artscapeレビュー

2023年07月01日号のレビュー/プレビュー

The Flavour of Power─紛争、政治、倫理、歴史を通して食をどう捉えるか?

会期:2023/03/11~2023/06/25

山口情報芸術センター[YCAM][山口県]

会場の入口に、目を引くフレーズが書かれている。「飢餓はなくならない」。そしてこう続く。「あなたが気にかけない限り」。

本展は山口情報芸術センター[YCAM]が実施する研究開発プロジェクト「食と倫理リサーチ・プロジェクト」の成果展だ。YCAMはその研究の過程でインドネシアを中心に活動する8名の研究者やアーティストによるユニット「バクダパン・フード・スタディ・グループ」(以下、バクダパン)と調査を実施した。展覧会は、バクダパンが2021年の「アジアン・アート・ビエンナーレ」(台湾・台中)や2023年の「foodculture days」(スイス・ヴォー)で出展してきた、インドネシアの食糧危機をシミュレートしたカードゲーム(今回は日本語版)とミュージックビデオ調の映像作品からなる《ハンガー・テイルズ》を入り口に据え、新作《Along the Archival Grain》(2023)の内容はおのずと日本とインドネシアの接点である太平洋戦争中の日本統治下での出来事にフォーカスされた。


[撮影:塩見浩介/写真提供:山口情報芸術センター[YCAM]]


バクダパン・フード・スタディ・グループ《ハンガー・テイルズ》のカードゲームの様子 [撮影:塩見浩介/写真提供:山口情報芸術センター[YCAM]]


《Along the Archival Grain》は資料展示のパートと映像インスタレーションのパートで構成されている。「資料展示パート」というのはキャプションに書かれている言い回しでもあるが、作品内でも自己言及されているとおり、そこで読めるのは資料を編纂して示された「物語」である。日本占領下の台湾に派遣された日本人作物育種家の磯栄吉による植民地での「ジャポニカ米」の栽培可能品種の研究、その末の「蓬莱米」の開発とその台湾やインドネシアでの展開を皮切りに、日本が第二次世界大戦後の戦争債務処理を「貧困の撲滅」という英雄的な意識のもとに行なった「奇跡の米」の開発に言及することで幕を閉じる。

この物語は5章立てでウェブサイトにまとめられており、会場にあるタッチパネルで観賞者個々人が閲覧できるようになっている。ひとり掛けの椅子ごとに1台の端末というセットが4組あるので、ほかの鑑賞者に気兼ねすることなく、ゆっくりと読むことが可能だ。読了までは30分ほどの物語で、文末に参考資料のURLやQRコードが付随しており、この物語は各種資料への入り口にもなっているといえるだろう。


バクダパン・フード・スタディ・グループ《Along the Archival Grain》(2023)資料展示パートの様子 [撮影:塩見浩介/写真提供:山口情報芸術センター[YCAM]]


物語の冒頭で、磯栄吉の遺稿が引用されている。


「いかなる農夫も作物に対する限りただ誠あるのみで虚偽は許されない。故に人を道徳的にならしめる。(…)それにより民族の健全性が保たれ『農は国の基』となる」


磯が研究した「蓬莱米」は作地面積ごとの収穫量が増加する一方で、それまでの自前の肥料ではなく化学肥料を必要とするといった、「政府が整備したインフラに依存」せざるを得なくなる。インドネシアに対する日本政府による米の独占的な管理が実施された1942年の「米の引き渡し政策」、1943年の「緊急食糧対策」では「蓬莱米」が導入され、収穫高の管理のために諸種間作は禁止、空地があれば農地となったのだ。この施策は、石炭のための大規模伐採と絡まり合い、それまでのヴァナキュラーな営為や環境の破壊、干ばつ、飢餓、害虫を引き起こした。

磯の言葉や物語中で引用されるプロパガンダ雑誌『ジャワ・バル』が示す通り、日本政府による植民地統治ではつねに「農民」が生産者として称揚される。だがそれは、農業という技術をより善きものと位置付けることによって、農業の収穫高の向上が徳の高さに、搾取的な統治の強化が尊い技術の伝達にすり替えられているのだ。物語の後半では、国際稲研究所(IRRI)が害虫や干ばつといった自然災害に強い品種を開発した「緑の革命」が説明されている。そして、そこに参画した日本が開発する「奇跡の米」もまた化学肥料依存度が高く、「飢餓をなくす」という英雄的意識のもと技術による国家的な搾取構造を繰り返していること、1964年には日本が放射線照射米「黎明」を開発し、そのハイブリット種がマレーシアで継続的に研究されているということが示されて幕を閉じる。いずれも物語というにはあまりにも即物的だが、最後に書かれた問いはこの物語の要旨だろう。


