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「宮澤賢治/夢の島から」(ロメオ・カステルッチ『わたくしという現象』+飴屋法水『じ め ん』)

2011年10月01日号

会期:2011/09/16~2011/09/17

都立夢の島公園内多目的コロシアム[東京都]

500人くらいいただろうか、観客は受付で渡された白い旗を手に、夢の島公園内・多目的コロシアムのすり鉢状の縁を行進し、半円形をつくった。旗を渡された時点で嫌な予感がしていた。観客を傍観者ではなく参加者にする仕掛けだなと気づくが、受付で拒むかどうかを判断する余裕はなかった。旗はビニール製で、飴屋法水が登場し、観客に座るよううながすと、レジャー・シートに変化する。都心にいるのにまるで野外フェスのようだ。ロメオ・カステルッチ『わたくしという現象』のはじまりを待つ。草の匂いを嗅ぎ、息をひそめる。すると、目の前の円形の空間に並べられた数百個の椅子が、一つひとつと倒れ、次第に巨大な磁石に引っ張られるように、一方向に引きずられていった。「津波」を読み込みたくないなあと思いつつ、不思議な動きに圧倒された。けれども、その後、白い衣装の集団が現われて、倒れたり、観客の近くで旗を振ったりするあたりでは興ざめしてしまった。空っぽのかたちだけのスペクタクル。おそらく、芸術の名のもとで、スペクタクルとはなにかを反省する機会として上演されている(のだろう)光景は、しかし、スペクタクルに必要な巻き込みの力があまりに希薄だ。それでも、白い集団が旗を振れば、観客のなかに同じ旗を振ってしまう者も出てくる。空っぽの形式だけのスペクタクルに揺り動かされる観客というのは、夢やら愛やら浮ついたイメージを並べた商魂逞しいスペクタクルに熱狂する観客と比べて愚かでないといえるのか。旗と言えば、この数日前、ジャニーズの新人グループ(Kis-My-Ft2)の東京ドーム公演を見る機会があった。そこでも旗が配られたのだが、グループへの愛を表現すべく一斉に振られる旗は、感動的とも言いたくなる、強烈なスペクタクルを見せた。そうした力が発揮されることなく、ゆるいスペクタクルでなにかを感じよと観客をうながす「芸術鑑賞」というものの虚しさよ。後半の飴屋作品『じ め ん』は、日本国が消滅し、ひとがマレーシアに移住するという話。「消滅」というセンチメンタルなイメージは魅力的だが、消滅しないという事態こそ「震災」がひらいた現実ではなかったか。

2011/09/16(金)(木村覚)

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