入校中
デカイ固まりの雲。この後、バタバタと支度をして東京に向かう。
入稿中。日比野さんは、数時間前にボリビアから帰国したばかり。
2月中下旬配本開始予定のリトルモアから刊行する「日比野克彦の一人万博」展の準備中から撤去までのアクティヴィティーをドキュメントした撮り下ろし写真集の入稿風景。見応えあります。ご期待下さい!
入校後、次のあるリトルモアの孫家邦さんとボルビア帰りでお疲れの日比野さんが先に上がる。あとに残って写真の整理をするカメラマンの竹内裕二(たけぽん)さんと直しの確認をしていたデザイナーの中島基文さんらと雑談。
本当に久しぶりに紙焼きプリントでの入稿現場に立ち会った。竹内さんが35ミリの単焦レンズで撮影していたことを思い出して、日本ではじめてライカを手にしたのがそう言えば木村伊兵衛だったよねと写真談議の雑談をして過ごす。
そんなことをしていて事務所を出るタイミングが遅れて、22時発に数分の差で乗り損なう。上野からの常磐線の特急は00分と30分発のダイヤ組が基本。当たり前のように22時30分の座席予約を入れたら、「22時15分がありますよ!」とのこと。「え〜っ!15分発?あるんですか」と確認すると「はい」。ちょっと前のダイヤ改正時から運行しているような返事。知らなかった。22時台だけはこれで00−15−30。15分に1本だとさすがに便利。全時間帯そうだといいのですが、せめても00分も停車するようになって、30分に1本となるとたすかるなー。選ぶことなく常に確実に利用できるのは1時間に1本、上野30分発だけ。
84000粒
朝顔のロープ外しが青空の下で行われました。収穫した種は84000粒。
種を取るために殻を扇風機で舞い散らし選別中の日比野克彦。
途中、グラフィティーする日比野さん。完成後間もなくワークショップ参加のライターに書き消された。
ロープ撤去と種取りが終わると同時に、午後からサプライズ・プログラムに移行。
完成したときには暮れ始めていた。紙を貼り合わせて作った簡易気球と言ったところ。
熱で温めた空気を溜めて手を離すとこんな感じで、裏返った瞬間に一瞬「朝顔」に見える(ような気がする)のです。
直径5メートルの簡易気球の浮力のもととなる軽い空気は、この3つのガスバーナーで供給される。ドームの中は温かい、が長くいると危険、しっかりと温かい空気をため込まないと上手く飛ばない。果たして今日の試みは成功だったのか失敗だったのか?でも試み(=実験)なら、何らかのデーターがとれたわけだから、間違いなしの「(実験は)成功に終わりました。」となる。めでたしめでたし。
全ての撤収が完了したのちは、恒例の「茶の間」にてフルコース。和気藹々とした一時を過ごす。僕は珍しく中座。何と言っても熱を出した風邪の翌日だからね。
以上が、本日の報告です。暮れてからの冷えはキツイものがあったけど、天候に恵まれた良いい一日でした。皆様おつかれさまでした!