「科学技術的な合理性は植民地主義的な傾向があるため、農業知識を共同化し、そこから脱却するためにはどうすればいいでしょうか?」



YCAMバイオ・リサーチ《Rice Breed Chronicle》(2023) [撮影:塩見浩介/写真提供:山口情報芸術センター[YCAM]]


バクダパン・フード・スタディ・グループ《Along the Archival Grain》(2023)映像インスタレーションパートの様子 [撮影:塩見浩介/写真提供:山口情報芸術センター[YCAM]]


映像作品《ハンガーテイルズ》のフレーズ、「ハンガーテイルズ/遺伝子組み換えの食事は美味しいかしら!/ハンガーテイルズ/開発計画で私たちは干からびるのよ!/ハンガーテイルズ」「政府は我慢しろと言うだけ! 我慢しろ! 我慢しろ! 我慢しろ!」。革命を呼びかけるような、抑圧に対する激しい言葉が並ぶが、耳に残る反復的な音楽はどこか気だるげで、映像のメインアイコンは映画『サウンド・オブ・ミュージック』のヒロイン、マリアが満面の笑みでアルプスの山頂で草原を抱くグラフィックの引用だ。

全体的に特権階級に対する市民革命を想起させる言葉だが、そこで選ばれたマリアはナチスドイツ下のオーストリアからスイスへと向かった亡命者だ。ジェームズ・C・スコットの大著『ゾミア― 脱国家の世界史』(みすず書房、2013)は、稲作のような国家的なインフラに依存度が高く、収穫高が管理されやすい作物、すなわち国家運営にとって都合のよい民の在り方とは逆の存在、ゾミアの民について記している。それは「国家」を避けるように山間部を移動しながら焼き畑を行ない根菜を育て、文字を使わず、知識の偏在を回避する生き方である。マリアとトラップ家の人々はスイスでどのように暮らしているのだろうか。あるいは、山間部を移動し続ける生活を行なっているのだろうか。革命ではなく回避のなかに、バクダパンからの問いへの答えはあるのかもしれない。


公式サイト:https://www.ycam.jp/events/2023/the-flavour-of-power/

2023/06/19(月)(きりとりめでる)

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金川晋吾『いなくなっていない父』

発行所:晶文社

発行日:2023/04/25


「いなくなっていない」という言葉は、「いる」ことは必ずしも自明ではないのだと告げている。写真は、ロラン・バルトが「それはかつてあった」という言葉で端的に示したように、そこに写るものがかつてはたしかにあったのだという、本来であれば確認することができないはずの過去をたしからしいものにする。一方、「いなくなっていない」という言葉は、バルトの言葉をちょうど裏返したように、「いる」現在を意味するようでいて、「いなくなった」過去と「いなくなる」未来の可能性を現在に呼び込み、現在のたしからしさを危うくする。いや、過去と未来に挟まれ移ろい続ける現在はもともとそれほどたしかなものではないのだ。

写真家・金川晋吾による本書は、2016年に出版された金川の最初の写真集である『father』(青幻社)を起点に書かれたものだ。『father』の帯には「失踪を繰り返す父、父を撮る息子」という言葉が記されており、『いなくなっていない父』というタイトルはこの言葉に対応するかたちでつけられている。しかしそれは金川の父が『father』の出版後、失踪することをしなくなったのだということを意味しているわけではない。いや、その後は失踪をしていないという意味ではそれは正しくもあるのだが、そもそも金川の父が失踪を繰り返していたのは金川が中高生だった頃のことであり、金川が父の写真を撮り始めてからも2008年と2009年にそれぞれ一度ずつの失踪はあったものの、それから現在に至るまでは一度も失踪はしていないのだという。写真集の出版後、「失踪する父」という言葉を繰り返し見聞きするようになった金川は本書の冒頭で、「『失踪』という言葉を使ったのは他でもない自分だったので、他人を責めるわけにもいかず、何か自分が過ちを犯してしまったような、居心地の悪さを感じるようになった」と記す。「父という人は、『失踪を繰り返す』という言葉で片づけてしまえるような人ではないのだ」とも。

