artscapeレビュー

2018年05月15日号のレビュー/プレビュー

澤田華「見えないボールの跳ねる音」

会期:2018/04/13~2018/04/29

Gallery PARC[京都府]

澤田華が近年に制作している「Blow-up」(引き伸ばし)シリーズや「Gesture of Rally」(ラリーの身振り)シリーズは、印刷物や画像投稿サイトの写真のなかに写り込んだ「正体不明の物体」を検証するため、写真を引き伸ばし、形態を分析し、3次元の物体として「復元」を試みるなかで、イメージの「誤読」が連鎖的に生み出されていくプロセスの提示である。

本展では、「Mr.ビーン」役で有名な俳優、ローワン・アトキンソンのポートレイトが掲載された書籍を出発点に、彼が手にしている「よく分からない何か」(一口かじったクラッカー?)に着目した。「これは何か」と指さす手とともに元の写真図版を入れ子状に写した写真に始まり、ほぼ実物大に引き伸ばし、輪郭線を抽出し、カラー数値を分析し、画像検索にかける。だが、「干し大根」「せんべい」「ギョーザの皮」「聖体」など近似値の回答結果が得られるだけで、「正解」は分からない。検索結果を表示するウェブ画面をプリントした紙に加え、元の書籍のAmazonの商品ページやWikipediaの「ローワン・アトキンソン」の項目ページもプリントアウトして掲示され、謎が解明されないまま、情報だけが蓄積されていく。
さらに別室では、同じ写真のなかに見出された「もう一つの謎の何か」(もう片方の手と服の隙間にチラ見えする模様?)が分析と検証を加えられ、イメージの「誤読」を生み出していく。モニターには、トリミングや解像度などの差異を施した画像を、Google画像検索にかけた結果が次々と表示される。「これは、人の目です」「これは、タトゥーです」「これは、女性の隣に立っている人々のグループです」……。「これは、~です」の空白部分はいくらでも代替可能であり、写真の明白な意味(と思われていたもの)は解体されていく。

写真に偶然写り込んだ不可解な細部、一種の「プンクトゥム」に着目して検証を加えていく方法論はこれまでと同様だが、本展では、「情報」の連鎖的な生産がもう一つの焦点となっている。また、1枚の写真のなかに複数の不可解な細部を見出し、それぞれを情報の渦巻く海へと拡散させていくことで、「写真には単一の本質的な意味など内在しない」というメタメッセージが差し出される。それは、InstagramなどSNSや画像共有サイトにおける「タグ付け」に奉仕して流通する写真の現在的あり方への批評でもある。澤田作品は、写真が単一の意味へと収斂することに抗い、眼差しの統制を解除し、修正によってノイズが排除されたデジタル写真から「写真」の持つ不可解な力を取り戻すための試みであると言える。
「これは、~です」の指示対象はまた、埋まらない空白としての写真の細部を指し示すと同時に、「これは、印刷物です」「これは、インクのドットです」「これは、モニターの表面です」というように、次々と異なるメディウムの間を憑依していく。澤田作品は、イメージが複数のメディウムの間をサーキュレーションしながらゴーストのように漂い続ける状況そのものをも指し示しているのだ。


『見えないボールの跳ねる音』展 会場風景
撮影:麥生田兵吾 Mugyuda Hyogo
画像提供:ギャラリー・パルク Gallery PARC

関連レビュー

澤田華「ラリーの身振り」|高嶋慈:artscapeレビュー

2018/04/15(日)(高嶋慈)

平田晃久《ナインアワーズ》、高橋一平の集合住宅

東京都

日本ならではというか、特殊なワンルームが集合する新しい建築をいくつか見学した。ひとつは《ナインアワーズ》の竹橋と赤坂、もうひとつは浮間舟渡の小さな集合住宅である。前者は平田晃久、後者は高橋一平が設計したものだ。

ナインアワーズは、京都におしゃれなカプセルホテルを登場させたことがよく知られているが、これは柴田文江によるカプセルと廣村正彰のサインのデザインが従来のイメージを覆すことに大きく貢献した。が、今回はさらに建築家が参加し、新しい空間を創造している。すなわち、通常のカプセルは壁のなかに閉じ込められているが、ここでは全面ガラスの開口に面し、外からもまる見えなのだ。いわばカプセルが都市に溶け込む、開放的な建築であり、朝起きて、カプセルのカーテンを上げると、外の風景が見える。なお、竹橋と赤坂では周辺の敷地状況が異なるため、場所性にあわせて、それぞれのカプセルの配列パターンが違う。平田によれば、粘菌のようにかたちを変えながら、都市の隙間にカプセルが入り込む。実際、今後もナインアワーズは平田のデザインにより、浅草や新大阪などで各地の開業を予定し、増殖が続くらしい。

