artscapeレビュー
村田真のレビュー/プレビュー
開館45周年記念展 絵画と想像力 ベルナール・ビュフェと丸木位里・俊
会期:2018/03/17~2018/06/12
ビュフェ美術館が開館45周年だという。ベルナール・ビュフェといえば戦後まもない時期に10代でデビューし、早熟の天才画家と騒がれたものだ。戦後の荒廃した時代気分を映し出すかのような鋭い線描は、贅肉をそぎ落としたジャコメッティの彫刻とともに実存主義にも結びつけられ、人気を博した。だが、こうした厳しい時代背景の下に生み出された芸術というのは、衝撃力はあるけど往々にして長続きしない。社会的にも個人的にも平穏な時代が訪れると次第にマンネリに陥り、また抽象芸術の全盛期には時代遅れと見なされていく。
まあ日本では地理的にも文化的にも時差があるので、この美術館が建った70年代前半にはまだビュフェの威光は輝いていた。今回初めてビュフェの作品をまとめて見て、いったいこの画家はモダンアートの文脈のなかでどのように位置づけられるのか、首をひねった。とくに60年代以降どんどんマンガチックになっていき、芸者を描いた《日本女性》や関取を描いた《相撲:睨み合い》などはご愛嬌としても、1988年の超大作「ドン・キホーテ」シリーズなど笑いをとろうとしたとしか思えないほど。
だが、最後に大展示室に掛かっていた作品を見て、少し見方が変わった。そこには丸木伊里・俊の《原爆の図第三部 水》と、ビュフェの「キリストの受難」シリーズ2点が比較できるように展示されていた。どちらも「受難」をテーマに同時期に描かれたほぼモノクロームの大作で、「原爆の図」は180×720センチ、「キリストの受難」は1点が280×500センチある。こうして比べてみると、「原爆の図」が水墨画ベースのため線が薄くて細く、意外にも黒い輪郭線でかたちづくったビュッフェの人物が力強く感じられたのだ。もちろんテーマも違うし、ビュフェはまだ若く勢いがあったころの作品だから、比較してもあまり意味はないかもしれないが、それにしてもビュフェの人物像に力強さを感じるとは、予想外の発見だった。
2018/04/22(村田真)
須田悦弘 ミテクレマチス
会期:2018/04/22~2018/10/30
クレマチスの丘 ヴァンジ彫刻庭園美術館[静岡県]
BankARTスクールの生徒たちと三島駅で待ち合わせ、無料シャトルバスでクレマチスの丘へ……と思ったら、日曜日の発着時間は40分もズレていたのでタクシーで行くことに。まずはヴァンジ彫刻庭園美術館へ。タイトルの「ミテクレマチス」はもちろんダジャレだが、クレマチスの花をテーマにしていることは予想できる。しかし須田のことだからどこに作品があるかわからないので気をつけなければ、と階段を下りながら作品リストを見ると、さっそく1点エントランスホールの「花」を見逃していた!
注意深く見ていくと、コンクリート壁の上下(決して目線の高さには置かない)に次々と花を発見。どれも一輪ずつポッと咲いている。作品名の《テッセン》《白万重》《ミケリテ》《モンタナ》は、いずれもクレマチス属の一種だそうだ。最後は円形の池に睡蓮を浮かべたもので、これが今回最大の作品だ。作品リストを確認すると1点見逃している。戻って探したら、壁にスリットが空いているではないか。のぞいてみると、床の隙間から雑草が生えているのが見えた。計7点すべてが、ジュリアーノ・ヴァンジの彫刻が置かれたメインギャラリーではなく、隅っこの階段やロビー空間に展示しているのが須田らしい。ひょっとしたらリストには載せてないけど、ヴァンジの彫刻にポソッと取り付けた作品があるんじゃないかと妄想が膨らむ(いちおう確認したけどなかったみたい)。
2018/04/22(村田真)
松山賢個展 絵の具・文様・野焼き・人物
会期:2018/04/06~2018/04/22
アートコンプレックス・センター[東京都]
ギャラリーとしてはかなり大きめのスペースに、美少女、昆虫、ロウソクの焔、縄文、絵の具、惑星など松山の主要なシリーズから未発表作品を中心に、200点以上を出品。棚には縄文土器や古代彫刻のミニチュアを100点くらい並べ、展示即売している。ミニカーのシリーズを除き、どれも絵心をくすぐる作品ばかり。いわゆるツボにはまるってやつ。この「ツボにはまる」状態を説明するのは難しいが、あえて言語化してみると、そもそも個人的に好きな作品と芸術的に評価する作品とは必ずしも一致せず、多少の乖離があるもので、その乖離につけ込んでズカズカと核心に迫ってくるのが彼の作品なのだ、といえるかもしれない。つまり趣味と芸術の交差点に侵入してくる、そんな感じだ。
