artscapeレビュー/プレビュー
2009年08月01日号のレビュー/プレビュー
水都大阪2009

会期:2009/08/21~2009/10/12
大阪市・中之島周辺[大阪府]
大阪・中之島を主会場に、高度成長期を経ていったんは途切れかけた水辺と市民の関係を取り戻そうとする複合イベント。アーティストがかかわるものでは、ヤノベケンジによるアート船とアートツアー「トらやんの大冒険」、KOSUGE1-16、藤浩志、パラモデルら多数の作家が連日ワークショップを繰り広げる「水辺の文化座」、元永定正&中辻悦子、河口龍夫、今村源らが建築遺産を会場に行なう作品展示がある。全体のなかでワークショップが占める比率が高く、見るよりも積極的な参加が求められるのが特徴だ。
2009/07/15(水)(小吹隆文)
中井恒夫─東京 原爆─
会期:2009/07/13~2009/08/01
秋山画廊[東京都]
原爆をモチーフとした映像インスタレーション。東京の地図を床面に、爆発する原爆を壁面に、それぞれ投影することで、東京が被爆するイメージを見せた。ただ爆発の映像描写が凡庸であったせいか、あるいは「東京」という記号が弱かったせいか、原爆が東京で爆発するという衝撃が十分伝わっていないように思えた。原爆のイメージを取り扱うアーティストが忘れてはならないのは、わたしたちの想像力には、ハリウッド映画などによって世界が滅びるイメージが、すでに何重にも書き込まれてしまっているという大前提ではないだろうか。
2009/07/16(木)(福住廉)
山下洋輔トリオ復活祭

会期:2009/07/19~2009/07/19
日比谷野外音楽堂[東京都]
山下洋輔のトリオ結成40周年を記念したライブ。ピアノの山下を縦軸に、ドラムの小山彰太、森山威男、テナーサックスの中村誠一、菊地成孔、アルトサックスの坂田明、林栄一、ベースの國仲勝男が、司会の相倉久人の進行のもと、入れ代わり立ち代わり登場する構成。彼らの協演に、大半が中高年で占められた観客は大いに盛り上がったが、なかでも突出して会場を沸かせたのが坂田明と森山威男。坂田はサックスの途中で突如として「ハナモゲラ語」による絶叫節を歌い上げ、観客一人ひとりの心底を鋭く突くほどの力強いドラムを見せた森山は、会場の気分が最高潮に達する直前、まさかのエアードラムを入れて、みんなを「あっ」といわせた。演者と観客が相互に向き合うことで場の空気を盛り上げていくという、フリージャズの醍醐味を「これでもか!」とばかりに実感させる、じつに幸福感に満ちたライブだった。
2009/07/19(日)(福住廉)
金魚(鈴木ユキオ)『言葉の縁(へり)』

会期:2009/07/24~2009/07/26
シアタートラム[東京都]
90分、息つく間もないテンション。鈴木ダンスの到達点を見た。彼の暮らす藤野の森のような静寂(トム・ウェイツが冒頭曲)は、同時に社会から隔絶された野性的な世界で(大きな枝やカモシカの角が効果的に舞台を飾る)、暴力に満ちている。荒涼として美しく、官能性に満ちた舞台。「官能性」とは、目が合えば衝突してしまう男たちや足を拡げて身を沈める女たちの仕草などに不意に薫るというだけではなく(それはそれで繊細でありとても美しいのだけれど)、徹底的に鈴木の振り付けをダンサー全員が身体化しているという至極ダンス的な事態から醸し出されているものなのである。ダンサーを鍛えるとは、こうしたことなのだろう。身体が振りを結晶させる媒体となって、みずからを殺す。そこに生命が煌めく。言葉が内と外を結ぶ道具だとすれば、その縁はやはり内を外と繋ぐ道具である身体と接触しているに違いなく、鈴木はきっとその接触をとらえようとこのタイトルを作品につけたのだろう。まさしくその接触の瞬間がこの作品に起こったかは定かではないけれども、身体が内を外と繋ぐときに起こるそのひりひりとした感覚は存分に味わうことができた。
2009/07/24(金)(木村覚)
金魚(鈴木ユキオ)『言葉の縁(へり)』

会期:2009/07/24~2009/07/26
シアタートラム[東京都]
90分、息つく間もないテンション。鈴木ダンスの到達点を見た。彼の暮らす藤野の森のような静寂(トム・ウェイツが冒頭曲)は、同時に社会から隔絶された野性的な世界で(大きな枝やカモシカの角が効果的に舞台を飾る)、暴力に満ちている。荒涼として美しく、官能性に満ちた舞台。「官能性」とは、目が合えば衝突してしまう男たちや足を拡げて身を沈める女たちの仕草などに不意に薫るというだけではなく(それはそれで繊細でありとても美しいのだけれど)、徹底的に鈴木の振り付けをダンサー全員が身体化しているという至極ダンス的な事態から醸し出されているものなのである。ダンサーを鍛えるとは、こうしたことなのだろう。身体が振りを結晶させる媒体となって、みずからを殺す。そこに生命が煌めく。言葉が内と外を結ぶ道具だとすれば、その縁はやはり内を外と繋ぐ道具である身体と接触しているに違いなく、鈴木はきっとその接触をとらえようとこのタイトルを作品につけたのだろう。まさしくその接触の瞬間がこの作品に起こったかは定かではないけれども、身体が内を外と繋ぐときに起こるそのひりひりとした感覚は存分に味わうことができた。
2009/07/24(金)(木村覚)
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