2023年06月01日号
次回6月15日更新予定

artscapeレビュー

きりとりめでるのレビュー/プレビュー

第14回 光州ビエンナーレ(フランスパビリオンでの展示、ジネブ・セディラ《꿈은 제목이 없다 Dreams Have No Titles》)

会期:2023/04/07~2023/07/06

楊林美術館(フランスパビリオン)[韓国、光州]

2022年のヴェネツィア・ビエンナーレでもフランスパビリオンで展示されたジネブ・セディラ(Zineb Sedira)の《Dreams Have No Titles》(2022)が光州ビエンナーレでもフランスパビリオンに出展されていた。ジネブが生まれ育ったのはフランス、両親の出身地はアルジェリア、そしていまイギリスに在住している。アルジェリアは1954年から1962年にかけての「アルジェリア戦争」を通してフランス領からの独立を目指し、達成した。本作はアルジェリア独立後のある映画史にジネブが入り込んだものだ。


Zineb Sedira, Dreams Have No Titles, 2022 Duration: 24 mins, Shot in 16 mm and digital film
Commissioner French Institute, Paris & Production ARTER, Paris. Courtesy the artist and Mennour, Paris. © DACS, London 2023
14th Gwangju Biennale: soft and weak like water, South Korea, April 7 – July 9 2023, 14gwangjubiennale.com


会場はその映画についての映像作品と、その撮影セットが部分的に組まれたインスタレーションで構成されている。特に映像ではジネブ本人がナレーションを務め、『ル・バル』(1983)をはじめとした数々の映画をリメイクしたシーンに自身が登場した。ここでの映画史はとりわけ、フランス、イタリア、アルジェリアにおける1960年代、1970年代、そしてそれ以降に焦点を当てたものだ。そのなかでジネブは時代をつくった諸映画に入り込むのであるが、その所作は1970年代以降のシミュレーショニズム──作者がある既存の作品を参照し、その既存作品の登場人物とはアイデンティティや国籍が異なる自身の身体を提示することによって先行作品の意味を読み替えたり、特定のステレオタイプを再演することである社会や文化を戯画化するといったアプローチ──とは違っている。ジネブ自身はそれを「リメイク」と呼んでいるが、シミュレーショニズム(例えば、シンディ・シャーマンや森村泰昌)とここでのジネブ作品との差分をどこに見出すことができるだろうか。そのリメイクの特徴としては、シミュレーショニズムの多くが映画→写真、絵画→映像、絵画→写真等々メディアを変更している一方で、映像→映像であること(もちろん福田美蘭のように絵画→絵画というものもある)、そして、先行作品を模倣しているシーンがあったかと思えば、リメイク撮影をしている現場が広角のショットで挿入されることが顕著だろう。

参照されている映画はいずれも、アルジェリアとフランスとイタリアの共同制作である。ジネブは2017年に初めてアルジェリア・シネマテックのアーカイブを訪れ、そこで独立後につくられた映画が第三世界の価値観と美学をいかに遵守していたかということに感銘を受けた。そんなジネブのいうところの第三世界で開発された「戦闘的で反植民地的なアプローチ」は、フランスや特にイタリアの監督たちと共振し、1960年代からアルジェリアとの共同制作が行なわれていたのだ。

特に中心的な参照先である『ル・バル』は言葉のない映画だ。第二次世界大戦から1980年代までの変遷を、ダンスフロアでの身振りと音楽だけで描き切ったものになっている。すなわち、いずれの参照映画も三国間での文化的同盟の模索が形になった映画なのだ。しかし、作品の冒頭からオーソン・ウェルズの『F for Fake』を引き合いに、「この映画はトリックについての映画だ」と主張して始まるように、本作では具体的にその協働について分析・描写されることはないが、その参照先のリメイク映画が別のリメイク映画に切り替わるとき、ミザンナビーム(紋中紋=入れ子構造)が幾重にも行なわれている★1

