artscapeレビュー

泉太郎 展 動かざる森の便利、不便利

2011年11月01日号

会期:2011/09/26~2011/10/02

玉川大学 3号館102[東京都]

泉太郎が玉川大学の学生らとともに制作した作品を同大学内で展示した展覧会。発表されたのは、これまでと同様に、独自のルールで行なわれる遊戯を収めた映像インスタレーション7点で、基本的に撮影の場と展示の場を同一にする手法も変わらない。ただし、これまでと大きく異なっていたのは、学生との共作という一面が前面に押し出されていたせいか、全体的に「和気藹々」とした雰囲気が強く醸し出されていた点だ。それが、ひとり遊びという孤絶感を徹底することによって逆説的に求心力を発揮する泉の作品の真髄を、残念なことに遠ざけてしまっていたように思われた。むろん、これまでもボランティアスタッフが画面に映りこむことはあったし、近年の泉は明らかに彼らを巻き込んだ集団的な遊戯に重心を置いていたから、和やかな空気感はその路線の延長線上で必然的に生まれたものなのかもしれない。けれども、学生の無邪気な笑顔に囲まれた泉の遊戯に、どうにもこうにも違和感を拭えなかったのも否定し難い事実だ。それを、単独性からはじまり、やがて集団的な規模にまで発展する遊戯の本質的な特性として肯定的に考えることもできなくはないが、しかし泉太郎が秀逸なのは、遊戯に内在するそのような力を利用しつつも、あくまでもそれを自分の統治下に治める点にあるように思う。他者とともに行なわれる遊戯ですら、彼らを人形のように操りながら、じつは遊戯を独り占めにしているといってもいい。表面的なユーモアの背後にひそむ唯我独尊こそ、泉太郎の真骨頂にほかならない。今回の展示に対する違和感は、学生たちの屈託のない笑顔が、そうした本質的なところに触れているように見えなかったことに由来しているのかもしれない。ワークショップや授業にアーティストを招聘するのはよい。しかし、それがアーティストの魅力を半減させるものであっては断じてならない。改善のポイントは意外と単純なところにあると思う。例えば、今回の作品はすべて大学の中で行なわれていたが、同じ遊戯を大学の外で、すなわち路上や街頭でやってみるとしたら、どうだろう。学生たちは今回のように笑いながら遊ぶことができるだろうか。泉は内側の聖域だろうと外側の野生だろうと同じように遊ぶだろう。それが泉太郎の強さなのだ。

2011/10/02(日)(福住廉)

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