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2005年01月31日

窯象誕生の流れ

《窯象》の生まれそもそもは、バングラデシュにあると昨日書いた。今日はその背景を少し書こうと思う。そしてこの背景を理解すれば、椿昇がTAP2004で《窯象》を展示した通称「椿忍術研究所」他において、竹酢液その他の物販に励み、『資金調達』した真の意味が見えてくる(なんてね)。
というわけで、あえて流れをフローチャート風に(そいうえば、来週12日、国立国際の中井学芸員と京都造形大学で双方がコミッショナーをしたバングラデシュ・ビエンナーレとインド・トリエンナーレにつてい講義することなっている)。


1)2003年夏。夏休み中にコミッショナーに選出された報告を受ける。
2)会場の見取り図から作家の選定に入り、3作家に依頼をし出品作品の協議にはいる。
3)同時に過去に事例から、今回も現地での「素材」を用いた作品を是非提示したいと考える。日本円で100万円用意すれば可能。仮に10倍としても1000万円。日本でもそこそこのことができるまとまった額だ。現地の物価は、実感としては1/20。
4)2003年9月末、膨大な予習により予備知識に溢れた状態になった椿さんと彼のアシスタント達と現地入りする。
5)バングラデシュに多くの知識がないくてもたとえば雨期になると国の多くが水に沈む、洪水の国であることは知っているとおもう。
6)現地の優秀なガイド通訳から、バングラデシュにおける「水」の問題に関するより正しい知識を得る。
7)帰国後、椿昇はマングローブ林乱伐が引き起こしすサイクロンによる高潮被害と井戸水のヒ素含有という「水」をテーマにした 「『ラジカル・アクア』プロジェクト宣言」が届く。
8)諸悪の根元となっている水の負(−)の連鎖を正(+)の連鎖にかえることを標榜するもの。
9)水の濾過のために炭を使う。その炭を自生する竹を使ってつくる。椿なりのフェアトレードのあり方を示したもだ。
10)2004年1月バングラデシュ・ビエンナーレの設営の為に2度目の現地入り。この時、彼の地で準備したとても小さな《窯》で炭を焼き、ステイトメットと併せて展示した。とてもささやかな一歩であった。
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11)帰国後、国内外で炭焼きを実施。
12)今回、初めてUNBOYの炭焼きロボットとしてデザインした《窯象》がコバックの手により製作され、同時にプロジェクトタイトル《ラジカル・カーボン》が発表となる。


といった具合。貧困から脱するには教育を受けるしかないが、そのためのきっかけを得ることの一つに、安全な水を口にできるようにすること、また、そのための素材を加工して対価を得ること。椿は、バングラディシュの貧困の連鎖を彼は何とかしたいと考えているわけなのだ。
その方法を教えるための絵本を作るための軍資金が物販の売り上げ金であり、次の展開はそれを届けにバングラディシュに再び出向くことなのである。


ちなみに、椿昇はこのとき優秀賞(Honorable Mention Award) を《ペンタ》で受賞している。
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壁に貼られた受賞の証。

2005年01月30日

椿昇の窯象のその後談

窯象が嫁ぐ「たき火の里 」
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まだ場所を探して歩いている時、建築中の異様に大きなログハウスに遭遇し思わず撮影した1枚。撮影:2004年7月4日。「たきびの里」は童謡「たき火」を作曲した渡辺茂氏のおいの永田さんがかつての別荘跡地に建てたログハウ ス。 《窯象》は童謡「たき火」の生まれた地で活用さえれることとなる。3月に窯象にここでまた火を入れる予定。


下の写真は2004年10月29日。窯象への初火入れの時の1シーン。なぜ椿さんが忍者姿をしているのか?「TAP2004」の会場を訪ねた方ならその理由は簡単ですね。
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この窯象をこしらえたのは、コバック。水戸とバングラデシュで展示した「ペンタ」もコバック製。
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バングラデシュ・ビエンナーレの会場でその勇姿を見せる「ペンタ」。すべてはここへの参加から、「竹炭」「竹酢」のプロジェクトは始まっている。

2005年01月29日

ピータバラカン氏水戸に来る

自分は体調を崩し熱を出してしまったので残念ながらライブで聴講することはできなかったけど、アーキグラム展の関連企画として「ピーター・バラカンが聴いたロンドン」がワークショップの会場で実施された。経緯はわからないけど、2部もあったらしい。う〜残念。でも盛況で何より!
僕同様、会場で聞くことができなかった人は下にアクセス。
London as Heard by Peter Barakan1&2

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ピーター・クック、デニス・クロンプトン、デヴィッド・グリーン、マイケル・ウェブの 4人分のサイン入りポスターを、好評発売中。ミュージアムショップ「コントルポアン」にて3,500円(消費税込、限定販売)。29日18時現在、残数16枚。その意味では超レアもの。何と言っても本人達が喜んでサインをしあって、自分たちのお土産にもしたポスター!*写真はサインのない素のポスターです。

ミュージアムショップ「コントルポアン」
開店時間:平常10:00〜18:30
(閉店時刻は催事等により変更することがあります。)
休店日: 芸術館休館日
Tel: 029-227-0492
mailto:contrepoint@arttowermito.or.jp