本作でのミザンナビームは主に、1960年代、70年代、それ以降のラジオやブラウン管テレビといった時代とともにあるメディアの当時の音質や画質を、目下の視聴覚環境(本作はフルハイビジョン、画素数1080p)のなかでの画中画、作中音楽としてシミュレーションし、出現させている。ミザンナビームによって発生する1080p以前の映像の質感の衝突は、映像や音声の解像度の低さへ移り変わり、作中での映画の時代の変遷を示唆するのだ。

この演出が本作にとってどのような意味をもつのかというと、『ル・バル』に現われる時代を代表する音楽や人物や雰囲気といったものではなく、その媒体の質感の変遷に世界的な共感や同期性が現在は見出せるということだろう。いまのダンスホール、文化の結晶はスクリーンの中にあるから。こういった現代性の表出によって、本作はアルジェリアとイタリアとフランスの外にもメッセージを送ることができているとわたしは思う。

シミュレーショニズムの作品の多くが媒体を変更することによって、あるいは、自身の身体を古今東西の名作に入れ込むことによって、当時の時代の在り方を批判的に再考させてきた。しかしジネブはそうではない★2。著名な作品を再考させるためというよりも、フィルムの存在が忘れ去られていた映画『Tronc de figuier』の再発見を出発点に、映画というフィクションのなかに、いまを生きる自身や自身のファミリーヒストリーを挿入することで、1960年代以降の映画での協働を現在に結び直そうとしている。

アルジェリア戦争当時から長きにわたり、フランス政府はアルジェリアの独立に向けた一連の活動を「事変」や「北アフリカにおける秩序維持作戦」と見なしていたが、1990年に正式に「アルジェリア戦争」と呼称を変更した。韓国の軍事政権に対する民主化要求である光州事件(1980)がかつて内乱陰謀と位置づけられていたこととパラフレーズするパビリオンになっているといえるだろう。

光州ビエンナーレではどのキャプションも作家の出自を地域名で記載していた。それは「国家」というものと作家の表現が同一視される狭窄的な受け取り方を是正するためのやり方だ。「soft and weak like water」をメインパビリオンのタイトルとし、実際多くの作品が実直に「水」をモチーフとしていたが、それはあらゆる観賞者が作品に対して一瞥で政治的判断を迫られないようにするという共感可能性の幅を広げるという方法でもあっただろう。西欧との別の方法、知恵の模索といったものが、水をはじめとした「自然とともにある」といった様相を呈しているように見えることはまた別稿で検討したいが、そんななかで、国を代表するパビリオンを並置するということは、パビリオンに向けたビエンナーレ側からの「なお国を代表する作家をどのように選ぶことができるのだろうか」という問いでもある。フランスパビリオンの本展は、光州の人々に向けたメッセージを、国際展を見に来るあらゆる人々へどのようなメッセージをつくるのか、ひとつの明快な解答に見えた。



★1──本作については詳細なプレスキットが出ている。
★2──とはいえ、例えば森村泰昌もシンディ・シャーマンもキャリアを積み重ねた後、「自伝的」な作品が多くなっている。



第14回 光州ビエンナーレ:https://14gwangjubiennale.com/


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2023/05/07(日)(きりとりめでる)

第14回 光州ビエンナーレ(Horanggasy Artpolygonでの展示)

会期:2023/04/07~2023/07/09

Horanggasy Artpolygon[韓国、光州]

韓国の光州ビエンナーレのうち「Horanggasy Artpolygon」という会場があるのだが、そのなかの三つの作品を紹介したい。

真っ先に対面するのは天井から大量に吊られた画布、ヴィヴィアン・スーター(ブエノスアイレス生まれ、バーゼル育ち、1949-)の作品群。屋外の地面に置いて描かれたという作品は、火山性物質や壁材塗料といった絵画のためではないメディウムで描画されているもので、具象や抽象のいずれにもところどころスレや斑点があるのだが、それはスーターの周囲にいた牛や犬や蟻やポッサム等々……といった自然の痕跡だ。1982年にグアテマラにあるかつてプランテーション農園だった場所に移り住んだスーターは、2005年の大豪雨に見舞われた結果、多くの作品が泥にまみれることになる。当初、彼女はその泥の除去に腐心していたのだが、それを辞めた。絵画の保全にとって糞尿や土といった有機物は大敵だが、彼女はそれらもすべて残すという選択を行なったのである。