お手製グラス
富山のガラス工房より届く
富山のガラス工房で日比野さんが絵付けをしている間に、ガラスを知るために体験させてもらった時のグラスが昨日届く。ガラスは本当に瞬時に堅くなり躊躇することを許さない。ガラスも案外日比野さん的素材であることを実感。
手配な一日
打ち合わせ一式をそのままに帰った図
昨夜、確認を終えた事項を、次の段階に進めるための連絡を終日隙間なく続け夕方までに目処をつける。27日はバナーの現場下見。29日は砂の数度目の実験。1日はシャワー朝顔の準備。全てが具体化する段階にはいっているので、日程取りと作業実施日のすり合わせがメイン。25日のスケジュールが時間単位で埋まっていく。週明けの予定も確定しつつある。展覧会までほぼあと1カ月。ムリもない。夕方には、お庭のポールへの設営業者と現調。
19時近くになって、気分転換に散髪。3ミリになってスッキリ。20時ごろ、大学のセミナーに参加するために水戸入りしていた大学時代の友人から約束の電話。3年ぶりに合い、しばしカウンターで飲む。
日比野コーナーできる
芸術館のミュージアムショップに日比野コーナーお目見え。
日比野さんは東水ビルのアトリエで制作中。日中、ポスターの色校正を届けたきり、自分は芸術館で事務処理を諸々。19時過ぎからの日比野さんとの打ち合わせの準備に励む。その打ち合わせは展覧会までの段取りを中心とした展覧会準備の確認。正味90分の打ち合わせの中身は濃い。確認することだらけとは、することだらけを意味する。
電車の時間の良いタイミングだったので、会議を終えて、すぐに辞す。
タワーの制作
3作目
下準備がしてあったのか、気づくとタワーになっていた。
6月14日の写真
6月12日の写真
6月11日の日記
6月10日の日記
6月7日の記録
6月7日の記録
6月4日の記録
6月3日の写真
東水ビル HANDS HABITS「絨毯の上のカブトムシ」の絨毯
レンゴー岩井工場
レンゴー岩井工場でのプレプリント行程。これが貼られて段ボールとなる。
5月24日の記録
水戸市植物公園のお花。
プロジェクトを話す日比野克彦。でもこの写真のポイントは黒板の文字。
朝顔のために力のある土をわくわくガーデンのボランティアの皆さんの力を借りて120袋作る。左:腐葉土、中:赤玉、右:くん灰。土は赤玉6:腐葉土2:堆肥2:くん灰1。
エリカ号
日比野克彦グラフィック提供のエリカ号のお披露目
蒲郡でエリカカップが開催される、その直前、装いを新たにしたエリカ号のお披露目撮影会があった。このエリカ号はあのと形容される「SWAN53」(僕も知らず調べました)。
以下がエリカカップの競技コース。
○囲みに斜線の部分で撮影会。三角のラインが競技コース。でもベタ凪でヨット走らず。ま、走るには走ったけど亀さんレース。船艇の大きなエリカ号は途中で諦め、コーヒーを楽しんでのゴールとか。
朝5時起床し、午後からは岐阜での作品調査。お宝発見。秘蔵の絶品、蔵出し確約。
ではまた明日。
給水システムの試験
展覧会公式サイト
○今日の1枚
HIBINO EXPO 2005の公式マーク。ヨット・シャワー・塔・垂直の穴・ガラスの玉と言った展覧会の構成要素を図案化し一つにしたもの。もちろん日比野克彦自作の公式マークだ!
○「造形集団 海洋堂の軌跡」展のための公式サイトが完成した。
3点のガレージキット復刻版の限定発売の情報も掲載されている。
○HIBINO HXPO 2005も公式サイトを開設します。
僕が準備を進めている「HIBINO HXPO 2005」においても公式サイト開設準備が進んでいる。4月1日のログにちょっとだけ書いた。そこで今日は、URLを先行告知しちゃいましょう。http://www.hibino-expo.jp(でも、まだ、ないですよ)。
第1回目の実務者会議で確認した日程は、正式公開は5月連休明けから。
4月中旬から試験公開をはじめます(予定)。
先ずはカウントダウンから。EXPOには開幕まであと何日とか閉幕まであと何日と、ちょとばかり煽り感があるじゃないですか。それは同時に僕たちの持ち時間を明示してくれる仕掛けとなるわけだけど。
連日のレンゴー
○今日の1点
茨城県岩井市の利根川紙品工場の外壁。ここで昨日、日比野さんはWSを行った。そして今日は、埼玉県川口市の梱包技術センターで打ち合わせをする。HIBINO EXPO 2005はレンゴー株式会社様より段ボール素材の提供を受けている。感謝。
hibino
○今日の1点
ルベインのショールームにて撮影。シャワーについてお勉強した日。
HIBINO EXPO 2005
○今日の1点
日めくりカウントダウンによると、今日はなんと138日前。