2005年01月28日

日本アートマネジメント学会関東部会

朝からいささか躰が重い。もともと今日はお休みなので、部屋で静かにし過ごすも、夜は、オペラ好きの実践女子大の椎原伸博さんに日本アートマネジメント学会関東部会に呼ばれている。もう1年も前から頼まれていたことで、当日のキャンセルはムリ。暖かくして夜の準備。
テーマは「TAMからTAPまで」。いったい何のことかわからない頭文字が並ぶ。TAMはトヨタ・アートマネジメント講座の頭文字。TAPは取手リ・サイクリング・アートプロジェクト2004の頭文字。TAPの資料は事務局の及位さんがパワーポイントで作ってくれて送ってくれた。パワーポイントのソフトをもっていなかった自分は慌てて調達し、CDを開き、為に自分でも資料を作ってみたりして、日中を過ごす。午後、昼寝をし、時間になって会場に。皆さん熱心に聴講していただき感謝の至り。それとプレゼンソフトを使うとかように楽なものかと実感。次の講演の時には一から自分で作ってみよう。今回は及位さんどうもありがとう。

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2004年4月3日のTAP塾説明会の図。
関東部会での報告は、このTAP塾によるインターン生の採用の実験の成果について。


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2004年11月13日初日。椿昇の炭釜に点火する塚本光男取手市長。大変お世話になりました。改めて感謝です。ありがとうございました。
ここに至る過程は9月1日に始まるブログTAP塾日記に詳しい。これも講師に来た椿さんのレクチャーの影響。


インターン生の活動はこの後の「TAP2004」の記録集の編纂と3月20日に予定するファイナルのフォーラムの実施。正に今日、取手で彼らはそのゲストの人選について協議しているはず。講師の人選に彼らの視野が広がったことを見て取ることができる。

2005年01月27日

グラムとラボは違う!

ヤバイ! 「アーキグラム」と「アーキラボ」が巷では混濁している。水戸で開催しているのは「アーキグラム」イギリスの建築家集団の展覧会だ。一方の「アーキラボ」は東京・六本木の森美術館で開催中のフランスの建築アーカイブから大量に建築模型を持ち込んだ展覧会だ。それに日本の建築動向を加える形で網羅されている。そのいみでは、「アーキグラム」と比較対象される日本での動向「メタボリズム」が何であったのか具に見ることができる。つまり、この二つの展覧会は補間しあう関係にあると言って良いのだ。だから両方行くべきなのだ。「アーキグラム」の仕事も紹介されているからといって、間違っても六本木を訪ねただけで良しとしてはいけない。と、強い口調になるほどに水戸に来て欲しい。
アーキラボ展のサブタイトルが「建築・都市・アートの新たな実験1950−2005」。展覧会会期は「アーキラボ」が3月13日まで。
アーキグラム展の正式タイトルは「アーキグラムの実験建築1961−1974」。水戸の「アーキグラム」は3月27日まで。


*うーん。列記していて、勘違いされてもムリないかなと弱気に思ったりするけど、
水戸の「アーキグラム」展をどうぞよろしく。とても良い展示になっているんだから。


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ギャラリー入り口。階段をのぼってくると彼らが迎えてくれる。

2005年01月26日

海洋堂と一人万博

アーキグラム展がオープンした1月22日。デザイナーの松本弦人さんからチラシのラフが届く。彼には4月からの「造形集団、海洋堂の軌跡」展の広報物デザインをお願いしている。「うーん、そう来たか!」と感心する切り口。プランは良いし、突いたツボも間違いない予感はする。しかし、実現するためには詰めていかなければならない課題が沢山。そこで彼の事務所で打ち合わせをすることにした。


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海洋堂からお借りしている実物の「食玩」を前に、切り口についてああだこうだ。それを落とし込むメディアをどうするこうすると意見の交換。印刷+加工の問題もあるため、株式会社竹尾の担当者の方にも同席してもらう。


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竹尾のウェイビーウェイビー紙。右:トラの顔が立体になっている。これがこの紙の特徴。


紙の印刷適正やその他もろもろお聞きしながら打ち合わせを終えて、今度は日比野克彦さんの事務所に移動。
前回の打ち合わせを経て、会場プランもかなり改変と拡充が為されていて、日比野さんの熱の入れようがわかり、嬉しくなる。いくつかの大事なことも確定し、弾みがつく。もうしばらくすればオーバードライブ状態になるはず。だけど、その手前の今が一番難しい時とも言える。
次回打ち合わせは、水戸の会場で現場をみながらすることに。
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展示に関する打ち合わせを終えて、日比野さんと一緒に東急文化村に移動。野田地図第10回公演「走れメルス──少女の唇からはダイナマイト!」を観劇。野田20才の時の本に22才で書き直したもの。今年50才の彼はそれを再演する。衣装はひびのこずえ。

2005年01月25日

アーキグラム・オペラ

展示空間の最後の部屋が「アーキグラム・オペラ」。マルチスクリーンを使い、1961年に第1号が刊行された『アーキグラム』誌の各号を、同時代の映像──JF・ケネディー米大統領のスピーチ、アポロ宇宙計画──と、さらに複数のビデオ作品とを同時に上映するアーキグラム・オペラ。音と映像で見るアーキグラムは60年代の空気を身体的に体感させてくれる。
しばし浸っていたい気分になっても大丈夫なようにお時間に余裕を持てお出かけ下さい。


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この映像から何号のアーキグラム誌の紹介のシーンか瞬時に判別できた方ならとても楽しめるハズ。「う〜。あれー」と思った方は、是非、会場に! *でも写真中に答えあります。


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《アクアポリス・バルセロナ》1989年/6分の一シーン。