ヴィヴィアン・スーターの展示の様子(筆者撮影)


次の部屋にはブラウン管テレビが四つ並ぶ。次々と流れる映像は1990年頃に撮影されたもので、いずれも芝生や川沿いといった公園でのパフォーマンスの記録だ。1980年に光州市民による民主化を求めるデモが軍事政権下の空挺部隊と衝突し、市民に対する凄惨な武力行使が行なわれた光州事件を契機のひとつに、韓国では美術館やギャラリーの外、公共の場、屋外でのパフォーマンスが模索された。それらはほとんど記録されていないというが、「Outdoor Art Association」(1981-)や「Communication Art Club」(1990-06)などの活動を記録し、それらを映像作品化したのがキム・ヨンジェだ。

パフォーマンスの動作の詳細や印象的なカットはもちろん、その周囲の観賞者の様子も収められている。本展で観賞可能だったパフォーマンスは、布やトイレットペーパーを用いたものが多く、そこに公共空間でのポータビリティと空間的な延性の大きさを両立する戦略性を垣間見た(この方法論のバリエーションは、関連展示であるAsian Cultural Centerの「Walking, Wanderting」でも見ることができるだろう)。映像はいずれも細かく編集されており、これらのパフォーマンスを残すためにどのように撮影すべきか、何が入っている必要があるのか(例えば、観賞側の佇まい)、過分な冗長性を排そうとするかのような緊張感がある。

このように当スペースではとりわけ、表現が何を排除しているかということと、何を残すためにどうやって切り捨てる造形を行なうかという、拮抗に焦点が当たるキュレーションが明確に行なわれている。


キム・ヨンジェの展示風景(筆者撮影)


キム・ヨンジェの展示風景(筆者撮影)


ヨンジェと向かい合わせに展示が始まるのがチョン・ジェ・チョル(1959-2020)の《Map of South Island and North Sea》(2016)だ。本作は韓国の地図がチョルの日記と共に描かれたものだが、チョルがアクセスすることができる範囲が記されているので、地図に北朝鮮は描きこまれていない。韓国の北側には「North Sea」と書かれていて、チョルは「韓国は島のようだ」と海辺に流れ着いたゴミを手に取り、「島の外」を手繰り寄せようとする。チョルは描かないことによって、ありありと朝鮮半島の北部を示す。光州学生運動(1929)や光州事件を念頭に、日本の戦争責任、国とは何かということ、そしてある事物や所感を記録する、表現するとはどういうことかということを、今回の光州ビエンナーレのなかでもっとも作品間から考えさせられたスペースだった。

メインパビリオン以外は無料で観覧可能でした。


ジョン・ジェ・チョルの展示風景(筆者撮影)


ジョン・ジェ・チョルの展示風景(筆者撮影)



参考文献:
・Oliver Basciano, “Vivian Suter: Forces of Nature”(ArtReview, 13 December 2019)
https://artreview.com/ar-december-2019-feature-vivian-suter/
・『5・18民主化運動』(光州広域市5・18紀念文化センター史料編纂委員会、2012)
http://www.518.org/upload/board/0040/20120730115615.pdf



第14回 光州ビエンナーレ:https://14gwangjubiennale.com/

2023/05/07(日)(きりとりめでる)

亻─生而為人(クァンユー・ツィ《Exercise Living : We Are Not Performing》)

会期:2023/04/22~2023/07/30

Jut Art Museum[台湾、台北]

会場に入ってすぐに、シャンシャンシャンシャンシャーンという音が遠くに聞こえた。クァンユー・ツィ(崔廣宇)の映像作品《Exercise Living : We Are Not Performing》(2017)から鳴り響いていたものだった。青年がひとり、コンビニエンスストアの窓に面したイートインスペースに入ってくるのを窓越しに外から撮影しているシーンから映像が始まる。彼は大きな手提げ袋から飛び出たロール紙を手に取る。紙を開くと、そこには幕とステージが描かれていた。それを彼がテキパキと窓ガラスに貼ると、即席の書き割り舞台が出来上がる。「奥春風」と書いてあった。