今回初めて見るのは「絵の具の絵」シリーズを立体化した「絵の具の絵の絵の具箱」。立方体の箱の一面に「絵の具の絵」が描かれ、その裏側(箱の内部)にホンモノの絵の具皿が入ってるものもあり、現実と絵画、物体とイメージを隣り合わせている。いちばん奥の暗い部屋で上映している映像も初めて見た。壁に花柄の黒いレースを張り、その上に女性ヌードの映像を映しているのだが、ヌードが徐々にぼやけて見えにくくなっていく。どうやら女性ヌードの映像をこのレースを張った壁の前に映し出してもういちど撮影し、それを再び壁に映し出して撮影し……を繰り返したものらしい。タイトルが《フローラ》と聞いて、ああそうかと思った。ボッティチェリの《春(プリマヴェーラ)》では、ゼフュロスに抱かれたニンフのクロリスが花の神フローラに変身するが、そのフローラはたしかに花柄のレースをまとっているのだ。こういう美術史ネタもくすぐられるなあ。
2018/04/18(村田真)
プーシキン美術館展—旅するフランス風景画
会期:2018/04/14~2018/07/08
東京都美術館[東京都]
モスクワのプーシキン美術館からフランスの風景画を選んだ展示。17世紀のクロード・ロランによる理想的風景画から始まるが、奇妙なのは、ここに描かれるエウロペの掠奪やルイ14世やナミュール包囲戦といった主題が、いずれも画面の下方に集中し、上半分は空と樹木と地平線しか描かれてないこと。なんで主題をもっと大きく描かないのか、そんなに空が好きなのか、不思議でならない。まあそれはいいとして、19世紀なかばまで風景といえば田舎だけだったが(都市自体がほとんどなかった)、世紀の後半になると印象派をはじめとする画家たちが都市を描き始める。そしておもしろいことに、都市風景になると画面の上までびっしり描くようになるのだ。これは建物の上からながめた仰角の構図が増えたことも関係しているのかもしれない。
ここで注目すべきはモネやルノワールといった有名どころではなく、ルイジ・ロワール、ジャン・フランソワ・ラファエリ、ジャン・ベロー、ピエール・カリエ・ベルーズ、エドゥアール・レオン・コルテスといったあまり紹介されたことのない画家たちだ。うまさでいえばモネやルノワールより上かもしれないが、ハンパに印象派的な外光表現を採り入れているため、アカデミックな素養と印象派の画法が混淆して折衷的に見えてしまう。でもそんなモダニズム的先入観を排して見れば十分に魅力的だ。
その後、本展の目玉であるモネの《草上の昼食》をはじめ、セザンヌ、マティス、ピカソ、ゴーガン、ルソーなどが続くが、目が釘づけになったのは、セザンヌ最晩年の作品《サント・ヴィクトワール山、レ・ローヴからの眺め》。山と大地と空と木が照応し、ほとんど抽象画のように溶け合っている。これはすごいなあ。あとは、50歳のときに宝くじで大金を手にして絵画制作に専念したというアルマン・ギヨマンとか、ゴッホそっくりの画風から始めたルイ・ヴァルタなど、有名ではないけど興味深い画家たちも出ている。ロシアの美術館にはまだまだ発見が多い。
2018/04/13(村田真)
ゆらぎ ブリジット・ライリーの絵画
会期:2018/04/14~2018/08/26
DIC川村記念美術館[千葉県]
ブリジット・ライリー、なつかしいなあ。単純だけど、パステルカラーの波形のパターンはけっこう好きだった。日本では70年代にヴィクトル・ヴァザルリらとともに、オプアート(錯視芸術)の代表的作家として話題になったが、やがて新表現主義が台頭して消息が途絶え、以来40年近く忘れられていた。その個展が日本で開かれると聞いて驚いた。まず、彼女がまだ生きていたことに。そして、ずーっとオプアートを継続させていたことに。しかもそれを、忘れっぽいはずの日本の美術館が持ってきたことに。
ライリーは1931年生まれだからもう87歳。展覧会は1961年制作のモノクロの錯視的な抽象画に始まり、60年代なかばにカラフルな波形のオプアートを確立していく過程が見てとれる。このころの作品は凝視していると本当に目も身体も揺らいでくる。いちばん揺らいだのは1967年の《大滝2》で、見ているうちに目がくらんでくる。70-80年代には直線(ストライプ)による構成が増え、絵画としては洗練されてくるが、波形ほど揺らがない。ちなみに揺らぎは画面のサイズと色彩の組み合わせによって異なるようだ。ここ20年くらいはストライプの幅が広がった直線と曲線の組み合わせとなり、また壁に直接描くウォールペインティングも試みている。今回は幅4メートルを超す《ラジャスタン》という壁画を披露。といっても描いたのは本人ではなくアシスタントだが(実は60年代からアシスタントに描かせているらしい)、80歳を過ぎてもなお新作に意欲を見せる姿勢は見習いたいものだ。
2018/04/13(村田真)