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ミュージアム・ショップに並ぶ先行発売中のアーキグラムのDVD。


アーキグラム・ロゴの肉厚のマウスパットが初回限定版につく。《アクアポリス・バルセロナ》1989年/6分、《アイ・リメンバー・アーキテクチャー》1974年/18分、《ポピュラーパクとロボット》1968年/8分が収録されている。邦訳付き。

2005年01月24日

赤い靴

展覧会が無事オープンし、今日はお休み。午前中、少し体を動かし、午後はアートスケープの編集会議。
アートスケープの前身の活動は、阪神・淡路大震災やオーム・サリン事件があった1995年。つまり、のちに『インターネット元年』と呼ばれる年に始まり、翌1996年にartscapeと改名してからでも今年で10年。そこで、「アートスケープ10周年記念プロジェクトとして何かしよう!」とガヤガヤ。そう言えば「インターネットマガジン」が1994年の9月に創刊されたとか、彼は今どうしているとか、いつしか昔話に(ま、そのうち企画としてまとまることだろう)。


で和やかな会議も終わりエレベータを待っていると、僕の履いている赤い靴が目にとまったらしく話題になる(あれ、うろ覚えだけど履き始めて1年くらいつんじゃないかな)。
昨年一緒にリノベーション・プロジェクトをした水戸青年会議所のメンバーにガンダムフリークの人がいて、一目で赤い靴がなんなのかわかったらしいのだが、しばらく経ってから、遠回しに聞かれた覚えはある。
今日、東京での講演会のために水戸から東京に移動したアーキグラムのメンバーの一人、長身のマイケル・ウェブは僕の赤い靴をストレートに褒めてくれた。たぶんに社交辞令としても、大の大人に「良いね!」と面と向かって言われたのは初めてのことだったな。赤好きの自分としては、「赤い靴」が欲しくて買ったので、シャーもガンダムも知らないだろうマイケルにそう言われたことは僕にはちょっと嬉しいできごとだった。そんな四方山話のブログの日。


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これがその靴。ナイキ製深紅のシャー公式グッズ。踵部分にロゴがしっかり入っている。じつはちょっとエンスーンなシューズなのだ。


打ち合わせからの道すがら、愛知万博まであと「60日」の掲示を目にする。家に戻ると、万博関係の手配他で忙殺されていた椿さんが「明日から自分のブログ更新を始めます」と復活宣言をアップされていた。関西に住む椿さんは95年の地震の時に、ネットとメールに急接近し、仕事の環境が激変したこともあり一人でできるサイバーな世界に入り、その可能性を追いかけてきた作家の一人だ。愛知万博のプランも一段落したのだろう。日比野さんも参加するし、他にも多数の作家さんが関わっていることだし、一回は行かないといけないな。いつにしよう。

2005年01月23日

カウンターカルチャーと建築

アーキグラム展二日目の「レクチャー&シンポジウム」


一部がアーキグラムの4人のよる基調講演、つまりレクチャー。
二部が、彼らの活動をいち早く日本で紹介し、友人でもある磯崎新(芸術館美術部門顧問でもある)が加わり、評論家五十嵐太郎氏がモデレーター役で入ったシンポジウム。
下の写真は二部のために着席した所の彼ら。

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左から:五十嵐太郎、デニス・クロンプトン、ピータークック、磯崎新、マイケル・ウェブ、デヴィッド・グリーン。


そしてこの様子は"株式会社創夢の協力により水戸芸術館のホームページ内"Live Index"20050123-1,20050123-2 Counter culture and Architectureでごらん頂けます。

2005年01月22日

アーキグラムのギャラリーガイド

会場ごとにリレーして話されていくアーキグラムによるギャラリーガイド。
お陰様で大盛況。


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ブラックライトによる展示のされた第1室で話すマイケル・ウェブ。
右端の頭一つ高いのが、メンバー一長身なマイケル。


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スタジオの中で話す、デニス・クロンプトン。
展示の責任者でもある。アーキグラムが実際に事務所をもっていたときの話など。


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作品の前で話すディビット・グリーン。
写真中央でマイクを持つのがディビット。携帯電話を片手にマークルーハンの引用から解説は始まる。


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ピーター・クック大いに語る。
赤いシャツが似合う。ネクタイが写ってないけど、60年代の黄色地のスネーク・タイ。茶目っ気たっぷりなお洒落さんだ。
その横に立つのが通訳の横田さん。ジョンケージ展オープンイングで館長の切れ目のない20分ほどの朗々としたスピーチを一気に通訳し吉田秀和館長の目に適った実力者。


トークの様子は水戸芸術館のホームページ内"Live Index"のムービーで!
雰囲気はバッチリわかる。20050122-1、20050122-2 Gallery Guide by Archgram Members

2005年01月21日

アーキグラムの4人がそろう

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この日、アーキグラムのメンバーは7時間30分に渡る終日インタビュー。しかもその後に展示作業。スタッフは明け方まで。書籍のための撮影も始まる。

2005年01月20日

オープンまであと3日

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広場に面した場所のビルボードにアーキグラムのロゴとアーキグラムマンが登場!


会場の準備はできつつもまだまだ。終盤にかかればかかるほど時間を要し、歩みが鈍るもの。最後の微調整や清掃まで考えるとギリギリ。
昨夜出力をお願いした日本オセの東出氏から連絡。夕方に便に乗せ、明日午前中には届くとのこと。ありがたいことです。


会場を歩いているとなんと1月16日ブログで紹介したクンストハウス・グラーツの映像が流れている。BIXへの応募を考えている人は必見のビデオだぞ〜。
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2005年01月19日

順調に進む展示作業...