そっと鞄から取り出されたのは二つのパペット。あざやかな錦にスパンコールとファーで華やかな衣装を身にまとっている。彼はそれらを巧みに操り、銅鑼や効果音に合わせて、窓の外に向け演舞やロマンスを繰り広げはじめる。

映像には人形劇だけでなく、つねにその周囲が収められていて、カットが変わるごとに、さまざまなコンビニのイートインスペースで人形劇が展開される。劇には無関心だが隣の席で楽しそうにご飯を食べている人、外をせわしなく通り過ぎる人、ちょっと気にする人。シャンシャンシャンシャンシャーン。矛と矛がぶつかり合う効果音が簡易なスピーカーから流れている。バシバシという音のタイミングで男が叩かれる。窓越しの駐車場から様子を伺う男性。


展示風景(筆者撮影)


崔廣宇だけでなく、たくさんの作家が出展している本展のタイトルの訳は「Dasein – Born to Be Human」で、Daseinは直訳すると「ここにいる」という意味だ。哲学者、マルティン・ハイデッガーがいうところの「現存在」、主体的に何かを見て、解釈し、働きかけ、問うことができる、歴史上のあるひとつの存在を指す。本作は確かにコンビニのイートインに居合わせた人々、窓から見える人たちの「現存在性」のようなものを捉えている。

この人形劇は「布袋戲(ボテヒ/プータイシー)」と呼ばれるものだ。文字通り、布でつくられた袋状の人形のことを指すもので、台湾には清代末期に福建省南部から伝播しており、現在は霹靂布袋劇として「Thunderbolt Fantasy」(台湾と日本の共作)などSFX技術を駆使した華やかな映像作品で人気を獲得している。例えば、20世紀初頭の台湾の布袋戲はパペットを操る人は見えないようになった舞台(戯台)がやぐらのように組まれており、爆竹や銅鑼で派手に演出されるもので、本作の「布袋戲」も同様に、屋外で上演するものの簡易な形式のものだといえるだろう。

しかし、20世紀台湾における布袋戲の在り方は、台湾映画『戲夢人生』(1993)で描かれているとおり、さまざまな政治状況によって変化し続けたといっても過言ではない。

日本政府統治期の1930年代には、盧溝橋事件の後に民間の戯曲活動が禁止され、布袋戲の演者たちは廃業を余儀なくされている。その後、皇民化政策のためにビン南語を禁じたうえでの布袋劇が開始されるも、それまでの華麗さと対極的な反米教育に根ざした演目が中心となった。ポツダム宣言後の台湾は、中華民国政権下で「二・二八事件」(1947)以後、長期的な民衆弾圧が起こり野外公演が禁止され、布袋戲も屋内上演へと切り替わっていったのである。その後、テレビ放映された布袋戲の人気はすさまじく、1974年にはその影響力の強さから上演が一部禁止され、テレビ番組が打ち切りとなるも、また復活するという紆余曲折を辿る……

本作でそのような歴史性がリテラルに扱われることはないが、この変遷を踏まえてみると「ひとりで屋内から窓越しに屋外に向けて行われる布袋戲」ということが、「ただ上演されている」という風には思えない。屋内に留まることは「二・二八事件」を想起させるかもしれないし、ゲリラ的な上演のさまは「もしも植民地支配が続いていたら」「もしもまた屋外での上演が禁止されるようになったら」といった可能世界について思いを巡らす契機にもなるはずだ。タイトルの「Exercise Living : We Are Not Performing」、つまり布袋戲をしているわけではなく……と留保したうえで、暮らしのためのエクササイズとして「布袋戲」が行なわれているとしたら、それはどんな状況か。

