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「見る」という超能力──マーク・チャンギージー『ヒトの目、驚異の進化』

2020年06月01日号

発行所:早川書房

発行日:2020/03/05

「見る」ということについて考え始めると、宇宙や生命について思いを巡らせるのにも似た不可思議な気分になる。なぜ外の世界がこれほどリアルに「見える」のか、いや、外の世界は本当に見えているように存在するのか、私が見ている赤色と他人が見ている赤色は同じ色なのか、そもそも世界に色はついているのか、視界は私の内にあるのか、外にあるのか、なぜ、どうやって外の世界が「見える」ようになったのか、見えるようになった動物はどう変わったのか……。

最後の疑問については、アンドリュー・パーカーが『眼の誕生──カンブリア紀大進化の謎を解く』(草思社、2006)で説得力のある答えを出している。生命の誕生はおよそ35億年前に遡るが、長く緩慢な進化の末、5億4300万年前からわずか500万年ほどのあいだに(地球史からすればほんの一瞬)突如として動物種が多様化し、現在のような複雑な形態をとるようになった。この「カンブリア紀の爆発」と呼ばれる大進化を促した要因が「眼」の誕生にあったというのだ。眼(レンズ眼)を獲得することによって捕食者は獲物を見つけやすくなり、逆に被食者は逃れやすくなる。そのため、ある種の動物は素早く動ける形態に進化し、また別の種は身を硬い装甲で覆うなど、生き残るために多様なデザインを編み出していく。つまり視覚の目覚めが進化圧を促したというわけだ。


これほど「目からウロコ」の大発見ではないけれど、マーク・チャンギージーの『ヒトの目、驚異の進化』は、これまでの視覚の常識を少しずつ覆していく「小発見」の連続であり、それゆえジャブの連打のようにジワジワと効いてくる本である。チャンギージーは初めに、人間の視覚はテレパシー、透視、未来予見、霊読という4つの超能力を備えているとハッタリをかます。専門書ではなく一般向けの啓蒙書なので、ある程度のホラは許容しつつ以下4章を読み進めていくうちに、まんざらホラでもハッタリでもないことが理解されてくる。

第1章では、人間の色覚がどのように発達したかを解き明かしていく。従来は、森のなかで生活していたわれわれの祖先が、色鮮やかな木の実などのエサを見つけるために色覚を発達させたと信じられてきたが、チャンギージーは自分たちの肌の色の微妙な変化を見分けるためだったと考える。かつてあった「肌色」という絵具がなくなったのは、人種によって肌の色が異なるため差別的とされたからだが、著者にいわせれば肌の色はどんな人種でも個人でも一定ではなく、体調や感情の変化によって赤、青、緑、黄色にもなるという。もちろんわずかな変化だが、赤ちゃんがいきむと赤みが増し、肌を押さえると黄色っぽくなり、鬱血すると青みがかることは経験から知っている。こうした変化が見分けられるように人間は顔から毛がなくなって肌が露出し、また、赤ちゃんの顔色で体調を判断するため女性には色盲が少ないのだという。だから人間の色覚は、第1章のタイトルどおり「感情を読むテレパシーの力」といえるのだ。これは納得。

続いて第2章では、人間の両眼が横ではなく前についている理由を探り、それを「透視」するためと喝破する。一般に、ライオンやフクロウなど肉食動物の目は前寄りに、ウサギやニワトリなど草食動物の目は両側についているが、前者は獲物に焦点を合わせるために視野が狭く、後者は捕食者に捕まらないために視野が広いとされる。人間の目も、前方に焦点を合わせて立体視するため前についているといわれてきたが、チャンギージーは立体視より、生い茂る木の葉や枝などの障害物を通して向こう側を見るためだと指摘する。ちょうど目の前に自分の鼻があるにもかかわらず、視野の邪魔にならずに透けて見えるように(鼻の高い西洋人には不思議だろう)、両眼の視差により目の前の障害物をあたかもないかのように「透視」できるというのだ。ここでわれわれの視覚は、左右の網膜に映ったままではなく、脳が修正を加えたイメージを見ていることがわかる。

そのことは次の章でより明確化する。第3章で検討されるのは錯視。チャンギージーによれば錯視とは、人間の目が光を受けて像を結ぶまでにかかる約0.1秒の時差を取り戻すために生じる現象だという。つまり脳は0.1秒遅れの動きを先取りして、ほんの少し未来のイメージをつくりあげてしまうのだ。たとえば、中心から放射状に延びる線の上に2本の平行線を置くと中央が膨らんで見えるが、これは脳が前進中と思い込んで一瞬先のイメージをつくりあげるからだ。これが第3章のタイトル「未来を予見する力」にほかならない。

最後の第4章「霊読する力」で語られるのは、文字と視覚との相性だ。人間は文字を発明したため、百年も千年も前に死んだ人たちの考えを耳にすることができる。これが「霊読」だが、もちろんそれで終わりではない。文字にはアルファベット、ヘブライ文字、アラビア数字、漢字、ひらがな、ハングルなどさまざまあるが、それぞれの文字を基本的な形態要素に分解すると、L T X Y Fなど20種ほどに還元でき、いずれも3画程度に収まる(漢字は文字単位ではなく構成要素に分解する)。この基本的な形態要素は自然を構成する形態要素と重なるため、すべての文字は自然に似るようにつくられたと考えられる。だから表音文字だろうが表意文字だろうが、自然を見るように読むことができるのだ。つまりわれわれが文字をすらすら読めるのは、文字が自然に擬態することで人間の目に適合したからであり、言い換えれば脳が進化したのではなく、文字が進化したのである。

このように、本書はこれまで考えられてきた視覚に関する常識を次々と覆し、わくわくするような新説に書き換えていく。もちろん単なる机上の空論でもオカルティックな珍説でもなく、綿密なデータに基づいた学術的な研究成果であることはいうまでもない。原題のTHE VISION rEVOLUTIONは、革命(REVOLUTION)と進化(EVOLUTION)を重ねたものだが、それは本書で語られている視覚自体の革命と進化を意味すると同時に、本書そのものが視覚論の革命と進化であることを物語っているのではないか。視覚に関する発見はまだまだ続くだろう。それだけ視覚というものは複雑怪奇なシステムなのだ。ありがちな結論だけど、結局「見る」という能力そのものがつくづく人智を超えた超能力だと思う。

2020/05/24(日)(村田真)

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