アーキグラム展の展示は順調に進み、いったい何を見ることができるのか関係者じゃなくても判明するまで会場が仕上がってきた。カラフルな壁に作品が掛かり、ぐっと気分もがでてきた。
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左のモノクロ版拡大コピーは今回ご協力頂いた「日本オセ株式会社」様のご厚意によるもの。


順調と言いつつも展示現場にはちょっとしたトラブル・ハプニングは付きもの。案の定、展覧会会場完成間際のアーキグラムの現場に、対処しないとならない「あれ?」といった問題が...。
ブラックライトで蛍光するはずの展示物が何故か光らない。それがわかったのが18日20時の時点。翌19日の今日、担当の高橋学芸員が19日朝から急遽手配の算段。巨大プリント7枚分の日本での出力し直しに救いの手を差しのべてくださったのが、先の「日本オセ株式会社」さま。追加出力対応の協力をして下さるとのこと。
7ピース分のデータを急いで(とってもたっぷり時間がかかったけど)準備し、東京の日本オセの本社に持ち込むことに。訳あってその大役を仰せつかったのが私(展覧会のための緊急非常事態対応故とはいえ、突然休講にしてしまった学生君たちごめんなさい。振替日は後日連絡します)。


大きなデータの切り分け他準備できるのをじりじりしながら待ち、CD5枚を受け取り、駅まで送ってもらい電車に飛び乗り、東京・愛宕地区(住所は西新橋)に向かう。今回の窓口になってくださっている東出晃氏と西山鋭氏が待ちかまえていてくださった。東出氏は出なくてはならないところをムリに都合つけて居ていただいて、データを確認したところで退席。その後は、同席していた西山氏にオセの商品特性について簡単明瞭、懇切丁寧な概要説明をしていただいた。A0サイズが1分間に10枚出せるだけでも凄いけど、システム全体がコンパクトな印刷工場みたいなもの。正しくは「最先端の大判デジタル複合システム」と言うんだそうだ。マシーンの実力を目の当たり者として感想は「感動的なまでに凄い!」。


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TDS860の入出力複合システムの全景。スキャナー、プリンター、折り機。


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なんともきれいな出力。黒の幅の広さがすごい。


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附記。1月19日の朝日新聞紙面マリオンコーナーの特集記事「人気の『ブログ』はいかが」で学芸員の仕事をチェックとこの『MORI channel』が紹介された。肩の力ぬきつつ頑張らないと。エイ!

2005年01月18日

開幕まであと200日

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一人万博作戦会議中の日比野さん。僕に構想を言葉にしてくれているときの図。


日比野克彦「一人万博」展の開催まであと200日。ひょえー。もう本当に開幕間近。確定していかないとならないことだらけ。そんなわけで今日は、ヒビノスペシャル(日比野さんの事務所)にて打ち合わせ。お正月の三が日に箱根駅伝を聞きながら描いた作品ほか、正月返上の自主トレの成果も見せてもらった(でも、その画像はお見せできません。あしからず)。
がっちり打ち合わせをし、続きは来週。まだまだキャッチボールをしながらがつづく。


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レンゴーに用意してもらった段ボールキューブのテストピースの一つ。座れるし、その上にも立てる。

2005年01月17日

塗り上がり

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きれいに塗りあがる。
展示も順々に進んでいる(でもまだお見せできないのがとても残念)。

2005年01月16日

クンストハウス・グラーツ

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メディア・コンペティションの募集のチラシ(画像の歪みはご愛敬とご勘弁下さい)。
募集作品は「3分間のクイックタイムムービー」。3月31日締め切りだって。


オーストリア第二の都市グラーツで開催が予定されている「日本の知覚」展(6月4日〜9月11日)に連動した作品の募集。「グラーツ アートプロジェクト/BIX・メディア・コンペティション」。
BIXとは、2003年秋にオープンした新美術館クンストハウス・グラーツの建物外壁面(曲面)BIXファサードに装着された横56個×縦24個の蛍光管が点滅(階調有)する電光スクリーンのこと。スケールで言えば横56メートル、縦24メートル。つまりとてもデカイ!(なんて陳腐な表現)。でも見るからにデカイ。『都市的スケールのランド・スケープアートに』とチラシのリードで謳いたくなる気持ちは良くわかる。ひどい作品ならぼーりょくになっちゃうから心して準備してくれ〜。燃えてくれ〜。とエントリー志願者の方々に、暢気にゆる〜くエールしつつ秀逸な表現に期待。


クンストハウス・グラーツの建物外壁面(曲面)BIXファサード(リンクで飛んだらArchitectureをクリック!)がいかにデカクて街並に対して奇妙で有機的に見えることか。ネットの映像でボクも見ただけだけど、それでいて道に面した一方のファサードは端正な面持ちで街に抗うこと無く溶け込んでいるようで、これまた凄い。この『舞い降りた宇宙船のような外観を持つ』(チラシのリード文から引用。僕は青ナメコを連想したけどね)建築物が、あのピーター・クック(1936年生まれ)がコリン・フルニエと共に初めて現実化させた建築。
そうなんだ。水戸芸術館で開催する「アーキグラム展」(1月22日〜3月27日)の為に、この20日(木曜日)に来水(水戸に来ることをこう書くのだよ)するピーター・クックの1/1の作品(つまり現実に建った)なのだ。
クリストもプロジェクトを実現させるのに数十年を要すけど、建築も大変だ。
そういえば、先週末のトークで青木淳さんも言っていた。建築で設計の道に進むことを決めることは「失業する」ことを決めるようなものだって。