イートインで隣り合った幼い子供がただ単に「布袋戲だ!」と思ったであろう一方で、居合わせた人達の知見、世代の違いによっても見え方は違ったはずだ。本作に現われる人々の「現存在性」へと立ち返ることで、それぞれの人がただ行きずりの人ではなくなり、彼らの生きてきた歴史を「布袋戲」から照射する。

このようにキュレーションが作品の鑑賞へより多層性を付与していたがゆえに、作品が扱う歴史の幅を考えるうえで、ハイデッガーそのものと、ハイデッガーとの人的・知的交流によって成立した「京都学派」の第二次世界大戦期における政治責任をキュレーションがどう考えているのかと、作品が企画に切り返す。中国語でのタイトル「亻」は、人偏(にんべん)、つまり人々の出会いによってもたらされるあらゆる可能性を表わすシンボルであり、それを訳するにあたって、「Dasein」が当てられた。ハイデッガーの用語として、ドイツ語でありながら世界的に解釈と研究が諸言語で行なわれている言葉のひとつだろう。本展ではハイデッガーの位置づけが明確に行なわれるわけではない。しかし、「布袋戲」と「Dasein」のどちらが広くアクセス可能な対象であるかと考えたとき、ハイデッガーの便利さを感じずにはいられないし、どのような時代幅を念頭に本展をみるべきか、作品に奥行きを与えたのは間違いない。


本展は100元で観覧可能でした。関東圏では目下、隔週木曜日の「悟空茶荘」で布袋戲を見ることができます。



参考文献:
・大滝朝春「ハイデガーの現存在概念」(『中部大学国際関係学部紀要』 第19号、中部大学国際関係学部、1997、pp.15-55、http://elib.bliss.chubu.ac.jp/webopac/bdyview.do?bodyid=XC19101018&elmid=Body&fname=N04_019_015.pdf
・宮尾慈良「中国木偶戯の戯台考(一)」(『演劇学論集 日本演劇学会紀要』16 巻、1976、pp.31-48、https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjstr/16/0/16_31/_pdf/-char/ja
・三澤真美恵「現代台湾「慰安婦」表象に関する一考察──ドキュメンタリー映画『阿媽の秘密』『葦の歌』を中心に」(『中国語中国文化』2022巻19号、2022、pp.101-153、https://www.jstage.jst.go.jp/article/nichidaichubun/2022/19/2022_5/_pdf/-char/ja
・Webサイト:西本有里「【プロの眼】進化する伝統芸能『布袋劇』映画化作品、トイ・ストーリーも打ち破る」(『NNA ASIA』2018.4.16更新、https://www.nna.jp/news/1750590



亻─生而為人:http://jam.jutfoundation.org.tw/en/exhibition/107/4160

2023/05/03(水)(きりとりめでる)

杉内あやの「Throat」

会期:2023/03/25~2023/04/17

ART TRACE Gallery[東京都]

本展の空間には10の石彫が配置されているのだが、それぞれが対であったり、シリーズになっているもので構成されている。

例えば、会場に入ってすぐの壁面に掛けられた諫早石の直方体《へきa》は、1面だけ平織のように表面が彫りこんであるもので、同じく諫早石の直方体《へきb》はシェブロン柄(ギザギザ模様)がもこもこと迫出している。(《へきa》は160センチメートル程度の目線より少し高い位置にあったため、すべての面を見ることがわたしはできなかったが)正面は模様、どこか1面は石が切り出されたときのまま土を被っており、そのほかの面は反射しない程度に研磨されつるりとしているのだ。

研磨されている部分とそうでない荒々しい部分をもつ「へき」は、おのずとこの彫刻がより巨大な石の一部であったことを示唆する。そこから一層飛躍して「へき」の凹凸部分は、巨大な壁財の一部を切り出したのではないかという想像もまた掻き立てるのだ。転じて、単体のレリーフとして存在するというよりも、それぞれの壁財の一部としてシェブロン柄と平織が一面に広がったらどうなるだろうかという様子が浮かび上がってくる。