高橋による集合住宅は、道路に対して、前後、左右、上下に2つずつ部屋が並び、合計8つのワンルームをもつ。各部屋の面積は、8m2前後しかない。通常は廊下にそって均質な部屋が並ぶが、ここでは異なる性格をもったワンルームの集合体になっている。例えば、キッチンが中心に置かれた部屋、畳の和室、大きな浴槽がある部屋、寝室風の部屋、パウダールーム風の部屋などである。つまり、ひとつの住宅を分割し、アパートにリノベーションしたかのようだ。2階の4部屋へのアクセスも、玄関から階段をのぼって、家族の個室に入るような感覚である。もっとも、トイレ、浴槽もしくはシャワーなど、水まわりの設備は各部屋につく。それゆえ、普通の住宅の部屋とも違う。興味深いのは、道路側の上下4部屋が大きなガラス張りとなっており、奥行きは浅いが、街に投げ出されるような開放感を備えていること。ここでもおひとりさまの小さい空間が閉鎖的にならず、都市と接続している。

《ナインアワーズ赤坂》

《ナインアワーズ竹橋》



高橋一平による集合住宅


同、大きな浴槽がある部屋


2018/04/15(日)(五十嵐太郎)

KYOTOGRAPHIE 京都国際写真祭 2018

会期:2018/04/14~2018/05/13

京都新聞ビル印刷工場跡ほか[京都府]

「KYOTOGRAPHIE 京都国際写真祭」が6回目を迎え、今年も、京都市内で多彩な展覧会、イベントなどが展開された。

この写真フェスティバルの特徴のひとつは、寺院、町家、倉など、京都特有の環境を活かしたインスタレーション的な展示に力を入れていることだが、今年は新たに2つの会場が加わった。グローバリズムや富裕層の物質主義を批判的にドキュメントしたアメリカの女性写真家、ローレン・グリーンフィールドの「GENERATION WEALTH」展は、京都新聞ビルの地下1階の印刷工場跡で開催された。かつて輪転機などが置かれていた、インクの匂いが微かに漂うかなり広いスペースを使った大規模展だが、廃屋化した部屋と派手なカラープリントの取り合わせが見事にはまって、強烈なインパクトを与える展示になっていた。また、丹波口の京都中央市場内の旧貯氷庫の建物(三三九)でも、ギデオン・メンデルの「Drowning World」展が開催された。洪水に襲われた人々の行動を追った映像を、マルチスクリーンで見せる展示だが、やはりやや特異な空間によって、視覚的な効果が増幅されていた。

だが、今回の企画展示の目玉といえるのは、帯製造・販売の老舗である誉田屋(こんだや)源兵衛 竹院の間で開催された深瀬昌久「遊戯」展だろう。2012年に亡くなった深瀬の回顧展は、諸事情により国内ではなかなか開催できなかった。今回、深瀬昌久アーカイブスのトモ・コスガと、テート・モダン写真部門のキュレーター、サイモン・ベーカーがキュレーションした250点に及ぶという展示は、その意味で画期的なものといえる。しかもそのなかには、深瀬が再起不能の重傷を負った事故の直前に開催された「私景’92」(銀座ニコンサロン)に展示された「ブクブク」、「ベロベロ」、「ヒビ」といったシリーズや、「烏」シリーズの最終ヴァージョンとなる、手札判の印画紙にプリントした写真にサインペンでドローイングした連作など、ほとんど未発表だった作品が多数含まれている。深瀬の自己探求の凄みをあらためて感じるとともに、もっと規模の大きい、本格的な回顧展を見てみたいと強く思った。

「KYOTOGRAPHIE 京都国際写真祭」のもうひとつの呼び物というべき、サテライト展示の「KG+」も、今年は70以上に増えている。とても全部回るわけにはいかなかったが、見ることができたなかでは、山谷佑介の「The doors」(ギャラリー山谷)のパフォーマンスが出色の出来映えだった。山谷が叩くドラムの振動に合わせて、彼の周囲に設置した数台のカメラのストロボが発光し、シャッターが切られる。さらにカメラはプリンターに接続していて、その場で写真がプリントされて床に散らばっていく。スリリングなセルフポートレートの出現の現場を、目の当たりにすることができた。

会場があまりにも広範囲で、とても一日では回りきれないこと。チラシの情報や地図の表記がわかりにくいこと。「UP」という今回のテーマが、ほとんど浸透していないので、展示やイベントの設定に統一感がないことなど、いくつか気になる点はあった。だが、これだけの規模と内容の企画を、毎年質を落とさず継続できていることだけでも、賞賛に値するのではないだろうか。

2018/04/15(日)(飯沢耕太郎)

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KG+ 2018 三宅章介「切妻屋根の痕跡のための類型学」

会期:2018/04/10~2018/04/25

Lumen gallery[京都府]

