artscapeレビュー

果てとチーク『はやくぜんぶおわってしまえ』

2023年02月01日号

会期:2023/01/19~2023/01/22

アトリエ春風舎[東京都]

見えないものは存在しないものではない。スーパーカジュアル公演と銘打たれた果てとチーク『はやくぜんぶおわってしまえ』(作・演出:升味加耀)は、カジュアルな地獄をカジュアルに描き出そうとする、いや、それがカジュアルに存在しているからこそこの世は地獄なのだという現実を抉り出してみせる作品だ。

果てとチークは青年団演出部に所属する升味が主宰する演劇ユニット。2019年には升味作の『害悪』が北海道戯曲賞の最終候補に選出されている。今回の「スーパーカジュアル公演」は一義的には「シンプルな作品をお安くご覧いただける機会になれば」と生まれた企画とのことで、前売り2500円で登場人物6人、60分ワンシチュエーションの会話劇が上演された。だがそこで描かれる現実は重い。


[撮影:木村恵美子]


ある中高一貫の女子校。夏休みの前日、終業式を終えた放課後の教室。ミスコン実行委員のユミ(中島有紀乃)が、実はすでに投票まで終えたミス・ミスターコンが中止になったのだと言い出す。「外見に順位をつけるのはよくない」「性自認が揺らぐ」が理由らしい。アキ(井澤佳奈)とユミが「セージニン」「なんなんそれ?」「わからん」などと話しているとノザワ(升味)は職員室に行かなきゃだったと教室を出ていく。作品の(一応の)中心に置かれているのはこのミスコンをめぐる騒動に端を発する一連の出来事だ。実行委員長のソノ(川村瑞樹)は、だったら女がロミオを演じるクラス演劇はどうなんだ、レズビアンの設定にしたらどうなるんだと改めてサキちゃん先生(Q本かよ)に抗議に行く。まーちゃん(名古屋愛)はソノの案は乱暴で当事者のことを考えているとは思えないと諌めるが、ユミは「そういう人たち」がそんな割合でいるのか、言ってくれなきゃわからないし言ってくる人はいなかったと言い募り、挙句にノザワがユッキーと付き合っていることを暴露してしまう。まーちゃんと二人きりになったノザワは自分は自分を女とも男とも思えない、性別で判断されたくないと吐露し──。


[撮影:木村恵美子]


[撮影:木村恵美子]


性的マイノリティ(作中で明示されるのはアセクシャル、アロマンティック、レズビアン、ノンバイナリー)の透明化とその存在への無理解はこの作品のテーマのひとつだが、作中にはほかにも無数の「問題」が顔を出し、生徒たちのおしゃべりは次々と話題を変えていく。ミスコンの中止、専業主婦になること、出産への嫌悪感、ロミジュリ、校内に出た不審者、盗撮、ルッキズム(痩せたいと思うことと好きで痩せているわけではないこと)、演劇部の都大会での「知らないおじさん」からのコメント、大学進学、女装した露出狂(女装している人間がすべて犯罪者なわけではないということ、女もズボンを履くということ)、靴下は白でなければならないという校則(それを守っていない生徒に新しい白靴下を買ってきてまで履き替えさせる副校長)、有名な芸大の先生によるギャラリーストーカー、勤務中に生け花の時間がある銀行、隣接するビルから丸見えの屋上プール、帰国子女へのマイクロアグレッション、付き合いたいと思う気持ちがないことetc etc…。なんとここまででまだ作品の半分でしかない。


[撮影:木村恵美子]


これだけのトピックを60分のおしゃべりにまとめ上げた升味の筆と、それを上演として成立させた俳優陣の演技は特筆に値する。だが、作中にはジェンダーやセクシュアリティに関わるものを中心にあまりにも多くのトピックが詰め込まれ、それぞれの問題について丁寧に描き、あるいは深く掘り下げることはされていない。たとえばミスコンの話に物語の焦点を絞って書くという選択肢もあったはずだが、升味はそれを選ばなかった。おそらくそれは、特定の問題を選び出すという行為自体がある種の特権だからであり、現実はそういうわけにはいかないからだろう。無数の「問題」は「関ジャニで誰が好きか」といった雑談と同じ日常のレベルに存在している。ソノは性加害に否応なく直面させられる自分たちを「キモキモ変態キモリアルを日々プレイしてるJK」と表現していたのだった。男性向け恋愛シミュレーションゲーム『ときめきメモリアル』とは異なり、「攻略対象」を選ぶ権利はプレイヤーに与えられていない。それどころか、プレイを拒絶する権利すら与えられていない地獄こそが現実なのだ。


[撮影:木村恵美子]


作中の時間は2012年に設定されており、ガラケーが使用されていることや言及される固有名詞などから観客にもおおよその年代は把握できるようになっている。だがこの設定は作中で描かれる現実が過去のものであることを示すよりはむしろ、10年を経て変わらぬ、それどころか悪化している部分さえある現実を示すためにこそ導入されたものだろう。なぜ変わらないのか。変える以前にそもそも見えていないものがあまりに多いからだ。私に見えていない地獄はそこら中に存在し、いまこの瞬間にもその地獄を生きている人間が無数にいる。ならばせめて、可視化された地獄くらいはそのまま受け止めることからはじめたい。


果てとチーク:https://hatetocheek.wixsite.com/hatetocheek

2023/01/21(土)(山﨑健太)

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