「へき」のように、本展での見どころのひとつが、石彫作品における「表面の様子」による意味の発生の多様な展開だとわたしは思っているのだが、《PPPPP》(2021)と《MMMMM》(2021)ではその処理の意味がさらに対比的だ。


杉内あやの《PPPPP》(2021)作品部分(筆者撮影)


巨大なくじらの背骨から切り出されたかのような長細い《PPPPP》は、一端は折られたかのようにボロっと、もう一端はまるで骨と骨がすり合わせてできたかのような放射線状の彫跡と窪みがある。その窪みは、この彫刻が何かから切り出されたということではなく、ほかの何かによって削られた、という石にとっての他者(このライムストーンよりも固い存在)へ思い至らせるだろう。このような状態でホワイトキューブの中にある《PPPPP》の一方、自然光に薄く照らされた同じくライムストーンの《MMMMM》は見るからに人の腕だ。ただし、指先は第一関節あたりでなくなっていたし、肘の関節に関しては表現されていないこともあり、人体としての生々しさは感じられない。では、存在していない指先と腕の部分はどうか。つるりとしている。本展のつくられ方として、ここで留意しておきたいのは《PPPPP》だけであればわたしはその切断面を注視することはなかっただろうということだ。《MMMMM》は「なんて滑らかな腕だ」と思いそうになった次の瞬間、腕だとしたらその皮膚にあたる石彫の表面に目が行く。石から彫り出されたことをありありと表わすノミの跡……。


杉内あやの《MMMMM》(2022)作品部分[Photo: Sugiuchi Ayano]


このように、本展は石彫における作為がどのように発生するのかを開示し続ける。石から削り出すとはどういうことなのか。ハンドアウトには作者の言葉として「かつて大きなものの一部だった石を削って形をつくることは、世界を理解可能な文節へと還元させる〈言葉の成り立ち〉をなぞるような行為です」と書かれていた。

例えば、社会学者のアーノルト・ゲーレンが「純粋に審美的な原因から発明された真の抽象の出現は、20世紀より以前のことではない」として、線画で描かれた人間といったような子どもの描画や象形文字にも見出せる抽象性と、近代以降の抽象を区分せよと述べるわけだが、あらゆる抽象を作業の過程、すなわち事物へと引き戻す運動をもつ本展は、20世紀以前の抽象を見返すうえであらたな契機となるのではないだろうか。

本展は無料で鑑賞可能でした。


★──アーノルト・ゲーレン『現代絵画の社会学と美学』(池井望訳、世界思想社、2004)p.20




公式サイト:https://www.gallery.arttrace.org/202303-sugiuchi.html

2023/04/02(日)(きりとりめでる)

Artist’s Network FUKUOKA 2023[第二部]ニュー・ニューウェーブ・フクオカ

会期:2023/03/10~2023/03/26

黄金町エリアマネジメントセンター(高架下スタジオsite-Aギャラリー、八番館)[神奈川県]

展覧会名を1980年代の音楽や美術で使用された「ニューウェーブ」からもじったとキュレーターの小川希があいさつ文で書いている本展は、1980年以降に生まれた福岡出身あるいは拠点としている若手作家に焦点を当てたものだ。1980年代が「新人類」といったような、若さと新しさを結び付けた言説に沸き立っていたことを念頭に置いてみると、本展は「ニュー」を連呼することによって逆説的に、いずれもいままでを振り返らせる態度をもつ、「一定の過去の幅をどう見つめなおすのか」という作品の在り方を浮かび上がらせる、見ごたえのあるものだった。その一部だけになってしまうが、紹介したい。

会場に入ってしばらくして目に飛び込んできたのは日常的に摂取したゲームや小説や詩を参照し3DCGをモデリングしたものとその空間をキャンバスに描く近藤拓丸の作品だ。例えば《まつりのあと》(2023)では、マスキングで多層化された油彩やアクリルによって、1990年代ビデオゲームのローポリゴンな3DCGが、細部がつぶれて張りぼてのように見えたり、それが配置された空間からどうにも浮いてみえる様がありありと描かれている。3DCGが世界を破竹の勢いでシミュレートする精度を写実的に向上させるとき、近藤の作品はそれらの拙さがもう元には戻れない不可逆な風景であったと知らされるのだ。