空き地に面した壁に、かつてそこに隣接していた家屋の痕跡が、屋根のシルエットや壁面の色の濃淡差として残されている。三宅章介は、そうした壁の痕跡をタイポロジーとして撮り集める。特徴的なのは、その「プリント」方法だ。撮影画像をモノクロネガに変換し、ギャラリーの壁面いっぱいに貼られた2×3mのモノクロ印画紙に、会期中1日6時間×3日間=18時間、プロジェクターで画像を投影して焼き付けていく。1枚目の画像の3日間の露光が終了すると、順次、2枚目、3枚目も同様の手法で進めていく(15日間の会期で計5枚の露光を行なった)。従って、会期が進むにつれ、既に露光が終了したもの/現在進行形で露光中のもの/ブラックシートで覆われた未現像のもの、という3様態が併存することになる。

プロジェクターからモノクロネガの画像を投影すると、光を強く受けた部分が感光し、徐々にポジ画像が浮かび上がる。 ただ、露光後も薬品の定着処理を行なわないので、時間の経過に伴い、室内光の影響を受けて全面に感光が進むため、やがて画面全体が黒化して画像が消失するのではないか。三宅は当初、そのように考えていたという。しかし、実際に行なってみると、6時間の露光を終えたあたりから、ソラリゼーション効果(一定量以上の光を受けると感光層のなかの銀粒子が破壊される)のためか、強く光があたって黒化すべき部分が逆に明るくなる反転現象が起きた。

三宅の試みは、やがて「壁」自体も解体され、物理的痕跡としても人々の記憶としても消滅していく存在を、時間的な有限性のなかで変化し、定着を拒むイメージとして差し出すものとして、まずは素朴に理解される。ここで考察をさらに進めよう。(フィルム)写真は、「かつてそこにあった存在」の視覚的痕跡を印画紙という物質に定着させる。「かつて隣接していた家屋の痕跡を宿した壁」は、すぐれて写真の謂いである。三宅の試みは、一種のメタ写真としての「隣家の痕跡を残した壁の写真」を、プロジェクターから投影される自身の「光」そのものによって焼き付け、現像/反転/変容させていくことで、幾重にもはらんだ自己言及性とともに、自己破壊のアイロニーをも含み込んで屹立する。


左:1枚目を18時間露光した後、さらに3日経過した状態。ほぼ完全に反転している。
右:2枚目を12時間露光した状態。ソラリゼーション状態が見られる。

2018/04/19(木)(高嶋慈)

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《障害の家》プロジェクト

京島長屋[東京都]

東京スカイツリーがどこからでもよく見える墨田区の一角を訪れ、大崎晴地による《障害の家》プロジェクトを見学した。2015年のアサヒアートスクエアの展示において、建築家とともに提唱していたものである。今回の展示では、関東大震災後につくられた老朽化した長屋が並ぶ街区において、2つの会場が用意された。いずれも解体予定の2階建ての建物だが、外観は手を加えず、その内部を徹底的に改造した。ひとつは水平の梁を残したまま、複層の斜めの床を新しく挿入し、上下の移動ができるように丸い穴があけられた。梯子や階段はない。斜めの床が接近する箇所の穴ゆえに、自らの腕の力を使い、身体能力を駆使して移動する。また下から見上げると、各層の円がすべて揃う視点も設けられている。

もうひとつは二軒長屋を仕切る中央の壁を抜くことで可視化される平面の対称性を生かしつつ、1階の天井(と2階の床)を外し、代わりにそれよりも低い天井と、以前の2階よりも高い床をつくり、3層の空間に変容させた。1階の天井と2階の床の間の本来、人が入らない空間が膨らんだとも言えるだろう。したがって、1階は立つことが不可能であり、はいつくばって動くしかない。また通常は隠された押し入れはむき出しとなり、両側の家を行き来するための空間となる。そして片側の新しい3階の床は瓦を敷き、その上部の屋根はスケルトンになっていた。

いわば既存の家屋に手を加えるリノベーションだが、建築と決定的に違うのは、役立つ機能に奉仕していないことだ。むろん、かつてバーナード・チュミは、プログラム論の文脈において不条理なリノベーションを提唱している。が、それはミスマッチであろうとも、何かの役割を想定していた。一方、《障害の家》は、使い方というよりも、訪問者の身体性に直接的に働きかけ、覚醒させることに賭けている。すなわち、バリアフリーではなく、バリアフルな家。荒川修作の建築的なプロジェクトを想起させるが、大崎はかつて彼をサポートしていたという。が、荒川がまっさらな新築をめざしていたのに対し、これは増改築である。それゆえ、日常的な空間の異化効果が加わっている。

第一会場


第一会場、二軒長屋を仕切る壁が抜かれて、対称性が可視化される




第一会場、上下の移動ができるようにあけられた穴



第二会場の1.5階

2018/04/22(日)(五十嵐太郎)

2018年05月15日号の
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