artscapeレビュー
杉江あこのレビュー/プレビュー
サーリネンとフィンランドの美しい建築展
会期:2021/07/03~2021/09/20(※)
パナソニック汐留美術館[東京都]
サーリネンといえば、エーロ・サーリネン(1910-61)がデザインしたノル社の「チューリップ・チェア」が思い浮かぶ。正直、その程度の知識でしかなかったのだが、本展を観て「チューリップ・チェア」に対する見方が少し変わった。本展はエーロの父、エリエル・サーリネン(1873-1950)のフィンランド時代にスポットを当てた展覧会だ。まずプロローグとして、フィンランドの民族叙事詩『カレワラ』の解説から始まり、しばし頭のなかにクエスチョンマークが現われる。しかし『カレワラ』がロシアからのフィンランド独立のきっかけをつくり、またサーリネンをはじめ芸術家たちにインスピレーションを与えた作品と知って驚いた。天地創造に始まり、4人の英雄が呪術を用いて宝を奪い求め戦う冒険だそうで、日本でいえば『古事記』や『日本書紀』に当たるようなものなのか……。現にサーリネンはデビュー作となる1900年パリ万国博覧会フィンランド館の建築で、「ナショナル・ロマンティシズム」と称される表現で民族独自の文化的ルーツを取り入れ、大成功を収めた。
アイデンティティやルーツに根ざすことは、建築でもデザインでも非常に大事なことだ。しかも自国の建国に際してはなおのことだろう。タイトルにある「フィンランドの美しい建築」の「美しい」とは、豊かな森と湖に恵まれたフィンランドの美しい自然や風土との調和を指している。サーリネンの美意識はつねにそこにあった。2人の仲間とともに、ヘルシンキ西の郊外の湖畔に建てた設計事務所兼共同生活の場「ヴィトレスク」にも、サーリネンの美意識が凝縮されていた。アーツ・アンド・クラフツ運動の影響も窺えるという解説どおり、まさにそれはフィンランド版「レッドハウス」のようである。ここで築いた理想の暮らしを、以後もさまざまな個人邸で実現していく。
しかしサーリネンが本当の意味で飛躍するのは、1923年に母国を離れ、米国に拠点を移してからだ。時代の潮流に乗り、ナショナル・ロマンティシズムからモダニズムへと新たな表現を模索し開花させた。ルーツは大事であるが、そこに留まり続けても進化はない。日本的な言葉で言えば、サーリネンは「守破離」を実践したお手本のような人だと感じた。しかもチャールズ・イームズらを輩出したクランブルック・アカデミー・オブ・アートの施設設計に携わり、教鞭をとり、学長就任まで果たしたのである。後世に世界中で大ブームを巻き起こす米国のミッドセンチュリーデザインが生まれるきっかけに、サーリネンは大いに貢献したわけだ。「チューリップ・チェア」もそんな時代のなかで誕生した。あのなんとも言えない優美なラインには、エーロが父から受け継いだフィンランドの美しい自然や風土への賛美があるのかと想像すると、実に感慨深い。
公式サイト:https://panasonic.co.jp/ls/museum/exhibition/21/210703/
2021/07/05(月)(杉江あこ)
イラストレーター 安西水丸展
会期:2021/04/24~2021/09/20(※)
世田谷文学館[東京都]
「へたうま」という言葉があるが、安西水丸が描いたイラストレーションも一見そう見える。いや、決して下手ではないので誤解を抱かないでほしいのだが……。つまり、へたうまに含蓄される「味」が非常に際立ったイラストレーションだと思うのだ。生前の安西にかつて私はインタビューをしたことがある。その際、安西から聞いたある言葉が印象に残っている。それは「僕は美大時代にもっともつまらない絵を描いていた」というものだ。想像するに、美術の基本に忠実になるあまり、個性を没してしまったということなのだろう。そのため美大時代を打ち消すかのように自分にしか描けない絵を追求し、味のあるイラストレーションが確立されたのではないか。
