artscapeレビュー

2014年09月15日号のレビュー/プレビュー

限界芸術百選プロジェクト──田中みずき:銭湯ペンキ絵展

会期:2014/07/19~2014/10/26

まつだい「農舞台」ギャラリー[新潟県]

なぜ風呂屋のペンキ絵に惹かれるのかというと、絵柄がワンパターンだからとか、美術史では扱われないからという「アウトサイダー感」もあるが、最大の理由は、その場で描き、その場で一生を終える「不動産美術」だからだ。その間に数多くの人の目に触れ、しかも見る人全員が裸というのもポイントが高い。そのペンキ絵も銭湯の減少とともに絵師が減り、いまや3人しかいないという。そのひとり、田中みずきは大学で美術史を学び、ペンキ絵について調べたのをきっかけにこの道に入り、最近独立したという異色の存在だ。作品は10メートル近い大作が2点。1点は、お約束の富士山を背景に越後妻有名物の棚田を描いたもの、もう1点は上信越の山々の手前に、この農舞台の建物や草間彌生の彫刻などを描き込んだ松代の風景だ。越後妻有から富士山は見えないし、遠近法も位置関係も無視したありえない風景だが、それがむしろ新鮮に映る。これこそ純粋芸術では味わえない「限界芸術」の醍醐味だろう。これからは銭湯に限らず、私邸のバスルームや殺風景な学校の壁などにもペンキ絵を広げていけばいいと思うのだが、すでに彼女の仕事は銭湯だけでなく広がってるらしい。かつて火山灰に埋もれたポンペイの街から多くの壁画が発掘されたように、将来タブローは消滅してもペンキ絵はあっちこっちに残るに違いない。

2014/08/17(日)(村田真)

春田佳章『TOWN』

発行所:日本カメラ社

発行日:2014年9月12日

春田佳章は1932年、神戸生まれの写真家。1960年代から『日本カメラ』、『アサヒカメラ』、『フォトアート』などの「月例写真」を中心に作品を発表してきた。アマチュア写真家たちが毎月作品を送り、プロ写真家が審査するコンテストは戦前から長く続いてきたが、それらの成果が脚光を浴びるのは、1950年代の「リアリズム写真運動」(審査は土門拳)の時期などを除いてはあまりない。だが、彼らの地道な活動が日本の写真文化を下支えしているのは間違いないわけで、もう少しきちんとした目配りがあってもいいと思う。春田のような写真家の仕事は、「月例写真」の枠組みを超えた広がりを持ちつつあるからだ。
今回日本カメラ社から刊行された写真集『TOWN』は、「神さんが街におりてきた」、「街はアートする」の二部構成である。第一部は「小便無用」の鳥居のグラフィティを探し求め、第二部は街中で偶然に見出された「アートシーン」を丹念に撮影している。このような街歩き=採集の行為の積み重ねは、アマチュアの特権とでもいうべきものだが、春田は好奇心を全開にしつつ、軽やかに遊び心を持ってシャッターを切り続けている。その結果として、「いとも簡単に建て替えられ、造り替えられる方式が生み出す薄っペラな街の佇まい」が鮮やかに浮かび上がってくることになる。春田は、残念なことにこの写真集の制作途中で逝去した。小ぶりだが、しっかりした造本の『TOWN』は、彼の眼差しの記録としての重みを備えている。

2014/08/18(月)(飯沢耕太郎)

トランスフォーマー/ロストエイジ

テキサス(父と娘)ーシカゴ(本社奪還)ー広州(工場叛乱)ー香港(決戦)という流れだが、物語のディテールよりも、途中から緩急なしにクライマックスがずっと続く、てんこ盛りのマイケル・ベイ節はまったく健在である。しかし、日本は過去の侍でしか表象されず、ハリウッド映画における現代中国(資本)のプレゼンスの大きさを痛感さぜるをえない内容だった。

2014/08/18(月)(五十嵐太郎)

UNKNOWNS 2014──ART×CRITICISM

会期:2014/08/18~2014/08/23

藍画廊+ギャラリー現[東京都]

東京造形大学の近藤昌美と慶応義塾大学の近藤幸夫というふたりの近藤先生を軸に、3年前から毎年開かれている企画展。今年2月に慶応の近藤先生が亡くなり、和田菜穂子先生に代わったが、造形の学生の作品に慶応の学生が批評(作品解説)をつけるというスタイルは変わらない。出品は藍画廊3人にギャラリー現1人の計4人。作品は表現主義的な抽象絵画が多く、人物や動植物のイメージの断片を組み込んだものもあり、やっぱり近藤昌美の影響が色濃い。対する批評のほうは計13人。制作現場を訪れ、作者にインタビューしただけあって、どの文章もなにが描かれてあるか、なぜこのような絵になったかを探り、作者自身の言葉を引きながらていねいに解説している。ただそれだけに近視眼的になりかねず、その作品が現代において、あるいは美術史のなかでどのような位置づけになるかまでは言及されてない。ギョーカイ人としてはいささかものたりなさを感じるけど、一般人向けにはこのほうがいいのかも。

2014/08/18(月)(村田真)

清里フォトアートミュージアム開館20周年記念 原点を、永遠に。

会期:2014/08/09~2014/08/24

東京都写真美術館地下1階展示室[東京都]

山梨県清里に1995年に開館した清里フォトアートミュージアムは、今年で20周年を迎えた。それを記念して開催されたのが本展で、同ミュージアムの活動の柱の一つである「ヤング・ポートフォリオ」の収蔵作品から選抜した約500点を展示している。
「ヤング・ポートフォリオ」は35歳以下の若い写真家たちの作品を公募・購入するというユニークな企画である。複数の点数から成るシリーズ(ポートフォリオ)を、年齢制限に達するまで何度でも購入できるというこの企画は、日本だけでなく世界各国の写真家たちを勇気づけてきた。過去20年の応募総数は74カ国9,191人の106,224点に達しているという。そのうち実際に購入されたのは698人、5,296点であり、この数を見ただけでも、世界有数のコレクションに成長しつつあることがわかる。コレクション作家の中に、木村伊兵衛写真賞(本城直季、下薗詠子、百々新)土門拳賞(百瀬俊哉、亀山亮)などの受賞作家が含まれていることからも、その重要度が増していることが確認できるだろう。
今回の展示は、なるべく多くの写真家たちの作品を紹介するという意図で構成されているため、一つの傾向に焦点を結ぶのはむずかしかった。逆にこの20年の間に、写真表現がこれだけ多様な方向に伸び広がっていることに、あらためて驚きを覚えた。日本の写真家たちに限っても、モノクロームの正統的なドキュメンタリーから演出的なパフォーマンス・フォト、デジタル合成や画像の改変を多用した実験的な作品まで、めくるめくような幅の広さだ。むろん他の国の写真家たちの作品を見ても、表現のグロバーリズムが隅々にまで浸透していることが見て取れる。こうなると、ブラジル、ペルー、メキシコなど中南米の写真家たちの神話性、魔術性へのこだわりや、ポーランドやチェコなど東欧諸国の写真家たちの身体性を介した実存的な写真表現など、際立った磁場が成立している地域の写真群の方がむしろ興味深く思えてくる。日本の写真家たちも、そろそろ足下に目を向けていく時期にきているのかもしれない。

2014/08/19(火)(飯沢耕太郎)

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