だから、『いなくなっていない父』というタイトルをもつ本書はひとまず、「失踪する父」を冠された『father』の語り直しのようにしてはじめられる。父が失踪を繰り返したという金川が中高生だった頃の家族の様子、高校生で写真をはじめたこと、大学院進学に伴う上京、『father』に収められた写真を撮った当時のこと、そして『father』出版後のNHKのドキュメンタリー番組による取材。これらの出来事を綴る金川の文章はエッセイのようでも写真論のようでもあり、ときに制作日誌のようでもある。実際、本書の後半に収録された文章は、NHKの取材を受けている時期の日記として書かれたものであり、それは『father』をめぐる、つまりは父の/と写真をめぐる出来事や金川の思考の足跡を記したものとなっている。

『father』の巻末にも撮影当時の金川の日記が収録されているのだが、その日記と本書における当時の記述は、当然のことながらそれなりに重複しているにもかかわらず、全体としての印象は相当に異なっている。単純に本書の方が情報量が多いということもあろうが、金川の言うようにそれは結局のところ、昔のことをどう書くかは「書いている、思い出しているときの自分次第のようなところがある」ということなのだろう。だがそれは、過去は自分次第でどうにでも解釈できるという意味ではない。

出来事の渦中にあって記した日記と当時を振り返って書いた文章とで印象が異なるのは当たり前のようだが、しかしここには本書の、というよりは金川の思考とそのベースにある態度の核心めいたものがあるように思う。金川は父のことを、その不可解なふるまいをどうにか理解しようとあれこれ考えてはその試みを断念するということを繰り返す。「わからない」と立ち尽くすのではなく、「わかる」と考えることをやめるのでもなく、わかろうとしてはあるところで断念すること。それはときに到達したように思える答えもまた、ある時点での仮のものに過ぎないと諦め受け入れることでもある。 金川にとっては文章の執筆自体も「『本当に自分はこんなことを思っているだろうか』という不安や、『もっとおもしろくかけるんじゃないか』という甘い期待」を抱きつつ「どこかのタイミングであきらめて、踏ん切りをつけて」なされるものとしてあり、日記という形式もまた、思考の足跡を暫定のものとして切断するものだ。だが、それは必ずしもネガティブなものではない。明日には別の考えをもっているかもしれないというふたしかさは、変化に開かれているということでもあるからだ。

金川は現在、セルフポートレイトを中心とした新作の制作中であり、その一部は、2022年7月から10月の4カ月間の写真と日記を1カ月ごとにまとめたzineとして発行されている。それはまさに瞬間ごとの、日々の、月々の、その都度の断念の記録としての形式だ。セルフポートレートということもあり、そこには金川自身のふたしかさへの開きがよりはっきりと記されているように思う。

さて、わかったふうなことを書き連ねてしまったが、本書の面白さが父の/と写真をめぐる具体的な記述にあることは言うまでもない。『father』や新作のzineと併せて本書を手に取り、金川の思考とその断念の具体的な足跡に触れていただければと思う。


金川晋吾:http://kanagawashingo.com/


関連レビュー

金川晋吾 写真展 “father”|高嶋慈:artscapeレビュー(2016年08月15日号)
金川晋吾『father』|飯沢耕太郎:artscapeレビュー(2016年03月15日号)
第12回三木淳賞 金川晋吾 写真展「father」|飯沢耕太郎:artscapeレビュー(2011年01月15日号)


2023/06/24(土)(山﨑健太)

カタログ&ブックス | 2023年7月1日号[テーマ:「縫う」を通して、未知の時空間を行き来させてくれる5冊]

東欧の国々の民俗衣装や日用品、近現代の作家の刺繍作品やオートクチュール──「刺繍」を軸に、多様な時代・地域の手仕事に触れられる「糸で描く物語 刺繍と、絵と、ファッションと。」(新潟県立万代島美術館で2023年7月17日まで開催/25日より静岡県立美術館に巡回)に関連し、縫う行為から人の生活と思考を紐解く本を紹介します。

