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村上仁一『地下鉄日記』

2020年06月01日号

発行所:roshin books

発行日:2020年

村上仁一(むらかみ・まさかず)は、2008年から写真関係の出版社に勤めるようになり、地下鉄を利用するようになった。この写真集は、その通勤の途中で撮られたモノクロームのスナップ写真を中心にまとめたものである。とはいえ、地下鉄以外の写真もかなり含まれていて、いわば「地下鉄通勤者の心象風景」というべき写真集になっている。

地下鉄の写真といえば、ウォーカー・エヴァンズが1938〜1941年にニューヨークの地下鉄の乗客を隠し撮りし、のちに写真集『Many Are Called』(1966)としてまとめたシリーズを思い出す。荒木経惟も1963〜70年に地下鉄の乗客を撮っていて、写真集『SUBWAY LOVE』(IBCパブリッシング、2005)を出版している。彼らの関心が、地下鉄の車内の乗客のどこか虚な、「無意識の」表情に向けられているのに対して、村上がこの『地下鉄日記』で引き出そうとしているのは、むしろ彼自身の内なる感情であるように見える。あとがきにあたる文章で、「いつからか私は、そんな浮き沈みのある自分の精神状態に向けてシャッターを切るようになっていった」と書いているのは、そのことを言おうとしているのではないだろうか。

その「自分の精神状態」の基調となっているのは、「深い憤り」である。といっても、何か特定の対象に向かうものではなく、脈絡のない、漠然とした、不安や哀しみと混じり合った感情の塊というべきものだ。そんな鬱屈感は、ストレスの多い現代社会に生きる誰もが抱え込んでいるものだが、いざ表現しようとすると、なかなかうまくいかないことが多い。たまたま村上は、編集者であるとともに、かつて第16回写真『ひとつぼ展』(2000)や、第5回ビジュアルアーツフォトアワード(2007)でグランプリを受賞したこともある、優れた資質を備えた写真家でもあったがゆえに、それをとても的確に引き出すことができたということだろう。

写真集のページをめくっていくと、どこか身に覚えがある光景が、次々に目の前にあらわれてきて、自分も地下鉄に乗って移動しているような気分に誘い込まれていく。

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