遠藤梨夏の映像作品《ほぐし水の三重点でピボット》(2023)は学校のグランド、ランドセル、へこんだバスケットボールと野球の球といった、(運動をまったくしないわたしにとっては一層)どこか懐かしい風景が並ぶのだが、それらのいずれにも500mlコーラがどぷどぷとかけられるものだ。途中、そのコーラのたまりにタブレット菓子の「メントス」が1粒、2粒と投入され、メントスのざらつきを核としてコーラの二酸化炭素の泡が溢れだす。ジュワ―っと泡を吹く「メントスコーラ」はYoutubeをはじめとしたネット上の映像コンテンツにとって盛り上がりを演出する「いたずら行為」として15年近く重宝されてきた。いたずらという、時に犯罪行為に近接しつつも、状況によっては甘噛み的なるものとして愛嬌の範疇に落ち着くこともあり、その判断が未分化なまま流行しつづける「メントスコーラ」の在り方。それは遠藤が「チームに男子しかいないから」と断られ野球を断念したというような、遠藤が「社会構築的な男女の差」を意識してから生きてきた時間のなかで経験してきた状況判断が、「なんとなく」で維持されてきた社会的なコード(メントスコーラ=笑い?/野球=男性のもの?)の持続性と重ねられているのかもしれない。

牧園憲二×手塚夏子の《PX (Problem Transformation)》(2023)が「なんとなく」を問う手つきはより直接的だ。本作は「世の中をリードする数々の国際機関」、たとえば「IMF(国際通貨基金)」や「WHO(世界保健機関)や「IAEA(国際原子力機関)」を紹介する文章から単語をピックアップしてつくったカードを無作為に並べて、架空の団体SSCCとして手塚が数多の質問に回答するというものである。問いは東日本大震災以降に突き付けられたものが多く「(SSCCは)放射能の問題についてどう考えますか?」という問いに対して出たカードは「防止法」「知見」「変革」「エネルギー」「連帯」「公共」だったのだが、そのキーワードから手塚が「公共の知見を連帯させることによって、エネルギー変革の防止法につとめます」といった、それらしいけど無意味な回答を瞬時にひねり出すのである(作品内で実際にどういった返答だったかは思い出せない)。スペキュラティブ・デザインのようにも見えるが、そこに何かががあるように勘違いしてしまいそうになる言葉が実際に連なり続けるという点が特徴的だろう。言葉をつむぐということが、その場しのぎにどうとでもできてしまうという方法論を目の当たりにして笑ってしまうのだが、立場を変えて、例えばその言葉を検証するということにかかるコストの莫大さに頭が痛くなる。


会場写真(筆者撮影)


最後に紹介したいのが、佐賀市立図書館で借りた複製画をしょいこで担いで海辺や白い壁のまえで展示する石原雅也の映像作品《ある画の可能性》(2023)である。会場には複製画(ピエール=オーギュスト・ルノワールや藤田嗣治やウィリアム・ターナーなど)も展示されているのだが、それらは(おそらく)印刷の上に透明メディウムで部分的に筆致があるかのようにつくられたタイプの明らかなコピーだ。しかしその絵画は複製されたがゆえに海風に吹かれようとも、太陽光にさらされようともかまわない。「自然光のなかの海辺でメディウムがきらめくターナーはずっと見ていたくなった」ということが起こる。

映像のなかで複製画とめぐる場所場所は、オリジナルに所縁のある場所やモチーフと類似した風景だという。近代以降の芸術における「新規性」を追い求めること、唯一無二性を体現せんとすることへの敬意の一方で、それだけではなくてよいのではないかと、それぞれの身体や立場でできること、やれることがあるということが軽やかながら力強く示されていた。

観覧は無料でした。


公式サイト:https://koganecho.net/event/20230310_0326_newwave

2023/03/26(日)(きりとりめでる)

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