2018年01月15日号
次回2月1日更新予定

artscapeレビュー

その他のジャンルに関するレビュー/プレビュー

シンガポール建築群

[シンガポール]

都心に戻り、ピナクル・アット・ダクストン、オアシア・ホテル、マックスウェルチェンバーズ、東京海上のビルなどを見る。これらは前に訪れたときにはなかった建築群である。伊東豊雄が手がけた《キャピタ・グリーン》は赤い冠をいだく緑化ガラス建築で、地上のくねくねした部分はオラファー・エリアソンの作品だった。容積率の緩和が受けられるボーナス制度によって、多くのビルがパブリックアートを導入している。KPFによるビルは建設中で、仮囲いには世界的な建築事務所! のプロジェクト! と、大々的に宣伝していた。そこまで自慢して商品になる固有名なのか? という違和感もあるが、リベスキンドのコンドミニアムのときは、彼がピアノを演奏する販促のためのテレビ・コマーシャルもあったらしい。いやはや建築家はスター扱いである。

写真:左上2枚《キャピタ・グリーン》 左下=オラファー・エリアソンの作品 右上から=ピナクル・アット・ダクストン、オアシア・ホテル、東京海上のビル

2017/06/12(月)(五十嵐太郎)

移動する物質─ニューギニア民族資料

会期:2017/06/10~2017/07/02

京都市立芸術大学ギャラリー @KCUA[京都府]

「物質」としての「移動」に着目する展覧会シリーズの第一弾。京都市立芸術大学芸術資料館は、学生の卒業作品や美術工芸に関する資料を収蔵する施設である。その中の特殊なコレクションのひとつとして、1969年に美術調査隊によって収集されたニューギニア民族資料がある。ニューギニア島北東部のセピック川流域の神像や仮面、土器を中心としたコレクションだ。本展では、「文化人類学的な資料展示」のフレームを裏切る、斬新な展示構成が行なわれた。
薄暗い会場には、木製のダクトが天井からL字型に伸び、川のせせらぎのような流水音が聴こえてくる。その周囲にライトに照らされて佇むのは、「引き出し」や「輸送用クレート」だ。観客は、引き出しを自由に開けて、中を覗いて見ることができる。その中には、キャプションが一切ないまま、祭礼的なオブジェや装飾の施された銛のようなモノだけが収められており、薄紙で包まれたままのものもある。現地での聞き取りを断片的に記したテクストや写真も添えられ、聞き取った話からは、精霊信仰が根付く一方で、西洋文化や消費社会の流入の影響が伺える。しかしそれらは束ねられて重なり合い、一部しか見えない。ここでは、名称、地域や部族、年代、素材、用途などの情報を一切与えず、かと言ってオブジェとしての造形性を審美的に眼差すよう要請するのでもなく、「引き出しを開けて見る」という期待感とともに、「モノを元の文脈から切り離し、運搬し、収集・保管する」という営みの次元それ自体を見せているのだ。


撮影:松見拓也
提供:京都市立芸術大学


さらに、2階の展示室では、床を貫いて1階から続くようにダクトが直立し、壁に取り付けられた「引き出し」を開けると、中は空っぽで、スピーカーからさまざまな音声が聴こえてくる。呪文と歌の中間のような節回しの声、笛や打楽器の掛け合いのリズム……単調な反復はトランスを誘い、ガヤガヤとした話し声や子どもの歓声といった環境音も混じる。これらの録音音声にもキャプションはなく、全ては見る者の想像に委ねられる。つまりここは、「民族資料」としてのモノの収集からは決定的にこぼれ落ちてしまう、踊りや歌といった身体化された所作や周囲の環境などの記録・採取不可能なもの、持ち出せなかったもの、失われたものについて想起を促す空間なのだ。「物質」がこちらに移動し、一方、「想像」があちらに飛ぶという、時空間の対流が起きる。


撮影:松見拓也
提供:京都市立芸術大学


祭祀や狩猟の道具といったモノは、一定の時空間的な限定を受ける「行為」の次元に属すが、収集・保管の対象となったとき、生きられた時間の持続と密度からは切断され、隔離される(これは、パフォーマンスに用いられたオブジェや残存物をどう「保存」するかという問題とも通底する)。それは単に物理的な移動ではなく、ミュージアムという制度内への質的な移動でもある。本展の展示形態は、ミュージアムの制度(元の文脈からの切断と、「遺体安置所」としての収集・保管場所)そのものを提示し、物理的な/制度内への「移動」が内包せざるをえない欠落や空白を示しながら、その間隙を補完的情報によって埋めて中立性・客観性を偽装するのではなく、生じた空白を想起のための空間へと転化していた。
ただし、とりわけ「民族資料」の場合、このように一切のキャプションなしで展示する手法には、賛否両論があるだろう。「他者の文化を知り、理解する」という文化人類学の根本的態度は、他者への不寛容と異文化の排除が進行する現在、ますます重要性を増している。一方で、本展のあり方は、散漫で「間違った」解釈や想像が産み出される危うさを引き受けつつ、「他者の文化を一方的に簒奪しない」という倫理的な振る舞いをも示しているのではないだろうか。そこに、ミュージアムの制度批判のみにとどまらない、本展の意義がある。