愛知博は25日オープン。3月24日19:30〜20:43NHK総合(全国)「あす開幕 世界が集う“愛・地球博”」生放送に出演。
渋谷・品川
○今日の1点
お花を買いに寄ったお店で。
○2004年度芸術選奨が紙面に発表になっていて、美術として文部科学大臣新人賞を青木淳さんが受賞したことを知る。おめでとうございます。
○日比野さんと品川で合流し、品川区域の企業を2カ所廻り、展覧会関連の企画に関する打ち合わせを行う。共に好感触。このまま順調の話が育ち、いい形になると良いと願う。
日比野さんと一日外廻り
10:30 渋谷
日比野さんと合流し、出向いた先で朝一番の打ち合わせ。宿題をもらいつつも返事待ち。
13:00 汐留
照明に関する話しをお聞き、勉強。漠然とイメージする光の状況を用意することの難しさを知る。明るすぎることもコントロールする。言われてみれば当たり前。光のコントロール・扱いについて知らない自分を知る。
14:30 西麻布
シャワーについての調査。新規取り寄せには2ヶ月かかるとのこと。あちらこちらでオープン日から逆算すると自ずと見えてくるデッド・ラインが浮かび上がってくる。ひゅー。
16:00 恵比寿
文化庁メディア芸術祭の授賞式会場に参入。この場で人を紹介してもらう。場所が場所なのでもちろん、改めての約束をして退散。次の時間に遅れそう。
17:00 青山
アニエスべーにて第2回目の打ち合わせ。改訂した部分のプランや今後の進め方の確認。それにしても「HOTEL HIBINO」のプランは好評で大人気。このパートに関する事柄が自然と多く大きくなっていく。
18:20
ひびのこずえさんの事務所にお留守ながらも立ち寄る。お茶一杯の休憩。
19:00 水道橋
NEO INDEXの担当者の方に、インターネットビジネスについて興味深い話を聞く。本当は展覧会への協賛・協力依頼なのだが、ほりえもんに代表されるITビジネスの勢いと時間の早さを実感。
21:30 渋谷
ヒビノスペシャルにて1日を確認。
22:11
まともな食事にありつくために店に入る。長い1日の後のビールとワインは美味しい。
日比野さんと話つづけ、最後はお店のグラッパをグラスに注ぎ杯を重ねながらもろもろ話す。
外は雪。いつしか雨となり、降り止んだ。
終日、移動は日比野さん運転の車。途中からの雨もなんのその。楽をせてもらった移動だったが、車での移動じゃないとムリな日程だったことも確か。
打ち合わせの時間と移動の間の会話で展覧会に関するイメージがかなり進む。良い1日だった。現場実務が始まるまでにもう1、2度こんな日が必要となるハズ。全てを終え休んだのは25日5時。
アハ!体験
この言葉が茂木健一郎氏の講演会用の言葉なのか、頭の中で閃いた瞬間を「アハ!体験」とその世界で言うのかは知らないが、閃く瞬間を「アハ!」と言い切る茂木さんの痛快なアートと科学の(幸せな)存在のワケを聞く。なるほどね〜。
「クオリア」を提唱する茂木さんらしい、感覚領域のサイエンス側からの説明は興味深かった。あの領域まで踏み込めば本人「自分が科学者であるかどうかは重要ではない。」の弁以上に、背後に「(自分は)アーティストに近い(思考家)なのかも」のつぶやきが聞こえてくる。それくらいアートを信じ、アートの好きな茂木さんだった。水戸の展覧会は実によく見てくれていて、椿昇氏とも講演会で一緒したこともあり、折り紙カタログを貰いもってるとのこと。道理で話が早いわけだ。8月の日比野展も必ず見ます。いや、「現場好きなので準備の時から」とも。ええ、お待ちしております。日比野さんのクオリア的解析をお願いしたいほどですから。
今回の企画のテーマは「『微弱なるもの』を大事にする日常の感覚」の価値としての提示なのだから。
対談するお二人。中央:茂木健一郎氏、右:日比野克彦氏、左:司会/帆足亜紀(アーカスプロジェクト ディレクター)
アーカスプロェクト2004第2回アートセミナー「日常的に表現すること」の2部は日比野さんの言葉を使ったワークショップ。分からないムズムズ加減を楽しもう!とするもの。これが難しい。「分からないを楽しむ」は実は、かなり高度で知的な作業領域のものだ。
講演会後、大所帯だったのでシェイキーズに行く。みんな懐かしさに浸るものの、かつてほど食べられず。あっと言う間に失速。食べ放題バイキングだったというのに、躰は正直。
20時の高速バスに、バスセンターから乗る日比野チームを見送り帰路につく。
隙間の時間にこちょこちょと日比野さんと情報の交換をしつつ、今後の進行についての確認。この日も大事な案件に弾みがつくことを期待・確認できる状況があり、とても満足。次回は24日終日の打ち合わせ。ね、準備、佳境に入ってきているでしょ。後開催まで何日なんだろう?
