2018年05月15日号
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artscapeレビュー

2013年09月01日号のレビュー/プレビュー

あの頃の軍艦島 皆川隆

会期:2013/07/05~2013/08/31

フォトギャラリーアルティザン京都[京都府]

長崎の軍艦島といえば、その特異な外観と歴史で知られる場所であり、最近はグーグルのストリートビューでも人気を博しているという。皆川は若き日に実際に同島に在住していた者であり、彼が撮影した島での生活や出来事は、プロの写真家ではなかったがゆえの無欲さというか、素直な眼差しが新鮮だった。例えば、炭鉱労働者のなかに幾人も女性が混じっていることに驚かされるが、彼はそれを強調するのではなく、日常の一コマとして捉えているのである。また、高層団地が密集する情景を路面から見上げた作品は、ピラネージが描いた幻想の建築が現実化したかのようだった。

2013/07/23(火)(小吹隆文)

吉永マサユキ「I’m sorry」

会期:2013/07/16~2013/07/28

Roonee 247 photography[東京都]

写真家の吉永マサユキによる「夫婦喧嘩」を主題にした写真展。実在する夫婦を被写体にして、家庭を顧みないダメな旦那を屈強な嫁が懲らしめるという設定で演出したようだ。タイトルの「I’m sorry」とは、だから旦那による心の叫びだろう。
モノクロ写真で展示された26点の作品は、いずれも面白い。ジャージ姿の嫁がパンチパーマの旦那に馬乗りになって首を絞めたり、掃除機で頭を叩いたり、文字にするとひどく暴力的だが、じっさいの写真は、思わず松本人志のコント「ミックス」を連想してしまったほど、可笑しみがあるのだ。
このユーモアが、畳とタンス、磨硝子などで構成される庶民の生活空間に由来するのか、あるいは彼らのそれぞれが際立ったキャラに起因しているのか、わからない。けれども、それが彼らの諍いの根底にあるはずの愛情がなせる業なのだろうと想像させることは間違いない。
これらの写真は、およそ20年前に撮影されており、吉永にとってのルーツとされているらしい。暴走族であろうとゴスロリであろうと何であろうと、吉永の写真には被写体と正面から向き合う誠実さが感じられるが、そこでは写真を撮る当人にとっても撮られる被写体にとっても見る私たちにとっても「肯定」になりうる写真が目指されているように思えてならない。これは単純なようでいて、じつはもっとも難しい、写真の大きな力ではないか。

2013/07/26(金)(福住廉)

古巻和芳 展 絹の国の母たち

会期:2013/07/10~2013/07/28

ギャラリーあしやシューレ[兵庫県]

「越後妻有アートトリエンナーレ」の作品制作で、2005年から新潟県十日町の蓬平という集落に通い続けている古巻和芳。彼が同地の老人たちから取材した生糸や絹にまつわるエピソードと、実家が呉服屋を営む彼自身の記憶が融合して、本展の作品は生まれた。今から50年以上前に自分が育てた繭から取った糸で自らの花嫁衣装を作った女性からその衣装を借り、長さ4メートルの生糸の束と共に展示したインスタレーション、絹糸をまとった木製トルソ、古巻呉服店の在庫の着物や反物を撮影し、白生地に投影した映像作品、古い鏡台の薄型テレビを組み込み、着物姿の女性たちが髪をくしけずる・ほどく様子を映し出す映像作品など、作品はいずれも上質で、表現する必然性を感じさせるものばかり。彼の個展を見るのは久々だったが、やはり実力のある作家だと改めて感じた。

2013/07/27(土)(小吹隆文)

増田晴香 展 隠れた世界II

会期:2013/07/30~2013/08/04

ギャラリーすずき[京都府]

熱帯の密林、海底を覆うサンゴ礁、そうした環境下で潜むように生息する生きる動物たち。型染め作家の増田晴香が表現するのは、生命感に満ち溢れたアニミズム的世界観だ。あるいは精霊が宿る風景と言ってもよいだろう。どの作品も細かな線や模様で埋め尽くされているが、不思議なぐらい重さを感じさせないのは、すべての層がつぶれることなく見通せるからだ。また色彩が布に染み込むことによって透過性を帯びているのも大きな要因であろう。染色の特性を生かした、透明なレイヤーを重ね合わせたかのような空間表現が、彼女の作品をオリジナルなものにしている。

2013/07/30(火)(小吹隆文)

「ウルの牡山羊」シガリット・ランダウ展

会期:2013/05/17~2013/08/18

メゾンエルメス8階フォーラム[東京都]

イスラエルのアーティスト、シガリット・ランダウの個展。「ヨコハマ・トリエンナーレ2011」で発表した、死海に浮かぶ螺旋状の西瓜を主題とした詩情性の高い映像作品が記憶に新しい。けれども、今回展示された《Out in the Thicket 茂みの中へ》を見て、彼女の作品が詩情性だけにとどまらない拡がりを持ちえていることを知った。
4つのプロジェクターに映し出されていたのは、それぞれ異なるオリーブの木。青々と葉が生い茂った一本の樹に、1台の収穫機がゆっくりと接近する。巨大なアームで樹木を挟み込むと、強烈なバイブレーションを始動、するとオリーブの実が次から次へと雨のように落ちてくるという仕掛けだ。なんのことはない、じっさいのオリーブの実の収穫を映した映像なのだが、バイブレーションの音を劇的に増幅しているせいか、それとも震動に揺れる木々があの震災を連想させるからなのか、記録映像以上の何かを感じさせているのだ。
静かに忍び寄り、不意に強力な震動を加えるという点では、パレスティナの土地を奪い取ったイスラエルの暗い歴史を読み取ることもできるだろう。だが、映像を見ていて心に焼きつけられるのは、衝撃的な震動の大きさというより、むしろその耐え難いほどの長さである。地震であれば、ある程度の時間が経てば、おのずと収まる。土地をめぐる戦争であれば、連続的というより断続的だろう。ランダウの映像は、しかし、暴力的な震動が、ただただ、果てしなく続く。終着点をまったく見通すことができないほど、あるいは実を落とすという目的を突き抜けて樹木自体を破壊してしまいかねないほど、激しい震動が一定の水準を保ちながら延々と続くのだ。
しかし不思議なのは、その非日常的な時間にしばらく身を委ねていると、恐怖や不安の向こう側で、ある種の哄笑を経験できることだ。尋常ではないほどの震動と音を体感しているうちに、どういうわけか腹の底から笑えてくるのだ。むろん、それは笑いを求めてくるお笑い芸人の芸に否応なく応じる類の笑いではない。なんというか、身体が震動のリズムに呼応し、共鳴し、共振した結果、自己の意志とはまったく無関係に、底知れぬ哄笑を生み出したと言えばよいのだろうか。ほんとうに恐ろしいのは、この笑いである。

2013/07/31(水)(福住廉)

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