2017/06/10(土)(高嶋慈)

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オープンスタジオ2017

会期:2017/06/09~2017/06/18

BankART Studio NYK[神奈川県]

BankARTの2、3階のほぼ全フロアをアーティストに貸し出すレジデンス・プログラム。今年は長期滞在アーティストも含めて計45組が参加、その成果発表が行なわれている。片岡純也+岩竹理恵は昨年もトボケた作品をつくってうならせてくれたが、今年も多彩な作品を見せてくれた。なかでも、浮世絵(春画)から使用済みの丸めたチリ紙の画像をピックアップして並べた作品が出色。なにが出てくるかわからないところが期待できる。
山田哲平はスピーカーを10台ほど下向きに吊り下げ、そこからたくさんの赤い糸を垂らし、中央に聴診器を置いている。中心に立って聴診器を胸に当てると、心臓の鼓動が増幅されてスピーカーから鳴り、赤い糸をリズミックに揺らす。赤い糸はまるで血流のようだ。これはよくできている。その隣の丸山純子は、コンビニ袋で花をつくったりプラスチックを溶かしたり石鹸を固めたり、いろいろやってきたが、最近は「の」の字型の渦巻きを紙にびっしり埋め尽くしていくドローイングを制作。なんだか草間彌生か真島直子に近づいてるようで怖い。
関川航平は壁いっぱいに文章を書いた紙を貼りつけていた。たしか、文字を書きながらその時々に思ったこと見たことなども書き連ねていく、というようなコンセプトだったと思う。単線的な文章=時間の進行を複線化する試みと理解したが、あまり読む気になれないし、読んでもおもしろくない。でもなにか表現することのためらいや恥じらいを感じさせる。陳亭君と鈴木紗也香はそれぞれ2階と3階にブースを借りて絵を描いていたが、画風こそ違えど、図らずも画中画のある室内風景をモチーフにしているところは同じ。どちらもアラサーと年齢も近く、各地でレジデンス経験を積んでいることも共通している。こんなことってあるんだ。

2017/06/09(金)(村田真)

あゝ新宿 アングラ×ストリート×ジャズ展

会期:2017/06/03~2017/07/02

新宿高野本店ビル6階[東京都]

新宿高野といえば、タカノフルーツパーラーを擁する老舗の果物専門店だが、会場となった6階は美術館でもギャラリーでもない単なる空きフロアらしく、安普請の仮設壁が展示内容にマッチしている。同展は、60-70年代の新宿を舞台にしたアングラ劇場やストリート文化を捉えた井出情児の写真を中心に、演劇のポスターやチラシも展示。新宿花園神社に赤テントを張った唐十郎率いる状況劇場、清水邦夫と蜷川幸雄の現代人劇場、鈴木忠志の早稲田小劇場、寺山修司率いる天井桟敷。ピットインの山下洋輔、横尾忠則の姿もある。演劇が多いのは、早稲田大学演劇博物館の主催だからだ。できたばかりの新宿西口広場に集う若者を捉えた写真もある。そんな若者たちを排除するため、姑息なオトナたちは「広場」を「通路」と呼び変えて、立ち止まったりたむろしたりすることを禁じてしまった。右と左、敵と味方、オトナと若者といったように社会がいまよりわかりやすかった時代だ。かろうじてぼくも知ってる新宿のなつかしい表情に出会えた。

2017/06/08(木)(村田真)

テレビの見る夢 大テレビドラマ博覧会

会期:2017/05/13~2017/08/06

早稲田大学坪内博士記念演劇博物館[東京都]

