にある海に向けられていたから、白い砂浜で出航を待っているのかもしれない。廃材を組み合わせた舟が醸し出す寂寥感と、誰かに踏まれてかたちを崩した花から滲み出る無常感が、広大な展示空間のなかに充満しており、私たちの詩的な想像力に強く働きかけてきたのである。
一方、幸田千依が主に描いているのは、夏のプール。これまでの代表作を滞在制作した場所ごとにまとめて展示するとともに、新作を展示場所で制作し発表した。俯瞰で描かれたプールの中には、子どもたちが水遊びに興じているが、一人ひとりの顔の表情までは細かく描写しているわけではない。にもかかわらず、あの時あの場の高揚感がひしひしと伝わってくるのは、鮮やかな青色を塗り分けた水面に描かれるさまざまな波紋が、あの熱気を代弁しているように見えるからだろう。同心円状にきれいに広がる波紋があれば、直線状に尾を引く波紋もある。それらが互いに交錯し、新たな波紋を生みながら、全体的には大きなうねりを見せている。複雑に揺れ動く波紋そのものが、すべてを物語っているように感じられた。

2013/04/12(金)(福住廉)

添田唖蝉坊・知道展 明治・大正のストリート・シンガー

twitterでつぶやく

会期:2013/03/02~2013/04/14

神奈川近代文学館[神奈川県]

明治・大正時代の演歌師、添田唖蝉坊と、その息子、知道についての展覧会。遺族から同館に寄贈された「添田唖蝉坊・知道文庫」の貴重な資料をもとに展示が構成された。
「演歌師」とは、現在のような大衆音楽としての演歌の歌手ではなく、路上で歌を唄いながら演説する者のこと。自由民権運動の活動家たちが政府の弾圧を回避するために歌を装って政治的な主張を伝えた「壮士節」をもとに、唖蝉坊が開発し、知道が育んだ。だから、彼ら父子を「ストリート・シンガー」と言えなくもないが、そうだとしても、彼らが歌い上げていたのは政治的社会的な主張の強いメッセージ・ソングだった。
事実、唖蝉坊は幸徳秋水や堺利彦、荒畑寒村といった活動家と親交があり、知道も16歳にして売文社に雑用係として勤務していたという。唖蝉坊は日露戦争までは好戦的な歌もつくっていたようだが、「演歌」とは基本的には明治の自由民権運動の只中から生まれた表現なのだ。
しかし、だからといって唖蝉坊の演歌は、政治的な反逆や抵抗を強調する反面、音楽的な魅力に乏しい歌というわけではない。もともと壮士節は歌詞を重視するあまり旋律はおしなべて単調であり、その歌もダミ声でがなり立てる者が多かったという。ところが、会場で流されていた音源に耳を傾けてみると、その楽曲はむしろ柔らかく、軽やかな三味線の伴奏に合わせて小気味よく唄い上げている。明治と大正にかけて大衆のあいだで大流行したというのも、なんとなく頷ける。というのも、思わず口ずさみたくなるからだ。
例えば、1907年に発表された《ああわからない》。メロディラインを再現することは叶わないが、その歌詞を一瞥しただけでも、唖蝉坊の楽曲の柔和性が伝わるはずだ。

ああわからないわからない
今の浮世はわからない
文明開化といふけれど
表面(うわべ)ばかりじゃわからない
瓦斯や電気は立派でも
蒸汽の力は便利でも
メッキ細工か天ぷらか
見かけ倒しの夏玉子
人は不景気々々々と
泣き言ばかり繰返し
年が年中火の車
廻してゐるのがわからない

いたって日常的な言葉で綴られた歌詞を軽やかな旋律に載せて届けること。そのような唖蝉坊の「演歌」は、その後知道に受け継がれ、展示で触れていたように、土取利行をはじめとする弟子たち、さらに高田渡やなぎら健壱、ソウル・フラワー・モノノケ・サミットらが引き受けた。あるいは、歌によって演説を偽装するという点で言えば、馬鹿馬鹿しくも楽しい活動によって従来の硬直した政治運動を柔らかく再構築している「素人の乱」の歴史的な起源のひとつとして唖蝉坊を位置づけることもできなくはない。
ただその一方で、見逃すことができないのは、唖蝉坊の演歌そのもののなかに時間を超えた批評性があるということだ。先に挙げた《ああわからない》の歌詞を今一度読み返してみれば、そこに3.11以後の日本人が重なって見えないだろうか。見かけ倒しの安全性を疑いもせずに安穏としていたことを一度後悔しながらも、そのことをいとも簡単に忘れてしまい、原発という火の車を再び回転させようとしている日本人は、まさしく「ああ、わからない!」。

2013/04/12(金)(福住廉)

▲ページの先頭へ

福住廉

1975年生まれ。美術評論家。著書=『今日の限界芸術』共著=『フィールド・キャラバン計画へ』『ビエンナーレの現在』『道の手帖 鶴見俊輔』。

文字の大きさ