レセプションの翌日
地震M5.6。朝のニュースで大きさと震源地を知る。明け方に揺れで目を覚ます。きしきしと大きく揺れている。しかし、どうもすることもなく/できず、静かに待つ。この明け方の地震で電車のダイヤが乱れ、ぼくがいつもの時間にホームに行くと6、7時台の列車が告知されていた。あわや間に合わないのではと内心ハラハラしたけれど、かろうじて学生を招集している時間に芸術館に入ることができた。ホッ。
午前中は、アーキグラムの展示対応で休講にした茨城大学の講義の補講。それを水戸芸術館で行う。アーキグラム展を見て欲しかったのと、実際の展覧会を素材にどこをどう見るものかを話すことで講座を終わりたかったからだ。
ぼくが震源地に近いエリアに住んでいることを知る友人たちから「どう?」と気遣いのメールを頂く。有り難い。我が家の被害は、金魚が1匹。水槽からこぼれ出ていて朝気がついたときは天に召していた。
地震もあり、雨も降り肌寒いと感じていたら雨が雪になり、そして雨になった。水戸はそんな冷える1日だったのだ。
それでも雪かと青森の友人達に笑われそう。雪が白いということはとても大切に思える。
その一方で昨夜、ホットなオープニング・レセプションをもった日比野氏とは互いに行き違いが続き、結局直接話すことはできなかった。しかし、日比野さん自身からのメールと伝言、そして事務所からの知らせから、本当にかなり密度の濃いホットな一夜だったことが分かってくる。「EXPO HIBINO」へ協力を打診している先の方々が会場に参じてくれたようで、それぞれの人といろいろ話せたと言うことのよう。盛り上がりを感じずには居られない。この期を逃してならないぞ。明日は話せると伝言が残っていたので、対応について日比野さんと協議し、先方があつい間に回答を携えサクッとお願いにあがり確定しないとね。
本当にじわじわと展覧会が動き始めたことを体感する。応援団が多いほど盛り上がる。大枠かための正念場にさしかかりつつある。しっかりしないと。風邪を引いている場合じゃないのは分かっているが、抜けきったハズの風邪がぶり返し咳をしている。
着々と進むEXPO HIBINOの準備
ギャラリーの展示作品を日々監視し、同時にお客様への気遣いをしてくれているフェイスさん達の「アーキグラム」展の作品に関する担当学芸員による勉強会の時間を少し使って、鞄の持ち込み・携帯電話の使用・作品保険のこと等についてすこし話す。
それが18時30分からと言うこともあり、ギャラリー le bainでの日比野展レセプションに伺えず。「賑わってるよね!」とごめんなさいメールを入れておいたら、昨日の宿題を解決したとの趣旨のメールが夜半に届く。昨夜の打ち合わせで、夏場だから快適な宿泊のためにもHIBINO HOTELにシャワーは必須とアニエスべーのロラン・グナシア氏に言われ、もっともな意見なので対処すると返事をし、さて具体的にどうしたものかと思っていた矢先。会場に登場した内田繁先生の案内でle bainのショールームに足を入れたら、なんと素敵なシャワーが並んでいる。わらしべ長者の世界だ。「これだ!これだね!」と目をつけた素敵なシャワーの手配の目処が早速たったらしい。そして併せて、出版社との話もついたよう。なんと素敵な展覧会レセプションなんだ!明日になったら、電話して詳細を聞かないと。たぶんとてもハッピーな展開の話しが聞けると思うけど、ぬか喜びは禁じ手。今宵は静かに。
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15日はアートスケープの定期更新日。無事アップされてめでたしめでたし。横浜トリエンナーレ「アートサーカス(日常からの跳躍)」に関する緊急レポート。今後の展開が楽しみ。横浜と言えば、18日からBankART 1929とStudio NYKで「食と現代美術part1」他が同時に始まる。藤さんのブログに設置をはじめている報告があがっていた。