テレビ創世期から現在にいたるまで、テレビドラマの歴史を振り返った企画展。和田勉、今野勉といった演出家をはじめ、坂元裕二、宮藤官九郎といった脚本家に焦点を当てながら、台本、スチール写真、衣裳、そして映像などの資料を展示した。同時期に同会場で「山田太一展」もあわせて開催されている。
むろん、テレビドラマというジャンルを総覧した本展の意義が大きいことは疑いない。「放送」という言葉に端的に示されているように、テレビというメディアは本来的に記録的価値を重視してこなかった。事実、今日のように録画技術が発達するまでは、テレビドラマの多くは生放送だったから、それは歴史に残されることを企む芸術品というより、時間の流れに遠慮なく投擲される消耗品に近かったのである。それゆえ、通時的な観点と網羅的な観点からテレビドラマを歴史化した本展は、非常に画期的である。
しかしながら、その社会的ないしは学術的な意義を踏まえてなお、じっさいの展示を見て思い至るのは、展示の射程と空間の齟齬である。なるほど、テレビドラマの通史を物語ろうとする志は高い。だが、その野心を実現するには空間の容量があまりにも不足している感は否めない。しかも展示の核心に通時性と網羅性という二極を押し込んでいるため、展示物であれテキストであれ、展示会場は明らかに情報過多である。その過剰な情報量を20世紀後半の情報化社会を体現したテレビというメディアの特性の反映として考えることもできなくはないが、展覧会として成功しているとは言い難いのではないか。
なぜなら演出家であれ脚本家であれ、あるいは個々の作品であれ、テレビドラマの通史を構成するそれぞれの要素には、それ自体でひとつの企画展を立ち上げることができるほど豊かな広がりが含まれているからだ。本展は、通時性と網羅性を重視するあまり、そうしたそれぞれの構成要素の内実に深く立ち入ることはなく、あくまでも表面的で浅薄な水準に終始してしまう。それゆえ、あたかも「テレビドラマ」という名の事典を読んでいるような味気のなさを感じざるをえないのである。
かつて筆者は和田勉の企画展を開催したことがある(「21世紀の限界芸術論vol.7──アヴァンギャルドを求めて」、Gallery MAKI、2011)。それは彼が生涯をとおして書き残していたノートや台本、そして晩年制作していた無数のコラージュを展示するとともに、《日本の日蝕》(1959)をはじめ、《天城越え》(1978)、《阿修羅のごとく》(1979)、《夜明け前》(1987)といった珠玉の名作を会期中に視聴するもので、あわせて衣装デザイナーのワダエミや演出家の今野勉ら、和田勉に縁のあるゲストによるトークを催した。わずか3週間ほどの展覧会だったが、ゲストや来場者に恵まれたこともあり、非常に充実した展覧会だったと自負している。
その際、設定した論点が「茶の間」である。いまや「茶の間」は空間的にも意味的にも私たちの暮らしの現場から見失われつつあるが、少なくとも往年のテレビドラマは「茶の間」で視聴されることを前提として制作されていたことは事実であるし、あるいは逆に、「茶の間」に集う理想的な家族像を描写することで、視聴者にとっての「茶の間」を再生産してきたのだった。だが、それだけではない。筆者が展示の中心に「茶の間」を設定したのは、まさしく和田勉こそ、テレビドラマのなかで「茶の間」を描写し、そのテレビドラマを「茶の間」で視聴させることにきわめて自覚的な演出家だったからだ。クローズアップを多用したり焦点をあえてぼかしたりする和田勉の演出法は、時として「前衛的すぎる」あるいは「独りよがり」であると批判されたが、その批判の前提にはテレビドラマを「茶の間」で庶民の誰もが視聴できる大衆芸術として考えるテレビドラマ観があった。ところが和田勉にとってテレビドラマとは大衆芸術というより、むしろ芸術そのものだった。和田勉は、卑俗な日常性以外の何物でもない「茶の間」において、テレビドラマという大衆芸術をとおして、自らの芸術表現を大衆に届けようとしたアヴァンギャルドだったのである。その二重性ないしは両義性こそ、和田勉の根底にあった批判精神のありようにほかならない。
本展がある種の消化不良に陥っているのは、テレビドラマという総論を記述することにとらわれるあまり、各論が蔑ろにされているからでは、おそらくない。総論を貫く独自の視点を提示することができていないからだ。あるいはテレビドラマ観の不在と言ってもいい。客観的で中立を装った歴史の記述は穏当ではあるが、その実、歴史を物語る主体性の次元が不問にされるため、結局のところ、中庸というか退屈というか、いずれにせよ教科書的な歴史記述の域を出ることはない。だが展覧会が教科書の忠実な反映であってよいはずがない。それを望むのであれば、わざわざ展覧会として具体化するまでもなく、教科書を読めば事足りるからだ。
例えば、テレビドラマが「茶の間」と密接不可分な関係にあったことは歴史的な事実だとしても、その先で「家族」というきわめて近代的な社会制度が再生産されていることを考えれば、テレビドラマという広大なジャンルを「ホームドラマ」という視点から限定することは、ひとつのテレビドラマ観となりうるはずだ。それこそ山田太一的なホームドラマから、向田邦子の原作を和田勉が演出した《阿修羅のごとく》まで、ホームドラマはテレビドラマの歴史を貫く主脈になりうるだろうし、近年、数々の名作を発表している坂元裕二の一連の作品──とりわけ《最高の離婚》(2013)、《いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう》(2016)、《カルテット》(2017)──は、従来の家族が機能不全に陥った時代において、それに代わる新たな紐帯を人為的に再構成しようとする、アップデートされたホームドラマとして位置づけることができよう。「ホームドラマ」の意味の変容と移動する位置関係を浮き彫りにすることが、結果としてテレビドラマの歴史を物語ることになるのではなかったか。
文化表現としてのテレビドラマを博物館の展覧会として取り上げた英断は、いちおう評価されてよい。だが企画展として構成するには、「テレビの見る夢」などという、わかるようでわかりにくい、思わせぶりなテーマなどではなく、より明快なテーマを設定することが必要不可欠である。それがあってはじめて「歴史」は立ち上がるにちがいない。

2017/06/03(土)(福住廉)

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