さてさて、で「アーキグラム展」の開催に併せて1月23日に予定するシンポジウムは残念ながら完売で席がない。けど1月22日14時〜15時30分のオープニング関連企画としての「アーキグラムによるギャラリーガイド」(通訳付)なら展覧会チケットがあれば会場に入れて生のお話し聴講可能!なので是非おでかけください。と最後は水戸の宣伝で終わります。

2005年01月15日

美術・建築

午前中はアート、午後からは建築。
雪にはならなかったけど、雨の降る肌寒い一日だったが、予定どおり行動。
1)東京都現代美術館にて「愛と孤独、そして笑い」(1月15日〜3月21日)をみる。企画した笠原美智子学芸員の視点がビシット通った展覧会。自分としては予定していた時間をオーバーしてじっくり見る。フレームのしっかりした良い展覧会だと思う。
イチハラヒロコさんのコーナーにいったらご本人に遭遇。話を聞いていた活字を使った作品の前で「これだね!」と、しばし懇談。彼女の実家の生業が印刷屋さんで、42、3年間操業して店を閉じたそうで、それに1年365日をかけてでてくる1万6千個の「愛」と「笑」(つまり3万千個)の活字が山と積まれていた。輪転機の廻る音で目を覚ましていたイチハラヒロコの辞書には『孤独』の文字は、そりゃないだろうなと。得心。彼女にしては珍しく立体での作品。なんともかっこいい彫刻作品だこと。同時開催中の「榎倉康二」展を見て、急いで新川に向かう。
写真はそのパーツとなる「愛」と「笑」の活字。この作品のために新たに制作された。
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2)シューゴアーツでの辰野登恵子の個展会場にはフレッシュで力強い魅力的な作品が並ぶ。DMになっていた作品にはすでに赤丸。さすが押さえる人(本気のコレクター)は初動が早い。


日本橋まで移動して、急いで昼食を食べて、横浜に向かう。
3)15日から18日までオープンハウスされるBankART Studio NYKの空間を見るためだ。
日本船舶歴史博物館までは直行するも、目的地の旧日本船舶倉庫、現BankART Studio NYKへのアプローチの入り口をみつけられず雨風の中を彷徨い発見。もう少し先までいって曲がれば良かったのだ。せっかちは損をするね。
オープン記念の「クリエイティブ・コア」によるシンポジムは盛況。
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まさにあいにくの天気の中なのに大勢の聴衆。パネラーは北沢猛(都市デザイナー、東大大学院工学系研究科助教授、横浜市参与、京都府参与)、木下眞男(横浜市都市計画局長)、加藤種男(財団法人横浜市芸術文化振興財団専務理事、アサヒビール株式会社環境社会貢献部服理事)、川口良一(横浜市芸術文化都市創造事業本部長)
会場で久しぶりに村田真さんや福岡の宮本初音さんに会う。シンポジムはNYKギャラリーAを使っていたが、1階のNYKホールの空間はいい。BankARTの名称の由来とでも言うべき、馬車道の旧富士銀行のスペースが新設される東京芸大の映画のための大学院(北野武芸大教授就任とスポーツ紙でも話題になった)の校舎となるため、2年前まで日本郵船歴史資料館だった場所を代替スペースとして横浜市が用意したのだ。HPスタジオの池田さんらが施したリノベーション後の空間は、とても機能的な印象を与え、活動の可能性を予感させるものだった。良い場所がまた誕生した。


1階のNYホール
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2階のNYKギャラリーから対岸の煉瓦倉庫を見たところ。
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4)パーティーもそこそこに、急いで池袋に向かう。ジュンク堂での青木淳氏による出版記念トークショーを聞くためだ。時間ぎりぎりで会場に入ると満席。熱心な聴衆に青木さんの人気度を知る。終わった後、「原っぱと遊園地」を出版した王国社の山岸さんとの食事に混ぜてもらい懇談。

2005年01月14日

クリスト

今日は、今年の2月12日から16日間の予定で実施されるクリスト&ジャンヌ・クロードの手掛ける「ザ・ゲート・プロジェクト」についてのご紹介。
梱包の作家として知られるクリストはこの2月に公開するニューヨーク・セントラフパークでのプロジェクトの準備に追われている。
茨城とカルフォルニアを舞台にした「アンブレラー」のあと、ベルリンの国会議事堂を梱包したクリストが、1979年に着想し、NY市サイドから2003年1月22日に実施許可が出て、はや2年。今正に構想25年に及ぶプロジェクトが最終段階の作業に入っている。
かいつまんで話せば、7500本のゲート(高さ4.9m、幅は遊歩道幅)がセントラルパークの遊歩道に設置され、サフラン色合の布を地上約2.1mの高さまで下げるプロジェクト。
観客はその下を歩き風になびく布を仰ぎ見たりすることになるわけだ。
詳細はクリスト自身のホームぺージを訪ねるか、
日本語で詳細を知りたい方は、美術ライター高石ゆみさんの「WEB展評」の記事をごらんあれ。