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帰りにキオスクで買ったAERA No.9('05.2.21)に取材に入ってくれたジャーナリスト玉重佐知子氏の「アーキグラム」展に関する見開きの記事を建築の欄に発見。
会場での撮影風景。玉重さんとのジョークの交じった和やかなやり取りでしばしリラックスする彼ら。この日最後の取材。一つめインタビューから5時間以上経過している。
掲載誌送ると11日に森ビルのレクチャー会場で会ったときに言われていたことを思い出す。買っちゃった。「(記事への)辛口のコメントをよろしく!」と言われていたけど、滅相もない。来日した彼らのキャラクターもしっかり伝わるすてきな記事。ありがとうございました。
彼ら4人のサイン入りのポスターもお陰様で完売。
ヒビノ・ホテルの打ち合わせ
六本木ヒルズ裏手の大使館が並ぶ西麻布3丁目。RELIANCE がプロデュースする水廻りの空間を提案をするショールームle bainがある。ここに併設されたGALLERY le bainと室内空間のようなPATIOを舞台に14日から25日まで第三回企画展として日比野克彦氏が和紙・陶器・磁器・ガラスを素材にした近作とスケッチ20数点を展示する。
メインは昨年春北九州で展示した和紙の階段《BEYOND THE PURPLE》。不思議とPATIOの空間にマッチしていた。作品が場を得た印象。レセプションは15日19時から21時。明日は賑わうことだろう。
今日はここの事務所をかりてEXPO HIBINOの会期中に予定するスペシャルプログラム「HIBINO HOTEL」のプランについて、スポンサードしてくれるアニエスべーのカルチャー・コミュニケーション・アドバイザー、ロラン・グナシア氏と1回目の正式な打ち合わせ。既にサポートそのものはアニエス本人の了解も取り付けていて、具体的プランとバジェットのすり合わせ。開催日候補を確定し、いくつかの懸案事項を取りまとめて、ロラン氏が再び日本に戻る来週、2回目の打ち合わせをすることで別れた。楽しい本当にスペシャルなイベント・プログラムになりつつある。メディア展開も期待大。ロラン氏はNYのクリストの「ザ・ゲーツ」を見に行くそうだ。いいな。
打ち合わせを終えて、展覧会会場でゆっくり作品を見ていたら、この場所のプロデュースをし、事務所も構えている東京造形大学教授の内田繁氏が登場。すでに20時を廻っている。食事のできる所に移り、しばし楽しい歓談の時を過ごしす。そして徒歩圏内に住む彼らを残し、いつものように最終電車の時間となり、バタバタと帰路につく。
日比野克彦一人万博も一歩一歩前進中。日比野氏本人による展示・構成プランの読み直し・練り直しもちゃくちゃくと進んでいるとのこと。良い感じ。次は土曜日19日、つくばでかな。
サッカーな1日
日比野展「一人万博」への参加協力お願いのために、日比野さんと深澤直人デザイン事務所を訪ねた。用意したタレルのカタログのお土産は、「これ、欲しかったんだ」と言って喜んでもらえた。
日比野さんと深澤さんは18才の時に多摩美サッカー部でボールを蹴っていた仲。途中ブランク(深澤さんがアメリカに渡っている間とか)があったとしてもいわゆる旧知の間がら。その二人のやりとりは脇で聞いていても面白い。時に学生時代の二人がでて、時に名のある二人の双方共にリスペクトしあったやりとりが続く。でも、どちらもが誰でも無かった時代を知る二人のやりとりは興味深い。否が応でも核心を柔らかな言葉で突いてくる。深澤氏は展覧会にとってとても大きな援軍の予感。。詳細はこれからとなるけれども、かなり展覧会にコミットしていただけそう。今後の展開がとても楽しみだ。そんなとても有意義なミーティングの時の経つのは早く、あっと言う間に予定していた時間となる。
