artscapeレビュー
写真に関するレビュー/プレビュー
深瀬昌久『MASAHISA FUKASE』
発行所:赤々舎
発行日:2018/09/13
2012年に死去した深瀬昌久に対する注目度は、このところ国内外で高まりつつある。その理由の一つは、さまざまな事情で、彼の本格的な回顧展や、初期から晩年までの作品を集成した写真集が実現してこなかったためだろう。断片的にしか作品を見ることができなかったことで、驚くべき執着力で自己と世界との関係のあり方を探求し続けてきたこの写真家が、いったい何者であり、どこへ向かおうとしていたのかという興味が、否応なしに強まってきているのだ。
今回、深瀬昌久アーカイブスのトモ・コスガが編集し、ヨーロッパ写真美術館のディレクター、サイモン・ベーカーが序文を執筆して刊行された『MASAHISA FUKASE』は、まさにその期待に応える出版物といえる。日本語版は赤々舎から出版されるが、Editions Xavier Barralから英語版/仏語版も同時に刊行される。ただしこの写真集が、内容的に大きな問題を孕んでいることは否定できない。1950年代に深瀬が故郷の北海道美深町で撮影した初期作品「北海道」から始まり、「豚を殺せ」、「遊戯-A PLAY-」、「烏」、「家族」、「父の記憶」、「私景」などの代表作を含む写真集の構成は、一見過不足ないものに思える。だが、そこには重要な写真群が抜け落ちている。深瀬が1964年に結婚し、76年に離婚した深瀬洋子を撮影した写真が、すべてカットされているのだ。
いうまでもなく「洋子」の写真群は、深瀬の写真家としての軌跡を辿る上で最も重要な位置にあるもののひとつであり、これまでの展覧会や写真集でも幾度となく取り上げられてきた。にもかかわらず、今回の写真集からそれらが抜け落ちたのはとても残念だ。むろん、深瀬が作家活動の最後の時期に取り憑かれたように制作していたというドローイング作品など、未発表作が掲載されていること含めて、本書の刊行の意義はとても大きい。今後、肖像権などの問題が解決し、完全版の写真集が刊行されることを願っている。
2018/08/31(金)(飯沢耕太郎)
たけうちかずとし「妄想植物園」
会期:2018/08/10~2018/08/23
ソニーイメージングギャラリー銀座[東京都]
たけうちかずとしの写真作品を初めて見たのは、2016年の第5回田淵行男賞の審査の時だった。その時に特別賞(フォトコン賞)を受賞した「五分の魂」は、さまざまな昆虫をオブジェに見立てて構成した作品である。今回の野菜や果物や野草をモチーフにした「妄想植物園」はその続編というべき仕事だが、彼のユニークな発想と高度な技術力はそのまま活かされていた。例えば「ナルシスト」の水仙はブランコに揺られ、西瓜は「遠い星からやって来た宇宙船」に仕立てられている。赤い実のミズヒキを「水引」に見立てるというしゃれた発想の作品もある。30点の作品のそれぞれが詩的な小宇宙として見事に自立しており、しかもそれらが相互に結びついて気持ちのいいハーモニーを奏でていた。今回はタイトルやキャプションは最小限に抑えられていたが、作品の一つひとつに散文詩のような言葉が付いていても面白いかもしれない。
たけうちの写真のスタイルは、日本ではどちらかといえば異端と見られがちだ。だが、ヨーロッパなどではもっと高い評価を受けそうな気がする。ギャラリーが銀座4丁目という絶好の場所にあるので、観客の多くが外国人観光客なのだが、特にイタリア人から熱烈な反応が返ってきたと聞いた。たけうちは、今後も「自然物をアート化」した作品をライフワークとして発表していく予定で、昆虫、植物の次は動物を考えているという。これまでより、大きさや動きという点でハードルの高いテーマだが、もしそれが実現すればさらにスケールの大きな作品になっていくのではないだろうか。
2018/08/22(水)(飯沢耕太郎)
ヤノベケンジ《サン・チャイルド》
福島市子どもの夢を育む施設こむこむ館[福島県]
ネットで炎上していたので、仙台に向かう途中、福島駅に寄って、公共施設「こむこむ」に設置されたヤノベケンジの《サン・チャイルド》を見てきた。あまりの騒動ゆえに、駅前の広場で誰でも見えてしまうような立ち方を想像すると、いささか拍子抜けするだろう。なぜなら、距離的には確かに駅の近くだったが、大きな駐車場を挟んで、かなり脇のほうに位置しており、お昼でも人通りがあまり少ない場所だからである。そもそも、筆者はもう数え切れないくらい福島駅を利用したが、こむこむという建物の存在を今回初めて知ったくらいだ。彫刻の立ち方について、正確に言うと、こむこむの敷地内というか、手前の列柱のあいだに挟まっている。つまり、あまり良い設置法ではない。したがって、たとえ正面を自動車で通り過ぎても、斜めからは見えづらく、正面を通る瞬間にだけ全貌が見える。もちろん、こむこむを使う使用者や、この前の道路を歩いて駅に行く人(あまり多くなさそうだが)は視界に入るはずだ。そして今回は、正確な場所に関係なく、福島に存在することが気に食わない人が(ネット上で?)多い。