2005年01月13日

進む内装工事

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上:10時頃/左下:18時頃/右下:20時頃


昨日から始まった内装工事で造作している壁の高さは、通常の倍。
当然、仮設壁の施工時間も、やはりバイ。
高さが5.4メートルあると、大工さんたちの登り降りもバイの時間がかかるからだ。
至ってシンプルな計算。コストとも一緒。
遅いワケじゃないけども、いつもより時間がかかって押し気味。


*****
ミュージアム・ショップには建築関係の書籍が並びはじめる。
思わず数冊まとめて買い込む。
一番はじめに読み始めたのは雑誌。CASAの住宅案内特集号。
建てられたら良いなと思いながら、どこかで自分とは縁遠い話と思いながら見る(毎度のことだけど)。
でも、知った顔の人が出ていて楽しい。


*****
新聞切り抜き記事のコピーが廻ってきて、青木淳「原っぱと遊園地」の書評を2つ読む。
15日夕方のジュンク堂での青木淳さんのトークのことを思いだし訪ねるべし!
と決心。ならばと、今年開催のベニス・ビエンナーレ日本館コミッショナーを務める笠原さんが企画した「MOTアニュアル2005 life actually 愛と孤独、そして笑い」を見つつ、シューゴアーツの辰野登恵子展を見たりしようと、所要時間を計りながら15日のルートを組み上げる。
晴れてくれるといいな。


夜は、クリテリオム61でお世話になった嵯峨篤さんと「クリテリオムお疲れ様会&アーキグラム展壁塗り監修お世話になります会」。
アーキグラムの会場は、部屋ごとに壁は赤・黄・緑・紫・オレンジと塗り分けられる。
そのための「壁塗り隊」ボランティアは延べ30名。
嵯峨さんに彼らの技術指導をお願いしている。

2005年01月12日

「アーキグラム展」用内装工事始まる

水戸芸術館現のギャラリー上空の空。
内装工事の様子を写真に納めに行こうと学芸員室から庭を横切って向かう時に、あまりにも雲がきれいだったので幾枚か撮影した。そのうちの3枚。
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すでに「まほちゃんち」の撤収が完了し、次のアーキグラム展のための内装工事が始まっているギャラリー1室の様子。今週いっぱい内装工事が続く。
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2005年01月11日

作品撤収

クリテリオム61の展示が昨日で終わる。
今日は朝から作品を撤収し原状復帰をする日。
壁からタブロー作品《MUMI》6点を外し梱包し、壁のビスを抜きパテを入れ、床のエッジのホワイト・ラインを剥ぎ取り、壁を白く2回ローラーで塗る。
瞬く間に普通の見知った白い空間になっていく。
ある世界を表出させるために注がれる時間とエネルギーに比べて、それを消し去る時の容易さというかエネルギーのいらなさを、いつものように経験する。
そして創造が膨大なエネルギーの賜物であることを、このときばかりは、つくづく思い知る。
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すでに消し去ってしまった嵯峨さんの作品のあった空間を前に、
ここに出現していた世界・作品を記憶に留めていてくれる人が多いくることを願う。
このように書きながらも言、常にそんな感傷に浸っているわけでもなく、
自分自身はかなりドライなものだ。
でも、なにかを創出する際に「エネルギー(情熱・時間・お金)」が必要なことは身をもって知っているし、それらを束ねるために現場経験とスキルと言葉(概念)が必要なことも知っている。表現者が作品をつくるのが簡単でないように、展覧会やプロジェクトをつくるのも端で見るよりも簡単じゃない。もっともそれが面白くてやっているのだから誰にも文句は無いんだけどね。

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昨日までいた雪に覆われた青森はまさに「別世界」だった。夏場だと青森市内から車で20分程度だが、雪の冬には倍の時間をみるとのこと。最後の夕食をみんなで済ませて、余裕をもって店を出て、空港に送ってもらう。多くの人にお世話になった青森を後にして、遅れたものの無事に飛んだ最終便に乗って帰ってきた。
便の都合でもう1泊した藤さんが夜の内に仕事をしたみたいで、藤さんのブログに青森の3日間のレポートが早速ある。藤さんも楽しかったようでよかった。ボクと反対側に座っていた藤さんが、ボクの写真の逆から写したものをアップして、聞き入る日沼さんの顔が見える。同じようなタイミングで前後して撮影した感じ。

ぼくも建築現場で同じような写真を写している。それがこれ。
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煉瓦の外壁は最終的には白く塗られる。部分的に白い箇所がそのテストを示す。煉瓦壁面と煉瓦天井面とがせめぎ合うエッジの処理のプランを聞きながら、秋元氏は感嘆の声を上げていた。ま、それだけ細部の始末へのこだわりの仕上げが予定されている。目にできる日も近い。進捗状況は現場を担当する、青森県立美術館設計監理担当・西澤氏が更新を続ける“from aomori with love”に詳しい。竣工は2005年9月。

2005年01月10日

フォーラム3日目

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奧・藤浩志、中央・秋元雄史、手前・日沼禎子。遠方からのゲスト講師、藤・秋元両氏の発言に聞き入る日沼女史。


朝、一瞬、晴れ間が見えたものの、あっと言う間に、冬の天気に。
このレベルの降りになると「『雪害』の為に電車遅れます。」とアナウンスがある。
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ホームの除雪作業風景。
本当によく降りつづける。
お父さんたちは雪かき・雪下ろしに追われる忙しい日が続くと聞かされた。
おつかれさまです。