本展を観て、安西のイラストレーションの表現の幅広さを改めて知った。何となくかわいらしい絵の印象が強かったのだが、それだけでなくクールな構成、ややセクシーな雰囲気、素朴で荒々しい筆致など、媒体や目的によってはっきりと描き分けていることがわかる。とても器用で、画力がある人なのだ。そのなかで一貫していたのは、シンプルであること。本展での解説を読んでなるほどと思ったのが、安西はよく画面を横切るように一本の線を引いたというエピソードだ。それを「ホリゾン(水平線)」と呼んでいた。「ホリゾンを引くことで、例えばコーヒーカップはちゃんとテーブルの上に載っているイメージを出せるし、花瓶なら出窓の張り出しに飾られているイメージを出せる効果があるのです」と言う。シンプルを貫きつつも、どこか品の良さや存在感を感じさせるのは、ホリゾン効果なのかと膝を打った。
とにかく会場の雰囲気はとても楽しい。展示作品が盛りだくさんで、覗き穴や顔はめなどの遊び心にあふれたスタイルの展示セクションもある。安西自身が観たとしてもきっと満足するのではないか。観る者の頭と心を柔らかくする安西のようなクリエーターが、これからの時代にもっと必要とされるように思う。
公式サイト:https://www.setabun.or.jp/exhibition/20210424-0831_AnzaiMizumaru.html
2021/06/26(土)(杉江あこ)
隈研吾展 新しい公共性をつくるためのネコの5原則
会期:2021/06/18~2021/09/26(※)
東京国立近代美術館[東京都]
国立競技場の設計参画や、国内外で多くの建築設計を手がける隈研吾は、いまやもっとも名の知れた国民的建築家と言える。そんな隈の大規模展覧会がオリンピックイヤーに相応しく開かれた。テーマは「新しい公共性をつくる」で、隈は独自の5原則を掲げる。それは「孔」「粒子」「やわらかい」「斜め」「時間」だ。誰もがわかる易しい言葉をキーワードにするあたりが、隈は編集能力に優れた人だと感じる。この5原則に照らし合わせれば、国立競技場の庇の軒下部分に用いられた小径木ルーバーは「粒子」に当たるのだ。47都道府県のスギ材とリュウキュウマツ材を多用したデザインは、なるほど粒子なのかと思う。また、2010年代を中心とした比較的新しい建築を事例としていたためか、その多くで建築模型が展示されており、なぜ「孔」なのか、なぜ「粒子」なのかというポイントがよく伝わってきた。ただひたすら難解だったひと昔前の建築論とは打って変わって、時代は変わったなと思う。そうした点でも隈は国民に寄り添う建築家なのだ。
もうひとつ特筆したいのが、本展タイトルに「ネコの5原則」とあることだ。まるで昨今の猫ブームにあやかるような切り口と最初は思ったが、いやいやどうして、それも新しい公共性を考えるうえで隈が導いた答えだった。隈が猫に着目したのにはコロナ禍が影響していた。コロナ禍で多くの人々の意識や価値観が変わり、国や自治体が管理する場所やハコものにではなく、身体的に引かれる場にこそ公共性が生まれると気づいたのである。これを猫に学んだという。本展の第2会場では、隈の自宅付近をうろつく半野良の猫2匹にGPSを取り付けてその行動を追ったユニークな検証があり、ほっこりと癒されつつも、その本気度が伺えた。これを丹下健三がかつて提唱した「東京計画1960」への応答として、隈は「東京計画2020 ネコちゃん建築の5656原則」と名づけて発表している。確かに私の飼い猫を見ていても、家の中でも暖かい場所や涼しい場所を求めて自ら移動するし、狭い場所にわざわざ入り込むのが好きだ。それもすべて身体的に心地良い場所を求めているからなのだろう。建築の新たな見方を教わる展覧会である。
公式サイト:https://kumakengo2020.jp/
2021/06/25(金)(杉江あこ)
ファッション イン ジャパン 1945-2020 ─流行と社会
会期:2021/06/09~2021/09/06(※)
国立新美術館 企画展示室1E[東京都]
ファッションというと、「服装」を意味する言葉として定着しているが、もともとの意味は服装に限らず広い意味での「流行」である。その点で本展は洋服を基軸としながら、日本の戦後流行史や社会史にも迫る充実した内容だった。当時の世相や流行した雑誌、広告、映像、音楽なども含めて展示していたからだ。まずプロローグとして1920年代-1945年があり、国民服ともんぺが展示されていてのっけから目を引く。そして1章は終戦直後の1945-1950年代、2章は1960年代と、以後、10年単位で章を展開していく。したがってどの世代が観覧しても、必ずどこかの章で懐かしさを覚えたり、当時の自分を思い出したりするのではないかと思えた。まさに服装と流行と社会とは切っても切れない関係にあることを痛感した。
