artscapeレビュー
木村覚のレビュー/プレビュー
井手茂太「コウカシタ」
会期:2009/03/14~2009/03/20
あうるすぽっと[東京都]
まるで巧みなDJプレイに乗せられているようだった。東南アジアのダンサーたちとイデビアン・クルーのメンバーは、異文化や男女の間、また個人の間の接触、そこに生じるズレを引き出し、そのありさまを推進力に舞台を生成させてゆく。それぞれの「間」を生む境界線、例えば、グループAとグループBあるいはレイヤーAとレイヤーBを分かつ線をどこに引くかといった課題は、いまやDJプレイのごときセンスの問題であって、社会をどう認識しているのかといった作家の態度や姿勢を明示する類の事柄ではなくなっているようだ。「それ」が「どうである」といった結論は重要ではなく、「それ」「それ」「それ」と矢継ぎ早に、結論なしにひとがあらわれ、別の誰かと交差する。「賑やかな交通の交点にある高架下だからさ、ここは」と言われればそれまでなんだけれど、交差して、互いにイライラして、最後は、飛行機の爆音のごとき騒音が空間を支配して終幕、というのが井手の描く現在のぼくたちであるとすれば、それはなんとも切ない。
イデビアン・クルー:http://www.idevian.com/
2009/03/14(土)(木村覚)
白井剛「blue Lion」
会期:2009/03/13~2009/03/15
東京芸術劇場 小ホール1[東京都]
休憩込みで150分。動物園のキリンや象やライオンが舞台奥のスクリーンに大写しされ、その前で、鈴木ユキオと寺田みさこが床に敷き詰めた白砂に突っ伏している。彼らとともに、ギター奏者、アコーディオン奏者、鍵盤などの演奏者、ヴォーカリストの4人が舞台上で共演する。前半は、ぼんやりとした淡い時間が続く。後半は、照明が明るいなどメリハリは出てきたのだけれど、前半と後半の違いは?など明確ではない部分が気になってしまう。全編、演奏を起点に、さまざまな場面が次々と舞台に置かれてゆく。出演者の自伝的な場面もあれば、絵本を鈴木と寺田で読み合うファンタジックな場面もある。要素は多様だが、それらをどう統合すればいいのか判然としない。判然としないので、作家の意図(エゴ)を探してしまう。見つからないので、全体が作家のメッセージ?などとわかろうとするが、その時点で白井剛という人間に興味のない(けれども、ダンス作品には興味のある)観者は取り残されることになる。それだから、静謐な雰囲気が印象に残った作品だった、などと穏当な結論に行き着かざるをえなくなる。
2009/03/13(金)(木村覚)
安室奈美恵「BEST FICTION TOUR」
会期:2009/03/07~2009/03/08
横浜アリーナ[神奈川県]
休憩なしの140分。45万人を動員する巨大ツアー。3曲目だったか「New Look」の冒頭、古のミュージカル映画のような巨大ハイヒールの上でポーズをとる安室に、会場の女子たちが一斉に「かわいいー」とため息混じりの叫び声を上げた。あの瞬間が、このライブのハイライトだった。舞台両脇のスクリーンに映る安室は、圧倒的にかわいく、その輝きは安室があらためて手にした勝利を饒舌に語っていた。新曲「Dr.」に典型的な、多様な要素を濃縮状態で繋いでゆく複雑で刺激的な楽曲は、万人受けするポップスとは言いがたい。けれども、だからこそファンは突っ走る安室にどうにか食らいついてゆきたいと熱望するのだろうし、だからこそ安室はいま「憧れの存在」なのだろう。「歌謡曲歌手」というステレオタイプでいまの安室を括るのはちょっとずれている。次々と耳に飛び込んでくる多国籍な音楽イメージ、ヒップ・ホップはもちろんのこと、過去のポップス、ゴス的なテイスト、アフリカン、チアーやマーチングや沖縄民謡など。それが、きちんと「安室奈美恵」というブランドイメージをまとって繰り出されるのだから「ついていきます!」とつい漏らしてしまいたくなるというもの。いや、かつて「歌謡曲歌手」とはそういう存在だったのであって、80~90年代のアイドルが振りまいた素人性の魅力の背後に隠れてしまった歌謡曲歌手本来の力が、いま安室奈美恵によって復活しているということなのかも知れない。ノーMCで踊りっぱなし歌いっぱなしのひとり「アムロ・ランド」状態に徹底的に打ちのめされた観客に向けて、安室はかわいく手を振り、最後に一言だけ「また遊びに来てねー」と語りかけた。観客はまるでミッキーマウスに応えるみたいに、遠くの安室に大きく手を振り返した。
2009/03/08(木)(木村覚)
山海塾「金柑少年」
会期:2009/03/07~2009/03/08
東京芸術劇場 中ホール[東京都]
戦時や終戦を想起させる学生服を着た少年の場面、クジャクとともに踊る場面、小さい「やっこさん」のごとき格好で踊る場面、ラストの赤い逆三角形のボードの下で踊り手が逆さに吊される場面、印象に残る場面は多いし、そこに遍く行き渡る独自の美意識や身体訓練の達成度など、見所は随所にあった。反復する動きが多くてそう思わせるのか、はじまった瞬間ショッキングだった光景は、次第に美しさへと昇華される。これをどう捉えるかが、本作と言うよりも山海塾というものへの評価の分かれ目だろう。ともかくセンスがいい(オシャレ)、とくに選曲。大駱駝艦が吉祥寺ならば、山海塾は目黒や代官山。ひと頃のカフェやラウンジのような音楽のチョイス、そう思えばラストの宙吊りはミラーボールに見えなくもない? 世の流れに応じた演出(厳密に言えば90年代的かも)が目立った。
山海塾:http://www.sankaijuku.com/
2009/03/07(木)(木村覚)
快快「MY NAME IS I LOVE YOU」
会期:2009/03/07~2009/03/08
ゴタンダソニック[東京都]
ゲネプロを見た。正直7~8割の出来と思った。本番はさまざまな改善点がクリアになっていたかも知れない。恋愛の現在形あるいは未来形を描いた問題作。恋愛に奥手な男の子が主人公の前半に代わって、後半はダッチワイフのロボット2人が真の主人公となる。彼女たちは、渋谷の街でウリをする。ウリをする理由はない、ただそうプログラミングされているから。「プログラミング」された身体というのは、いまとても気になっているテーマだ。人間もロボット同様、神からあらかじめ与えられたプログラムに従っているに過ぎないと考えるのがいまの風潮だとすれば、人間の行動は、意志や努力の問題ではなく性能(天分)の問題に局限化される。ならば相手に対して「もっと愛してよ」と告げるエナジーを燃やすより「ああそうなっているのね」と相手のプログラムを読み取るほうが賢明な時代ということになろう。などと考えつつ、これは未来ではなく現在の物語かも知れないと思って見ていた。
快快:http://faifai.tv/faifai-web/
2009/03/06(金)(木村覚)