フォーラム開始前に、タッチ&ゴーの慌ただしさで青森県美術館建築現場に立ち寄る。
北国の地中に大半が埋まるこの美術館の地上階部分が姿を現していた。
秋元氏の感心する箇所が興味深い。なるほどね。そう見るのかと勉強になる。

2005年01月09日

大雪警報の青森

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雪に覆われたACAC。一時の晴れ間。ほぼ終日雪が降り続けていた。


夜のうちにたくさん雪が静かに降り続け、窓の外の雪かさが高くなっている。朝の天気予報で大雪警報が青森に出ていることを知る。午後から講義してもらう秋元氏が無事飛んできてたどり着いてくれるのか心配する。午前中の藤さんの講義が終わり、カレーランチの宿泊棟に行くと食事中の秋元さんがいた。

2005年01月08日

寒いけど熱い

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ACAC創作棟・講義室外観


写真は今日から始まるARTizanフォーラムの3日間の会場。安藤忠雄作品のなかでもミニマムな美しさをたたえている建物だと思う。 この右下手には宿泊のためのレジデンス棟がある。
ACACの浜田館長が軽妙な語りでオルタナティブな場としてのレジデンスに求め託することを、そして日沼さんがこの5年間の青森のアートを取り巻く環境の編成について切れ味良く報告した。
う〜ん、青森は熱い。
明日のランチは甘いカレーと辛いカレーのまかないとのこと。
なごやかなうちに初日終了。これから街にでての交流会、つまり宴会だ。

2005年01月07日

海洋堂

「アーキグラム」展の直前準備がたけなわな脇で、その次の企画展「造形集団 海洋堂の軌跡」(会期4月6日から6月6日)の仕込みが佳境に入りつっある。
企画担当する浅井学芸員は、そのプレ展を開催している福岡の会場に打ち合わせに出かけている。
僕は広報印刷物の製作進行を担当していて、デザイナーの松本弦人氏とその準備に入っている。そんなワケで横浜そごうで10日まで開催中の創立40周年記念海洋堂大博覧会の会場に出かけた。生業を決めるにあたり神頼みした際の「木刀」が展示されていた。
デザイナーからポスターに使いたいフィギュアのリストが出ているから、その実物を探しながらつぶさに見ていると、なかなか先には進まない。この会場には1500点あるらしい。水戸ではその倍近い点数が展示される予定と聞く。展示するのも見るのも大変だな。

展示ケースを覗きこむのに疲れて、ふっと目を放して引いてみて気が付いた。
ケースが段ボールでくるまれていた。が〜ん。A段ボール3層のしっかりしたものだ。会場後半に展示される1999年9月に発売された革命的商品「食玩」は、段ボールの箱展示ケースや机は総段ボール製。展示品の食玩はチョー軽いからそれで問題ないわけだけど驚いた。レンゴーの協力を得て大量の段ボールを使い会場を構成し、作品を展示する自分が企画担当する「日比野克彦・一人万博」を思い出した。ふー。
ではまた明日。明日は青森から。o(^-^)o

2005年01月06日

ぜひ見て欲しい・1月10日まで

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クリテリオム61 嵯峨篤 作品 [MUMI+cube on white]

壁が写っているだけの写真に、「あれ? 作品が写ってないや!」などと早合点しないで、ここは一つじっくり写真を見て欲しい。師走も終わったばかりなのだから。この壁は紛れもなく作品でタイトルは《cube on white》

白い壁が奧の壁と交わるあたりに目をやると、床や天井のラインが壁に映りこんでいるのが見える(ハズ)。このことに気づいてから「あれ?」と思ってもらえたら最高なのですが。
どうでしょう。
なんの疑問や不思議も感じずに、「うん、映ってるね。(だから?)」などと冷め切った姿勢は無し。ご勘弁を。嵯峨篤渾身の1点なのだから。

映りこみは、クリテリオムの会場のこの壁が鏡面になっていることを意味する。
ホワイトキューブの壁そのものを研ぎあげて鏡面に仕上げたのだ。
この行為こそが、嵯峨篤、渾身のワークなのだ。膨大な時間と集中力とエネルギーを費やして誕生させた、半透明な実在する壁。
この壁は元々の駆体壁なのだから、建築的なリノベーションと呼べなくもない。
嵯峨は絵画画面の探求・追求から「表層」に辿り着く。表層への働きかけだけで空間(部屋)の質や印象はがらりと変わった。空間からみればインスタレーションとも言えるだろう。

だからこそ、この週末の3連休の間にぜひ、体験してもらいたいとおもう。
会期がおわると、この白い壁はまた普通に白く塗装されて、どこにでもあるありふれたホワイトキューブへと戻される。

この壁のことしか書き込まなかったけど、ほかの壁3面には、白の正方形の作品《MUMI》が6点展示されている。これはこれで充分見応えがあるものだ。

未だ見ず人はぜひ、この連休中に!本当に是非。
見逃したら当分目にすることはできないのだからね。
もちろん場所は水戸芸術館現代美術ギャラリー第9室。
鑑賞には同時開催中のメイン展「まほちゃんち」の入場チケットが必要となります。

作品データ
[MUMI+cube on white]
素材:EP塗装(白)、EPパテ(薄付け用)
サイズ:MUMI 88×88×2.7cm、cube on white 830×455×300cm

2005年01月05日

展覧会のおしらせなど

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藤浩志から満足いく展示ができたとのメールをもらう。今日が初日。祝オープン。見に行かないと!