事務所を辞した後、日比野さんの事務所に一緒に戻り、模型を見ながらの展示プランの検証をする。ギアの入った日比野さんから新しいプランをもらう。文句なく良い球。ああだこうだ言いながらのチェック。展覧会の核になる部分が形成されつつ、同時に具体的なモノとして落とし込まれつつある。かなりクリエイティブな局面に入り始めた。あと3巡はしないとならないだろうな。そこからがさらに面白い。そして他の人が一目で面白いとおもってくれるのもその辺りからだ。その意味ではまだまだ。五月連休中の予定も確定。キックオフも間近に迫る。
一番はじめに「これかな」と思った箇所が周回遅れ感を漂わせていることを二人が気づいているのだ。これはかなり良い状態にあることを意味する。確定しない暫定感を保ちながら進めていく企画の作り込み作業。浮遊感の方が前進や後退と言った直線的な動きよりもしっくりくる。そう、重力に逆らって浮遊しはじめたらしめたもの。啓蟄も近い。
見た目には判然としないもののかなりの前進感(あれ、先のセンテンスと拘泥するぞ)を感じつつ、「日本-北朝鮮戦」をテレビで観戦するために日比野さんと連れだってテレビの置いてある近くのメシ屋さんに移動。初めの4分とロスタイムの3分に得点して2−1。得点3をゲット。勝利を堪能して、店を出たらアトリエ・ワンのお二人にばったり。別れたばかりの日比野さんとアトリエワンの事務所訪問。終電の時間が迫り、慌ただしく退散。充実した良い一日だった。
日比野さんと打ち合わせ
今日の打ち合わせは水戸芸術館でおこなった。
自分の予定する作品の展示イメージを念頭に空間の撮影に余念のない日比野克彦氏。
「果報は寝て待て!」じゃないけど、インフルエンザで僕がふーふーしている間に、日比野さんはギアーが入ったらしく仕事は大きく進み、次の展開を引っ提げて水戸に登場。新規プランには迷いがなく透明度の高さを感じさせるものがあって、日比野さんがノっていることを伝えている。こうなればしめたもの。没案の確立は減り、ヒットとホームランの確立が高くなる。
午後からはレンゴーの伏木部長も交じっての打ち合わせ。来週の打ち合わせまでには完治させないと、打ち合わせ中コンコン、コンコンと話にならず。それでもアンコウ鍋の会にはちゃっかり参加。
これも新しいプランの1つ。打ち合わせにより変更箇所が見つかったプランモデル。
あと3巡ほどすると全体がきしきしとつながりはじめる感じがするので一安心。でも2月中に稼いでおかないと3月は日比野さんが入試で動けなくなので大変。あっと言う間に4月。ボランティアの募集についても詳細を確定しないとね。
開幕まであと200日
一人万博作戦会議中の日比野さん。僕に構想を言葉にしてくれているときの図。
日比野克彦「一人万博」展の開催まであと200日。ひょえー。もう本当に開幕間近。確定していかないとならないことだらけ。そんなわけで今日は、ヒビノスペシャル(日比野さんの事務所)にて打ち合わせ。お正月の三が日に箱根駅伝を聞きながら描いた作品ほか、正月返上の自主トレの成果も見せてもらった(でも、その画像はお見せできません。あしからず)。
がっちり打ち合わせをし、続きは来週。まだまだキャッチボールをしながらがつづく。
レンゴーに用意してもらった段ボールキューブのテストピースの一つ。座れるし、その上にも立てる。
朗報!嬉しい知らせ
12月3日(金)、日帰りで大阪出張し、日比野さん共々、協賛・協力のお願いに伺ったレンゴー株式会社秘書室の川本氏から、朝一番の朗報。
来年8月開催の日比野克彦「一人万博」で使うためのダンボール材の全面提供、技術協力、芸術館までの搬送協力が社内的に決まったとの連絡を受ける。一足はやいクリスマスプレゼントを頂いた気分。「ダンボール」の手当が確定したことで、企画の展開・実施に大きく弾みがつく。なんとも嬉しい。24日には埼玉の工場に、日比野さんと行く。
レンゴー株式会社は、「段ボール」「段ボール箱」を日本ではじめて事業化した「三盛舎(後に「三成社」と改名)」(1909年操業)の流れをくむトップメーカー。同社は、社会貢献の一環として「ストラディヴァリウス“ラング”(1714年製作)」を保有し「オーケストラ・アンサンブル金沢」へ貸与もしている。