ちなみに団塊ジュニア世代の私は1980年代から懐かしさがじわじわと高まり、1990年代にその感情が爆発した。「あぁ、こんなブランドが流行ったよね」とか「こんな格好をした人がいたよね」という言葉が口をついて出た。そして当時、自分が何歳頃で、どんな生活を送っていたのかということまでも蘇ってきたのである。こうした反応は私だけではなかったようで、周囲からも同様に共感や感嘆の言葉が聞こえた。つまりファッションは、個々人が人生を振り返ることのできる強いフックとなるのだ。
考えてみれば、欧米諸国やその他の国々に比べると、日本の洋服史はまだ浅い。庶民全般に本格的に洋服が根づいたのが戦後からとすると、100年にも満たないからだ。そのわずか100年足らずの間に日本の洋服史は変幻自在な道を辿った。当初は欧米の服装をそのまま受け入れつつも、次第に独自路線を歩んでいく。歴史がないからこそ、自由に羽ばたけたのだ。当然、社会状況からも大きな影響を受けてきた。そんな日本のファッションのガラパゴス化が、2000年代以降には逆に世界から評価される結果にもなる。ガラパゴス化への原動力は何かというと、結局、日本人はおしゃれが好きで、創意工夫するのが好きということに尽きるのではないか。それはファッションデザイナーや業界の人々だけに限らない。庶民一人ひとりが自分らしい服装を希求しているのだ。だから戦中のもんぺにも、戦後まもなくの洋裁ブームにも、庶民が楽しんだおしゃれがあった。さて、本展を観て、あなたは何に懐かしさを覚えるだろうか。
公式サイト:https://fij2020.jp
2021/06/08(火)(杉江あこ)
イサム・ノグチ 発見の道
会期:2021/04/24~2021/08/29(※)
東京都美術館[東京都]
香川県牟礼町のイサム・ノグチ庭園美術館を私が訪れたのは、もう十数年以上も前のことである。見学には事前に往復ハガキによる申し込みが必要で、入館してからは「写真撮影はいっさいNG」とずいぶん厳しい対応ではあったけれど、わざわざ足を運んだ甲斐があった。そのときに感じたのは、彫刻は設置される環境が重要ということである。庭やアトリエ、住居の至るところに鎮座する数々の彫刻はまさにそこに生きていた。「自然石と向き合っていると、石が話をはじめるのですよ。その声が聞こえたら、ちょっとだけ手助けしてあげるんです」とイサム・ノグチは語ったと建築家の磯崎新が明かしているが、その自然石ならではの生命力を強く感じたのだ。それから10年以上経った5年前、米国ニューヨークのイサム・ノグチ庭園美術館へも出張のついでに訪れることができたのだが、やはり同じように感じたことを覚えている。
この彫刻の活力を見せるという点において、本展は優れていた。これまでにも都内などで催されたイサム・ノグチの展覧会をいくつか観てきたが、ホワイトキューブの中に置かれた彫刻はどうにも居心地が悪そうに見えて仕方がなかったからだ。本展の「第1章 彫刻の宇宙」では、ノグチの代表作である光の彫刻「あかり」を150灯も吊るした大規模なインスタレーションが中央に配され、その周りや下を周回できるようになっていた。これを観た瞬間、こう来たか!とテンションが思わず上がった。明滅する「あかり」150灯の周囲には、ノグチの壮年から最晩年に至るまでの多様な作品が点在し、それらまでも不思議と生き生きとして見えた。
続く「第2章 かろみの世界」と「第3章 石の庭」でもそれは同様だった。全体がシンプルな3部構成で、いずれも広い空間に彫刻を点在させて周囲の照明を少し落としていたためか、解説を読んだり頭で考えたりするよりも心で感じることができたのである。ザラザラ、ツルツルとした石の豊かな地肌、いろいろな想像力を掻き立てる形、前から横から後ろから観たときに異なる印象……。こうした彫刻の純粋な姿に見入ることができた。実は緊急事態宣言が発令されて、本展は開始早々に一時休室に追い込まれてしまったが、そんな人々の心が病んでしまいかねないコロナ禍だからこそ、芸術の力が必要だ。奇しくも、ノグチは現代の我々に生きる勇気を与えてくれたように思う。
公式サイト:https://isamunoguchi.exhibit.jp
2021/06/01(火)(杉江あこ)