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1月22日初日の水戸芸術館の企画展「アーキグラム」のポスター。デザインは古平正義。


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ショップには「まほちゃんち」の記録集が納品となった。

2005年01月04日

8・9・10のフォーラムの告知

4日御用始め。館に頂いていた年賀状を拝読。
午後、ACAC(国際芸術センター青森)の日沼さんから連絡をもらう。今週末は青森。というわけで今日は、1月8・9・10日の3日間かけて開催されるフォーラムの案内掲示板化といたします。僕も関係者なのです。


主催:ARTizan
タイトル:「陸の孤島‘青森’アート・パラダイス化計画」
会場:国際芸術センター青森・創作室、ワークショップスタジオ
参加費:1プログラムにつき500円(資料代)
お申し込み・お問い合わせ:ARTizan事務局 担当:涸沼(090−9423−1009 artizan@fromc.ne.jp)


■日程
8日(土)
プログラム1:午後2時〜3時「なぜ、青森にアーティスト・イン・レジデンスが必要だったのか」発表者:浜田剛爾(ACAC館長)
プログラム2:午後3時30分〜5時「アフターTAM/A 5年間の軌跡〜実践および目撃報告」発表者:日沼禎子(ARTizan、ACAC学芸員)
9日(日)
プログラム3:午前10時〜12時「アートをOSとした社会とは?」講師:藤浩志(アーティスト)
プログラム4:午後2時〜4時「直島にみる、アート・アイランド現象を検証する」講師:秋元雄史(地中美術館館長)
10日(月・祝
プログラム5:午後1時〜4時フォーラム「アート・パラダイス化への課題−滞在、制作、展示」
パネリスト:藤浩志、秋元雄史、日沼禎子 


で、僕は最終日のフォーラムの司会。
ARTizanもNPO harappaも、トヨタ・アートマネジメント講座青森セッション、つまり1999年10月に開催した「TAM/A」の時のネットワークから派生しているともて優秀なアフターTAMな人たちの活動。その火種を持ち込んだ張本人として日沼さんからのお声がけ。
「TAM/ A」の時に野点をお願いした『じんじん』さんも再び今年かなり本格的な仕立てで「野点」を青森市内で展開すると聞く。
5年の歳月の重さを実感する。

2005年01月03日

戻る

渋滞を避けるために朝5時前に移動開始。7時頃富士川付近に到着。富士山が美しい。ま、そのために減速する車が多く、自然渋滞となる場所。回り込んだ足柄側から見た富士山には雪。自宅に戻り27日からの新聞を整理。1面の見出のスマトラ沖の地震の死者の数が日ごとに多くなっていく。27日「死者6000人超」28日「死者2万4000人超」29日「死者最悪5万9000人超」30日「死者7万人越す」31日「死者12万人越す」。今後の感染症が蔓延する可能性が危惧されている。水戸を去ったかつての同僚にタイ好きな奴がいて、プーケットの魅力をさんざん聞かされ、一度は行ってみたいと思っている場所の一つ。一日も早い復旧を願うと共に、うまくいえないけど平和で安全で健康である状態の幸せに感謝。久しぶりにPCを起動させ愛読している仲間のブログを訪ねる。『そのような年末年始をおくったのね、ふむふむ』と思いながら読む。

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富士山

2005年01月02日

初夢

初夢を見ることなく目を覚ます。名古屋駅前のJR高島屋にお年始の品を買いにでかける。福袋を求める人とトランクを引きながらお土産を買い込む人で混み合う店内を人をかき分けて買い物をしていたら珍しくヒトケにあたり、そそくさと帰る。それでも書店により、六星占術の本を探す。大晦日の夜、NHKの紅白から一時チャンネルを廻してはじめて見てしまった細木数子のタレントのちゃらけた発言への厳しいというか大まじめな叱責の言葉というか、本人のあり方そのものが、懐かしく感じられたためだ。2年前に亡くなった僕の伯母もあんな感じの叱り方をする人で、遊びにいってはよく叱られたものだ。それは別にして、六星占術では、自分がどうやら火星人+になるらしいのだが、心もとない。まだよく分からない。もどってから、午後のまた日の光が美しい時間帯に散歩に出る。

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隣町の神社。此処まで歩いて来たことはなくとても近場なのに新鮮

2005年01月01日

2005元旦

快晴。大みそかの雪がきれいに溶けだしている。シンプルな名古屋雑煮を食べて、近くの津島神社に初詣に行く。熱田神社に昔はわざわざ出かけものだが、最近では近場ですませている。おみくじは末吉。珍しくふんぱつして鯛も付いている大熊手を買う。これまであまり買った記憶もない。いい年になるといい。昨夜のゆく年くる年では、3月開幕の「愛・地球博(愛知万博)」の宣伝に励んでいた。僕も8月に日比野克彦の個展「一人万博」を企画担当しオープンさせる。今年前半はその準備がメインとなる。まだまだ日比野氏とキャッチボールして決めていかないとならないことがやまほどある。

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実家近くの津島神社


初詣から戻ると3時近かったが、あまりにも光がきれいだったので寒さを押して小一時間ほど自分を散歩に連れ出す。午後のイヌの散歩に出ている人とすれ違うが、当方は一人。気恥ずかしい気も最初のうちで、冷たい空気とすんだ空と山なみに見入りながら気持ち良く歩く。そんな元旦を過ごす。