ヤノベケンジは個人的な妄想をサブカルチャー×SF的に膨らまし、神話的な世界をつくるアーティストであり、チェルノブイリや第五福竜丸など、原子力を扱った作品を発表してきた。20世紀末は終末思想と共振するアイロニカルな表現も多かったが、311を受けた《サン・チャイルド》はかなりストレートな作品である。とはいえ、具象的な表現ゆえに、さまざまな批判を受けた。気持ち悪いという意見もあるが、キャラのデザインではなく、アートだから全員に好かれるものではないだろう。これまで筆者は、福島空港、東京、名古屋、茨木、高松などの各地で、《サン・チャイルド》が宗教なき大仏のように立つのを目撃したが(いずれも無料ゾーンだった)、問題になったことはなかった。が、今回は市長が設置を決めたことで政治化し、さらに原発をめぐるイデオロギーの闘争に巻き込まれた。これはいまや巨大な彫刻も、関係性のアートのように、地元との話し合いが必要だったことを意味する。いったん撤去が決まったが、これから対話の場が生まれることを期待したい。
2018/08/21(火)(五十嵐太郎)
天野裕氏「鋭漂」
会期:2018/08/01~2018/08/30
kanzan gallery[東京都]
福岡県大牟田市出身の天野裕氏(あまの・ゆうじ)は、2009年に塩竈フォトフェスティバルで大賞を受賞する。それ以来、彼自身が「鋭標(えいひょう)」と名づけた、とてもユニークなやり方で作品発表を続けてきた。天野が手作りした写真集を全国のさまざまな場所に持ち歩き、Twitterなどで日時と場所を指定して、一定の料金を支払った上で希望者に観賞してもらう。写真集を見る場所は喫茶店、公園、車の中などであり、作者と観賞者とが一対一で同じ時間と場所を共有することが前提となる。実際に僕自身も、新宿の喫茶店で天野と対面しながら写真集を見たことがあるが、その雰囲気が、当初予想していたよりもオープンで風通しのいいことが分かってややほっとした。何よりも凄いのは、これまで3000人以上にそうやって写真を見せているということで、人数を考えると、これは写真集という表現媒体の可能性を最大限に展開・拡張していく、最良の方法のひとつであるようにも思える。
さて、今回のkanzan galleryでの「鋭漂」は、天野のいつものやり方とはかなり違っていた。会場のテーブルには、彼がこれまで制作してきた5冊の写真集『Rirutuji』(2009)、『Arga』(2011年)、『Luzes』(2012)、『Korm』(2013)、『Lust Nights』(2017)が置かれ、観客はそれぞれ1冊につき1000円の観覧料を払って自由に(混み合う時には入場制限あり)見ることができる。天野が会場にいることもあるようだが、僕が行った時には不在だったので、より気楽にページを繰ることができた。あの一対一の濃密な時間を味わうことはできなかったわけだが、逆にこれはこれで新たな視覚的体験の可能性を秘めているのではないだろうか。
出品された5冊を観賞してあらためて感じたのは、天野の写真家としての表現能力がとても安定しているということだ。どの写真集もよく練り上げられた構成で、特にシークエンス(連続画面)が効果的に使われている。だが、10年近く同工異曲の「私写真」のスタイルを維持し続けていることに対してはやや疑問も残る。そろそろ写真集作りの土台を再構築していく時期にきているのではないだろうか。今回の「展示」は菊田樹子のキュレーションによる連続展「Emotional Photography」の一環として開催された。「『感情』『情動』をキーワードに、写真を撮る・見るという行為を考察する」という展覧会シリーズの第1回目にふさわしい展示だったと思うが、逆に天野の写真に本来備わっている論理性、倫理性を軸にした写真集も見てみたい。
2018/08/17(金)(飯沢耕太郎)
中村紋子「光/Daylight」
会期:2018/08/10~2018/08/26
Bギャラリー[東京都]
中村紋子のBギャラリーでの個展は4年ぶり4回目になる。2008年以来、絵画作品と写真作品をコンスタントに発表してきたが、東日本大震災後の2011年5月に自らの死生観に向き合った「Silence」を発表して以来、写真の表現からはやや距離を置き、被災地での活動や知的障がい者との関わりなどに力を入れてきた。ひさびさの写真作品の発表となった今回の個展では、新作の「Daylight」のシリーズを中心に展示していた。
「Daylight」は「Silence」「Birth」に続く「3部作」の締めくくりにあたるシリーズで、障がい者や新生児を含むポートレートと、「場所」の写真がセットになるように並んでいた。中村はそれぞれの人物を照らし出す光のあり方を注意深く観察しながらシャッターを切っており、「この人はこのように在るべきだ」という確信が、以前にも増して強まっているように感じる。独りよがりな解釈ではなく、被写体の存在のありようをストレートに受け入れることができるようになったことで、表現に安定感が備わった。17歳の頃から構想していたという「3部作」は、これでひとつの区切りを迎えるということになる。
会場の最後のパートには、ひと回り大きめにプリントされた写真が5枚ほど壁に直貼りしてあった。それらがいま進行中の新たなシリーズ、「光」の一部なのだという。「光」がどんなふうに展開していくのかは、まだ明確には見えていないが、都市のイルミネーションやデモ隊の写真など、これまでとは違った「客観的」「物質的」な感触の写真が含まれている。どちらかといえば内向きだった中村の写真の世界が、外に大きく開いていきそうな予感がする。次作の発表は意外に早い時期になりそうだ。なお、展覧会にあわせて写真集『Daylight』(Bギャラリー)が刊行された。
2018/08/11(土)(飯沢耕太郎)