artscapeレビュー

スペースノットブランク『原風景』

2019年03月15日号

会期:2018/12/18~2018/12/22

高松市美術館 講堂[香川県]

『原風景』は高松市の開催する高松アーティスト・イン・レジデンス2018に選出されたスペースノットブランク(小野彩加と中澤陽、以下スペノ)と俳優の西井裕美が高松市に49日間滞在して制作した「作品」。「作品」とカッコに括ったのは『原風景』が展示と上演のふたつのパートからなり、しかも展示の大部分を占めるのは高松市で絵を描き、写真を撮り、立体物を作る活動をしている「市民」の作品だったからだ。

スペノの作品は、おそらくそのほとんどがドキュメンタリー的手法によって作られている。上演において語られるのは、作品に参加した人々のそれまでの体験を言語化し編集することによって生まれた言葉だ(少なくともそのように聞こえる)。ここにおいてドキュメンタリー的という言葉は、演劇的、あるいは舞台芸術的というのとほとんど同義である。上演は、多くは稽古という名で呼ばれる時間の先にしかない。現在は過去の集積の上にあり、あるいは現在のなかに過去は折りたたまれている。

そうであったということはそうでしかなかったということではあっても、必然だったということではない(展示されていたワークショップの成果物、参加者の各々が家から会場までの経路を一枚の巨大な模造紙に書き込んだものはそのことを端的に示しているとも解釈できる)。だから、スペノの言葉はわかりやすい物語を紡がない。わかりやすい物語は複雑な時間のあり方を縮減してしまう。彼らが語る、易しいはずの言葉(なぜならそれらは生活のなかにあったものだから)は謎めいた魅力を称え、同時に幾分かとっつきづらい。

その点において、滞在制作という形式はスペノに向いている。上演において語られる言葉のバックグラウンドが、観客と作り手とのあいだで大なり小なり共有される可能性が高まるからだ。わからなければならないというわけではもちろんない。だが「わかる」ことから広がる未知の世界は大きい。



[© Kenta Yamazaki]



[© Yuka Kunihiro]

今作で西井によって語られる言葉は彼女自身のものでもスペノのふたりのものでもなく、今回の展示に参加した高松のアーティスト=「市民」から引き出され、編まれたものだ。彼らの名前は「原作」としてクレジットされ、その言葉の一部は作品とともに展示=上演会場に展示されてもいる。つまり、上演への入り口はさまざまなレベルで用意されている。作品を出展した者、その周囲の人々、出展者とは関係のない高松市周辺の人々、あるいは私のように「外」から訪れた者。いずれも展示を入り口に西井によって語られる言葉=世界に触れ、あるいは上演後に展示に触れることでその先に広がる世界を見ることができる。

アーティスト・イン・レジデンスへのスペノの選出は慧眼というほかない。これまでにもぺピン結構設計やブルーエゴナクなどを選出してきた高松アーティスト・イン・レジデンスは、今後も注目すべき枠組みと言えるだろう。



[© Yuka Kunihiro]

スペースノットブランク:https://spacenotblank.com/

2018/12/21(金)(山﨑健太)

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