※本記事の選書は「hontoブックツリー」でもご覧いただけます。
※紹介した書籍は在庫切れの場合がございますのでご了承ください。
協力:新潟県立万代島美術館


今月のテーマ:
「縫う」を通して、未知の時空間を行き来させてくれる5冊

1冊目:イーラーショシュ トランシルヴァニアの伝統刺繡

著者:谷崎聖子
発行:文化学園文化出版局
発売日:2013年5月29日
サイズ:26cm、87ページ

Point

「糸で描く物語」展でも展示されている、トランシルヴァニア(現ルーマニア)で長い歴史をもつ刺繍「イーラショシュ」。本展出品者であり伝統手芸研究家の谷崎聖子氏が、図案描きや刺繍するおばあさんなど、この伝統刺繍に向き合う人々に現地取材したインタビューからは、遠い地での生活における実感が見えてきます。


2冊目:京の美の継承

著者:下出祐太郎、成田智恵子、下出茉莉
発行:京都新聞出版センター
発売日:2021年3月22日
サイズ:21cm、202ページ

Point

所変わって、京都を舞台に連綿と続く伝統工芸に取り組む現代の職人たちの経験知に光を当てるインタビュー集。蒔絵、陶芸、着物や仏像など本書に登場するさまざまな分野の匠のなかで、優美・繊細な京繍(きょうぬい)の作家として祇園祭の胴掛類の復元にも取り組む樹田紅陽氏の作品には「糸で描く物語」展でも出会えます。


3冊目:コーヒーのあわからうまれたこねこ

絵:エヴァ・ヴォルフォヴァー
文:テレザ・ホルヴァートヴァー
翻訳:まきあつこ
発行:ライブアートブックス
発売日:2023年3月14日
サイズ:21×21cm

Point

布の端切れやキッチンクロス、刺繍などが組み合わさり生まれた、チェコのイラストレーター(同じく本展にも出品)による絵本。生まれた家のにおいを求めてさすらう子猫や町の風景を描く、ひと針ひと針のゆるく素朴な線を目で追っていくうちに心が思わずほころび、本を閉じる頃には美しい色彩と物語に魅了されているはず。



4冊目:武井武雄手芸図案集 刺繡で蘇る童画の世界

著者:武井武雄
刺繡:大塚あや子
編集:文化出版局
発行:文化学園文化出版局
発売日:2016年3月18日
サイズ:22cm、243ページ

Point

昭和を代表する童画家・武井武雄が刺繍の図案集も手掛けていたことを初めて知る人は多いかもしれません。1928年出版の『武井武雄手藝圖案集』掲載の図案から20点を、現代の刺繍作家・大塚あや子氏が作品化。初版時のページも掲載されており、子に日々向き合う親に向けた武井のエールも文章の端々から感じられます。



5冊目:ラインズ 線の文化史

著者:ティム・インゴルド
翻訳:工藤晋
発行:左右社
発売日:2014年5月22日
サイズ:20cm、267+8ページ

Point

社会人類学者ティム・インゴルドによる、「線」の存在を手がかりに社会と文化の営みを読み解く一冊。歩く、織る、観察する、物語る、歌う、書く、描く──これらを「線に沿って進む運動」と捉え直し、織物や刺繍もその一部として例示。図案をトレースする刺繍の手つきの先に、未知の世界が拡がり見えてくるかもしれません。







糸で描く物語 刺繍と、絵と、ファッションと。

新潟会場

会期:2023年5月20日(土)~7月17日(月・祝)
会場:新潟県立万代島美術館(新潟県新潟市中央区万代島5-1 朱鷺メッセ内万代島ビル5階)
公式サイト:https://banbi.pref.niigata.lg.jp/exhibition/ito/

静岡会場

会期:2023年7月25日(火)〜2023年9月18日(月)
会場:静岡県立美術館(静岡県静岡市駿河区谷田53-2)
公式サイト:https://spmoa.shizuoka.shizuoka.jp/exhibition/detail/95


[展覧会図録]
「糸で描く物語 刺繍と、絵と、ファッションと。」公式図録

執筆:谷崎聖子、笹倉いる美(北海道立北方民族博物館 学芸員)、富田康子(横須賀美術館 学芸員)、柴田勢津子(株式会社イデッフ)
アートディレクション:柿木原政広(株式会社10)、西川友美(株式会社10)
デザイン:内堀結友(株式会社10)
印刷:株式会社気生堂印刷所
発行:株式会社イデッフ ©2021

◎新潟県立万代島美術館/静岡県立美術館の各ミュージアムショップにて各館会期中に販売。

2023/07/01(土)(artscape編集部)

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